12.ぼーぼー
「あげうぅ!」
アネットは、精霊に向けて『魔力をあげる』という思いを込めて叫んだ。
あまりに大きく甲高い声に、遠くで鳥が飛び立った。
本当は声に出さず念じるだけで良いのだが、三歳のアネットには念じるだけというのはピンと来ない。
大きな声で呼べば、それだけ遠くにいる精霊さんも気づいてくれるだろうとアネットは思った。
そして、そんなアネットの気持ちは、それだけ大きな念となって届いたようだ。
アネットの叫びから瞬きの間にリーリアとアネットの周囲は赤く光る小さなものたちに取り囲まれていた。
「っ!」
突如現れた無数の光に驚くアネット。
アネットは小さな精霊を見たことがなかった。
驚き、動転したアネットは手に溜めていた魔力をぶちまけ、バタバタと手足を動かしてリーリアの元へと急いだ。
そのままリーリアの足に体当たりするようにしがみつく。
周囲の赤いものたちは、現れたその瞬間からアネットの手、その手に溜められた魔力へと向かってきたからだ。
アネットは混乱していた。
精霊と聞いて想像していたのとは違うものが現れたからだ。
アネットは、リーリアと契約する精霊たちとは何度も会ったことがあった。
彼らはみな大きな個体で、そのすべてが大人の人型かアネットよりも年上の子ども、おにいさんおねえさんの姿をしていた。
今回呼ぶ火の精霊だって、彼らと同じような姿の者が現れると思っていたのだ。
しかし、今目の前に姿を現した彼らは、リーリアの精霊とは全く違う。
ぼんやりとした輪郭。
ゆらめく赤い炎のような、火の玉のような小さな者共がわらわらと集ってきている。
アネットは知らなかったが、精霊は誰かと契約を交わすと成獣と呼ばれる姿となり、その体は大きく成長する。
名を得て個性を得た彼らは目に見えた個体差もあり、一人一人が意志の元に行動することができた。
比べて、誰とも契約していない小さな精霊たちは幼生体と呼ばれ、自然現象が形を持ったような曖昧な存在だ。
師匠リーリアの足にしがみつきこわごわと幼生体の精霊たちのいる場所を見るアネットに、リーリアが声をかけた。
「見てごらん、食べてる」
リーリアが声を潜めて言うものだから、アネットもそろっと覗き見るつもりで精霊たちの動きを目で追った。
アネットたちの周囲に浮遊し集ってきていたたくさんの幼生体は、今はアネットがばら撒いたことで空中に散乱した魔力に夢中なようだ。
宙に浮かぶたくさんの精霊たちは球に近い体を持ち、赤く光る靄のようなもので覆われている。
現れた瞬間はふよふよと漂いつぶらな瞳を見せていた彼らは、今はその目元をキッと釣り目がちにして必死で魔力を求めてせわしなく飛び回っていた。
まるで火の玉が飛んでいるようだとアネットは思った。
「火の精霊は獅子みたいな姿をしてるね」
師匠リーリアがそう言った。
魔法使いの初心者向けの教本にあった一節を思い出し、アネットに教えてあげたのだ。
精霊たちはその性質に応じた膜をその身に纏っている。
火の精霊であれば、薄い赤の膜が球体を包んでおり、それが大きく揺らぐものだからまるで獅子のたてがみのように見える。
しかし。
「ちあうよ! かっこいいぼーぼーのかたちらよ!」
アネットの猛抗議にあった。
リーリアはキョトンとする。
気のせいか、火の精霊たちも動きを止めてアネットを見ている気がする。
先ほどまで声を潜め、精霊たちに怯えた様子だったアネットが一転して声を張り上げたのに驚いたリーリアは少しの間動きを止めた。
それから、問いかける。
「ぼーぼー?」
「そう!」
リーリアの問いに自信満々なアネットに、リーリアは少し考えそして思い至った。
「炎みたいってことかな?」
「ほのお?」
「炎。火の大きいやつだよ」
「それ!」
リーリアはアネットの答えに「なるほどなるほど」と笑顔で返した。
アネットが見たこともない異国の獣よりも、普段の食事の準備などでも目にする火や炎のほうがアネットには分かりやすいだろう。
教本にあった獅子という表現はそこから一歩踏み込み、崇高な精霊の存在を勇ましい獣の王に例えていたわけだが、小さなアネットにはそれよりももっと直接的な表現のほうがわかりやすいのだと気が付いた。
そして、リーリアは気づく。
「あら? あらら?」
リーリアとアネット、二人の周囲には夥しい量の火の精霊たちが集まり、迫って来ていた。