第2話 役立たずの奴隷たちに、隠れた才能があったらしい
翌朝、俺はピルネと一緒に朝食を食べていた。
昨日まで泥だらけだった少女は、モルダに風呂へ入れてもらい、きれいな服に着替えている。杏色の髪も洗ってもらったらしく、きれいに整っていた。右側にある小さな三つ編みは、そのままだ。首には相変わらず黒い首輪がついている。昨日、無理に外すと危険だと聞いたので、まだ手をつけていない。
ピルネは黄色い鈴をテーブルの端に置き、目の前の朝食をじっと見つめていた。焼きたてのパンに、温かいスープ。それから川魚の塩焼きだ。
「どうした、ピルネ。腹が減ってるんだろ? 遠慮しないで食っていいぞ」
「ふむふむ。おじさん、これ、全部食べていいの?」
「ああ。お前の分だからな」
「おじさんが食べたあとじゃなくて?」
「一緒に食えばいいだろ。ほら、冷めないうちに食おうぜ」
俺はパンをちぎって口に運んだ。すると、ピルネも俺の真似をして、小さくパンをちぎった。恐る恐る口に入れ、ゆっくりとかんでいる。やがて、水色の目が大きく開いた。
「おじさん、パン、あったかいの」
「焼きたてだからな。うまいだろ?」
「うん。ふわふわなの。おじさん、パンって、生きてるの?」
「ある意味ではそうかもな。何で?」
「だって、あったかいの。ピルネもあったかいから、生きてるの」
「ほら、スープも飲んでみろ」
ピルネはスプーンを持ち、スープを口に運んだ。今度は頬を押さえ、うれしそうに笑う。
「ふむふむ。おじさんのおうち、あったかい子がいっぱいなの」
まあ、喜んでくれているならいいか。ピルネはパンを食べ、スープを飲み、今度は魚に興味を持ち始めた。
「おじさん、お魚なの」
「そうだな。昨日食べたいって言ってただろ」
「空のお魚?」
「川の魚だよ。空の雲は食べられないからな」
「ふむふむ。お魚、川にお引っ越ししたの」
「違うけど、まあ、食ってみろよ」
俺が魚の身をほぐして皿に置いてやると、ピルネはうれしそうに食べ始めた。よほど腹が減っていたのだろう。小さな口で一生懸命食べている。昨日は足も傷だらけだったし、ろくに食事も与えられていなかったようだ。これからは、ちゃんと食わせてやらないとな。
俺も朝食を続けようと、左腕を動かした。
「いてて……」
昨日、白塔機関の騎士に切られたところが痛んだ。傷はそこまで深くないが、まだ包帯を巻いている。すると、ピルネが食べるのをやめた。
「おじさん、痛いの?」
「ああ、ちょっとな。でも、昨日よりはましだぞ」
「赤いの、まだ出てる?」
「もう止まってるよ。ちゃんと手当てもしてもらったから、大丈夫だ」
ピルネは俺の包帯をじっと見つめている。それから、自分の皿に残っていたパンを両手で持ち、俺に差し出した。
「おじさん、これ、食べるの」
「ん? それはお前の分だろ」
「食べたら元気になるの。ピルネ、食べたら元気になったから、おじさんも食べるの」
なるほど。俺にも元気になってほしいのか。優しい子じゃないか。
「ありがとな。でも、俺の分はあるから、お前が食べろ」
俺はパンを受け取らず、ピルネに食べるよう勧めた。ピルネはうれしそうに笑い、パンを食べ始めた。その笑顔を見ていると、拾ってきてよかったと思う。俺の平和な老後計画にはなかったけど、子供が1人増えるくらいなら問題ないだろう。そう考えていたところで、食堂の扉が勢いよく開いた。
「閣下! 大変でございます! このままでは領地の財政がもちません!」
飛び込んできたのは、財務官のキュバルだった。
青緑色の巻き毛を振り乱し、丸眼鏡をかけた小柄な青年が、分厚い帳簿を抱えている。昨日、俺が命じた奴隷解放や税金の見直しについて、朝から計算していたらしい。
「おいおい、朝から大声を出すなよ。ピルネがびっくりするだろ」
「申し訳ございません! ですが、驚いている場合ではないのです! 閣下が昨日お命じになった奴隷解放について、必要な費用を計算したところ、とんでもない金額になりまして!」
「そりゃ、給料を払うんだから金はかかるだろ。だから無駄遣いを減らそうって話になったじゃないか」
「その無駄遣いを減らしても足りないのです! 解放した者たちの食費、住居費、給料! それに税金の見直しまで進めれば、収入は減る一方でございます! 閣下は小職を過労で殺すおつもりですか!」
「いや、そこまで追い詰めるつもりはないぞ」
「でしたら、せめて役立たずの奴隷たちにまで給料を払うのはおやめください! まともな仕事もできない者を雇い続ければ、領地の金庫が空になります!」
役立たずの奴隷?
俺は思わず首を傾げた。
「ちょっと待て。役立たずって、どういうことだ?」
「そのままの意味でございます。年を取って荷物を運べない者、体が不自由で畑仕事もできない者、魔法が使えず力仕事も苦手な者などです。これまで食事を与えるだけで済んでおりましたが、今後は給料まで必要になります!」
「そいつら、ほかの仕事は試したのか?」
「ほかの仕事、でございますか?」
「荷物運びが苦手なら、別の仕事をさせればいいだろ。計算とか、道具の修理とか、いろいろあるじゃないか」
キュバルは眼鏡を押し上げ、困った顔をした。
「閣下。奴隷の仕事は、体格や魔力量を見て決めております。力が弱く、魔法も使えない者をわざわざ別の仕事につける必要があるとは思えません」
「いや、それじゃ得意なことなんて分からないだろ」
「ですが、優秀な人材は高い給料を払って雇うものでございます。安く使われていた奴隷の中に、そんな人材がいるとは……」
「まあ、見てみないと分からないな。よし、今から会いに行こう」
「今からでございますか! まだ朝食も終わっておりませんのに!」
「だったら、お前も少し食っていけよ。朝飯は食ったのか?」
「食べておりません! 朝から帳簿と格闘しておりましたので!」
「じゃあ、なおさら食え。腹が減ってると頭も回らないぞ」
キュバルは何か言いたそうだったが、俺が使用人に食事を頼むと、ようやく椅子に座った。その隣で、ピルネがキュバルをじっと見つめている。
「おじさん、あの人、おなかが鳴ってるの」
「そうだな。朝飯を食ってないらしいぞ」
「ふむふむ。おなかの中で、お魚、鳴いてるの?」
キュバルは帳簿を開きながら、深いため息をついた。
「閣下……、小職の胃まで痛くなってまいりました」
まったく、朝から騒がしい屋敷だな。
◇
朝食を終えた俺たちは、屋敷の倉庫へ向かった。ピルネも一緒だ。まだ足の傷が治っていないので、俺が抱っこしている。左腕は昨日の傷が痛むため、右腕で支えていた。
「おじさん、ピルネ、重いの?」
「全然。お前、もっと飯を食った方がいいぞ」
「ふむふむ。お魚、いっぱい食べるの」
「魚ばっかりじゃなくて、肉と野菜も食えよ」
そんな話をしながら倉庫へ着くと、元奴隷たちが集められていた。昨日、俺が解放を命じた者たちだ。しかし、誰も楽しそうにはしていない。俺の姿を見るなり、全員が慌てて頭を下げた。中には、顔を青くして震えている者までいる。昨日、町の人々にも同じ反応をされた。どうやら、俺がいくら善良な領主になろうとしても、そう簡単には信用してもらえないらしい。まあ、当然か。前のベクノがやってきたことを考えれば、俺だって信用しないだろう。
「みんな、そんなにかしこまらなくていいぞ。昨日も伝えたと思うが、お前たちはもう奴隷じゃない。帰りたい者は帰っていいし、ここで働きたい者には給料を払うつもりだ」
元奴隷たちは顔を見合わせた。誰も返事をしない。その中で、1人の老人が俺をにらんでいることに気づいた。薄い桃色の髪が頭の左右に残っている、背中の曲がった小柄な老人だ。年は60歳を過ぎているだろう。俺は老人の前に立った。
「じいさん、名前は?」
「……ネリッツ・ヴォグじゃ」
「ネリッツか。今までどんな仕事をしてたんだ?」
「荷物運びじゃよ。見ての通り、足も腰も悪いから、まともに運べんかったがな。どうせ、わしゃあ役立たずじゃ」
老人は吐き捨てるように言った。
「じいさん、荷物を運ぶ以外に得意なことはないのか? 別に力仕事じゃなくてもいいんだぞ」
「そんなこと、今さら聞いてどうするつもりじゃ。奴隷に仕事を選ぶ権利があったと思っとるのか?」
「……まあ、そうだよな」
何も言い返せなかった。前のベクノがやってきたことだ。俺自身に記憶がなくても、今の俺が責任を取らなければならない。どうしたものかと考えていると、腕の中のピルネが老人を指さした。
「おじさん、あのおじいちゃん、きらきらしてるの」
「きらきら?」
「うん。数字がいっぱい並んでるの。お魚みたいに、きれいなの」
「数字が?」
俺は老人を見た。
どこに数字が見えるんだ? 服に数字が書いてあるわけでもないし、頭の上に何か浮かんでいるわけでもない。だが、ピルネは真剣な顔をしている。
「じいさん、計算は得意か?」
「何じゃ、急に」
「いや、ちょっと気になってな。キュバル、何か計算を出してみてくれないか?」
「閣下! 小職は忙しいのでございます! こんな老人に計算などさせても、時間の無駄ではありませんか!」
「まあまあ。試すだけだから」
キュバルは不満そうに眼鏡を押し上げた。それでも、帳簿を開いて数字を読み上げる。
「では、銀貨27枚と銀貨48枚を合わせると、いくらになりますか?」
「75枚じゃ」
老人はすぐに答えた。キュバルは少し驚いた顔をしたが、すぐに別の計算を出す。
「では、銀貨36枚を7人に同じだけ分けた場合、1人何枚で、何枚余りますか?」
「5枚ずつで、1枚余る」
「……では、銀貨87枚の品物を6つ購入した場合は?」
「銀貨522枚じゃ。金貨5枚と銀貨22枚じゃな」
おお。なかなか早いじゃないか。俺が感心していると、キュバルはむきになったように帳簿を開いた。
「では、こちらの記録をご覧ください! 昨日までに倉庫へ入ってきた荷物と、運び出された荷物が記録されております。これほど複雑な計算となれば、さすがに……」
「その帳簿、間違っとるぞ」
ネリッツが言った。キュバルの顔が固まる。
「……何ですって?」
「ここじゃ。小麦の袋を全部同じ重さで計算しとるが、袋によって重さが違うじゃろ。それに、帳簿に書いてある残りの袋の数も、実際の数と合っとらんぞ」
「そ、そんなはずは! この帳簿は小職が確認したものでございます!」
「確認したなら、なぜ間違っとるんじゃ?」
「そ、それは……」
キュバルは慌てて帳簿を見直し始めた。俺も横からのぞき込む。確かに、袋の数は書いてあるが、重さについては全部同じ数字になっている。これでは実際の量と合わなくなるだろう。キュバルは何度も計算をやり直した。そして、眼鏡を押し上げる手が止まった。
「……本当です。計算が合いません」
ネリッツは鼻を鳴らした。
「だから言ったじゃろ。わしゃあ、足も腰も悪いが、頭まで悪くなった覚えはないぞ」
俺は思わず笑ってしまった。
「すげえじゃないか、じいさん。こんなに計算が得意なら、荷物運びより帳簿を任せた方がいいだろ」
「……何?」
「今の倉庫、数字がめちゃくちゃなんだろ? じいさんに管理を手伝ってもらえば、助かるんじゃないか?」
ネリッツは俺をにらんだまま黙っている。しばらくして、低い声で尋ねた。
「わしゃあ、奴隷じゃぞ。帳簿を任せるなど、何を考えとるんじゃ」
「昨日解放しただろ。もう奴隷じゃない。給料も払うから、ここで働いてくれないか?」
老人は目を見開いた。俺の顔を見つめ、それからキュバルの帳簿へ視線を落とす。
「……本当に、わしに帳簿を任せる気か?」
「ああ。じいさんなら、ちゃんとできそうだからな」
ネリッツはしばらく黙っていた。それから、顔を背けた。
「ふん。ならば、金貨1枚でも計算を間違えたら許さんぞ。わしゃあ、数字をごまかす人間が大嫌いなんじゃ」
「おう。頼りにしてるぞ」
俺がそう言うと、ピルネがうれしそうに笑った。
「ふむふむ。おじいちゃん、きらきらなの」
「何じゃ、この鈴娘は。さっきから数字が見えるだの、きらきらだの……変わった子じゃな」
「ピルネなの。おじいちゃん、数字のお魚なの」
「わしゃあ魚ではないぞ」
「ふむふむ。お魚じゃないの」
ネリッツは困った顔をした。どうやら、この老人でもピルネの相手は難しいらしい。
◇
それから俺は、倉庫にいるほかの元奴隷たちにも話を聞いてみることにした。ピルネがネリッツの才能を見抜いたのは偶然なのだろうか。それとも、本当に何かが見えているのか。本人に聞いても、数字のお魚がどうのこうのと説明するばかりで、さっぱり分からない。そこで、ほかの人たちを見てもらうことにした。
「ピルネ、ここにいる人たちの中で、ほかにもきらきらしてる人はいるか?」
「ふむふむ。いるの」
「そうなのか? どこにいるんだ?」
「おじさん、あの人、手がいっぱいなの」
ピルネが指さしたのは、大柄な男だった。赤紫色の長い髪を片側で結び、右頬に大きな傷がある。身長は俺よりずっと高い。しかし、左腕をうまく動かせないらしく、片方の手で腕を支えていた。
「おい、そこの兄ちゃん。ちょっといいか?」
「……おれぁ、何もしてねえだ」
「いや、怒ってないぞ。名前と、今までやってた仕事を聞きたいんだ」
「ガザッハ・ルンドだ。荷物運びをしてたべ。けど、この腕じゃろくに働けねえってんで、ずっと倉庫の隅に置かれてた」
「そうか。ほかに得意なことはあるか?」
ガザッハは少し考えた。
「……道具を直すのは得意だべ。昔は農具や荷車を直してた。今でも、壊れたもんを見ると放っておけねえ」
おお、修理ができるのか。それはありがたい。ちょうど倉庫の外には、車輪が壊れた荷車が置いてあった。俺はそれを指さした。
「じゃあ、あの荷車を見てくれないか? 直せそうなら、修理を頼みたいんだ」
ガザッハは荷車へ近づき、車輪を調べ始めた。すると、さっきまで無口だった男が急にしゃべり出した。
「おいおい、なんてこった。この車輪、軸が曲がってるべ。お前さん、よく今まで我慢したなぁ。大丈夫だべ、おれぁがちゃんと直してやる。ほら、ここを外して、こっちを取り替えれば、まだまだ働けるからな」
……荷車に話しかけてるぞ、この人。
俺が驚いていると、ガザッハは壊れた部分を指さした。
「親方、こいつぁまだ使えるべ。新しい荷車なんざ買わなくていい。車輪の軸を交換して、こっちの板を補強すりゃ十分だ。捨てるにはもったいねえぞ」
「おお、そうなのか。じゃあ、修理を頼んでもいいか?」
「……おれぁにか?」
「ああ。得意なんだろ?」
ガザッハは俺の顔を見つめた。それから、壊れた車輪に目を戻す。
「……分かったべ。おれぁ、こいつを直してやりてえ」
さっきまで無愛想だった男が、ほんの少し笑った。どうやら、本当に道具を直すのが好きらしい。これはいい人材を見つけたかもしれないな。すると、ピルネが俺の服を引っ張った。
「おじさん、今度はお鼻なの」
「鼻?」
「ふむふむ。あのお姉さん、お鼻がすごいの」
ピルネの指さした先には、小柄な女性がいた。黄緑色の髪を左右で大きさの違うお団子にした、そばかすの多い女性だ。彼女は倉庫に置かれた袋の匂いを、くんくんと嗅いでいた。
「おい、そこの人。何をしてるんだ?」
俺が声をかけると、女性は勢いよく振り向いた。
「お殿さん! ちょうどよかったでありんす! この倉庫、食べ物の管理がひどすぎるのさね。あちきの鼻がさっきから大騒ぎしてるんでありんすよ!」
……ずいぶん変わった話し方をする人だな。
「ええと、名前を聞いてもいいか?」
「あちきはユフィッカ・ネズでありんす。お殿さん、そんなことより、この小麦を見ておくれ。見た目は何ともないけど、袋の奥が湿ってるのさね。このまま放っておいたら、すぐに傷んじまうよ」
「匂いで分かるのか?」
「くんくん。あちきの鼻はごまかせないのさね。昔から、食べ物が傷んでるかどうかは、匂いを嗅げば分かるんでありんす」
なるほど。なら、食料の管理を任せられるかもしれない。
「ユフィッカ。倉庫の食料を調べてもらえないか? 傷んでるものがあれば、ほかの食料と分けてほしいんだ」
「お殿さん、本当にあちきに任せてくれるのかい?」
「ああ。得意なんだろ?」
ユフィッカは目を丸くした。それから、うれしそうに笑った。
「任せておくれ! あちきの鼻があれば、腐った食べ物なんざすぐに見つけてやるでありんす!」
そう言って、次々と袋の匂いを嗅ぎ始めた。何だかすごい光景だな。計算が得意な老人。道具の修理が得意な大男。食べ物の匂いを見分けられる女性。みんな、今まで役立たず扱いされていたらしい。それなのに、実際にはちゃんと得意なことがあった。しかも、その才能を見つけたのは、俺ではなくピルネだ。俺は腕の中の少女を見下ろした。
「なあ、ピルネ。お前、どうしてあの人たちが得意なことを分かったんだ?」
「ふむふむ。見えるからなの」
「何が見えるんだ?」
「きらきらなの。おじいちゃんは数字で、おっきい人は手で、お姉さんはお鼻なの」
「……なるほど。分からん」
ピルネは不思議そうに首を傾げた。どうやら本人にとっては、当たり前のことらしい。もしかすると、この子には他人の才能を見抜く力があるのかもしれない。ゲームには、相手の能力を調べる鑑定スキルが存在していた。それに近い能力なのだろうか。ただ、ピルネ自身は何も覚えていない。無理に聞いても困らせるだけだろう。俺は少女の頭をなでた。
「まあ、何にせよ助かったよ。ありがとな、ピルネ」
「ふむふむ。ピルネ、お役に立った?」
「ああ。すごく助かったぞ」
すると、ピルネはぱっと笑った。その笑顔を見て、俺までうれしくなった。
◇
夕方、俺は執務室でキュバルの報告を聞いていた。ネリッツのおかげで、倉庫の帳簿にいくつも間違いが見つかった。ガザッハは壊れた荷車の修理を始め、買い直す費用を減らせそうだという。ユフィッカも、傷みかけた食料を発見し、ほかの食料まで駄目になるのを防いでくれた。
まだ大きくお金が増えたわけではない。だが、少なくとも、今まで見逃されていた無駄を減らせることが分かった。
「閣下! これは驚くべき成果でございます! まさか、あの役立たずたちが、こんなにも役に立つとは!」
キュバルは興奮した様子で帳簿をめくっている。俺は椅子に座り、報告を聞きながらうなずいた。
「だから、仕事が合ってなかったんだろ。今まで荷物運びしかさせてなかったなら、そりゃ得意なことも分からないよな」
「その通りでございます! 小職も考えを改めなければなりません。高い給料を払って外から人材を雇うより、今いる者たちに適した仕事を任せた方が、ずっと効率がよい場合もあるのですね!」
「そういうことだな。ただし、給料はちゃんと払えよ。奴隷だったころみたいに、ただ働きさせるのは駄目だからな」
「承知しております! ですが、これほどの才能を持つ者たちが、今まで誰にも評価されていなかったとは……。閣下、ほかの元奴隷たちも調べてみる価値があるのではありませんか?」
「そうだな。まだ得意なことが見つかってない人もいるだろうし、少しずつ調べていこう」
キュバルは勢いよくうなずいた。朝はあんなに反対していたのにな。まあ、数字で成果が見えれば納得するタイプなのだろう。そのとき、執務室の隅にいたドゥガンが口ひげを撫でた。
「ほっほっほ。なるほど、旦那様。ようやく、わしにもお考えが分かってまいりましたぞ」
「……また何か変なことを考えてるんじゃないだろうな」
「とんでもございません。王国中の貴族が見向きもしなかった人材を集め、誰にも真似できぬ領地を作り上げる。しかも奴隷たちには自由と給料を与え、自ら旦那様に仕えたいと思わせるとは。まことに見事なお考えでございますな」
「いや、そこまでは考えてないぞ。得意な仕事をしてもらった方が、みんな助かるって話だろ」
「ほっほっほ。ご謙遜を。わしには分かっておりますとも」
ドゥガンは満足そうにうなずいている。もう何を言っても無駄らしい。キュバルまで、何やら感心した顔で俺を見ている。
おいおい。俺は別に天才領地運営者じゃないんだけどな。ただ、仕事には向き不向きがあると思っただけだ。それに、今回の功労者はピルネだろう。俺は隣に座っている少女を見た。ピルネは黄色い鈴を両手で持ち、ちりん、ちりんと鳴らしている。
「おじさん、ピルネ、お役に立たなくなったら……捨てられるの?」
少女の声が小さくなった。俺は驚いた。昨日も、痛いと言ったら捨てられると話していた。きっと、今までそういう扱いを受けてきたのだろう。役に立たなければ捨てられる。そんなことを、当たり前だと思っているのかもしれない。俺は無事な右腕を伸ばし、ピルネの頭をなでた。
「捨てるわけないだろ。お前はもう奴隷じゃないんだし、ここはお前の家なんだからな。何もできなくたって、好きなだけいていいんだよ」
「……本当なの?」
「ああ。本当だぞ」
「お魚が見えなくなっても?」
「魚?」
「ふむふむ。きらきら、見えなくなっても?」
「よく分からんけど、そんなの関係ないだろ。俺はお前に仕事をさせるために拾ったわけじゃないんだからな」
ピルネは何も言わなかった。ただ、俺の顔をじっと見つめている。それから椅子を降り、俺のところへやってきた。
「おじさん」
「ん?」
「ピルネ、おじさん、好きなの」
ピルネは俺の胸に顔を寄せた。
「とく、とく」
「また心臓の音を聞いてるのか?」
「ふむふむ。おじさん、生きてるの」
「ああ。ちゃんと生きてるぞ」
ピルネは安心したように笑った。
「おじさん、ずっと生きててね」
「おう。長生きするつもりだぞ」
「ふむふむ」
ピルネはしばらく俺の胸に耳を当てていた。
「おじさんを殺そうとする人がいたら、どうするの?」
「そりゃ困るな。ザンフィたちに守ってもらわないと」
「ふむふむ。じゃあ、ピルネも守るの」
「ははっ。ありがとな」
こんな小さな子に守ってもらうなんて、情けない話だな。俺が頭をなでると、ピルネは嬉しそうに笑った。
「おじさんを殺そうとする人、みんな死んじゃえばいいの」
……え?
俺はピルネの顔を見た。少女は何も気にしていない様子で、また俺の胸に耳を当てた。




