『仲たがい? じゃれ合い?』 バーシュウレイン視点。
セメダインは、除光液でもきれいに取れたんじゃなかったっけ?
そんなことを考えていたカモシンは、ベッキーの喜びの理由がわからなかった。
「ねねね」カモシンは本人に訊いた。
「どうしたの? なにがあったの?」
「それがね」ベッキーは興奮がおさまらない顔をカモシンに向けた。
「たったいま思い出したの。あの子の顔」
カモシンは、ちょっと考えてから訊いた。
「あの子って、誰だったっけ?」
「あの子といったら、あの子に決まっているじゃない」
そこでベッキーは気づいた。
顔ははっきり思い出した。でも、どこの誰なのかわからない。自分が知りたいのは、そっちのほう。あの男の子、一体だれ? わたしと、どんな関係?
考えようとしたとき、なぜか胸がキュンとなった。
ベッキーの表情から笑みが失われていくのに気づいたカモシンは、困惑の顔で訊ねた。
「わたし、あなたを傷つけるようなことをいったかしら?」
「そんなことない……ぜんぜん……」
ベッキーは薄く笑うと、しょんぼり肩を落として、うつむいた。
「どうしたの、あなたらしくもない」
しかしいくら待っても、ベッキーの反応はない。カモシンは、じれったそうな声でつづけた。
「そんなことじゃ、あなたのニックネームが泣くわよ。いつも強気で、べき、べき、べきと言い続けていたからベッキーって呼ばれるようになったんじゃなかったっけ? こんなあなたなんて、見たくもない。なんだかこっちまで、元気がなくなりそう」
「わかってる。わかってるの……でもね、でも……」
「あらあらあら、今度は、でも? でもでも攻撃のはじまり?」
しかしベッキーは、何も言い返さなかった。膝の上に組んだ両手をじっと見つめるだけ。「まあまあまあまあ、おふたりさん。ここは、わたくしめに、お任せくださりませ」
冗談ぽい声でそういいながら割り込んできたガウチが、ベッキーに笑顔を向けた。
「今も頭の中にあるのよね。その子の顔」
「ある」うつむいたままだったが、ベッキーは強くうなずいた。
「見せることができるんだったら、見せてあげたいわ。わたしの瞼の裏」
「あら、そう」そのあとガウチは、おどけた声で、ベッキーに合わせた。
「見ることができるんだったら、見て見たいもんだわね、あなたの瞼の裏」
ベッキーに笑みが浮かんだのを確認したガウチは、そこで真顔になった。
「でもよくいうじゃない。世の中、何が起きるかわからないって。念のために、スケッチで残しておいたほうがいいんじゃないの。あなた、絵をかくの、得意だったでしょ」
「だいじょうぶ」顔を上げたベッキーの表情はいつものとおりだった。
「しっかり焼き付いているから、心配いらない。でもね、どこの誰だかわからないの、その男の子……だからなんというか、顔が見えるようになったら……急に……切なさだけが募ってきちゃって……」
しかし最後のほうは消え入るような声。うつむきかけたベッキーに、ガウチはにこっと笑って「だったらさ」といった。
「だったら、今すぐ、小学校の卒業アルバムで調べるべき。一発で解決するわ。その中にいるはずよ、瞼の裏の男の子。アルバムには氏名があるわ。住所だって載っている。今もそこに住んでいるかもしれないわよ」
「質問してもいい?」
「なんなりと」
「どうして小学校の卒業アルバムなの?」
「だって、当時の幼稚園生にセメダインは早すぎる。中学生になったら、セメダインで指遊びなんてほとんどしない。調べるのなら、真っ先に小学校の卒業アルバム。優先順だとそうなるでしょ」
「なるほど、そっか」感心したように小さくうなずいたベッキーは、そのあと意外なことをいった。
「わたし、卒業アルバムなんて一冊ももってないの。小学校の分も含めて、引っ越しのどさくさで、全部どこかにいっちゃった。調べようがない」
「だったら、今の質問、なんだったの」
ふくれっ面でそういうガウチに、ベッキーは悪びれることなく返した。
「あなたが、わたしの口癖を使ったからよ。小学校の卒業アルバムで調べるべき、なんていったから、ちょっと訊いてみただけ」
「たく、もう。何考えているの。べきは、自分だけの専売特許だと思っているんじゃないでしょうね」
吐き捨てるようにいったガウチだったが、すぐに笑顔を作って謝った。
「ごめんね、なんかきつい言い方になっちゃったみたい」
「だいじょうぶ。慣れてるから」
こんどはベッキーは、うつむかなかった。そのかわり、ソッポを向いた。
そのあと、当然のように訪れた沈黙の中、ベッキーに顔を向けたちぎれ雲が、静かな声で切り出した。
「もう一度やってみましょうか。腹式呼吸」
「え? いいんですか」ベッキーは嬉しそうな声で、ちぎれ雲にいった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
ベッキーに笑顔が戻ると、ほかのふたりは、顔を見合わせて安心したような深いため息をもらした。




