第1話 悪役貴族のおじさん、奴隷少女を拾う
俺は日本で死んだ。
46歳の会社員だった俺は、仕事帰りに交通事故に遭った。横断歩道に飛び出した小学生を助けようとして、車にはねられたのだ。最後に覚えているのは、道路に倒れた俺を見下ろして泣いている子供の顔だった。あの子が助かったなら、それでいい。独身だったし、両親もすでに亡くなっている。俺が死んでも、そこまで困る人はいないだろう。
そんなことを考えていたのに、なぜか俺は生きていた。
それも、日本ではない場所で。
◇
目を覚ましたのは、見たこともない豪華な寝室だった。大きなベッドに、立派な家具。窓には高そうなカーテンがかかっている。最初は病院かと思ったが、こんな豪華な病室は見たことがない。近くにあった鏡をのぞいて、さらに驚いた。知らないおっさんが映っていたからだ。
麦色の髪に、茶色い目。口元には短いひげが生えている。40代くらいの男だった。まあ、前世もおっさんだったから、そこは別にいい。問題は、この男が誰なのかということだ。
部屋に入ってきた使用人に名前を聞いたところ、ベクノ・テルハムと答えられた。その名前を聞いて、俺は固まった。
ベクノ・テルハム。
前世で遊んでいたゲーム『聖痕のレクイエム』に登場する悪役貴族だ。このゲームは、女勇者ラヴィシアが仲間を集めて世界を救う物語だった。剣や魔法で魔物を倒し、悪人を退治しながら、世界を裏から支配する白塔機関の秘密に迫っていく。
俺はこのゲームが好きで、3周も遊んだ。だから、ベクノという男のこともよく覚えている。こいつは、とんでもない悪人だった。領民から重い税を取り立て、払えない者を奴隷として売り飛ばす。さらには、奴隷を人体実験の材料として提供していた。
当然、勇者に悪事を暴かれる。最後は領民たちの前で公開処刑されるのだ。しかも、俺が転生したのは、その処刑が行われる3年前だった。
「……勘弁してくれよ」
せっかく生き返ったのに、また死ぬ予定が決まっているなんて。今度は車じゃなくて、勇者に首をはねられるらしい。そんな死に方は絶対にごめんだ。とはいえ、幸いなことに処刑までは3年ある。原作のベクノが処刑された理由は、これまでの悪事が明らかになったからだ。
ならば、悪事をやめればいい。
領民には優しくする。奴隷も解放する。勇者とは争わない。これで処刑される理由を減らせるはずだ。
よし、決めた。
俺は悪役貴族をやめて、静かに暮らすぞ。
◇
転生して3日目。
俺は屋敷の主な使用人3人を執務室に呼び出した。
まず、侍女長のモルダ。
青みがかった黒髪をきっちりと結い上げた、背の高い女性だ。赤銅色の目をしており、背筋をまっすぐ伸ばしている。
その隣には執事長のドゥガン。
赤黒い髪を後ろになでつけ、立派な口ひげを生やした老人だ。片眼鏡をつけ、いかにも仕事ができそうな顔をしている。
最後は財務官のキュバル。
青緑色の巻き毛に丸眼鏡をかけた、小柄な青年だ。分厚い帳簿を抱え、さっきから落ち着きなく俺を見ている。
俺は3人の顔を見回した。
「今日から領内の奴隷売買を禁止する。それと、屋敷で働いている奴隷も解放するぞ」
3人が固まった。モルダが真っ先に口を開く。
「旦那様。本当に奴隷を解放なさるのですか?」
「ああ。もう人間を売り買いするのはやめだ」
「承知いたしました。しかし、解放した者たちの住まいや仕事は、いかがなさいますか?」
「帰る場所があるやつには帰ってもらう。ないやつには、ここで給料を払って働いてもらえばいいだろ」
モルダは目を丸くした。その隣で、ドゥガンが口ひげを撫で始める。
「なるほど。さすがは旦那様でございますな」
「ん?」
「奴隷に自由を与え、恩を売ることで忠誠を得る。今度は民の心まで支配なさるおつもりとは。この老骨、感服いたしましたぞ」
「いや、そんなつもりじゃないんだが」
「ほっほっほ。わしには分かっておりますとも」
分かってないだろ、このじいさん。原作のベクノが悪人だったせいか、普通のことを言っても悪巧みだと思われるらしい。
そこへキュバルが割り込んできた。
「閣下! 奴隷の解放は結構ですが、全員に給料を払うとなると大変な出費になりますよ!」
「そうなのか?」
「そうなのか、ではありません! 食費に住居費、さらに給料まで! 財政がもちません!」
「じゃあ、無駄遣いを減らそう」
「その無駄遣いをしていたのは閣下でございます!」
「うっ……」
それを言われると、何も返せない。俺が使ったわけじゃないんだけどな。とはいえ、今の俺が領主なのだ。前のベクノがやったことだから知らない、なんて言える立場じゃない。
「とにかく、奴隷売買は今日で終わりだ。それから、人体実験への協力もやめる」
「人体実験までおやめになるのですか?」
モルダが驚いた顔をした。
「ああ。今後は誰も実験施設に送るな」
「かしこまりました」
「税金も見直したい。まずは帳簿を調べて、無理な取り立てをしているところを探そう」
「それでしたら、小職にお任せください。無駄な支出も合わせて洗い出します!」
キュバルは眼鏡を押し上げ、帳簿を開いた。どうやら仕事熱心なのは間違いないらしい。ドゥガンも満足そうにうなずいている。モルダはまだ疑っているようだが、ひとまず命令には従ってくれるようだ。
よし。これで破滅する理由を少しは減らせたはずだ。あとは地道に領地を立て直していこう。
◇
その日の午後、俺は町へ出かけた。
領民たちがどんな暮らしをしているのか、自分の目で確認したかったのだ。護衛としてついてきたのは、騎士団長のザンフィだった。
銅色の短い髪に、紫色のつり目。鼻には大きな傷があり、俺より背が高い。黒い鎧を着た彼女は、俺の隣を歩きながら不思議そうに首を傾けていた。
「旦那、今日は何を調べるんだ?」
「領民の暮らしだよ」
「そんなもん、報告書を読めば分かるだろ」
「自分の目で見た方がいいこともあるだろ」
「へえ。旦那がそんなこと言うなんてな」
ザンフィは大きな口を開けて笑った。どうも、この世界のベクノは部下からもあまり尊敬されていなかったらしい。
町に入ると、それがよく分かった。俺の姿を見た住民たちが、慌てて道を空けたのだ。商人は頭を下げ、母親は子供を抱き寄せる。誰も目を合わせようとしない。
おいおい。どれだけ嫌われてたんだよ、俺。
道の端で、小さな男の子が木の人形を落とした。俺はそれを拾って差し出す。
「ほら、落としたぞ」
ところが、男の子の母親は顔を青くした。
「も、申し訳ございません!」
「え?」
母親は男の子を抱き上げ、何度も頭を下げながら逃げてしまった。俺は木の人形を持ったまま、その場に立っていた。
「……そこまで怖がらなくてもいいだろ」
「旦那が子供に話しかけたら、そりゃ怖がるだろうな」
「お前、俺の護衛だよな?」
「あたしは旦那の命を守るのが仕事だ。ご機嫌取りじゃねえよ」
まったく、遠慮のない女だ。とはいえ、今のは俺が悪いわけでもない。前のベクノがやったことのせいだ。これから少しずつ信用を取り戻すしかないだろう。俺は人形を近くの店主に預け、町の視察を続けた。
◇
町をひと通り見て回ったころ、騎士団の兵士がザンフィを呼びに来た。訓練場で問題が起きたらしい。
「旦那、ちょっと戻ってもいいか?」
「ああ。俺はもう帰るところだからな」
「1人で大丈夫か?」
「子供じゃないんだぞ」
「へいへい。じゃあ、寄り道すんなよ」
ザンフィは笑いながら走っていった。俺は屋敷へ戻るため、町外れの古い道を歩く。その途中だった。
ちりん。
小さな鈴の音が聞こえた。俺は足を止めた。もう1度、鈴が鳴る。音は、使われなくなった水路の方から聞こえていた。気になって近づいてみると、そこに1人の少女がいた。
年は15歳くらいだろうか。
杏色の短い髪は不ぞろいで、右側には細い三つ編みが1本ある。大きな目は薄い水色。小柄で、ひどく痩せていた。着ている白い服は泥だらけで、裸足で、足には傷がいくつもある。そして首には、黒い金属の首輪がついていた。奴隷の首輪だ。少女の手には、小さな黄色い鈴が握られている。少女は俺に気づいていないのか、空をじっと見つめている。
「おい、こんなところで何してるんだ?」
声をかけると、少女がこちらを向いた。水色の目で俺を見上げる。
「お魚」
「魚?」
「うん。3匹いるの」
少女が空を指さした。俺も顔を上げる。空には白い雲が浮かんでいた。
「……あれ、雲だぞ」
「ふむふむ」
少女は真剣な顔でうなずく。
「お魚、死んじゃったのかな」
「なんでそうなるんだよ」
「だって、動かないの」
「雲だからな」
「ふむふむ。かわいそう」
会話がかみ合わない。何なんだ、この子は。俺は少女の前にしゃがんだ。
「お前、名前は?」
「名前?」
「ああ。何て呼べばいいんだ?」
少女は首を傾けた。しばらく考えてから、困った顔になる。
「なくなっちゃった」
「名前が?」
「うん。誰か食べちゃったのかな」
「名前は食えないだろ」
「おじさん、食べた?」
「食ってねえよ」
少女は安心したように笑った。どうも本当に記憶がないらしい。
「じゃあ、どこから来たんだ?」
「知らないの」
「家は?」
「知らないの」
「親は?」
「ふむふむ」
少女は少し考えた後、俺を見つめた。
「おじさん?」
「違う。俺は今会ったばっかりだろ」
「ふむふむ。じゃあ、いないの」
困ったな。名前も家も親も分からない。しかも奴隷の首輪までついている。俺は首輪をよく見た。黒い金属に、見たことのない文字が刻まれている。普通の奴隷の首輪とは違うようだ。
「その首輪、外せないのか?」
「だめなの」
「どうして?」
「首、ぽんってなるの」
「ぽん?」
少女は自分の首に手を当て、両手を大きく広げた。
「ぽん」
「……怖いことをかわいく言うなよ」
どうやら無理に外すと危険らしい。これは専門家に調べてもらった方がよさそうだ。俺は少女の足を見た。傷だらけで、血が固まっている。
「歩けるか?」
「うん」
少女は立ち上がろうとした。しかし、すぐに体が傾く。
「おっと!」
俺は慌てて抱きとめた。ずいぶん軽い。ろくに食事を与えられていなかったのかもしれない。
「無理すんな。足が痛いんだろ?」
「うん。あんよ、いたいの」
「だったら最初から言えよ」
「言ったら、捨てられるの」
少女は当たり前のことを話すように言った。俺は言葉に詰まった。この子は、痛いと言ったら捨てられるような場所にいたのか。
「誰がそんなこと言ったんだ?」
「知らないの」
「そうか……」
記憶がないのに、そんなことは覚えているらしい。俺は小さく息を吐いた。
「分かった。俺の屋敷に来い。飯くらい食わせてやる」
「おじさんのおうち?」
「ああ。ここよりはずっとましだぞ」
「ピルネ、持って帰るの?」
「持って帰るって言うな。お前は荷物じゃないだろ」
「ふむふむ」
少女はうなずいた。そこで俺は、あることに気づいた。
「今、ピルネって言ったか?」
「うん?」
「それ、お前の名前か?」
少女は首を傾けた。
「ピルネ?」
「ああ」
「……分かんないの」
「自分で言ったんだぞ?」
「ふむふむ。じゃあ、ピルネなの」
よく分からんが、名前を思い出したのだろうか。本人も分かっていないようだし、深く考えるのはやめておこう。
「よし。じゃあ、ピルネ。俺はベクノだ」
「ベクノ?」
「ああ」
「ふむふむ。ベクノおじさん」
「おじさんは余計だ」
「ベクノおじさん」
「聞いてねえな、こいつ」
ピルネは楽しそうに笑った。
◇
俺がピルネを抱き上げようとしたときだった。水路の向こうから、何人かの足音が聞こえてきた。黒い鎧を着た騎士たちが、こちらへ歩いてくる。その胸には、白い塔の紋章があった。俺は思わず目を見開いた。
白塔機関。
ゲームの後半に登場する、世界を裏から支配している組織だ。各国の王族や教会まで操っている、恐ろしい連中である。
そんな組織の兵士が、どうして俺の領地にいるんだ?
しかも、まだゲームが始まる3年も前だぞ。
「発見したぞ」
騎士の1人がピルネを指さした。少女の体がびくりと震える。
「おじさん」
「何だ?」
「黒い人、来た」
「ああ、見えてるよ」
「ピルネ、死んじゃう?」
ピルネが俺の服をつかんだ。小さな手が震えている。俺は少女を背中に隠した。騎士たちが近づいてくる。
「その少女を引き渡していただきたい」
「何者だ、お前たちは」
「我々は危険な病にかかった少女を保護している。その少女は我々の管理下から逃げ出したのだ」
危険な病気ねえ。白塔機関がどんな組織か、俺はゲームでよく知っている。そんな話を信じるわけがない。
「病気なら、まず医者に診せるべきだろ」
「その必要はない。我々が連れ帰る」
「正式な命令書はあるのか?」
「何?」
「俺の領地で人間を連れ去るんだ。命令書くらいあるだろ」
騎士は顔をしかめた。
「貴様、我々が何者か理解しているのか?」
「さあな。少なくとも、礼儀は知らないようだが」
騎士が剣の柄に手をかけた。おいおい。いきなり脅しかよ。しかし、俺にも使えるものがある。それは悪役貴族としての権力だ。
「俺はベクノ・テルハム。この領地を治める辺境伯だ」
俺の名前を聞いた騎士たちは、慌てて顔を見合わせた。
「テルハム辺境伯……?」
「ああ。俺の領地で勝手なまねをするな」
騎士たちは互いに顔を見合わせた。しかし、先頭の男は引き下がらなかった。
「辺境伯であろうと、その少女を引き渡していただく」
「断る」
「命令に背くおつもりか?」
「命令書もないのに、何の命令だよ」
俺はピルネを抱き寄せた。少女は俺の服を強く握っている。
「帰るぞ、ピルネ」
「ふむふむ」
俺が歩き出そうとすると、騎士の1人が手を伸ばした。
「待て!」
男の手がピルネの腕に向かう。俺はとっさにその手を払いのけた。すると騎士が剣を抜いた。
「貴様!」
「おい、やめろ!」
俺はピルネをかばった。剣が左腕をかすめる。
「ぐっ!」
鋭い痛みが走った。袖が裂け、血が流れ出す。
くそっ、痛え! 43歳のおっさんに剣を向けるなよ!
俺は傷を押さえながら、騎士をにらんだ。
「領主に斬りかかったな。これは立派な犯罪だぞ」
「そ、それは……」
「おい! 誰かいるか! 衛兵を呼んでくれ!」
俺は近くの通りに向かって叫んだ。声を聞いた町の住民たちが、こちらを見る。騎士たちが慌て始めた。
「隊長、まずいです。騒ぎになります」
「分かっている!」
先頭の騎士は、俺をにらみつけた。
「この件は必ず報告する」
「好きにしろ。こっちも報告させてもらうからな」
白塔機関は裏で動く組織だ。騎士たちも、衛兵や領民に顔を見られるのは避けたいのだろう。男は舌打ちすると、仲間を連れて去っていった。俺は騎士たちの背中を見送り、ようやく息を吐いた。何とか追い払えたか。だが、まずいことになった。白塔機関に逆らってしまった。原作では、俺が協力していた相手だ。しかもゲームの後半では、勇者ですら苦戦する組織である。
俺、処刑を避けるために悪事をやめたはずなんだけどな。どうして転生して3日目で、もっと危険な連中を敵に回してるんだ?
◇
「おじさん」
服を引っ張られた。見ると、ピルネが俺の腕をじっと見つめている。
「赤いの、出てる」
「ああ。ちょっと切ったな」
「おじさん、死んじゃう?」
「死なねえよ。これくらい」
痛いのは確かだが、傷はそこまで深くない。あとで医者に診てもらえば大丈夫だろう。ピルネは俺の腕に手を伸ばした。しかし、血に触れる前に手を止める。
「ピルネが悪いの?」
「ん?」
「ピルネがいたから、おじさん、赤くなったの」
「お前のせいじゃない。あいつらが悪いんだ」
「でも、ピルネがいなかったら、おじさん、痛くなかったの」
少女はうつむいた。さっきまで空の魚について話していた子とは思えない顔だった。俺は無事な方の手で、ピルネの頭をなでた。
「気にすんな。俺が勝手に助けたんだよ」
「勝手に?」
「ああ。お前が困ってたから、助けたかったんだ」
「ふむふむ」
ピルネは少し考えてから、俺の胸に顔を寄せた。
「おい、どうした?」
「とく、とく」
「何だ?」
「心臓、動いてる」
「そりゃ動いてるよ。生きてるんだから」
少女は耳を当てたまま、じっとしている。しばらくして、小さく笑った。
「よかった」
「何が?」
「ベクノおじさん、生きてるの」
そんなことを言われると、何だか照れくさいな。俺はピルネを抱き上げた。
「ほら、帰るぞ。腹も減ってるだろ」
「うん」
「何か食いたいものはあるか?」
「お魚」
「さっき空にいたやつか?」
「うん。3匹」
「雲は食えねえって」
「ふむふむ。残念なの」
まったく、変な子だ。でも、少し元気になったみたいでよかった。
◇
屋敷に帰ると、モルダとドゥガンが出迎えてくれた。2人は俺の腕を見るなり、驚いた顔になった。
「旦那様! そのお怪我は!」
「ちょっと剣で切られた」
「ちょっとではございません! すぐに治療の手配をいたします!」
モルダは使用人に指示を出すと、俺の腕を確認した。その隣でドゥガンが口ひげを撫でている。
「ほう。旦那様が自ら傷を負われるとは……」
「何だよ」
「それほど重要な少女を手に入れられたのですな」
「違う違う。道で拾ったんだよ」
「ほっほっほ。わしには分かっておりますとも」
「絶対分かってないだろ」
ドゥガンは満足そうに笑っている。もう説明するのも面倒だ。モルダは俺の腕に清潔な布を巻くと、ピルネへ視線を向けた。
「旦那様。こちらの少女は?」
「ピルネだ。しばらく屋敷で面倒を見る」
「奴隷のようですが、お仕事を与えるのでしょうか?」
「働かせねえよ。まだ子供だろ」
「では、どのようなお立場で?」
「客だよ、客」
モルダが目を丸くした。
「奴隷を、お客様として迎えるのでございますか?」
「悪いか?」
「いえ、旦那様のご命令であれば」
「とりあえず、飯と風呂を用意してやってくれ。服も新しいものを頼む」
「かしこまりました」
モルダはうなずいた。それからピルネの前にしゃがむ。
「ピルネさん。わたくしは侍女長のモルダと申します。よろしくお願いいたします」
「ふむふむ」
ピルネはモルダの顔を見つめた。
「お姉さん、髪、痛くないの?」
「髪、でございますか?」
「ぎゅってなってるの。頭、ぽんってならない?」
「なりません」
「ふむふむ。丈夫なの」
モルダは困った顔をした。俺は思わず笑ってしまった。この子と暮らすのは、なかなか大変そうだな。そんなことを考えていると、ピルネが俺の服を引っ張った。
「おじさん」
「ん?」
「ピルネ、ここにいていいの?」
「ああ。しばらくここで暮らせばいい」
「ここ、おじさんのおうち?」
「そうだぞ」
「じゃあ、ピルネのおうち?」
俺は少し考えた。記憶もなく、帰る場所も分からない少女だ。どうせ部屋は余っている。飯を食う人間が1人増えたところで、困ることもないだろう。
「ああ。お前の家だと思っていいぞ」
ピルネは黙った。水色の目を大きく開いて、俺を見上げている。
「どうした?」
「ピルネ、おうち、初めてなの」
「……そうか」
「ここ、寒くない?」
「ああ。暖炉もあるぞ」
「ご飯、食べていい?」
「好きなだけ食え」
「おじさん、怒らない?」
「何で怒るんだよ」
ピルネは俺の服を両手で握った。それから、にっこり笑った。
「ふむふむ。ピルネ、おうち、好きなの」
俺は少女の頭をなでた。
「そりゃよかった」
まあ、少し予定とは違ったが、悪くない。せっかく貴族に転生したんだ。屋敷も広いし、金もある。困っている子供1人くらい、面倒を見てやってもいいだろう。
そう考えていた俺は、まだ知らなかった。この少女を拾ったことで、俺の運命が大きく変わってしまうことを。
◇
そのころ、白塔機関の回収部隊は、総裁オルゼドへ報告を送っていた。黒い服を着た男が、部下から受け取った報告書に目を通す。深い緑色の髪を後ろになでつけた、51歳の男だった。その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「零号を発見したのか」
「はい。しかし、現地の辺境伯が回収を妨害しました」
「辺境伯?」
「ベクノ・テルハムでございます」
オルゼドは報告書から目を上げた。
「テルハム辺境伯か。あの男は余に協力していたはずだが」
「理由は不明です。現在、零号は辺境伯の屋敷にいると思われます」
「そうか」
オルゼドは静かに報告書を閉じた。
「余の兵器を奪ったのなら、相応の罰を与えねばならぬ」
「いかがいたしましょう?」
男は微笑んだまま、短く命じた。
「辺境伯を殺せ。零号は必ず取り戻すのだ」




