『男嫌いで有名なカモシンに?』 バーシュウレイン視点
「これ、余計な心配をかけたお詫び」
ジャージに着替えて戻ってきたカモシンが差し出したのは、アルミ製のクーラー。中身は、アルコールを飲まない人でも知っている高級シャンパン。
「遠慮しないでね」
カモシンはマージャン卓サイズのテーブルの真ん中に、静かに置いた。
「ありがとう。でも、その気持ちだけでいい。わたしたちが勝手に、失明していると思い込んでいたわけだから。これ、なにか特別な日に飲んで」
丁重に断るベッキーを横目に見ながら。ガウチは口を尖らせた。
「なに遠慮してんの。その特別の日っていうのが、今でしょ」
しかし、シャンパンの栓が抜かれることはなかった。
といっても、へそを曲げたカモシンが部屋に持ち帰ったとか、グラスがなかったとか、掴み損ねたボトルが床に落ちて、粉々に、といったようなことではない。
関心が、ベッキーの放った質問のほうに移ったのだ。
「でも、なにか、したんでしょ」
茶褐色のジャージ姿になっても、セクシーさを失わないカモシンは、にこやかな笑みを浮かべた。
「それが、なにもしていないの」
「ごまかさないで!」シャンパンクーラーをテーブルの下に置いたガウチが、横から割り込んだ。「ほんとうのことを話して」
カモシンは、やわらかな声で応じた。
「あなたたちにうそついて、どうなるの?」
表情、仕種、言葉の響き。どこにも怪しいところはなさそうだったが、ガウチはなおも食い下がった。
「サプリメントなんじゃないの?」
「ううん」
「肉食やめたの?」
「まさかでしょ」
「……」
絶句したような表情を浮かべたガウチは、しばらく間を置いてから、小指の先で自分の目元のあたりを、突っつく真似をした。
「針、打ってもらったでしょ」
断定口調に、カモシンは苦笑いを浮かべた。
「昔から先の尖ったものは苦手なの」
すべてを否定されたかたちになったが、ガウチに諦める様子はみえなかった。小さなため息を吐いて、肘掛け椅子にもたれかかると、ベッキーに顔を向けた。
「ほかに、どんなものがあったっけ?」
「そうねぇ……」そこで最初の質問者が自分だったことを思い出したベッキーは、質問を変えた。
「心当たりも、ないんでしょ」
「ある」
「ったく、もう」
やってられないというように、両手を広げたガウチは、そのあと、椅子からずり落ちるまねをしてみせた。
★ ★ ★
「男?」
ガウチは、いま確認したばかりの言葉を、頭の中で反芻した。
しかし、繰り返すたびにくっついてくる疑問符を、どうしても消し去ることができなかった。
カモシンに、男? 男嫌いで有名なカモシンに? ほんとに、ほんとなの?
しかし本人は、言い切った。
「そうなの。こうなった原因は、男」
しかも、ぷっくりと膨らんだ両方の目元を愛おしそうに、さすりながら。
となれば、認めるしかない。
それに、涙袋は「フェロモンタンク」とも呼ばれている。フェロモンは、異性をひきつける物質。カモシンは女。異性は、男。見事に繋がる。
だが、今回の場合、なぜかそのプロセスは、逆だったらしい。男が先で、涙袋はそのあと。
しかしどうしても、納得できないことがある。
カモシンの年齢。自分と同じ。ベッキーと同じ。
この歳になって、
そこは声に出さずに、残りの部分だけを口にした。
「彼氏ができたってことなのね」
待ってましたというように、カモシンがにこっと笑ったとき、ガウチの心に、ふたつの感情が湧いた。
祝福。嫉妬。
ガウチは自分の気持ちを正直に伝えた。
「おめでとう」それから声で「パチパチパチ」と拍手を真似てから、ぺろりと舌を出した。
「一日も早く、破談になりますように」
怒り出すかも、と思ったが、カモシンは手を叩いて笑い出した。
「好きよ、そんなあなた」
同性から、好きと言われても、と思いつつも、嬉しかった。今でこそ同じマンションの住民。互いをニックネームで呼び合っている。でも、カモシンは、自分から見ても伝説の人。
やはりここは、祝福しよう。敬意を払おう。
「もしよかったら、なれそめから教えてもらえない?」それからベッキーに同意を求めた。「あなたも、そう思うでしょう?」




