『ベッキーがポストイットに書いたもの』 管理人側視点
ベッキーだけでなく、カモシン、ガウチにも大粒の鳥肌をもたらしたもの。
その正体は、カロン。
でも僕の前から忽然と姿を消したカロンとは、まったく別物。無関係。
顔をひきつらせた三人が凝視しているアイパッド上のカロンは、無機質な天体。
ネット検索によると、冥王星の第一衛星に、カロンという名前を付けたのは、発見者のアメリカの天文学者、ジェームス・クリスティ。発見日は、1978年。6月22日。
この情報だけでも、わかる。
僕が探し求めているカロンとは、何のつながりもないことが。
しかし、バーシュウレインの三人の見解は、まったく異なっていた。
これは、何かのお告げ。それも重要かつ、重大な。
あきれてものが言えない状態が、しばらくつづいた。会話の流れが、カロンにたどり着いたのは、まったくの偶然。それ以外の何ものでもないからだ。
いい大人が三人して何を考えている。しかもそれをいうか? 真面目な顔で。
僕のカロンに対する気持ちも知らないで。
このまま席を立って帰ろうか。コンマ何秒か、そんな気持ちになったが、急に気持ちが切り替わった。
そんな馬鹿な結論に達した経緯に興味を覚えたからだ。
「理由は?」
短い質問に、長い答えが返ってきた。しかし中身はない。
わたしたち三人同時に、鳥肌がたちました。それはいまもつづいています。ご覧になりますか? 僕の返事も聞かずに、三人は袖をめくってみせた。確かに肌が粟立っていた。 でもそこで、素朴な疑問。
年を取ると、みんなそんな肌になるんじゃないの?
でも僕にも常識はある。そんなことは口にすべきではない。
それって、空調の効きすぎなんじゃないですか?
皮肉半分、そう返そうとして、やめた。
部屋の中には、熱気のようなものがたちこめていた。熱さを感じるほどだった。
なんなんだ、これ。
急きょ質問に切り替えようと思ったが、何を訊けばいいのかわからなかった。
「ほかに、なにか……」
こんどは、短い答えが返ってきた。
「勘です」
これをいわれると、何もいえなくなる。でも僕は訊いた。
「もっと、具体的なものはありませんか?」
「現時点で、確たる証拠はなにもございません、でも……」
いつの間にか、カモシンの口調は元に戻っていた。
僕としては、先ほどまでのカモシンでいてほしかった。そのほうが、本音が聞けるような気がした。三人のしゃべりに、リズムがあった。僕のほうもしゃべりやすかった。他のふたりの口調も気になったが、ベッキー、ガウチともに、何かを必死に考えている様子だった。
黙り込んだ僕がコーラに手を伸ばすと、カモシンも、ふたりと同じような表情になった。
とたんに静寂が訪れた。
でも気が重くなるようなものではなかった。空気の密度が増した。そんな感じ。
コーラをちびちび飲みながら、ふと目がいったのは、テーブルの天板の下。その奥。左半分が、引き出しになっていたのだ。
なにを入れるためなのだろう。なにかはいっているのだろうか。
と思っていると、ベッキーが、自分の引き出しを開けた。
彼女が取り出したのは、ポストイットとボールペン。
僕と視線が合ったベッキーは、小さく笑った。何か言いたそうな目。ひそひそ話の予感。
僕は飲もうとしていたコーラを口から離した。しかし彼女は、すぐに視線を戻した。そして、ポストイットを隠すようにしてボールペンを動かした。
「ねねねね」
はやる気持ちを押し隠すような声で、ベッキーが呼びかけたのは、天井付近を睨んでいるカモシンだった。
「さっきの声が聞こえてくる前、あなたは、何を見ていたの?」
突然の質問にカモシンは、一瞬、ぎょっとしたような表情を浮かべた。
「声?」
どうしてそんな質問を? 三秒くらいそんな顔をしていたが、すぐに真顔になった。
「ちょっと、まって」
しばらく目を閉じていたカモシンは、十秒ほどで何かに思い当たったようだった。
「たしか、ちぎれ雲さんの指先」
カモシンがそこまでいった瞬間、ベッキーは「やったー」と叫んだ。
「どうして……わかったの?」
ベッキーから手渡されたポストイットを、不思議そうな目で眺めていたカモシンが、やはり不思議そうな声で訊いた。
しかしベッキーは、それには答えなかった。
「わたしのなかで……何かが見えようとしている……でも目に見えるものじゃない……」
ベッキーは独り言のようにつづけた。
「どういえば、いいんだろう……うーん……つながりかな? わたしたちと、ちぎれ雲さんの……」
僕の名前が出てきたとき、カモシンとガウチの表情が変わった。
でも僕に驚きはなかった。
とうぶんのあいだ、様子を見守ろう。なぜかそんな気持ちが湧いてきた。そしてそのことに、何の不思議も感じなかった。
ちぎれ雲さんと、わたしたちの関係を示す手がかりが見つかりました。
そんな報告がきたのは、それから何日かたってからだった。




