【特別外伝】全ての始まり
「あっ! 姉ちゃん!」
買い物袋を持った女性に、サッカーボールを抱え、部活用のリュックを背負った高校生ぐらいの男の子が走り寄る。
「陽太くんじゃん。久しぶり。部活帰り?」
「うん! 姉ちゃん久しぶりだな! いつこっちに帰ってきてたんだ?」
「昨日かな。年末年始ぐらいは帰ろうと思って。そしたら買い出し頼まれてさ」
姉ちゃんと呼ばれた女性は、買い物袋を軽く持ち上げてみせる。
「そっか。重そうだな、それ」
言うが早いか、陽太と呼ばれた男の子は、ひょいと袋を奪い取った。
「あ、ちょっ!」
驚いたように声を上げる女性をよそに、陽太は何食わぬ顔で持ち直す。
「いいって。どうせ近いし」
「……いつの間にか立派になって」
女性は一歩、陽太の隣に寄りながら「ありがと」とお礼を言った。
白い息がふわりと夜に溶ける。
「……こんな寒いのに、遅くまでよく頑張るねぇ。おばさんから聞いたよ。もうすぐ大会なんだっけ?」
「そうなんだ! もうすぐ本番だからさ! 次こそ絶対ぇ優勝するんだ!」
陽太は得意げに鼻を鳴らす。
「そういう姉ちゃんこそ、いつまでこっちにいられるんだ?」
「んー。とりあえず、3日までかなぁ」
「そっかぁ」
陽太はそう呟くと、チラリと目線を上げて、言いづらそうに口を動かした。
「えーっと。姉ちゃんはさ」
「何?」
「そのぉ……仕事とかでさ……その、……彼氏とか、できたりした?」
「は?」
陽太の言葉に、女性は怪訝そうな顔をした。
「何? そういうのが気になるお年頃なの?」
「え! いや、俺じゃなくてに……い、いや! そうなんだ! 最近俺の周りでそういう話する奴多くてさ! ちょびーっとだけ気になる、みたいな」
「……ふーん」
女性は何やら納得いかなそうに相槌を打ちつつも、口を開く。
「ま、残念ながらいないけど」
「そうなんだ!」
「……なんでちょっと嬉しそうなの」
陽太の反応に女性が半目で睨むと、陽太はあからさまに視線を逸らし始める。
「いやぁ、なんというか……そのぉ」
「もしかして、日菜ちゃんと何かあったの?」
「ぶっ!? な、なななな! なんでそこに日菜が出てくんだよ!」
分かりやすく焦り始めた陽太に女性は笑う。
「え? 何? まだ付き合ってないの? いい加減焦ったいんだけど」
「何言ってんだよ姉ちゃん!!」
陽太は顔を真っ赤にしながら、少し早歩きになる。それに女性は「ごめん、ごめん」と謝りながら横に並んだ。
「私だって、一回り以上年上の包容力のあるインテリ系の素敵なおじ様がいたら猛アタックしてるけどね。今頃とっくにハットトリック決めてるけどね」
「姉ちゃんまだそんなこと言ってんの? そんなんじゃゴールする前にアディショナルタイム通り越して試合終了しちゃうよ」
「おい。真顔でマジレスすんな。殴るぞ」
女性が拳を構えると、陽太は怯えたように一歩下がった。
「ほ、ほら! もっと近くに目をやってもいいじゃない? 例えばさ、俺の兄ちゃんとかさ。姉ちゃんが本当の姉ちゃんになったら俺も嬉しいし」
「未成年は論外」
「あ、そう」
陽太はガックリと肩を落とした。
「……でも、兄ちゃんもう大学生だし」
「まずはお酒が飲めるようになってからだね。話はそれからだよ」
女性はバサリと切り捨てつつも、くすりと笑う。
「まぁでも、君のお兄さんは普通にいい人だと思うよ。あんま喋ったことないけど」
「だろ? 結構優しいし、悪くないと思うんだけどなぁ。兄ちゃんも姉ちゃんともっと話したいって言ってるし」
陽太の言葉に、女性は不思議そうに首をかしげた。
「……そうかな? 私、かなり嫌われてる気もするけど」
「えっ!? それはない! 絶対にないから!!」
「えー。でも、顔合わせる度に不機嫌そうだし、いつの間にかどこかに行ってるし」
「そ、それは……悪気はないんだよ! 本当に! 嫌ってはないから!」
「フォローしてくれるのはありがたいけど、そもそもお兄さんにも選ぶ権利がっ、──」
ぷつり、と不自然に途切れた言葉。
「……ん?」
陽太は思わず顔を上げる。
「……姉ちゃん?」
呼んでも返事がない。さっきまで隣にいたはずなのに、いつの間にか女性の姿が見えない事に戸惑う。
「姉ちゃんどうし──」
何かあったのかと、陽太は足を止めて振り返った。すると──
「え……」
そこに、『ナニカ』がいた。
「ねぇ、ちゃん……?」
陽太は理解ができなかった。理解したくなかった。ピクリとも動かない女性の身体を、『ナニカ』が持ち上げていた。
人の形をしているようで、していない。異様に長い腕。歪んだ関節。夜の闇に溶けるような黒い影。
その『ナニカ』は、女性の首元に顔を埋めていた。
「……は?」
ぐしゃり、と嫌な音がした。
スーパーの袋が地面に落ちる。
中から転がった野菜が、アスファルトを鈍く転がった。
──ザザッ、と耳障りなノイズが響く。
『……現在、各地で未確認生命体の出現が確認されています。政府はこれを精霊災害と定義し──』
聞き取りづらい音声が、薄暗い体育館に流れていた。その音の中で、毛布にくるまった人影があちこちに転がっている。
『市街地での被害が拡大しています。不要不急の外出は控え、速やかに指定された避難区域へ──』
陽太は膝を抱えて座りながら、ぼんやりとそれを聞いている。
『通常兵器による効果は限定的とされ、現在、有効な対抗手段の確立には至っていません──』
いや、正確には音を聞いているだけだった。内容が、全然頭に入ってこない。
『……繰り返します。一般市民は外出を控え、近隣の避難所へ。安全が確認されるまで、単独行動は絶対に避けてください──』
ラジオから流れる言葉だけが、上滑りするように通り過ぎていく。
何が起きているのか。どうしてこうなったのか。何も分からないまま……ただ、陽太の目には一つだけ焼き付いていた光景があった。
目の前で、姉と慕う女性が化け物に喰われた光景だ。
それだけが、何度も何度も繰り返し流れていた。
どんどん生気を失っていく目。
「陽太!!」
そんな陽太に、知り合いらしき男性が駆け寄る。
「陽太……無事だったか」
「……兄ちゃん」
陽太に兄と呼ばれた男性は、陽太の両肩に手を置き、視線を合わるようにしゃがんだ。
「怪我はねぇな?」
確認するように問われ、陽太はかすれた声で頷く。すると、陽太の兄は安堵したように、深く息を吐いた。
「……そうか。なら、後はあいつだけだな」
その言葉に、陽太の肩がビクリと揺れる。
「あいつ、帰って来てたみたいでな……おばさんも心配してんだよ。買い出し行ったまま帰って来ないってさ」
陽太の兄は小さく舌打ちをした。
「……ったく、こんな時にどこほっつき歩いてんだか……陽太?」
陽太の兄は言葉を止める。弟の様子が、明らかにおかしかったからだ。
顔は青ざめ、怯えるように震えながら自分の身体を抱き締めている。
「なんか、あったのか?」
「……ねぇ、ちゃんは……」
意味深に止まる言葉。今度は兄の方が固まった。
「……な、んだよ」
聞きたくない。だが、聞かなければならない。
「あいつに、何かあったのか?」
「…………」
「答えろよ!!」
「っ!」
強く肩を掴まれ、苦しそうに息を詰めながら陽太は口を開いた。
「姉ちゃんは……」
うまく回らない頭のまま、必死に声を発する。
「……食われた」
「……は?」
陽太の兄は、弟の言葉を飲み込むのに時間を有した。
冗談だろ? と言いたいのに、陽太の雰囲気が許してくれない。
「おまっ……なに、いっ……て……」
「話してたら……ねぇちゃん、変な化け物に食われてて……それで、おれ……動けなくて……そしたら、知らないおじさんが来て……ピカッて光ったかと思うと、化け物は消えてて……でも、姉ちゃんは動かなくて……真っ赤で……声かけても……全然、おきっ……なくて……」
「嘘だ!!」
そう叫ぶ男性の目は、焦点が合っていなかった。
怒りでもなく、悲しみでもなく……ただ、現実を受け止めきれずに、どこかを見失ったような目だった。
「そんなの、嘘だ……」
陽太の兄は、ふらつくように立ち上がる。
「……さっきまで、喋ってたんだろ」
「……」
「いるはずだ……どっかに……」
誰に言うでもなく、まるで自身に言い聞かせるように呟く。
「……探してくる」
そのまま、止まらなかった。陽太も呼び止めることはできなかった。
ただ、遠ざかっていくその背中を、生気のない目で見つめることしかできなかった。
兄が去った後も、陽太はそこから動けなかった。
遠くで、何かが壊れる音と悲鳴が重なる。まるで、現実とは思えなかった。悪夢を見てると言われた方がまだ納得できた。
そうして蹲ったまま、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
「……陽太くん」
陽太の頭上から、優しい声が落ちてきた。
「大丈夫かい?」
陽太はゆっくりと顔を上げる。
「お、じさん……おばさん……」
そこには、中年ぐらいの男女二人が立っていた。
男性の方は、笑おうとして、うまく笑えていない下手くそな笑みを浮かべている。
「おじさん、おばさん……っ、俺!」
「……よかった。君だけでも……無事で」
「っ!」
陽太の目から大粒の涙がこぼれた。
二人は、陽太が姉と慕う女性の両親だった。
「おじさん、おばさん! ごめん……俺……俺っ! 近くにいたのに……何もできなかった……何も……姉ちゃんが……姉ちゃんを!」
まとまらない思考で、必死に何か言おうとする陽太の言葉を「いいんだ」と男性が遮る。その声は、驚くほど穏やかだった。
「……いいんだよ」
震える手が陽太の頭に触れた。
「君は、生きてる」
それだけを確かめるように。
「……それでいいんだ」
隣の女性は、口元を押さえたまま何も言わなかった。
「……君のご両親が心配していたよ。顔を見せて、安心させてあげなさい」
その言葉に、陽太の胸が締め付けられる。
違う。そうじゃない。そうじゃないのに……何も言えなかった。
ただ、泣くことしかできない自身が、陽太は恨めしくて仕方がなかった。
一通り泣いた陽太は、服の袖でゴシゴシと目元を強くこすって涙をふく。
そして勢いよく顔をあげ、娘が死んだというのに慰めてくれた二人にお礼を言ってから歩き出した。……ある決意を、胸に抱いて。
「──陽太くん!!」
「……日菜」
「よかった……無事で」
日菜と呼ばれた、陽太と同い歳ぐらいの少女は、心底安心したように笑う。
「陽太くんのご両親が心配してたよ。あっちにいるから会いに──」
「日菜」
「えっ!? よ、陽太くん!?」
陽太は日菜をぎゅっと抱きしめた。その突然の行動に困惑した日菜は、顔を真っ赤にして慌てる。
「ど、どうしたの? 何かあったの?」
「俺、強くなる」
「……陽太くん?」
陽太は日菜を強く抱きしめながら、自身の思いを口にする。
「もう、誰も失わないように……大切な人たちを守れるように、強くなる」
陽太の脳裏に、また、あの時の光景がよぎった。
姉と慕う女性を喰っていた化け物が消えた瞬間。
あの時、目の前に現れた男が手にしていた、見たこともない『カード』のようなもの。
「……あれがあれば……みんなを守れる」
「え?」
日菜が戸惑った声を漏らす。けれど、陽太は答えない。
ただ、さっきまでとは違う目で前を見ていた。
──それから、しばらくして。世界は少しずつ変わり始めていた。
人々はそれを『精霊』と呼び、恐れ、そして抗おうとしていた。
その中で一人の男──陽太の兄だけが違っていた。
止まれなかった。
見つけては殺した。
ただ、あの日の光景だけが頭から離れなかった。
頭のない女の死体。それを抱きしめることしかできなかった自分。
血に濡れた手を何度も握りしめた。
それでも足りなかった。
何も取り戻せなかった。
気づけば、周囲の空気が歪んでいた。
怒りに呼応するように、足元から黒い靄が現れる。
踏み込んだ瞬間、精霊の身体が弾けた。
何をしたのかは自分でも分からない。ただ、この力を使えば精霊を殺せる。
陽太の兄は、それさえ分かればそれでよかった。
「……そのままでは飲み込まれるぞ」
そうして、精霊を殺し続けていると、すぐ近くで声がした。
振り向いたときには、もうそこに立っていた。
手には不気味に輝く『カード』が握られていた。視線が、勝手に引き寄せられる。
「……てめぇは」
「私は黒金」
黒金と名乗った男は、無機質な声で続ける。
「精霊を殺したければ、来い」
陽太の兄は迷わなかった。
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「……ヨ……く……、タ……ヨウく……タイヨウくん!!」
「うわっ!!」
ピンク色の髪の少女に起こされ、赤髪の少年は飛び起きる。
「は、ハナビ? いつからいたんだ?」
「何言ってるの! 時間!!」
「時間って……」
タイヨウと呼ばれた少年は、ハナビに促されるまま時計を見る。すると──
「ち、遅刻だああああああ!!」
そう叫びながらベッドから転がり落ち、そのまま部屋を飛び出していく。そんなタイヨウを見送りながら、ハナビは腰に手を当ててため息をついた。
「どうしようどうしようどうしよう!!」
「……おヌシはいつになったら学ぶんじゃ」
「うるさい! なんで起こしてくれなかったんだよ!」
「わしは起こしたぞ。起きんかったおヌシが悪い」
「ぐぬぬ」
相棒のドラゴンにそう言われては、タイヨウは何も言えない。母親に急かされながら朝食のコッペパンを口に突っ込み、咀嚼しながら玄関で靴を履く。
「サチコちゃんには寝坊のこと伝えといたから。現地集合でいいって。任務の内容はそこで伝えるって言ってたよ。あ、場所はMDに送ってるって」
「ありがとうハナビ! 助かる!!」
タイヨウは玄関を飛び出しながらコッペパンを大きく一口で食べ終えると、「ドライグ!」と相棒の名を呼ぶ。
「わかっておる。落ちんようにしっかり捕まっておけ」
「さすが相棒! 頼むぜ!!」
「調子のいいやつめ」
ドライグはそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
「いってきまーす!!」
タイヨウの声を合図にドライグは大きな翼を広げる。そして、猛スピードで目的地へと向かった。
「サチコ! 悪ぃっ!」
「いいよ、別に。想定内」
サチコと呼ばれた紫黒色の髪の少女は、慣れたように淡々と答える。
「……チッ。来なくてもよかったのによ」
「先輩」
「サチコぉ!」
窘めるように先輩と呼ばれた黒髪に銀メッシュの少年は、許してと言わんばかりにサチコに抱きついた。
「今日の任務は簡単にいえば精霊の捕獲だよ。索敵は私がするから二人は──って、クロガネ先輩! 暑苦しいんで離れてください!」
「もうちょっとだけ……」
「ええい! うっとおしい!!」
「サチコぉ」
「……おヌシも懲りんのぉ」
サチコと先輩ことクロガネのいつものやり取りに、ドライグはうんざりした様に呟く。
「……ははっ」
その横で、タイヨウは二人の様子を楽しそうに見ていた。
「ん?」
それに気づいたドライグが首を傾げる。
「どうしたんじゃ?」
「いや……なんかさ」
言いかけて、少しだけ目を細める。
「なんか、俺……あの二人が仲良いとさ、すっげぇ嬉しいんだよなぁ」
「……変なやつじゃな」
ドライグは理解できないという風に顔を顰めるが、タイヨウは気にせず笑った。
「二人とも! 任務行こうぜ!!」




