ルカの意思 ②
「まあ、ルカ! 私たちに会いに来てくれたのね!」
「ルカ! 久しぶりじゃないか! 元気そうでよかった!」
ルカの登場に沸いたのはオドラン夫妻だ。
会いたくてたまらなかったといった様子でルカに駆け寄り、馴れ馴れしく撫で始める。
しかしルカはといえば、すぐに夫妻の手から抜け出し、ととと、と走ってアリアの後ろに隠れた。
「ルカったら、久しぶりだから恥ずかしがってるのかしら」
「ほらおいで。私たちのこと、覚えているだろう?」
それでもなお、夫妻はにこやかにルカに声をかけ続ける。対して、ルカが自分から彼らに近づくことはない。
「ねえルカ。ブラント卿……ディートハルト伯父さんが、私たちについて誤解してるみたいなの」
「ひどいことなんてされてないって、ルカから教えてあげてくれないか?」
夫妻がじりじりと距離を詰めてくる。アリアが間に入って盾となるが、彼らの声まで防ぐことはできない。
「ルカ? 伯父さんに、説明できるわよね?」
「私たちは、いい家族だっただろう? また一緒に暮らさないか?」
彼らの声色は優しいが、有無を言わせない迫力があった。きっと、ルカを脅して従わせようとしているのだ。
アリアの背後で、ルカが怯えて言葉をなくしているのがわかった。
(この人たち……! ルカを無理やり頷かせようとしてるの!?)
ルカがこの屋敷に来てから、まだ一週間ほどしか経っていない。少しずつ明るさを取り戻していたとはいえ、オドラン夫妻のもとにいた頃の恐怖は、払拭できていないだろう。
「ほら、ルカ。言ってみて? 叔父さんとその奥さんより、私たちと一緒にいたいでしょう? 伯父さんは新婚なんだから、ここにいたら迷惑よ」
「ルーカ?」
オドラン夫妻は、なおもにこにことルカに語り掛け続ける。子供をあやし、諭すかのようなその喋り方は、アリアには恐ろしいもののように思えた。
「迷惑だと? なにを勝手なことを言っている。ルカ、俺はそんな風に思っていない。アリアも同じだ」
ディートハルトがそう反論するものの、ルカの表情は晴れない。
「ぼく、は……」
その瞳には涙が浮かび、がたがたと震えていた。アリアたちが夫妻を制止するより前に、彼らがルカに畳みかける。
「ん? なあに?」
「言ってごらん、ルカ。私たちと一緒に来るよね?」
夫妻は膝に手をつき、ルカを覗き込む。あまりのことに、ルカはぼろぼろと涙をこぼし始めてしまった。
「ちょっと、あなたたち……!」
アリアはもう一度、彼らのあいだに割り込んでルカをその背に隠す。
これ以上、夫妻をルカに接触させまいと、ルカとともに退室することを考えた、そのときだった。
「ぼく……ぼく、おじさんたちと一緒は、やだ」
ルカが、声を震わせながらそう言った。大人四人の視線が、一斉にルカを捉える。
「ル、ルカ? 何を言ってるの?」
「そういう冗談はよくないぞ? ほら、本当のことを言うんだ」
最初に言葉を発したのは、夫妻だった。何かの間違いだとでも言いたげに、さらにルカに詰めよる。けれど、ルカの意見は変わらなかった。
「ぼく、もう、おじさんたちと一緒はいや! アリアと、ハルにいさまと、一緒がいい! おじさんたちは、きらい! 僕は、ここにいる!」
そう言うと、ルカはぎゅっとアリアに抱き着く。夫妻が近づくと、「やだ!」「こないで!」とはっきりと彼らを拒絶した。
「そんな……ルカ……」
まさかルカが自分たちに反抗するとは思っていなかったのか、夫妻は呆然としている。
最初こそ、彼らは驚きに目を見開いているだけだった。しかし、だんだんと表情がなくなっていき……かと思えば、いきなりけたけたと笑い始める。
「ルーカー? ダメじゃないか。そんなことを言っちゃあ」
「あなたは、もう私たちの家族なのよ?」
「『パパ』の言うことは、聞かなきゃ……ダメだろう~?」
夫のほうが、ルカに向かって手を振りかぶる。それを察知したアリアがルカに覆いかぶさって庇い、目を閉じる。
しかし、身体に衝撃を受けることはなかった。おそるおそる辺りをうかがうと、ディートハルトが素手で拳を受け止めていた。
「アリア。ルカの視界と耳を塞いでくれ」
「は、はい」
言われるがまま、アリアはルカを隠して耳も塞ぐ。それから数秒後には、鈍い殴打音が一度だけ聞こえた。
「だ、旦那様……?」
アリアの動揺をよそに、ディートハルトは汚いものでも触ったかのように、ぱしぱしと手をはたいている。他でもない彼が、甥っ子に暴力を振るおうとした男を制裁したのだろう。
殴られた夫は気絶し、妻のほうも恐怖ですっかり縮こまっている。もう、ルカを唆す元気などなさそうだった。
「オドラン夫人。聞いての通り、ルカはあなたたちを拒絶している。もう、ルカを任せることはない。わかったら、早く出ていくことだな。金だって、普通に暮らしていれば十分残っているはずだ。……高級な酒を、浴びでもしていなければな」
「っ……」
夫人は悔しそうにディートハルトを睨みつける。しかし、この地域の騎士団長でもある彼が、そんなことで怯むはずもない。ディートハルトは声を張り、使用人を呼びつける。
「衛兵を呼んで、こいつらをつまみだせ。この屋敷の敷居も、二度と跨がせるな。ルカに近づくことも禁止する。もしも再び、ルカに危害を加えようとしたときには……公爵家次期当主の血縁者を害した罪で、しかるべき処罰を受けさせる」
主人の命を受け、衛兵がオドラン夫妻をずるずると引きずっていく。夫人のほうは何か叫んでいたが、彼はもう、甥を傷つけた夫妻の言うことになどこれっぽっちも耳を貸さなかった。
静かになった部屋で、アリアはへなへなと脱力する。
「おわ、った……」
流石のオドラン夫妻も、次期当主直々にああ言われては、もうルカに近づくことはできないだろう。
今回は拳一発でお目こぼしされたが、次こそはディートハルトも容赦しないはずだ。
(これで、ルカがあの人たちに連れ去られることはなくなった。怖い目に遭うこともない)
アリアが安堵から息を吐くと、そばにいたルカがぷるぷると震え始め……耐え切れず、わーっと泣き出した。
「アリ、ア。アリア、こわかった。こわかった、よ」
わんわんと泣くルカを、アリアが抱きしめる。
「大丈夫。もう大丈夫よ。あの怖い人たちは、ハルにいさまが追い払ってくれたから」
大丈夫、と繰り返すアリアの胸で、ルカは涙を流し続ける。すると、ディートハルトもそばにやってきて、二人の傍らに膝をついた。彼はじっとルカを見つめると、少し迷ってからこう言った。
「……ルカ。この家で、俺たちと一緒に暮らすか?」
静かな、けれど優しい声だった。ルカはひっくひっくとしゃくりあげながらも、確かに頷く。
「うん。アリアと、ハルにいさまと、一緒がいい」
「……そうか。なら、一緒に暮らそう」
彼は目を細め、ぽん、とルカの頭に触れる。
呪いのことを知るアリアは小さく「あ……」と声を出したが、痛みに襲われているであろう彼が、それを表に出すことはなかった。




