『元運転者は、聞き間違えの達人?』 管理人側視点
液晶画面を見たとたん、心臓がおどり、目の焦点がおかしくなった。
いつもは無意識に押す受話ボタンを見つけたのは、七コール目。その上、慣れないハンズフリー設定。テーブルに置いたままの携帯の、どの部分に向かって話せばいいのかわからない。おたおたしているうちに、相手の声がスピーカーから聞こえてきた。
「遅くなってすみませんでした。電話をいただいたようですが、どちらさまでしょうか?」
丁寧な口調に、安心したせいか、本名を名乗らなければならない場面で、つい、
「わたくし、ちぎれ雲と申します」
といってしまった。しかも早口で。
案の定、相手は黙り込んだ。いたずら電話と受け取られてしまったのかもしれない。電話を切られるような予感がしたとき、再び丁寧な声。
「申しわけありません。もう一度、お願いできますでしょうか」
声の感じでは、かなりの高齢者らしい。耳が遠いのかもしれない。でもいまさら名前をいっても、変に思われるだけ。このまま押し通そう。
「わたくし、ちぎれ雲と申します」そこで少し間をおいた。「聞き屋です」
意識してゆっくりしゃべったせいか、明るい声が返ってきた。
「ああ、そうですか、ケーキ屋さんですか。なるほど、なるほど、ケーキ屋さんねぇ」
その返しはバーシュウレインの三人には、ツボだったようで揃って吹き出した。
僕が聞いている側の人間なら、まちがいなく同じ反応を示している。でも今の状況下において、彼女らと行動を共にするわけにはいかない。表情を引き締めた僕は、さらにゆっくりとした声でいった。
「いえ、ケーキ屋じゃなくて、聞き屋です。聞き屋、ちぎれ雲といいます」
しかし伝わらなかった。
「要するに、ケーキの売り込みですね?」
「いえ、そうじゃなくて……」
このままではいつまでたっても、同じことの繰り返し。僕は携帯を掴むと、口から三十センチほどのところに固定。言葉を区切りながら、事情を説明することにした。
「わたくしの、携帯に、この電話番号が、残っていたんです。ですから、確認してみようと」
話の途中で納得したような声が聞こえてきた。
「ああ、わかりました、わかりました」
やっと伝わった。と安心したが、そうではなかった。
「ケーキの、ケータリングサービスをはじめられたわけですね」
声を殺して笑う三人を横目に、僕は真面目に考えた。
携帯電話の持ち主が変わったらしい。残念ながら、前の持ち主に関する情報は、ここで途切れることになる。でも、電話をかけた事情だけは説明しておこう。そうしなければ、僕としても収まりがつかない。
「どうやら、掛け間違えたようです。タクシー会社にかけたつもりだったんです。大変失礼しました」
見えない相手に頭を下げたと同時に、受話器の向こうの雰囲気が変わった。
「あらららららら、こちらこそ失礼しました」急に声が高くなったのだ。
「それならそうと、最初でいっていただければ……はい、確かに、一年ほど前まで個人タクシーの運転手をしていました。ま、それはともかく、懇意にしているタクシーを、今すぐ差し向けましょうか」
親切はうれしかったが、今の僕にタクシーは必要ない。この会話を、どのように繋げていけばいいのか、教えてほしい。
すると、ベッキーが助け舟をだしてくれた。僕の目の前に、メモ用紙を差し出したのだ。 助かります。目でお礼をいった僕は、それをそのまま声にした。
「いま、どのようなお仕事をなさっていらっしゃるんですか?」
「仕事はしておりません。毎日が、悪戦苦闘の連続です」
言葉の割には、元気な声だった。
またベッキーからカンペがきた。
「趣味のようなものに、没頭されていらっしゃるんじゃないんですか?」
嬉しそうな声が返ってきた。
「おおっ、よくわかりましたね」
こんどは、カンペなしで会話をつないだ。
「よろしければ、その趣味、教えていただけませんか?」
しかし、元運転手は「うーん」とうなったきり、何も言わなくなった。
プライバシーに踏み込み過ぎた。一瞬そう思った。しかし、本当に悩んでいるような声が聞こえてきた。
「……どういえば、いいんでしょうかねぇ、これを……」
それから十数秒ほどして、元運転手は言葉を選ぶようにしていった。
「そうですねぇ、まぁ、大げさにいえば……郷土史家……そんなところでしょうかね」
郷土史家って、なんですか?
と訊く前に、ベッキーが僕の耳元で囁いた。
「今すぐ会いたい。そう言ってください」




