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向かいの席


 美咲は、待ち合わせの時間より五分遅れて来た。


「ごめん、電車一本逃しちゃって」


 そう言って笑う顔を見て、少し安心した。久しぶり、と言う前に、ごめん、と言うところも昔のままだった。


「私も今来たところ」


 本当は二十分前から座っていた。

 鞄の中には、あの手紙が入っていた。


 美咲はコートを脱ぎながら、私の左手に目を留めた。


「あ、指輪。ほんとに結婚したんだね」


「うん」


「おめでとう。旦那さん、どんな人?」


 穏やかで、私の話をよく聞いてくれる人。

 そう答えると、美咲は「奈緒に合ってそう」と笑った。


 その言い方がうれしくて、私も美咲の近況を尋ねた。


 職場が変わったこと。朝の電車が混むこと。最近、腰を痛めたこと。


 知らない名前が、いくつも出てきた。


「それで、由佳がさ」


 美咲はそこまで言って、あ、と口を止めた。


「由佳って、今の職場の同期なんだけど」

「うん」


 以前なら、説明のいらない名前ばかりだった。

 誰が誰を好きで、誰と喧嘩しているのか。美咲が話し始める前から、半分はわかっていた。


 今日は、相づちを打つたびに、新しい美咲を覚えていった。


「奈緒、式は挙げるの?」


 運ばれてきたケーキにフォークを入れながら、美咲が聞いた。


「うん。今、相談してるところ」


「そうなんだ。写真、絶対見せてね」


 鞄の持ち手に置いていた指を、ゆっくり離した。


 写真。


「まだ、誰を呼ぶかとかも決めてなくて」


「そっか。決めること多そうだもんね」


 美咲は紅茶を飲んだ。

 私はケーキの端を小さく切った。


 呼んだら来てくれるのかもしれない。

 けれど、来てほしいと言うには、三年分の話をまだ何もしていなかった。


「あのさ」


 顔を上げると、美咲もこちらを見た。


「高校のときのこと、覚えてる?」


「何?」


「二十五歳になったら、って」


 そのとき、テーブルの上で美咲のスマートフォンが震えた。


 画面を見た美咲が、少しだけ眉を寄せる。


「ごめん、これ返していい?」


「もちろん」


 美咲の指が動くあいだ、私は窓の外を見ていた。横断歩道の向こうで、制服姿の女の子が二人、ひとつの画面をのぞき込んでいた。


「ごめんね。それで、何だっけ」


「ううん。昔、手紙書いたよねって」


「ああ、書いたかも。恥ずかしいこと書いてそう」


 美咲が笑ったので、私も笑った。


 鞄は開けなかった。


ーーーーーーーーーー


 店を出たのは、まだ明るいうちだった。


「またご飯行こうね」


「うん」


 改札の前で別れ、美咲が見えなくなってからスマートフォンを開いた。


『今日はありがとう! 久しぶりに話せて楽しかった』


 送ると、すぐに返事が来た。


『こちらこそ! 結婚式の準備がんばってね』


 私はスタンプをひとつ返した。


 航平からも連絡が来ていた。


『夕飯どうする? 何か買って帰ろうか』


『家にあるもので大丈夫』


 そこまで打って、消した。


『一緒に買い物行きたい』


 返信を待ちながら、鞄の中の封筒に触れた。何度も折ったところが、指に引っかかった。


 帰ったら、航平に今日のことを話そうと思った。


 楽しかった、と言うところまでは決められた。

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