動き出す季節3 圭太郎side
カラオケに入って、ドリンクをグラス一杯分飲み終えても。彼女は話し始めようとはしない。
いや、そうじゃない。
彼女のグラスを握る手が、僅かに震えている。
もう少し、待とう。
どんな言葉だとしても。彼女の気持ちを受け止める。
それが。ここまで来てくれた彼女へ。僕ができる、唯一のことだから。
「あの……」
彼女がグラスから手を離して、こちらに向き直る。
「ごめんなさいっ」
「……」
息が、胸が。苦しい。
「そのっ、手紙、読むのが遅れてしまって」
「……」
ゆるゆると、息を吐く。
「いいんだよ。最後まで、読んでくれた?」
「はい」
「なら、よかった」
「……」
「……」
廊下から流れてくる音楽だけが、小さく聞こえる。
この後、どうすればいい。
隣に座る彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしている。
まだ、肝心なことを、聞けていない。
どうすればいい?
「奈月ちゃん」
「……はいっ」
「僕は」
彼女を、じっと見つめる。
「君が何を言ったって、責めたりしない。約束する。だから、あの手紙を読んで思ったことを、言ってほしい」
これくらいしか言えない自分が、もどかしい。
「……ほんと、ですか?」
「うん」
「じゃあ、言います」
彼女の膝の上にある拳に、力が入ったのが分かる。
……あぁ、やっと。
「……一目惚れ、って本当ですか?」
「え?」
「いえっ! 疑ってるんじゃなくって! とにかく、驚いてて……」
「……」
そうだ。この子は、こういう子だった。
「うん。僕も初めてで、びっくり」
「そっ、そうなんですか」
「うん」
「その……えっと」
彼女が、少しずつ俯いていく。
「私、ああいう手紙もらうの、初めてで。私、私……そのっ、誰かに、すすっ、好きっ、になってもらえるなんて、思えなくて」
「……」
「どこがいいのかっ、分からなくてっ」
ポタリ。
彼女の膝に、涙が落ちる。
「どこが、いいんですか? 私なんかの……」
「……」
どうして、君は。そこまで。
こんなにも、いい子なのに。
「あの手紙で足りないなら」
そっと、彼女の手に、自分の手を重ねる。
「もっと、言ってあげる。でも、君も僕も、恥ずかしいよ?」
「え?」
彼女が、顔を上げる。
「たくさんあるんだ、君のいいところ。君は、魅力的な女性だよ」
「……っ」
「じゃあ、言うね。まず」
「あのっ!」
「ん?」
「……いいですっ、言わなくても」
「そっか」
心の中で、少しホッとしている自分がいる。
「こう、のっ、さん……」
「うん」
「私、は……」
彼女が、まっすぐに僕を見つめる。頬に、涙の粒を光らせて。
「優しい、あなたが。いつも、見守ってくれるっ、あなたがっ」
彼女の目から、ボロボロと涙がこぼれていく。
「あっ、あなた、のっ、声が……穏やっ、笑顔が……っ」
彼女の涙を、拭いたい。でも、まだ……
「あなたのっ、手が。ぬくもりが……全部っ」
彼女の手が、ギュッと僕の手を包み込む。
「好きっ。だいすっ……」
やっと、聞けた。
ずっと、ずっと。待ってたよ。
彼女を、ギュッと抱きしめる。
「ありがとう」
「……」
「嬉しい。……ずっと、聞きたかった」
彼女のぬくもりを、抱きしめる。
「返事……遅れて、すみません」
「いい、いいんだ。ちゃんと、伝わったよ」
「はい……」
彼女が、そっと体を預けてくれる。それが、本当に嬉しくて。たまらなくて。
彼女の涙を拭いたいのに。抱きしめる腕を、解くことができない。
「好きだよ」
「……」
「愛してる」
「……やめて、ください」
「え……」
「なっ、涙、止められませんっ」
「ごめん、ごめん」
ずっと、こうしていたい。
ずっと、愛していたい。
これからも、ずっと……
「……そろそろ、帰らないとね」
ゆっくりと、体を離す。
「寂しい、です」
彼女が、また涙を流し始める。
「僕もだよ」
そっと、彼女の頬に手を伸ばす。
「……帰りたく、ないっ」
僕だって、帰したくないよ。
涙を拭いながら、心の中で強く叫ぶ。
「奈月ちゃん」
「うっ……」
「また会おう」
手を止めずに、続ける。自分にも、言い聞かせながら。
「電話もするから。だから、今日は……ね?」
「……はいっ」
彼女が、涙でぐちゃぐちゃの顔で、笑顔を見せる。
それを、美しいと思えた。
「そうだ、君の電話番号、教えてくれる?」
「はい!」
彼女は泣き止んで、元気よく返事をする。
「あ、私も今、登録してもいいですか? まだ、してなくて」
「うん」
二人して、携帯を開く。
「住所も、いい?」
「はい! あっ! 年賀状、書きますね」
「うん。楽しみにしてる」
彼女の、そのささやかな約束が。
彼女との未来を、想像することを許されたことが。
彼女と会えない時間を埋めていく、力になる。
お互いの携帯にぶら下がったクマが、優しく揺れていた。




