『下準備』 管理人側視点
全編十二秒。
それが僕の頭の中で再生される映画の上映時間。
この三日間で、何十回見たかわからない。当然、内容のすべてを覚えている。網膜の裏にしっかり焼き付いている。刻み込まれているといってもいい。
一言でいえば、雄大な景色。目を引くものは、最後にちらりと映る女性らしき人影だけ。
文章にしようと思えば、すぐにでもできた。でもその前に、カモシンとガウチに訊いてみるのが大人の対応。
「映像を映しだす過程を、見てみたいと思いますか?」
「あ、はい、是非とも」
ふたりは、興奮したような顔で、大きくうなずいた。
「でもその映像が見えるのは、僕だけなんですよ。それでもいいんですか?」
「もちろん、かまいません」
カモシンのあとに、ガウチが興奮を押し隠したような声でつづけた。
「でも、場の空気が変わる瞬間だけは、わたしたちにも、わかるはずです」
それは初耳だった。
僕は飲み物の用意をしていたベッキーに顔を向けた。
「本当ですか?」
クーラーボックスから取りだしたコーラを片手に、ベッキーは恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「ええ、わたしには、そんなふうに感じられたんです」
僕はちょっと考えてから質問した。
「時間的には、どれくらいだったんですか?」
僕の予想は、七回目の呼吸が終わってから、目を開けるまでの間。
しかしベッキーの答は違っていた。
「カウントが終わった直後の数秒です」
何の裏付けもない映像切り換え実験は、ジャンスペと呼ばれる場所で行われた。
僕の左側にベッキー。右がガウチ。正面がカモシン。
カモシンの後ろには、彼女らの守り神が祀ってある木製の箱。その箱のどこかに、例のビスケット缶と、受け取りを拒否し続けている月々の手当が保管されているはず。
飲み物の後片付けが終わったテーブルの上にあるのは、ボールペンと、名刺サイズのポスト・イット。どちらも、いま封を切ったばかり。
「なんか、どきどきする」
ガウチは震えた声でそういいながら、自分の両腕をさすった。
「これだけ近いと、私たちにも映像が見えるかもしんないわね」
カモシンの口調はくだけていたが、表情は硬い。何もいわず、背もたれに体を預けているベッキーの表情にも、余裕はなさそうだ。
その緊張感が伝わってきそうだったので、僕は提案をもちかけた。
「よかったら、カウントをお願いしたいのですが」
カモシンの目が輝いた。
「いいんですか、そんな大事なことを……」
僕は反射的に、カモシンの後ろに向けて、あごをしゃくった。
「僕たち、繋がっていたんですよね。お石様を通じて……」
いいながら驚いた。今の今まで、お石様を意識したことなんてなかったからだ。
「そうです、そうです、そうでした」
カモシンは、自分のほっぺたをかるく叩くと、体をひねって後ろを見た。そしてそのままの姿勢で、ぺこりと頭を下げた。
「すっかり忘れていました。許してちょうだい、お石様」
その言い方がおかしかったのか、ガウチとベッキーは同時に吹き出した。
「やだ、もう、こんなときに笑わせないでよ」
きょとんとするカモシンをよそに、ふたりはひとしきり笑った。
「標高はわかりませんが、ここは小高い丘の途中です」
僕は目を閉じたまま、正面に見えているものを簡単に説明した。
「地平線の向こうに見えているのは、海かもしれません」
わかってもらうために、ゆっくりとしゃべったからなのか、たったそれだけで、映像は振り出しに戻った。僕は前を見つめたままでつづけた。
「草木が微かになびいています。でも、空気の動きは感じません」
それから顔を右に向けた。
「道路のようなものはどこにも見当たりません。渓谷的なものもなさそうです。でも、花畑のようなものが、あちらこちらに見えます。それから……」
三回目の再生がはじまったところで、説明に飽きてしまった。小さく息を吐いて、目を開けてみると、目の前に息を殺した顔が三つ並んでいた。
「ごめんなさい」カモシンが恐縮した口調でいった。「わたしたちが邪魔をしたせいで、ちぎれ雲さんの集中力が……」
「いえ、そうじゃありません」
誤解を解くために、僕は笑顔を浮かべて、自分のこめかみ辺りを指差した。
「全部覚えているんです。だから、途中でやめたんです。気にしないでください」それから真顔になった。「いま気づいたんですけど、映像が持つ情報は膨大過ぎますね。詳しく説明するとしたら、足元の草だけでも、数十枚のA4用紙がいるんじゃないでしょうか」
でもそのときは、名刺サイズのポスト・イット一枚で十分だった。だって僕の目的は、描写力のテストではないわけだから。
『丘の上。天気良好。若い女の子』
それだけで事足りる。もし足りないというのなら、いくらでも書き足すことができる。 本気で、そう思い込んでいた僕は一番上のポスト・イットだけを剥がして、三人に向けた。
「これ以外の映像は出てこないと思います」
はっきりそういってから、作り笑顔をベッキーに向けた。
「でも、世の中何が起きるかわかりません。その時の為に、このあとの様子を撮影してもらえませんか」
もちろんそのときの僕は、無駄な依頼に終わると思っていた。




