『新しい展開』 管理人側視点
そのとき撮影された動画は、いまも残っている。
カウントが終わった瞬間、僕はぎゃっと叫んで、どこかに消えた。
でも僕の体が、消滅したわけではない。のけ反った拍子に、床を蹴っていたのだ。
その反動で、椅子ごと後ろに吹っ飛び、アングルからはみ出しただけの話。
でもあぶないところだった。四つ足の椅子だったら、後ろ向きにひっくり返っていた。たぶん後頭部を強打していたと思う。
でも幸運なことに、キャスター付きだった。フラワーボックスにぶつかりはしたが、かすり傷ひとつ負わなかった。鉢植えのポトスの葉が、数枚ちぎれただけだった。
ちなみに、そのスマホ動画は、僕が消えたところで終わっている。でも、見えない力が働いたとか、お石様の意向によって、といったようなものではない。
単純ミス。
僕の動きに驚いたベッキーの指先が、停止ボタンに触れただけ。でもそれに気づいたのは、数時間たってからだった。
「大丈夫ですか!」運動神経のよいガウチが飛んできた。心配そうな顔で僕を覗きこんだ。
「お怪我はありませんか?」
「なんともありません。ほら」
椅子から降りた僕は、両手を広げて一回転して見せた。
「冷たい水か何かを、お持ちしましょうか」
胸元にスマホを構えたベッキーが、遠慮がちな声でいった。
「ありがとうございます。でもその前に」
椅子を元の位置に戻した僕は、腰を折って深々と頭を下げた。
「みなさんのおかげで」
それだけで伝わったらしく、ベッキーが早口でいった。
「切り替わったんですね。絵が」
「ええ」
小さくうなずくと、カモシンが、待ちきれないという声で訊いてきた。
「今回は、どのような……」
「申し訳ありません」僕は頭の後ろを指で掻いた。「びっくりしてしまって、まったく覚えて……」
そこで僕は、今の映像が再生可能なものだったことに気づいた。
「すぐ調べます。でも、カウントはけっこうです。自分でやります。いましばらくお持ちください」
二度目ということもあって、ストップウォッチ片手に、最初から冷静に見ることができた。
「いきなり、でっかい顔の外国人が現れるんです」
僕は立ち上がって、映像の中身を説明した。
「それも、えっと、これぐらいかな」
広げた片手を三人に向けた。
「ほんとに、目と鼻の先、でも良く見てみると、その男は……」
ジェスチャーを交えながら話し終えた僕は、ポスト・イット三枚に、次のように書き込んだ。
映像ナンバー(2)
三カット。十五秒。(再生回数3。ただし最初の分は含まず)
カット1。カメラ目線の外国人。第一印象、悪役レスラー。よくみると、お人好しのオペラ歌手。
カット2。大男の肩越しに作業服姿の若者。俯いていて、顔は見えない。
カット3。ふたりのやり取りを、興味深そうな目で眺めている老若男女。
部屋の様子と、机の上のパンフレットから想像すると、英会話教室のシーンらしい。
(今回も音声なし)
三人はもっと詳しく聞きたいようだったが、僕の興味は、次に移っていた。
こんな地味な映像なんてどうでもいい。もっと、わくわくする映像が見てみたい。
「こんどは、どんなやつかな……」
とつぶやきながら、次のカウントに取りかかろうとしたとき、ベッキーが、どきりとする質問を投げかけてきた。
「生徒さんたちの中に、カロンさんは、いらっしゃいませんでしたか?」
うっ、
思わず、うめき声がもれていた。脳天をたたき割られたような気がした。
カロンが帰って来るまで、本部には伺いません。このアパートで待ちつづけます。でも、お願いがあります。どんなちっぽけなことでも結構です。カロンに関する情報を集めてくださいませんか。
ベッキーに、カロンの捜索を頼んだのは二年前。それもたった一度、口答で。
「わかりました」
返ってきたのは、その一言だけだった。なのにベッキーは、あれ以来情報収集をつづけている。だからこそ、ごく自然に今のセリフがでてきたのだろう。
それに引きかえ、この俺は……
でもそこで気持ちを切りかえた。自分の薄情さを反省するのは、いつでもできる。
「おかげさまで、目が覚めました。ありがとうございました」
素直に感謝の礼をいった僕は、映像の再生にとりかかった。
気合いを入れて見た。八回見た。隅から隅まで確認した。しかし、カロンはいなかった。似た人物さえいなかった。
その報告を終えたあと、再生回数を書き換えながら、ふと思った。
ベッキーは、どうして映像の中に、カロンが、なんてことを言いだしたのだろう。
その疑問が解けたのは、歯に染みるホットレモンを飲んでいたときだった。
ガウチが僕のカップを覗きこんで、ちょっと自慢げにいった。
「たまには、こんなのもいいでしょう。目が、しゃきっとして」
「初めてです。生レモンを搾ったやつは」僕はカップを少しもちあげた。「何個使ったんですか」
「一人、半分といったところです。それに蜂蜜を垂らしてお湯で割っただけなんです。シンプルというより、手抜き」
「でも、この酸っぱさ、クセになりそうですね」
ガウチとそんな話をしているとき、それまでずっと何かを考えるようにテーブルの一点を見つめていたベッキーが、顔をあげた。
「さきほどは、失礼しました」
僕と視線が合うと、クスッと笑った。
「今も、おかしなことをいう奴だと思っていらっしゃるんでしょうね」
急に話をふられた格好になった僕には、何を言われたのかわからなかった。
黙っていると、ベッキーは僕から視線を外した。そして、独り言のようにいった。
「いるわけがありませんよね。ちぎれ雲さんの頭の中に」
先ほどの話のつづきらしいことはわかった。でも、再度カロンの話を持ち出してきた理由となると、お手上げだった。
返す言葉がみつからないまま、ふと他の二人に目をむけた僕は、慌てて視線を逸らした。
なにやらアイコンタクトの最中だったのだ。
「この話は、もう打ち切ります」
ベッキーがそういったとき、閃きが走った。
三人は、カロンに関する情報を持っている。でも、なにかの理由で、それを口に出すことができない。
その結論に達した僕は、それを聞き出す方法を考えた。
一番早いのは直接訊くこと。でも今の空気感からすると、事務的な報告しか返ってこないような気がする。他に何か……
あった。
あれだ。あれでいこう。いつか話そうと思いながら口にできなかった、あれだ。
「あり得るかも知れませんよ」
「え?」ベッキーがびっくりしたような顔を向けた。
「何がですか?」
「カロンです、カロン。カロンは、僕の頭のどこかにいるのかもしれません」
笑われるのを覚悟でいったのだが、笑いは起きなかった。
三人は互いに顔を見合わせた。
しかしどこからどうみても、僕の人間性を疑っているようには見えなかった。
そうしましょう。そうしましょう。
そんな声が聞こえたような気がしたが、それにはかまわず、話をつづけた。
「カロンから直接きいたことがあるんです。僕の頭の中を覗いてみたら、木の芽のようなものが、にょきにょき生えていたとか、雲母のようなものが、頭の中を漂っていたとか。それに、こんなこともいっていました。あなたの記憶を消した犯人は、このわたしよって」
そこでことばを切った僕は、ゆっくりとした声で付けくわえた。
「でもなぜそんな冗談をいったのかは、わかりません。それを訊く前に、カロンが姿を消したからです」
なんとかまとめた僕の話は、誘い水の役目を果たしてくれたらしい。十秒ほどの間を置いてベッキーが口を開いた。
「カロンさんと繋がりのない情報でも、よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。どんな情報でもけっこうです」
かるく答えながらも、興奮を覚えた。
ベッキーがこれから話すことのすべてが、カロンに関することに決まっているからだ。
「その前に、伺いたいことがあります」
ベッキーは僕に体を向けた。
「怖いものは、ありますか?」
あまりにも漠然とした質問に戸惑ったが、一応答えた。
「ヘビとかトカゲは大丈夫です。でも、毒蛇とか、コモドオオトカゲとなると、話は別です」
「質問のしかたが、まずかったようですね」ベッキーは僕に顔を近づけた。
「お化けとか、幽霊はどうですか?」
予想外の問いかけに、びっくりした。
「お化け屋敷ってことですか?」
「いえ、そうではなくって」
ベッキーは、困ったような顔を二人に向けた。
しかしカモシンもガウチも口を噤んだままだった。でも、知らん顔をしていたわけではない。僕とベッキーのやり取りを楽しんでいる顔だった。
しばらくしてから、ベッキーはぽつりといった。
「言い伝えです」
嫌な予感がした。
「もしかして、僕のアパートに関することですか?」
ベッキーの表情が緩んだ。彼女は嬉しそうな声でいった。
「なあんだ、ちぎれ雲さんもご存じだったわけですね、あの話」
「いえ」僕はあわてて否定した。「初耳です。話の流れからいけば、あのアパートしかないと思っただけです」
「あら、どうしましょ」
ベッキーは両手を口に当てたが、いったん耳に入ったものが消えるはずがない。
「それは、いわゆる怪談話ですか?」
固まったようになっているベッキーに変わって、カモシンが答えた。
「受け取り方によると思います」
とても落ち着いた声に安心した。
「カモシンさんはどう思いましたか、その言い伝えを聞いて」
しかしカモシンは、それには答えなかった。
「いま申しましたように、人それぞれです。物事に当たる場合、先入観をもたない。わたしは、いつもそうしております」
確かにそうかもしれない。コーラ好きもいれば、緑茶好きもいる。その両方が大嫌いという人間だっている。
「わかりました」僕は大きな声でいった。「その言い伝えという奴を教えて下さい」
それからベッキーに笑顔を向けた。
「その前に。いつものやつをお願いします」




