表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
31/42

【セラフィスの悲劇】

<登場人物等>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇ユーレック・カルセドニー中将……特殊能力部隊隊長

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長

〇ロカ・リトゥプス中尉……凰の新しい副官。ジュレイス・リトゥプスの孫

〇セネシオ大将……太陽系近郊宙域統括軍副長官


(コウ)・グリーゼ……凰の元副官

〇アサギ……元第一宙空艇部隊のパイロット


〇ネリネ・エルーシャ・クラスト……元カフェ・セラフィーナのウェイトレス。Dr.クラストの末裔

〇ビローサ・ルビア……セラフィスの参謀。ネリネの幼馴染みでもある女性。


〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者

〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者

〇オーナー……ツカイを使役する者


〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇

〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機

〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇

         ◇


 ガニメデ砲の第三射が放たれた。


 すでに太陽系近衛艦隊とセラフィス艦隊は全艦艇が混戦状態にあり、近衛艦隊だけを狙う事は不可能となっている。

 標的となった近衛艦隊の艦艇は、迎撃を止めて艦全体をバリアで守りながら、急ぎダイモスのシールドを目指す。凰に忠告されていたとは言え、まさか本当にセラフィス艦隊ごと撃って来るとは思わなかった。火星軍港での自爆といい爆雷艇の特攻といい、果てには艦艇での火星地表への落下。……どこまで味方の命を無下にするのか。



「ははは! 近衛ども、攻撃を止めて逃げて行くぞ」


 ガニメデ砲の発射を知る事の出来ないセラフィス艦隊の兵士たちが、口々に言う。だが、次の瞬間、逃げて行った(・・・・・・)近衛艦隊と交戦していたセラフィスの艦艇が、憐れにもガニメデ砲に飲み込まれていく。

 ダイモスのシールドに偶然守られたセラフィスの兵士たちは、目の前で僚艦が消滅する様を見て精神が崩壊寸前となった。セラフィスではないクラスト信仰者たちのような捨て駒(・・・)と違って、自分たちはネリネに──クラスト様にとって、極めて重要な人間であると信じていたのに、と。 

 頭を抱えてうずくまる者、意味不明な言葉を叫びながら持ち場を離れて行く者──。もはや、セラフィス艦隊はまともに戦える状態ではなくなっていた。


「どういうことなの!? 何故ガニメデは我が艦隊を攻撃したの!?」


 安全な場所(・・・・・)で艦隊戦を見ていたネリネが、指揮官席の肘掛けを握りしめて振り返り、参謀として後ろに控えていたビローサに問うた。

「わかりません──あの男とは、今、連絡が取れません故」

 ビローサはあくまで淡々と答える。

 事実、ガニメデとの連絡手段がないのだ。それでもビローサが冷静なのは、そもそも、あの男を信用していなかったからである。こうなるのではないかと、予想もしていた。だが、それをネリネに進言する事もしなかった。まるで、ネリネの才を値踏みするように。

「ガニメデが撃って来るのであれば、セラフィーナ(この艦)は動けません。いかがなさいますか?」

 ビローサは「動けない」と言いつつも、ネリネに行動の是非を尋ねる。ここで『動く』と言っても悪策。『動かない』と言っても愚策なのだ。ましてや、『逃げる』などとは。

「……ガニメデ砲が枯渇するまで、待機するわ。各艦艇には、近衛艦隊と同じ動きをするように伝えて」

「承知しました」

 ネリネの言葉に、ビローサは僅かに感心した。近衛艦隊はガニメデ砲に対しての策を持っている。それくらいは見て取れたのかと。そして、自艦がガニメデ砲の対策が出来ないのも自覚している。戦略はビローサが全面的に任されているが、ネリネもただのお飾りではないようだ。

 それでも、彼女に指揮を任せていたら、正面から当たるだけで、とっくに敗北していただろう。(さき)の戦争でも、近衛艦隊総隊長である凰の前副官、(コウ)・グリーゼをモグリにして近衛艦隊に大打撃を与えた作戦の立案も、殉職した後方支援部隊の元副隊長、ディル・エルブの幼馴染みに入れ知恵をしてリーシアを襲わせたのも、ビローサによるものだった。

 姉と妹のように育ったため、ネリネはビローサの言う事を未だに素直に聞く。クラストの直系の子孫である自分の方が、ビローサ()より立場が上だと思っている今も、それは変わらない。ビローサにとっては、都合がいい事であった。

 これが、才能もないのに口を出すような者であるなら、負けるための戦を強いるだけになっただろう。彼女の父も、あの男の指示に従ったおかげで、地球を手に入れる寸前まで戦えた。王になろうとしている者が、自ら戦略も立てず。

 これを是とするのか否とするのかはそれぞれであろうが、才のある臣下を従える事も、また才であるのだから。


         ◇


 ガニメデ砲の4発目は、すぐには撃たれなかった。

 すぐに撃ってくれた方がよかったと思う者もいたかもしれない。1秒が長く……長く感じられるほどに神経を尖らせている時間は、兵士たちを疲弊させた。

 ろくに訓練も受けていないセラフィスの兵士の中には、気が触れて喚きながら自害する者までいたくらいだ。

 近衛艦隊の隊員にはそのような者はいなかったが、緊張でノドは乾き、身体には嫌な汗が滲む。艦内は異様な静寂に包まれ、息を殺してアラートを待っていた。待っていたと言うのは、間違いか。出来れば、鳴らないで欲しいのだ。だが、そんな事はあるはずもない。

 ただ、戦闘中であるには変わらなかった。恐怖からか、セラフィスの艦隊は照準も定めずにひたすら主砲を撃ち続ける艦もある。

 近衛艦隊はそんなセラフィスの有様を見ながらも、着実に迎撃を行っていた。攻撃を止めている艦を撃つ事はしないが、この時点でセラフィスの艦隊はすでに半数近くに減っている。対して近衛艦隊は、ガニメデ砲に葬られた艦艇以外は小・中破艦がそれなりの数あるだけだ。誰が見ても、もはや勝敗は明らかである。それでもセラフィスの総旗艦は動かず、停戦する気配もない。


「各艦、戦闘を止め、ダイモスのシールド内に移動せよ」


 セラフィス艦隊が(まば)らになってきたのを見計らい、凰は立ち上がって陣形を取り直す。今なら移動中でもセラフィスの攻撃をまともに浴びる事もなさそうだ。近衛艦隊の艦艇群は、ダイモスの狭角シールドの範囲に合わせて、ガニメデから見て斜めに、細長い梯形陣を形成する。これでもう、近衛艦隊はガニメデ砲の被害を受けない。

 セラフィス艦隊も自分の指示に従ってくれれば──と、あり得ない事が凰の頭を過ぎったとき、ようやくガニメデ砲にエネルギーが充填され始めたと、火星のメイン・コンピュータを通して螢からの伝達が入った。

 螢からの伝達は、当然〝狭角〟固定だ。



「近衛艦隊が梯形陣を取ったぞ! 倣え、倣えーーっ!」


 セラフィス艦隊は、ネリネの指示通り(・・・・・・・・)に近衛艦隊と同じ行動を取った。だが、ダイモスのシールドの範囲がわからない彼らは、近衛艦隊の主砲を警戒し、離れたところで梯形陣を取る。そこには、シールドはないというのに。



 凰は、セラフィス艦隊の行動を見て、形の良い眉をひそめる。ガニメデ砲の対策をしている近衛艦隊と同じ動きをしろと、指令があったのだろう。だが、それでは意味がないのだ。

 ガニメデ砲がどこを狙うのか……考えたくはないが、おそらく──。


「ガニメデ砲、発射!」


 螢の声と共に、モニターの上を四度目(よたびめ)のガニメデ砲の赤い矢印が走った。

 凰は青虎目石さながらの瞳に苦悶の色を浮かべ、腕を組んでガニメデ砲の行く末を睨むように見つめる。


 ガニメデ砲は、セラフィス艦隊の梯形陣を、まるで歓迎された通り道でもあるかのように、真っ直ぐに突き抜けていく。

 陣を組んだ艦艇数、およそ200隻。残存していたセラフィス艦隊の約7割がガニメデ砲によって消滅した。セラフィスの兵士たちは、何が起こったのか知る事もなく、宇宙の闇と同化したのだ。


 僅か数秒で、セラフィス艦隊の梯形陣はなくなった。先ほどまで自分たちで撃沈してきた敵艦隊とはいえ、湧き上がる怒りは禁じ得ない。

「総隊長……セラフィス陣営では、何が起こっているのでしょうか……?」

 業務以外の事を滅多に口にしないロカが、瞳に怒りを宿している凰に、恐る恐る声をかける。沈黙が──黙っている事の方が怖かったのだ。

「そもそも、味方でない者がいたのかもしれんな」

 凰の返答は、事実である。腎臓のニグラインは、やはりセラフィスの後ろ盾を演じていただけで、真の意味で味方になったわけではなかったのだろう。事実を伝える事は出来ないが、誠実な副官に嘘も吐きたくはなかった。

「こちらのやることは変わらない。リトゥプス中尉。作戦通り、本来の職務ではないが、貴官にも出撃()てもらうぞ」

「は……はい!」

 第二作戦で、ロカには副官としてではない任務が課せられている。初陣のロカには酷かと思ったが、これ以上の適任者はいない。作戦を考えたのは凰だが、出来ればやらせたくないと思う。しかし、作戦を成功させるためには、彼女の力が必要であった。

「すまないな」

「いえ! 尽力致します!」

 凰の気遣いに、ロカは祖父である統括軍長官に負けないくらい完璧な敬礼で応える。

 ガニメデ砲が撃ち尽くされてからが本番なのだ。ネリネ・エルーシャ・クラストを生きたまま捕らえなくてはならない。

 本番はこれからではあるが、まだガニメデ砲は1発残っている。それがどこを狙うのか──凰やニグラインだけではなく、全ての近衛艦隊の隊員たちにも予想がつく。

「虐殺が正義だとでも思っているのか……」

 誰かが、そう呟いた。



 一方、陣を取るのに間に合わなかった(・・・・・・・・)セラフィス艦艇の中では、兵士たちが同胞の惨事に、皆、戦慄(わなな)いている。しかし、このままこの宙域で留まっているわけにはいかない。彼らに残された選択肢は、ふたつ。


 ひとつは、近衛艦隊に投降し、ガニメデ砲から逃れる事。

 もうひとつは、総旗艦、宙空母セラフィーナの元へと赴き、最後まで戦う事。


 エネルギーさえあれば、どこか遠くの恒星系へ逃れるという選択肢もあっただろうが、彼らにはもうそんなエネルギーは残されていない。エウロパからエネルギーが送られてこないのは、総旗艦とその護衛艦隊だけにエネルギーを使うつもりに違いない。

 窮地に立たされている残存艦の中に、将官が乗っている戦艦が1隻だけあった。その将官──クゼリ大将は、ならば、と、残り少ないセラフィスの艦艇に指示を出し、クラストへの忠誠心で宙空母セラフィーナへと舵を切る。

 次のガニメデ砲が撃たれる前に間に合うだろうかと思いつつ、ワープ態勢に入ろうとしたその時、数隻の艦艇が近衛艦隊の方へと向かうのが見えた。


「この、腰抜けの裏切り者めぇ!」


 クゼリは白く剛毛な眉を吊り上げて叫ぶと、ワープを止めて、近衛艦隊に投降しようとする艦艇へと主砲を向けさせる。

「閣下! いけません! あれは味方です!!」

 クゼリの副官が諫めるが、聞き入れるはずもない。

「うるさい! 貴様も裏切り者か!」

 クゼリはそう言うと、あろう事か副官の頭をレーザー銃で撃ち抜いた。クゼリの乱行に、艦橋の兵士たちは目を背け、自分の責務に集中する。手は震え、額から汗が落ちても拭う事すら出来ずに。

「撃てーーっ!!」

 クゼリの号令に、砲撃手は震える手を押さえながら、汗で濡れた主砲の発射ボタンを押した。

 最初の標的が、クゼリ艦隊直属の駆逐艦だったのは、皮肉でしかないだろう。駆逐艦はバリアを張っていたとはいえ、後方から戦艦のバリア中和砲と主砲を撃たれては、為す術もない。艦の中枢まで破壊された挙げ句、爆散して塵となったのである。



 その後も、投降しようとするセラフィスの艦艇は次々と同胞に撃沈され、遂には1隻も残らなかった。

 凰もニグラインも、救出に行かれるならば即座に動いただろう。だが、ダイモスのシールドの移動速度は、艦艇のそれに及ばない。故に、動けなかった。動いた事で、シールドから外れる艦を出さないために。


「ガニメデ、高エネルギー反応あり」


 五度目(ごたびめ)の螢からの伝達は、落ち着いたものだった。味方には絶対に当たらない衛星砲など、恐れる事はないからだ。

 それでも、最後の1発──40パーセント程度の出力しかない第五射が狙う先が、敵であっても手を差し伸べられない実情は、螢の心を痛めた。

「どうして……止まらないのよ……!」

 止まらないガニメデに、螢がメイン・コンピュータのモニターを見ながら涙を流す。

「仕方がないわ。人の命をゴミよりも軽く扱っている連中ですもの」

 螢の肩にそっと手を置き、リーシアが悔しさを滲ませた口調で述べる。ガニメデ砲を撃っているのが誰かを知りながら、親友の螢にすら教えられないもどかしさもある。本当の事が言えない(・・・・・・・・・)のは、任務上慣れてはいるが、親友の涙は慣れるものではない。

「エネルギー充填、20パーセント。狭角固定」

 螢は涙を拭い、任務を全うすべく前を見る。モニターに映るのは、近衛艦隊に投降しようとした艦艇を全て轟沈させ、セラフィス総旗艦に向かう艦艇群がワープ軌道に入ったところだった。

「エネルギー充填、40.05パーセント。照準固定──セラフィス総旗艦、宙空母セラフィーナ及び護衛艦隊目前」

 ガニメデ砲が撃たれるのは、セラフィスのはぐれ艦隊がワープ軌道から出たときだろう。数分後に起こる悲劇から目を逸らさず、近衛艦隊の兵士たちはモニターを見つめていた。せめてもの手向(たむ)けとして。


         ◇


 宙空母セラフィーナの艦橋モニターに、空間の歪みが映される。はぐれ艦隊となっていた同胞が、ワープ軌道から出て来るところだ。

 ネリネとしては、数隻であっても味方が欲しいと思っている。もう一度艦隊を立て直して、近衛艦隊に一矢報いるために。否。数で負けたとしても、近衛艦隊の総旗艦・白号を落とせればいい。あの、人生の辛さも苦しさも知らないような、微笑みを絶やさない白い子どもと、近衛艦隊の総隊長を葬る事が出来れば、事実上の勝利だ。

 ネリネは同胞が合流するのを待った。近衛艦隊に投降しようとする裏切り者を沈めてきた、信頼出来る臣下たちを。彼らを合わせても、100隻に満たない艦艇数となってしまったが、少数精鋭が多数の敵に打ち勝った歴史はいくらでもある。

 ガニメデも、あれから撃って来ないという事は、もうエネルギーがないのだろう──と、ネリネは確信していた。


「残存艦、ワープ軌道から出ます」


 オペレーターの声に、ネリネの胸は高鳴った。彼女の脳裏には、少ない艦隊で近衛艦隊を撃退するビジョンしかない。そして、それを見た太陽系の民が、ネリネを王として認めると信じている。

 残った者たちに、領地を与えよう。活躍した艦艇の艦長には、爵位を与えよう。参謀のビローサには筆頭公爵としての地位と軍務司令長官の肩書きを与え、共に太陽系を統べようと、ネリネは頬を紅潮させて思う。

「残存艦、ワープ完了。こちらに向かって来ます」

「合流したら、すぐに陣形を整えるように伝えて頂戴!」

「は!」

 ビローサに任せず、ネリネは初めて自分の言葉で指揮を執った。セラフィス艦隊の兵士たちは、その凜とした声に陶酔し、士気が上がる。


「ネリネ様がお待ちだ! 各艦艇、最速で合流するぞ!!」

 ネリネの言葉を受けて、クゼリが意気揚々と叫んだ。自分たちは裏切り者を処罰して来た。この後また活躍すれば、きっと大きな報奨を貰える。爵位に領地。そして名声。

 クゼリは、ネリネが与えようとしているものを的確に捉え、実現しようとしていた。


 だが、無情にもガニメデ砲の第五射が発射され、合流する前の艦艇を全て消し去った──。


 ネリネは目の前で自軍の艦艇が消滅するのを見て、立ち上がる事すら出来ずに、艦橋にあるにしては無駄に豪奢な椅子に身体を沈める。

 何故だ? 何故、あの男は自分が王になるのを邪魔するのか。理解の出来ない現実を受け止める事が出来ず、華奢な身を震わせた。

「ネリネ様、艦隊戦の準備を」

 ビローサが、ネリネを慰めるでもなく冷静に話す。

 微塵にも動揺を見せないビローサに、ネリネは大きな不信感を持った。ビローサは、こうなる事を知っていたのではないか? あの男と裏で繋がっているのではないか──と。

「……ビローサ、下がりなさい。ここからは、私が自分で指揮を執ります」

 今まで戦略を全てビローサに任せていたネリネだが、不信感を抱いてしまっては、もう任せるわけにはいかない。

「ネリネ様、しかし──」

 ビローサは、戦術もわからないネリネに何が出来るのかと、口にはしなかったが含みを持たせて言う。

「下がりなさいと言ったでしょう! 私の命令が聞けないの?!」

 ビローサの含みを感じ取ったネリネは、席を蹴るように立ち上がって声を荒げた。艦橋にいる他の兵士たちは驚いて皆ネリネの方に振り向いたが、ネリネの怒りが向けられたらまずいと、直ぐさま視線を逸らす。

「……仰せの通りに」

 憤慨するネリネに、ビローサはこれ以上は何も言うまいと、頭を下げて謝罪し、艦橋を去った。出撃する前と同じように、口元を歪めて笑みながら。


         ◇


 ガニメデは沈黙した。

 ひとり、マイスター・コンピュータ・ルームで戦っていたニグラインは、深く息を吸ってからゆっくりと吐き出し、髪を結んでいたヘアゴムを外す。結ばれていた白金(プラチナ)の髪がやわらかく広がり、僅かに気持ちも緩んだ気がした。

 これで、最大の脅威はなくなった。数の上でも、艦艇の性能も、兵士たちの技量まで、比べものにならないほど優勢だ。だからといって、犠牲が出ないわけではない。ニグラインは、もう一度髪を結び、気を引き締め直す。

 その時、来訪を知らせる電子音がなり、聞き慣れた声が聞こえて来た。


「ユーレック・カルセドニー中将です。入室許可願います!」


 マイスター・コンピュータ・ルームの前で待っていたユーレックが、ガニメデが沈黙したのを艦内放送で聞き、入室の許可を求める。

 ニグラインは、急なユーレックの来訪に少し驚いたが、セキュリティロックを外し、認証なしでユーレックを迎えた。

「失礼致します!」

 室内に入ったユーレックは、真面目な顔をして敬礼する。当然の行動だったが、ニグラインは真面目すぎるユーレックの表情を見て、軽く吹き出した。

 先ほどまでの緊張は何だったのかと思うくらい、心が和む。


「ユーレックくん。もしかして、心配して来てくれた?」

「シンパイシテキテクレた・ぁ? シンパイシテキテクレた・ぁ?」


 いつもと変わらない穏やかな笑顔のニグラインが、ユーレックの思いを言葉で表し、オウムフィッシュのクラックがニグラインの言葉を繰り返す。

「……まあ、その……凰も心配していましたので」

 頬を指で掻きながら、若干気恥ずかしそうに言うユーレックに、ニグラインは(すさ)んでいた心が洗われるように感じた。そうだ、今の自分はひとりではないのだ──と。まだ〝友〟とは呼べないかも知れないが、敵が別れたニグラインだと知っていても、嫌悪せずに一緒に戦い、心配をしてくれる仲間がいる。

 彼らに余計な心配はかけたくない。ニグラインがそう思っても、こうして来てくれる……何と幸せな事か。

「ありがとう。お礼にお茶でもごちそうしたいところだけど、ゆっくりしてる時間はないから、またね」

 やわらかに微笑むニグラインの表情が、ユーレックの胸に棘が刺さったような痛みを覚えさせた。本当に辛い思いをしてきた者の中には、辛いときほど笑顔を絶やさない者もいる。

 ニグラインは、普段は太陽の慈愛に満ちた微笑みを浮かべているように思う。だが〝人〟としては、「笑顔でいるしかない」と思って笑顔でいるような甘い感情ではなく、苦しみや辛さを笑顔に置き換えて(・・・・・)しまっているのだろう。


「司令! あの! オレじゃあ、たいしたこと出来ないと思いますが、助けが必要なときは言ってください!」


 必死に訴えてくるユーレックに、ニグラインは大きな瞳を更に大きく見開く。


「惑星と衛星の引力断絶が出来る人が、たいしたこと出来ないって、過小評価し過ぎでしょ」


 〝助け〟が違う意味であるとはわかっていたが、ニグラインはそう言って心から笑った。もう、充分助けて貰っている。心配性の仲間たちが愛おしい。長い間生きて来て、初めての感情だった。

 ユーレックもニグラインの心情を読み取り、肩の力を抜く。凰にも伝えてやらないといけない。艦隊戦に集中しながらも、凰の方が自分よりニグラインを気にかけていた事はわかっている。ユーレック自身が、過去にそうやって気にかけて貰っていたのを思い出す。


「じゃあ、凰くんも心配してくれていることだし、艦橋に行こうか」


 ニグラインも負けずにユーレックの思いを感じ取り、司令官室長であるクラックに留守を任せ、ユーレックの手を取ってマイスター・コンピュータ・ルームを後にした。

 ユーレックはニグラインの小さな手に引かれて、共に走り出す。この手の温もりを守りたいと思いながら。


         ◇


 ニグラインとユーレックが艦橋に着いたとき、凰は艦橋の全面モニターに映し出されている、宙空母セラフィーナとその護衛艦隊を厳しい目つきで見据えていた。

 大きな戦闘は終わったが、これからが肝心なのだ。陣形を取り直し、次の作戦を遂行せねばならない。ガニメデのおかげとは言いたくないが、予想よりも早く艦隊戦は終結した。兵士たちの疲労も最低限で済み、交代もスムーズに行われた。

 凰が戦略のシミュレーションを頭の中で行おうと顎に手を当てたとき、指揮官席の後ろの扉が静かに開く。権限のある者しか開けられない扉だ。ここから入って来られるのは、司令官・総隊長・8大将官だけである。


「凰くん、お疲れさま!」


 そう言いながら、ニグラインは入室早々、凰の背に飛び乗った。久しぶりに乗ったが、ニグラインは背が伸びた分、楽に飛び乗れたと嬉しくなった。

「──レイテッド司令」

 凰は、背中に乗られているために表情は見えないが、苦しくなさそうな(・・・・・・・・)ニグラインの声に、緊張を解いて微かに笑む。通常なら敬礼をもって迎えるところだが、この状態では敬礼も出来ない。

 それよりも、艦橋の隊員たちが微笑ましそうに見ているのが些か気まずく、凰は緩んだ頬を隠すように咳払いをひとつする。

「司令、ダイモスで艦隊を守って頂き、誠に感謝いたします。──が、取り敢えず、皆が見ておりますので……」

 凰は遠回しに背中から降りて貰えるように伝える。

「司令。皆が見ていないところだったらいいそうですよ!」

 そこへ、ニグラインの後ろから着いて来ていたユーレックが、相変わらず口を滑らせて、愉快そうに笑って言った。

「ユーレック……っ!」

 凰の低めの声に怒気が混ざったのを聞き、ニグラインは慌てて凰の背から飛び降りる。

「悪いのはぼく! ユーレックくんを怒らないで」

 ニグラインがユーレックを庇うように立ち、手を合わせて凰にユーレックを許してくれと頼む。

 司令官にそんな事をされては、凰も引き下がるしかない。以前にも同じような場面があったと思い出すと同時に、ニグラインはユーレックに甘すぎるのではないかとも思う。

 それでも、戦争中はユーレックの能力(ちから)は絶大な戦力であり、万全の状態でいて貰わねばならないのだ。「頬が痛むから集中出来ない」などと言われては、困るというもの。

「……大丈夫です。艦橋で無駄な騒動は起こしません」

 溜め息交じりに怒りを治めた凰を見て、ユーレックは口を両手で押さえて笑うのを堪えた。それに気付いたニグラインが、背伸びをして手を伸ばし、ユーレックの顔を隠そうとするが、全く隠せていない。

「本当に、大丈夫です。むしろ、ひと息吐けました」

 長く緊迫状態だったため、凰にも疲れは出始めていた。他の隊員のように交代も出来ない。しかし、ニグラインとユーレックのおかげで、心の疲れは緩和されたようだ。

「私などより、司令の方がお疲れではありませんか? しばらくお休みになられてもよろしいかと」

 ダイモスを使って、ガニメデと攻防を繰り広げていたニグラインの方が、相当神経を使っていたはずだと、凰は心配する。普通の人間ならば、精神が持たないだろう。


「螢ちゃんが頑張ってくれたし、キミたちもいてくれるから、平気だよ!」


 ニグラインは、凰とユーレックを交互に見て、やわらかな陽光のように笑った。

 螢はすぐにマイフィットベッドに倒れ込んだと、リーシアから連絡があったそうだが。


「では、次の作戦に移らせていただきます」

 凰はそう言いながら、司令官席の椅子を引き、ニグラインに座るよう促した。

「ありがとう、凰くん」

 ニグラインは嬉しそうに好意を受け取り、腰を下ろす。

 そして凰は、指揮官席に立ち、姿勢を正して大きく息を吸い込んだ。


「凰だ。全隊員に告ぐ! 作戦、第二行動に移る。目標、敵総旗艦・宙空母セラフィーナ!」


 凰の深く低めの声が響き渡り、(こん)戦争の、最後の幕が上がる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 戦闘の大勢は決した感がありますね。 セラフィス艦隊内での混乱、クルゼ艦隊の動向やネリネの一人陶酔に陥る様なぞ決定的な敗北を前に混乱し、またこの段階でも勝利に縋る様なぞ人間模様に惹かれました…
[良い点] 敵方のニグライン、今回は相当に人格が異なるようですね。 ネリネが裸の王様と化していく……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ