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両想いだった噂のあの子は、近所の糞餓鬼に寝取られたらしい。俺の初恋は、泥に塗れたキャンディの味がした。  作者: アルファベータ
過去編

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第23話 sniff


 一度「被害者」の皮を被ってしまえば、世の中は面白いくらいに甘ったるいもんだ。


 顔の傷を理由に学校を休んでも、誰も俺を責めなかった。


 それどころか、憐れみを含んだ視線や、「大変だったね」という薄っぺらい慰めが、教師やその他の大人たちから次々と降ってきた。


 こいつらは資本に買われた哀れな豚どもだ。俺のことなど、端から眼中になかった。それが当たり前。


 俺は自宅の暗い部屋の中で、膝を抱えながらほくそ笑んでいた。


 学校なんて行かなくていい。勉強なんかして何になるんだよ。


 そんな俺を心配する二人には吐き気がした。


 陸は俺を本当の弟のように気遣い、真央は俺のために手作りの菓子やノートを持ってきてくれたが、時が経つにつれ、俺の心の中に渦巻く悪意は、そんな生ぬるい「ごっこ遊び」では満たせなくなっていった。


(なんだよこれ……物足りねえ)


 最初こそ、都合のいい奴らとして見ていたが、陸と真央が俺に向ける優しさが本物であればあるほど、俺の根底にある醜い嫉妬と憎悪が膨れ上がっていったのだ。


 だって、おかしいじゃあないか。なぜこいつらは、こんなに満たされているのか?


 なぜこいつらには、愛してくれる親や、当たり前の日常があるのか?


 俺には何もなかったのに。親からはゴミのように扱われ、学校にも居場所はなかった。


 憎かった。気持ち悪かった。


 俺を救おうとする二人の「善行」が、俺の「悪意」を鮮明に浮き彫りにするたびに、殺してやりたいと思った。


 だから、俺は掌を返し始めた。



「……ねえ、翔太くん。そろそろ学校、少しずつでも行ってみない? 先生も心配してたよ」


 不登校になって半年が過ぎた頃、いつもの公園で真央姉が遠慮しがちにそう切り出してきた。陸はサッカーの練習をしていたが。


 俺はベンチに座ったまま、真央姉が差し出したボロボロの教科書を無造作にひったくった。


「……うるさいな」


「え?」


「うるせぇんだよ、真央姉。学校学校ってさぁ……お前に俺の気持ちの何が分かんだよ?」


 俺は中身をぐしゃぐしゃに破いて、真央姉の足元に投げ捨てた。


 真央姉は驚きで目を見開き、息を飲んだ。今まで一度も見せたことのない俺の冷酷な目と、粗暴な態度に固まっている。


「……っ、翔太くん……? どうしたの……?」


「どうしたの、じゃねぇよ。気安く話しかけんな、糞が」


 俺は立ち上がり、真央姉の顔に至近距離まで迫った。怯えて後ずさりする真央姉の肩を、わざと強く押し飛ばす。


「お前さ、俺を助けてるお姉さんを気取って気持ちよくなってんだろ? 反吐が出るんだよ。俺をダシにして陸兄にいい顔したいだけじゃねぇの?」


「ち、違うよ……?私はただ、翔太くんが……」


「黙れよ」


 俺は真央姉の耳元で、呟いた。


「嫌になったならもう来なくていいけど? でも……助けてくれるんだよね?嘘ついたら、俺、自殺しちゃうかも?」


「……っ!」


 真央姉の顔から血の気が引いていくのが分かった。


 そうだ。こいつらは「見捨てること」ができない。一度手を差し伸べた責任感と、罪悪感という鎖で縛られている。


 俺が粗暴に振る舞えば振る舞うほど、真央姉は傷つきながらも俺から離れられなくなる。


「俺のこと見捨てないよね、真央姉? だって、お姉ちゃんは俺のお姉ちゃんなんだからさ」


 俺はニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、真央姉の頬をなで下ろした。怯えと屈辱で震える真央姉。


 ――あぁ、最高だ。


 拳で殴りつけるよりも、ずっと背徳感がある。


◇◆◇


 それからの俺の不登校生活は、急速に爛れていった。


 昼間は街を徘徊し、煙草を覚え、他校の不良やタチの悪い大人たちとつるむようになった。


 学校や地域では、俺の噂は最悪だった。


(桐島の家のガキ、不登校になってから完全に終わったな)


(関わらない方がいい。ナイフを持ち歩いてるらしいぞ)


(近所の小学生を脅して金を巻き上げてたって、本当かしら……)


 周りからは「粗暴な不登校」「手のつけられない屑」などと蔑まれ、恐れられた。だが、今の俺にとってはそれすらも誇らしかった。


 恐怖されることだけが、俺がこの世界に存在することを証明してくれたからだ。


 醜く墜ちていった俺を救えなかったと、陸は悔しそうに拳を握りしめながらも、結局俺を殴ることすらできなかった。


 お前は甘いんだよ、陸兄。


 その「正義感」と「優しさ」がお前を縛る足枷だってことに、いつになったら気づくんだ?


 俺はずっと心の中で二人を嘲笑い続けていた。



 ある雨の日の午後のことだ。


 相変わらず不登校を続けていた俺は、誰もいない暗い実家にいた。


「腹減ったな……」


 冷蔵庫を開けてもロクなものがない。親の部屋に行けば、金があるかもしれないからと、俺はめったに入らない親の寝室へと足を踏み入れた。


 予定通りタンスのなかには万札が数枚入った財布があった。そしてその時、引き出しの奥に厳重に隠された小箱があるのに気づいた。


「なんだこれ……?」


 鍵もかかっていない安っぽい木箱。開けてみると、中には小さな透明なジップ付きの袋がいくつか入っていた。


 その中には、光を反射して怪しく煌めく、透明な白い結晶の粉末があった。


 そして、未使用の注射器と、ガラス製の小さなパイプ。


「……マジかよ」


 俺は息をのんだ。


 バカな俺でも分かった。テレビのニュースや、夜の街の不良たちが噂していた「それ」だ。


 俺は初めて実物を見た。


 親の奴ら、こんなものにまで手を出していたのか。


 責任感もなく、子供を放置して、自分たちだけ薬物の快楽に溺れていたのか。


「はは……」


 やっぱり糞だ。あの大人どもは、根っからの糞だったんだ。俺という人間が歪んだのも、全部こいつらのせいだ。


 だが、笑いが収まると同時に、激しい好奇心と、抑えきれない欲望が腹の底から湧き上がってきた。


 親が使っていた、この白い粉。


 人間を狂わせ、破滅させるという、この粉を……。


(これを吸ったら……俺はどうなる?)


 抵抗はなかった。

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