第 ⅩⅦ 話 死の匂いのする朝
この物語は、ただの創成物語である。
日差しが窓から差し込み、私の目元を眩しく照らす。
その眩しさに耐えかねた私は、目を薄く開かせ、夢から覚めたことを確認した。
そして、その日差しを避けるためにむくりと上体を起こすと、手元にストンと何かが落ちた。
何かと思い、私はそれを手に取る。
冷たく、濡れている布。
ふと人の気配を感じた私は隣を見やると、そこにはベルが地べたに座り込みベッドにもたれ掛かりながら寝ていた。
どうやら一晩中、皆が私のことを診ていてくれていたようで、普段はいないアンジュさんもルークさんのベッドにもたれ掛かる形で眠りに落ちていた。
一方のルークさんも地べたに座り込み、壁に凭れ掛かりながら寝ている。アニキはアニキで、ドアの隣に立ったまま腕を組んで寝ていた。……何とも器用な人だ。
起こすと悪いと思い、声を出さず、心の中でその感謝の意を示していると、今度は部屋の扉の奥の方から足音が聞こえてきた。
「お、やっと起きた」
扉を開け、部屋に入ってきたのはカタリーナ先生だった。
「ほれ、水でも飲みな。汗で水分が持っていかれてるから、補給しておかないと倒れるよ」
そう言うと、先生は持っていたグラスを私に手渡した。
中には透明な水が入っている。
確かに喉も乾いている。私は「ありがとうございます」と素直に受け取り、そのグラスに入っている水を一気に飲み干した。枯れた地盤に潤いが行き通り、脳が快感を覚える。
プハッと一緒に飲み込んだ空気を吐き出し、私は口から零れた水を手で拭う。
すると、そんな様子を見て、先生が私に向かって少しニヤついた表層を浮かべた。
「怪しまないのね」
「えっ? なんの事です?」
全くなんの事か分からない私は聞き返す。
「聞かされていないのね。実はその水には、私がオリジナルで作った薬が混ぜ込んであったのよ」
「ち、ちなみに、何の薬です?」
恐る恐るその答えを私は尋ねる。
「惚れ薬」
「……っ!?」
そう聞かせれて、私は思わず口を手で覆った。
ほ、惚れ薬だと────その言葉を耳にすると様々な脳を過ぎる。誰に対して惚れてしまうのか、いつ、どのような効果があるのか。飲んだことも、飲ませたこともない私は分かりやすいようにたじろいでしまった。恐らく、顔も赤かったことだろう。
「アハハッ、安心しなさい。ただの栄養剤だから。まあ、私のオリジナルであるってことは変わりないけど」
「そ、それは良かった……」
まったく、酷い頭痛の後に起きてすぐ、惚れ薬なんて盛り込まれたらたまったもんじゃあない。
「分かりやすい反応してくれるのね、普段は冷静そうなのに、からかい甲斐があるわ」
「他の人にもこんなことやってるんですか」
「そうよ、馬鹿正直に『薬作ったから試させて』なんて言ったら、誰も飲んでくれないじゃあないの。だからこうやって試してるのよ」
お……恐ろしい人だ。私はもしかしたら、本当にこの人に殺されるのかもしれない。そうとさえ感じてしまう。
「大丈夫よ、理論的には死なない程度のものしか作っていないから」
いや、死なない程度だとしても、患者に無言で飲ませるのは大丈夫ではないだろう。
心の中でそうツッコミつつ、私は空のグラスを先生に手渡した。
■ ■ ■
「凄い熱だったわよ」
唐突に先生は話を切り出した。
「そこの手袋くんがね、夜に急いでやってきてね、何事かと思ったわ」
「君は汗ダラダラでね。それはもう、酷かったわ。一種の流行病なんじゃあないかと思ったくらいよ」
通りでベッドが少し湿気っている。服はどうやらアニキ達が着替えさせてくれたようだが、ベッドに染み込むまでに汗を流していたようだ。
流石に申し訳ないので、後で洗っておこうと誓う。
「原因はなんだったんですか?」
自分でも分かってるくせに、聞いてみる。
無論、返ってくる答えは────
「分からない。症状として似たのは幾つかあるけど、そのどれとも当て嵌らなかったわ」
"不明"だという予想された答えだった。それもそうだろう。誰が記憶が流れ込んできた反動で起きた頭痛だなんて誰が信じるだろうか。
────あの時、流れ込んできた記憶は、私でもあまりよく分からないものだった。
建物らしき大きな鉄の塊が立ち並ぶ中、雨に打たれて路地をゆらゆらと歩く光景。これも私がかつて見ていた光景なのだろう。
手にはナイフ────その切っ先には血が滴っており、不穏な空気を漂わせている。その上、自分の腹部にも赤いシミが出来ている。
何が原因でこれが起きているのかはハッキリとしないが、少なくともこれも私の過去を明らかとする重要なファクターの1つなのだろう。
そのような世界で行われる私のキオクがあの時大量に流れ込んできたのだ。
どうやら、その時代の私は「ラーク」と呼ばれていたらしい。
「君の方こそどうよ、何か心当たりある?」
あの時思い出したキオクを1人纏めていると、逆に先生から質問が飛ぶ。
「いえ、特にこれといっては……」
思いもよらず聞き返されたので、内心少したじろいでいたが、なんとか冷静を装って返答した。
これがバレているのか、それともそうでないのかは彼女の雰囲気からは分からなかったが、後に意味深な発言も無かったので、取り敢えずこの場はやり過ごすことには成功したようだ。
「まあ、顔でも洗っておいで。取り敢えずこの子らにしゃんとした顔見せて安心させてやりな」
そう言うと、カタリーナ先生は今度は私に向かってタオルを放り投げてきた。
どうやら、これで拭けということらしい。
「君の様子を見れば、今のところ多分大丈夫でしょ」
多分とか、医務に携わる人がそんな判断で逆に大丈夫かとは思うが、まあ、こんな聞いたこともない症状なんて予想も出来まい。
「取り敢えず今日はこれだけにしとくけど、明日にでも別の医療班員に診てもらえるよう手配しておくわ。私元々は手術専門で、投薬治療とか薬学にはそこまで詳しくないから……」
「専門……」
「そう。そっちの面でもきちんと調べておかないと、感染症だったら取り返しがつかないから。まあ、その恐れもないとは思うけど」
私は、「専門」という言葉に1つ案じるものがあった。
「じゃ、私はこれで。お大事に」
そう言うと、先生は部屋を後にし、自身の医務室へと戻って行った。
取り残された部屋には皆の寝息が優しくその場を包み込んでいた。
■ ■ ■
鏡。そこには何の変哲もない私が映っている。
白い髪、碧い瞳、そしてパッとしない表情────いつもの冴えない私がそこにはいた。
私は昔から鏡を見るのが嫌いだ。
この奥に映っている自分が、とにかく醜く見えてしまって仕方がないのだ。
なんだろうか、鏡を見ているとこんな奴の為に皆は大慌てで心配してくれたのかとさえ考えてしまう。
戦闘では足を引っ張り、家ですらこのザマだ。
今まで、自分はそれなりに出来る人間だと勝手に思い込んでいたが、こんな体たらくだとそれはただの自惚れだったのだと嫌ほど痛感させられる。
だが────
私はもう決めたのだ。
私は強くなる。そして、答えを手に入れるんだと。
嗚呼、もう考えるのは辞めだ。
そう言い聞かせながら、私はもう一度、今度は水を顔に叩きつけるように強く打ち付けた。
■ ■ ■
「お、おはよう、アベル」
部屋では誰よりも早く起きたアニキが他の皆に毛布を掛けていた。
「おはようアニキ」
私は敢えて笑顔でそう返した。
朝はあまり元気の出ない私ではあるが、カタリーナ先生の助言の通り、元気な姿を見せるのがせめてもの感謝だと思ったからだ。
どうやら、私の様子を見て安心したのか、アニキは胸を撫で下ろしている。
よっぽど心配させていたのだろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「熱は平気なのか?」
「うん、もう大丈夫」
カタリーナ先生も「今のところは恐らく心配ない」と言われたことも告げるとより安心を感じている様子だった。「恐らく」の言葉で安心していいのかは謎だが。
「何があったんだ? 苦しんでいたみたいだけど」
これはある程度予想していた質問だった。
しかし、1番回答に悩む質問だ。洗面所で「聞かれたらどうしようか」と幾つか考えてはいたが、流石にいざ聞かれるとどれが正解なのか悩む。
取り敢えず適当に返さないと、不思議がられてしまうだろう。
「いや、ちょっと傷が疼いただけだよ」
「おいおい、勘弁してくれよ。俺の所為かよ」
「違う違う、アニキじゃあなくて……」
咄嗟に浮かんが言い訳でどうやらアニキは自身の特訓の影響で熱が出たものだと勘違いしたようだ。
私としては、あの日の時に負った大怪我が原因だという意味で答えたのだが……。もう少し答えを選ぶべきだったか。
その理由で熱が出たことにしてしまうと、流石に看病してくれたアニキには悪いので、そうでは無いと説明する。嘘にはなるが、まあ、どっちにしろ分かりやすい方がいいだろう。
「ま、取り敢えず、元気なら良かった」
だが、それでもアニキは自身の特訓がやり過ぎていたと思っているようで、案外容赦のないアニキも自責の念を覚えることがあるのだなと、私は1人感じていた。
■ ■ ■
腕を怪我しようが、数日後に王都を旅立つことになろうが、私のやることは変わらない。
『図書館に行って情報を探る』、いつもの事だ。
というのも、どうやらあの時、私はあの日記の数ページを頭痛による踠きによって破いてしまったらしく、それが見事にあの続きのページだったようだ。しかも、それが日記の終盤だったためにその後の記録がないという。
オマケにそのページがどこにいったのか分からないとう始末で、折角導き出せそうだった答えが彼方に遠ざかってしまったというわけである。
何とも不運だ。よりによってあのタイミングで、よりによってあの日起きたようないつもの数倍酷い頭痛が襲うなんて、まったくもって何事も都合よくいかないものだと実感する。
だが、希望は見えた。何故なら、私と同じような境遇の人間が過去にもいたということが分かったからだ。
もしかすれば、現代にも存在するかもしれない。その兆しが確認できただけでも大きな収穫だ。あとは、その答えが分かればいいのだが────。
幸いなのだろうか、昨晩の件もあって兄貴が少し悪く思ったようで今日の修行は休みとのことだ。ということで取り敢えず日課となっていた図書館に入り浸ろうという算段である。
私は様々な考えを頭を巡らせながら通りを歩いていると、とある路地の前で私の足が止まった。
その路地は何処にでもある様な普通の路地だった。建物と建物の間にある細い道。その先から何か異様なものを感じ取った。
臭いだ。
嫌な臭いがする。
ツンと鼻を刺激する、強い臭いだ。
何度も嗅いだことのある、あの臭いだ。
街行く人はどうやら気づいていない様子だった。そこまで気にするほどの異臭ではないのだろう。だが、あの修羅場を経験した私からすれば、そんな希薄な異臭も汗を流してしまうくらいのものになってしまう。
いや、まさかな。
そう思い、最初は気にしないようとしていた私だが、その意思に反して、路地の方向に足が動いた。
暗い路地────明らかに人が寄り付かない狭い通路に1歩、また1歩と吸い寄せられるように進んでいく。
曲がり角に差し掛かり、その奥を除くと、そこにはゴミ捨て場があった。一見何の変哲もない普通のゴミ捨て場のようだが、そのゴミの中の一つに明らかに不穏な瘴気を放っていたものがあった。
それは大きな布によって覆われていた。
私はこの時、この布の下にあるものに1つの確信を覚えた。無論、それは聞いて良いと思えるものでは無い。
だが、正解を確認してたくなってしまった私は徐ろにほの布に手を伸ばす。
何故捲ってしまったのだろうか。捲らなければ良かったと、今でもそう思う。
捲った布の下にあったものを見て、私は思わず叫び声を上げた。例えそれが、自分の思ったものと同じものだったとしても、叫ばずにはいられなかった。それもそのはずだ。
胸を抉られた1人の女性の死体がそこにあったのだから。




