『プリーズプリーズミーと、東京五輪音頭』 管理人視点
僕の頭の中の映画館は健在だった。
七回目の深呼吸が終わると同時に、映像が流れ始めた。今回の再生時間は二十秒といったところ。
まず、異変がないことを三人に伝えた。
「ちゃんと見えています。新しい映像です。今回も音声はありません」
彼女らのほっとした気配を感じながら、同じ映像を三回見たところで、ふと思った。
現場中継のほうが喜んでもらえそうだ。でも一方通行では面白さは半減する。クイズ形式でやってみよう。
僕は目を閉じたままで問いかけた。
「何が見えていると思いますか?」
「もしかして……」
なにか期待するようなベッキーの声。だろう、だろう。大抵の人はそう思う。でも現実はそんなに甘くない。ドラマチックでもない。
「残念ながら、セメダインではありません」それから「たぶん、だれもわからないと思いますから、いいます」とつづけた。
「坊主頭の男の子が、葉書に文字を書いています」
しばらくしてベッキーが訊いてきた。
「どんな顔をしているんですか? その男の子」
それを聞くまで、男の子に顔があるなんて考えもしなかった。
「見えません」と僕はいった。「カメラの位置は、天井あたり。下向きです。画面にあるのは、彼の頭と首筋、葉書、鉛筆……あ、それと机。木の机です」
数秒後にまたベッキー。
「文字は、見えているんですか? 葉書に書いてある文字……」
「ええ、はっきり見えます。プリーズプリーズミーと、東京五輪音頭」
そのシーンは、主人公の少年がリクエスト曲を書いているところ。宛先はラジオ局の音楽番組。
最初は三人同じだった。でも、曲の組み合わせが、おかしいんじゃない。そんな意見がでたあたりから、分かれていった。
ラジオ局へのリクエストにこだわったのは、ベッキー。でも彼女はこんな注文をつけた。 二曲書くのなら、ポピュラーか、歌謡曲のどちらかに統一すべきだわね。こんな葉書、絶対採用されないわよ。
ガウチは、こんなふうだった。
ぜったい、宛先はコンサートのアトラクションコーナーよ。むかし聴いたことがあるの。お琴演奏で、ローリングストーンズのサティスファクション。ジャズ奏者のピアノで、岸壁の母。違和感なんてなかったわ。どちらも涙があふれでるほどの感銘を受けたの。
カモシンは、自信たっぷりにいった。
これは商品目当ての葉書を書いている場面。簡単なクイズに答えるだけで、電気製品とか、ハワイ旅行が当たる。むかし、こんな企画いくらでもあったでしょ。これならなんの不思議もないでしょ。
セメダインの現物が届いたのは、そんな時だった。
届けてくれたのは、バーシュウレインのメンバーのひとり。顔は見えなかったが、商品受け渡しの際聞こえてきた声は、ずいぶん若そうだった。
「バーシュウレインって、三人だけじゃなかったんですか?」
カモシンが笑いながら答えた。
「秘密にしていたわけではありません。そんな話にならなかっただけです。全国に仲間がいるんですよ、若い人からお年寄りまで。バーシュウレインは、いろんな考えを持った人たちの集まりなんです。先月、二百名を超えました。時期がきましたら、」
話の途中で、鼻につんと来るものを感じた。
振り向くと、ガウチがセメダインのキャップを開けたところだった。なぜかセメダインの匂いに懐かしさを感じた。
「まずわたしが、試してみます。ほんのちょっとでいいんです」
ガウチは、右手の人差し指の先にセメダインを垂らすと、すぐに親指をくっ付けた。
「しばらくほっておくんです」
ガウチがニッと笑うと、ほかのふたりもにこやかな笑みを返した。
「よく見ていてくださいね。セメダインを塗った、このあたりを」
ガウチが、人差し指と親指を離した瞬間、僕が使っている極細歯ブラシのようなものが出現した。見方を変えると、指先で、糸をひく納豆のよう。
「魔法の糸にみえませんか?」
僕のイメージとはあまりにもかけ離れていたので「そういえば」と答えるだけにとどめた。
ガウチが指を広げるにつれて、密集した糸の束は長さを増していった。人さし指と親指の角度が九十度くらいになると、ガウチは左手の指先で、それを丸めはじめた。
その工程を二、三回くりかえしていると、急激に糸の出が少なくなった。するとガウチは指先にセメダインを足した。そのようなことを二分間ほど繰り返して、直径二センチちょっとの、ふわふわしたものが出来上がった時点で、ガウチはその動きをとめた。
「わたしたちこれを、わた菓子と呼んでいたんです。もちろん口には入れませんけどね」
ワタガシ?
聞いたような気がする。でもどのようなお菓子だったのかは、思い出せない。
「わたしも、やってみようかな」
カモシンもガウチと同じ指の動きを繰り返した。でも、ワタガシはつくらなかった。左手の小指の第二関節あたりを、細くて白い糸でぐるぐる巻いた。
「当時のわたしにとって、セメダインは、想像力をかきたててくれるアイテムでした。ほら」
カモシンは、左小指を天井の蛍光灯に向けた。
「光にかざすと、魔法の糸を紡いだ絹の指輪に見えませんか」
僕にはロマンチックな気持ちなんて、ないらしい。
さっきから気になっていたのは、僕の右隣のガウチ。彼女の指先。カパカパに乾ききったセメダイン。厚さは一ミリちかくある。
この後始末をどうするんだろう。どうやってとるのだろう。一生このままにしておくつもりなのだろうか。へたをすれば、指紋が消えてしまう。指先が腐ってしまう。
僕の表情からそれを感じ取ったのか、ガウチがくすっと笑った。
「これはお風呂で取ります。お湯の中につけておくだけでいいんです。このままそっくり剥がれます。男の子たちは、指紋採取なんていっていました」
それからガウチは、思い出したようにいった。
「理解していただけましたか? セメダインと、指の動きの関係」
「ええ、なんとか」とうなずいたとき、ベッキーが目に入った。腕組をしてしきりに首をひねっている。
「なにを考えているんですか?」
ベッキーはそのままの格好で答えた。
「男の子の顔が……どうしても……」
「その男の子って、葉書を書いていた、あの?」
「いえ、そちらではありません。その前です。カモシンが指をこうやって動かしているとき、ぼんやりと浮かんできたんです……でも、どうしても顔を思い出せないんです。それにその子が誰だったのかも……」
そこで僕は、声をかけたことを謝った。
「すみません。余計な質問をしてしまって」
するとベッキーは「とんでもありません」といった。
「ちぎれ雲さんのおかげで、思い出せそうなんです。その男の子の顔」
「僕のおかげ?」
「ええ、そうです。さっき、坊主頭の男の子が、葉書に文字を書いていますといわれたでしょ。あの時から、顔の輪郭がしっかりしてきたような気がするんです……」
ベッキーはそれ以上何もいわなかったが、口に出さない願い事があるのは僕でもわかった。僕はすぐに目を閉じた。
腹式呼吸七回。
映像の文章化を済ませていないから、当然、映像はさっきと同じもの。
僕は目を閉じたままの顔を、ベッキーに向けた。
「質問があったら、どうぞ」
その言葉の意味するものはダイレクトに伝わったらしい。
「ありがとうございます。わたしのために」
しばらくしてベッキーは、いくつかの質問をしてきた。
「ほくろはありませんか?」
「じゃあ、傷跡のようなものは?」
「爪の形はどうですか?」
「指は長いですか、短いですか?」
「鉛筆の持ち方は?」
残念ながら、なにひとつ答えられなかった。どういうわけか、そこに焦点をあわせようとすると、その部分だけに、モザイクのようなものがかかるのだ。
「ちぎれ雲さんの目が、疲れているだけですよ」
僕に休憩を勧めたベッキーは、コーラと一緒に、封を切っていない何種類かの目薬を持ってきた。
目薬なんて使ったことはなかったが、ベッキーお勧めのVロートプレミアムを両目にさした。効き目が抜群だった。照明が届いていない壁時計の秒針まではっきり見えた。
しかし、腹式呼吸七回で現れる映像に対しては、その威力を発揮してくれなかった。
「思い出せないのは、やっぱり、あれね。自分の脳細胞の衰えが原因なんだわ……」
ベッキーの口からそんな弱音が漏れた時、僕たちの様子を見ていたガウチが、ひとつのアイデアを口にした。
「ひょっとすると、次の影像に、答か、ヒントが隠れているんじゃないかしら」
あり得ると思った。
この次に現れる影像に、真正面から見た男の子の顔が映っている。確信に似たものを感じた。
さっそく目を閉じようとしたところで気づいた。その前にやることがある。これをしなければ、影像は切り替わらない。
すこしだけ、待っていてください。
僕はベッキーに、目でそういって、ポストイットに書き殴った。
坊主頭の少年。葉書。リクエスト。プリーズプリーズミー。東京五輪音頭。
「よし、これでいい」
声に出して、目を閉じたとき、ベッキーの喜びに満ちた声が響いた。
「思い出しました。はっきり見えています」




