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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
16/42

【光の差す先に】

<登場人物等>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


(コウ)・グリーゼ中尉……凰の副官

〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス

〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット

〇ディル・エルブ中佐……後方支援部隊副隊長

〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長


〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者

〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者

〇オーナー……ツカイを使役する者


〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇

〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機

〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇


※DL:ディビジョン・リーダー

         ◇


 月と地球、双方が別々の敵と戦った今回の戦争は、規模の大きな戦争であったにも関わらず戦闘開始から7時間弱という奇跡のような短い時間で終結した。

 最大の勝因はやはり敵小惑星型要塞に対して〝月〟で出撃した事であろう。通常の艦隊戦であれば時間も被害も何倍にもなっていたに違いない。ニグラインが肺を取り戻すという重大事項がなく、かつ非道を是とするならば、月主砲をもって小惑星型要塞を一蹴する事すら可能だったのだ。太陽系近衛艦隊・地球本部の被害も最小限であったと言える。


 ニグライン・凰・ユーレックが敵小惑星型要塞『赤針』からファルコンズ・アイで月に帰還したあと、肉体の限界を超えていた凰とユーレックはグランディス・コンピュータに生命異常を感知されて直ぐさま医療用カプセルに入れられたが、粒子化したニグラインだけは24時間ほど時間(とき)を遡り、何事もなかったかのように再生成して戻って来た。しかしそれは一般には知られてはならない太陽系の機密情報である。

 ニグラインは瀕死に近い状態のユーレックに全身の細胞修復、凰には心臓の再生治療を施したが、二人は暫く治療を続ける必要があったため、司令官室に医療用カプセルを設置して自分の管理下に置いた。他の隊員たちは各々医療措置を終え、回復した者は一週間後の新月に合わせての地球帰還までの間、娯楽施設も用意されている月でのんびりと過ごす事が出来たのである。

 月の地球への帰還は出撃時と違いユーレックの能力を使わず、最後の接触は自然の引力で繋がる方が衝撃が少ないと計算されており、凰たちが目を覚ますのを待たずに帰還する事となった。月はニグラインが、地球は螢が行った引力制御はごく僅かな狂いもなく見事な連携で実行され、月はまた地球の美しい衛星として愛でられる存在となり、防衛衛星として地球を見守っている。

 捕虜として収監された赤針の者たちは、ニグラインが肺のニグラインに約束した通り、友好星系に移住出来るように取り計らわれた。その際に彼らが生活を始められるだけの充分な資金を用意して、受け入れてくれた星系には多額の利益をもたらす貿易を提案し、それに伴って移住者にも仕事が行き渡り平穏に暮らせる環境も整えたのだ。

 そして月の帰還から更に10日後、ようやく凰とユーレックの治療が終わり起床する日となった。 


「クラック。カプセル開けるから、ちょっとどいてくれるかい?」

 凰とユーレックの医療用カプセルは、地球でも医務室ではなく司令官室であるマイスター・コンピュータ・ルームに置かれていた。司令官室長(チーフ・オフィサー)であるオウムフィッシュのクラックも、ニグラインと一緒に献身的に看病しているようであった。ただし、凰だけを。ニグラインが凰のカプセルの上に作られた寝床で休んでいたクラックにやさしく微笑みかけながら言うと、クラックは赤虎目石のような瞳をニグラインに向ける。

「ドイテクレルカい・ぃ? ドイテクレルカい・ぃ?」

「うん。開けるから」

 ニグラインがもう一度繰り返すと、クラックはニグラインの藍碧い瞳に映る自分を見て首をかしげた。

「アケる・ぅ? アケる・ぅ?」

「開けるよ」

「アケる・ぅ!」

 クラックは満面の笑みで答えたニグラインの肩にピチピチと飛んで乗り、長い金色の冠羽根を頬に擦り付けた。

「アサダよ・ぉ! アサダよ・ぉ!!」

 クラックは凰が自然に起きるのを待てずに、ゆっくりと開いていくカプセルの上をピチピチと飛び回りながら歓喜に近い声で叫ぶ。その声に反応してか凰の長い指が何かを求めるように左右すると、クラックがカプセルの中に入って指先をくちばしで噛んだ。

「……っ」

 痛みがあるのか、凰は形のいい眉を僅かにしかめると、もう片方の手でクラックのやわらかい冠羽根に触れる。

「凰くん」

 ニグラインが呼ぶと、長い間閉じられていた瞳は明るい光を静かに受け入れ色彩を取り戻していった。

「……レイテッド……司令──」

 凰はニグラインの藍碧い瞳に焦点が合わず、目を細める。17日ぶりに起き上がろうとした身体は思ったよりも軽かったが、うまくバランスが取れずによろめいた。クラックが助けようとして服の袖を両足で引っ張ったがあまり役には立たなかったようだ。

「大丈夫?」

 ニグラインの手を借りて身体を起こした凰は医療用カプセルにいる自分を認識すると、直ぐさま辺りを見渡した。

「ユーレックは──!」

 自分を救ってくれた僚友。否、自分だけではない。最終的にニグラインを──太陽系を守ったのは、紛れもなくユーレックだ。限界だったのは凰だけではなかった。能力を使い果たしたユーレックが無事なわけもない。ファルコンズ・アイで月へ帰投したところまでは覚えている。グランディス・コンピュータまで空間移動(リアルワープ)をしたところで、凰の記憶は途切れていた。

「ユーレックくんは、隣にいるよ」

 凰がニグラインが指差した方を見ると、隣のカプセルに血色の良いユーレックが寝ている姿が確認出来、安堵する。

「ユーレックくんを起こすのは、螢ちゃんが来てからね」

「クラーレット准将が来てから……ですか?」

 ユーレックと螢の気持ちが通じ合った事を知らない凰が疑問を投げかけたが、ニグラインは「来ればわかるよ」と理由は教えず、楽しそうな笑顔で答えた。

「それより、他の将官たちにはもう伝えてあるけどネリネちゃんの正体がわかったんだ」

 ニグラインは表情を改めると、後方支援部隊と諜報部隊による調査で判明した内乱の要因を話し始める。

「彼女の出身星は惑星マンデルリ──コーヒーで有名な惑星であることも、セラフィーナの豆もそこのものだったことも知ってるよね?そして、フルネームは『ネリネ・エルーシャ・クラスト』……ETSを考案したDr.(ドクター)クラストの末裔だった」

 4年前と今回。2回の内乱を起こしたのは、Eternal(エターナル) The() Sun(サン)──永遠の太陽を考案した偉大なる博士の子孫だったのだ。Dr.クラストは最期まで地球でETSの研究をしていたが、奥方がマンデルリの出身で、クラスト亡き後子どもと共に故郷に帰ったと伝えられていた。おそらくセラフィーナは彼女をETSの真の所有者として立ち上げられた組織であり、ETSが手中に収まった後は王国でも築こうとしているのやもしれない。

「ぼくのこと話したら諦めてくれるかもしれないけど……そうもいかないし、困るよね」

 ETSを考案した博士の子孫と、ETSを完成させた生物学者の子。そこだけ比べるとどちらにも所有権が同等にありそうだが、ETSにはニグラインの脳が組み込まれており、所有権を持っているどころか自分自身であるのだ。ニグラインがいなければETSは機能しないという事実を知れば「返せ」と言うような事はないだろうが、事実を話せない以上戦うしか道はない。

「昔はさ、戦争に何ヶ月も何年もかけて何千万人もの命が奪われたんだ。今は人口も少ないし、人と人が直接戦う機会も限られているから犠牲者の数も大幅に減ったけれど──」

 戦争は人類の自然淘汰だとでも言うように、戦争によって人口が減り続ける。だが今回の戦争が今までと違ったのは、民間人だけではなく艦隊の非戦闘員にも被害が出なかった事だ。それは月で近衛艦隊が出陣した時よりも民衆を驚かせた。ニグラインの作った徹底した防御システムが結果となって現れたのだが、それでも太陽系のために誰かの血が流されるのをニグラインは許容出来なかった。

「凰くんとユーレックくんにも、背負わせちゃってごめんなさい……」

 ETSとニグラインの関係を知ってしまったからには、今まで通りに『太陽系を守る』指命を遂行するにしても心持ちまで同じというわけにはいかない。必要不可欠であったとはいえ、その重責を二人に背負わせた事をニグラインは申し訳なく思っている。

「問題ありません。カルセドニー少将も、同意です」

 太陽系のためでも、軍人だからという理由でもない。〝ニグライン・レイテッド〟という人物を守りたいと、付いてゆくと凰もユーレックも心に決めたのだ。

「ありがとう。でも、だったらもう少しくだけて接して欲しいなぁ」

 凰の形式から外れない物言いにニグラインが大きなため息を吐いたとき、マイスター・コンピュータ・ルームの認証システムに螢が触れた。ランとリーシアも同行しているようだ。

「あ。螢ちゃんたちだ」

 ニグラインはドアを開け、三人を招き入れる。螢は息を切らしていたが、認証を弾く事はしなかった。

「リーシア・テラローザ少将、ラン・マーシュローズ准将、螢・クラーレット准将、入ります」

 代表でリーシアが入室の言葉を告げ、三人は胸に水平に右腕を当てて敬礼する。螢はあからさまに落ち着きがなく、起き上がっている凰を通り越してユーレックの眠るカプセルに視線を向けていた。

「いいよ。螢ちゃん、おいで」

 ニグラインに促され、螢は泣きそうな顔を隠しもせずに駆け寄って行く。だがカプセルに近づいたところでやっと凰に気付き、慌てて再度敬礼をした。

「失礼しました! 凰総隊長! ご無事で何よりです!!」

「……いや、長く休んでしまって申し訳なかった。三人とも、よくやってくれた。感謝する」

 凰は後ろに控えているリーシアとランにも視線を向け、労いの言葉をかける。凰が不在の間、月を任されていたラン。地球の窮地を救ったリーシアと螢。三人とも多くの部下を失いながらも、果敢に戦ったのだ。

「凰くん、螢ちゃんをユーレックくんのとこへ行かせてあげて」

 ニグラインに言われ、ようやく凰はユーレックの気持ちが螢に通じた事を理解した。どういう経緯であったのかは、後でじっくりと酒でも飲みながらユーレックに聞くとしよう──と、カプセルを開けて起き上がったユーレックに抱き付いた螢と、見た事がないほど幸せそうに笑うユーレックを見ながら思った。


「本当に、みんなご苦労さま。ありがとう!」

「アリガトう・ぅ? アリガトう・ぅ!」


 ニグラインとクラックから労いと礼を受け、凰たち五人は凄惨な戦いの傷が少しだけ癒やされた気がした。次の戦いが明日始まったとしてもおかしくないが、それでもひとときの安らぎがあれば生きていける。だが、ニグラインには安らげる時があるのだろうか──凰はそれを考えずにはいられなかった。


         ◇


 凰たちが目覚めて3日後。慰霊の式典が行われた。戦死した兵士の数だけ花が添えられた祭壇の後ろには、太陽系旗と太陽系近衛艦隊旗が半旗に掲げられている。隊員たちは葬礼用の黒い軍服を着ており、ニグラインも同様に黒衣に身を包んでいた。普段結んでいる髪をおろしているせいか、黒い軍服のせいか──彼特有の華やかさが弔意を表して失われているように見える。


「……ここに、勇敢な死を遂げた戦士の名をあげる」

 弔いの言葉を述べたニグラインは、戦死した全ての兵士の名前と二階級特進した階級を何も見ずに正確に呼び上げる。長い時間がかかったが、その間参列者は誰一人としてよそ見をする事もため息を漏らす事もなかった。


「──ディル・エルブ准将……以上3936名の名を刻んだ慰霊碑を建て、鎮魂を願う。敬礼!」


 最後に後方支援部隊副隊長であったエルブの名が呼ばれると、葬送曲(レクイエム)の演奏が音楽隊によって始められた。それに合わせリーシアが壇上に上がり、一番多くの隊員を失った部隊の隊長として弔歌を歌う。リーシアの美しい歌声は高い空へと流れ、吸い込まれていった──まるで死者の魂を天に送り届けるかのように。


 こうして、晶暦1129年に起きた戦争は幕を閉じた。小惑星型要塞『赤針』の襲撃及び、『カフェ・セラフィーナ』を拠点とした内乱における太陽系近衛艦隊の被害状況は、死者3936名。地球本部艦橋半壊。宙空戦における戦艦・駆逐艦・揚陸艦・巡洋艦被害なし。戦闘艇アキレウス、全損458艇、一部破損2153艇。

 内外の両面から襲撃を受け、かつ〝Eternal The Sun〟が誕生してからの戦争として大規模に分類されながら、最も被害が少なく、最も早い終結であった──。


       ◇ ◇


  第1章 エピローグ


 ニグライン・レイテッドを司令官とした、太陽系内外の緊迫した戦争から三ヶ月が経ち、太陽系はまた平穏な日々を繰り返していた。太陽系近衛艦隊も戦闘に出る事もなく、時の流れを静かに見守っている。

 そんな折、地球から見て月に並ぶように浮かぶ浮島のような広大な遊園地(テーマパーク)が本日記念すべきプレオープンを迎えた。地球から時空間トンネルが通され、無料のシャトルで園まで来る事が出来る。


「凰くん! 早く早く!」


 その遊園地の持ち主であり園長でもあるニグラインが、弾むように走りながら遊園地の入場ゲートを駆け抜ける。凰たちを『招待する』と言っていた遊園地。流石に8大将官全員を一度に休ませるわけにはいかないため、今日は凰・ユーレック・リーシア・ラン・螢の5人だけを招待していた。ニグラインは約束通り手作りした大量の弁当をスタッフに預け、先ずは遊び倒そうと凰を呼ぶ。

「……普通の子どもだな」

 凰はニグラインの咲き誇る笑顔につられて唇の端を緩め、呟く。ニグラインが〝普通〟であるはずもなく、〝11歳の少年〟という肉体的年齢と更に幼く見える外見はともかく、自分よりも遥かに長く生きているのだ。だが終戦から二週間以上も眠っていた凰は、未だにあれは全て夢だったのではないか──と、錯覚しそうであった。実は、ニグラインは本当に〝普通の少年〟なのではないか……と。

「ほらほら、お父さん。呼ばれてますよ」

 そこへ、完全に顔の緩み切ったユーレックが、おもしろそうに話し掛けてきた。

「おまえと違って、俺にはあんな大きな隠し子はいない」

 冗談になり損ねた真実とも受け取れる凰の返答に、ユーレックは気まずそうに緩んだ表情を引きつらせ、おそるおそる後方に振り返る。

「別に、今更あんたの過去の性癖に驚いたりしないわよ」

 ユーレックの後ろで、真っ白なソフトクリームを幸せそうに舐めながら、螢が言う。今浮気でもしたら容赦はしないだろうが、過去の事に対してとやかく言うほど彼女は甘えた子どもではない。

「え?ユーレックには、そんな大きな子どもがいるのか?」

 ランがそれは知らなかった……と、感心に近い驚きを見せた。

「養育費とか慰謝料とか、大変そうね」

 自質的な経済負担に対して、リーシアがさして興味なさそうに続ける。

「…………」

 誰にも「そんな事はないだろう」と擁護してもらえず、ユーレックは〝ある日突然現れた大きな子ども〟に「パパ」と呼ばれませんように──と、祈るしかなかった。


「凰くん! 風船もらったよ~!」

 〝11才〟にしては無邪気なニグラインが着ぐるみの配っていた風船をもらい、嬉しそうに駆け戻って来た。

「本当に、嬉しそうね」

 ニグラインの屈託のない笑顔が、沈んでいたリーシアの気持ちを微かに浮上させたのだろうか。大勢の部下を亡くした彼女は、三ヶ月経った今も喪服ではないが黒い衣服を身にまとい、喪に伏している。そのリーシアの表情がふとやわらいだのを、螢は見逃さなかった。ランや螢とて、完全に心から笑える様にはなっていない。自隊からツカイやモグリなどの逮捕者が出た上に、その者たちが多くの味方を殺害した事は明白なのだ。

「ユーレック、これあげる」

 螢は食べかけのソフトクリームをユーレックの顔面に押し付け、ランとリーシアの腕を掴み走り出した。

「あたしたちにも、風船くださ~い!」

 すれ違うニグラインに負けない笑顔で目を合わせて感謝の意を伝え、螢は風船配りの着ぐるみのもとへと二人の親友を連れて行く。

「お、おい! 私は風船なんか──」

「何色がお好きですか?」

 風船なんかいらない──と言おうとしたランは、着ぐるみに話しかけられ言葉を途切れさせた。明るく若々しい声が、中に入っている人物がまだ若い青年だと告げている。

「ア……アサギ色は、あるか?」

 ランが風船のカラーにはそぐわない色を所望すると、着ぐるみのキャストは困ったように大きな首を左右に動かす。

「すみません、青か緑ならあるのですが……」

 キャストが申し訳なさそうに答えると、ランは開きかけた口をきつく結び俯いた。

「ランちゃん、ど、どうしたの?」

 螢が心配してランの顔を覗き込む。俯いたランの頬から数滴の雫が流れ落ち、足元に小さな水の染みを作っていた。ランが泣いたところなど、見た事がない。リーシアと螢が顔を見合わせていると、着ぐるみのキャストが動揺しながらマスクを脱いだ。

「え、えぇと……そうだ! 俺、バルーンアートも得意なんですよ!」

 そして大きな手のグローブも取り、細長い風船を一気に膨らませる。その間ランたち三人は何も言葉を発する事が出来ずに、ただその青年を見つめていた。そしてあっという間に出来上がったバルーンアートは、両翼を広げた──まるでアキレウスのような白い飛行機。

「あ、すみません! 俺、飛行機好きで……女性なら、花とか動物がいいですよね?」

 青年はランたちの困惑したような表情にようやく気付くと、焦ったように再び別の色の風船を取り出す。

「いや……飛行機は、大好きだ!」

 ランは風船を膨らませようとしていた青年にそう言うと、雨上がりの抜けるような空を思わせる笑顔を見せた。

「よかった! じゃあ、これどうぞ!」

 青年はランに風船の白い飛行機を手渡し、小麦色の肌に白い歯を覗かせて笑う。いつか見たその笑顔に、ランはもう一度涙をひと粒こぼした。


「……凰、あれ──」

 ランたちの様子を見ていたユーレックは顔に押し付けられたソフトクリームを袖でぬぐいながら、おそらく同じ事を思っている僚友に声をかけ、ニグラインを同時に見やった。ユーレックと凰だけではない。螢とリーシアの視線も何か言いた気に揃ってニグラインに向けられている。

「レイテッド司令、説明を──」

「うん。でも外で『司令』って呼んだら、ダメだよ! ……あっ」

 ランたちを微笑ましく見ていたニグラインに凰は問いかけた。当然訊かれるだろう事にニグラインは返答を拒みはしなかったが、凰の言動を注意した拍子に風船を手放してしまった。その時、玉乗りをしていた一人のピエロが乗っていた玉で弾みを付けて風船に向かって飛び上がると、見事に風船をキャッチして再び玉に降り立ち、ニグラインに風船を届ける。

「はい、どうぞ」

「ありがとう。玉乗り、もう完璧だね」

 風船を受け取ったニグラインは、ピエロを褒め称えて微笑んだ。

「ありがとうございます。それより、風船放しちゃダメですよ!園長」

「気を付ける!」

 ニグラインとたわいもない会話をしていたピエロだが、凰の訝しげな表情に気付いて人懐こい笑顔で会釈する。懐かしさを覚えるその〝人懐こい笑顔〟に、凰の青虎目石さながらの瞳は戸惑いで揺れた。言葉を発する事がうまくいかない凰に代わり、ユーレックがニグラインに声をかけようとしたが、やはり出来なかった。ピエロが去った後、凰はランたちにも集まるよう合図を送り、ニグラインの言葉を待つ。


「──さっきのピエロは、間違いなく虹くん本人だよ。風船配りのキャストは、アサギくん」

 ニグラインは凰たちの「まさか」という気持ちを取り払う言葉を述べる。ニグラインが次の言葉を発する前に、どこからかオウムフィッシュがピチピチと飛んで来てニグラインの肩に停まった。辺りを見回すと、何羽ものオウムフィッシュが確認出来た。皆それぞれ鮮やかな色をしており、賑やかな遊園地に相応しい。

「ここはツカイやモグリ専用の流刑所なんだ。このオウムフィッシュたちも監視役として放たれている。支障が出るから世間に公表はしないけどね。脳内に監視・識別チップを埋め込み、営業時間内は記憶も消している。刑期が終わってもチップは抜かないから、再びオーナーに使われることはない」

 本人の意思ではなく重犯罪を犯した者たち。軽率な気持ちでツカイとなり、オーナーの非情さに後悔していた者。知らぬうちにモグリにされていた者──。例え本人に否がないとしても、罪に問わないわけにはいかない。だが、虹やアサギのように将来も有望で、真っ直ぐに生きていた者を厳罰に処するのも、また酷であろう。

「スタッフは受刑者と刑務官で成り立っている。今日はキミたちしかいないからメイクも薄いけど、ちゃんと誰だかわからないようにするから安心して。着ぐるみを脱ぐのは──まぁ、後で厳重注意だね」

 園長としてのニグラインが、アサギに目を向けひと睨みする。まったく迫力はないが、アサギは慌ててマスクを被り頭を下げた。

「受刑者は日々来園者を笑顔にするために働き、ここの収益は被害者や遺族のために使われる。園周辺には彼らの居住区域があるが、外部の者が足を踏み入れることは出来ない。でも、面会はぼくが許可すれば可能だよ」

 ツカイやモグリの処遇は、昨今大きく問題視されていた。その問題を、ニグラインはこの遊園地を作る事で解決したのだ。刑からは逃れられないが、意に反して犯罪を犯した者の人権と心を守るために。

「面会、する?」

 ニグラインの言葉は、リーシアに向けられた。後方支援部隊の多くの隊員がモグリであった虹とアサギ、そしてIT支援部隊から引き抜かれツカイとなった者たちの手にかかったのだ。言いたい事も、聞きたい事もあるだろう。

「……今日は、遠慮します」

 絞り出されたリーシアの声は、微かに震えているように聞こえる。天性の勘で虹には隠された何かがあるように感じていながら、何も出来なかった自分。『止められなかった』という自責の念は、ニグラインにも匹敵する。しかし──。

「こんな服じゃ、虹くんのエスコートは受けられませんわ。第一エスコートをして貰うなら、彼にはパレードの騎士にでも扮していただかないと」

 リーシアは周りの心配をよそに残念そうに言うと、ニグラインに希望を述べた。

「わかったよ。虹くんの容姿が活きる役を与えよう」

 ニグラインはリーシアの要望を聞き入れて、軽快に笑う。

「よろしくお願いしますね──螢、ラン、今日は女の子だけで遊びましょ」

 そう言って黒いベールの付いた帽子を投げ捨てたリーシアは、心配している螢とランに極上の笑顔を見せると、二人の手を取り男たちに振り向く事もなく楽しげな足取りでアトラクションへと向かって行った。

 

「ほ、螢~っ!」

 螢と遊園地デートだと浮かれていたユーレックは飛んできたリーシアの帽子を握りしめて叫んだが、螢が帰って来る事はなかった──。

「凰く~ん! ぼくらも行こうよぉ!」

 ニグラインは女の子たちに先を越されたと、風船をしっかりと握りしめて焦りがちに凰を手招く。

「今、行きます」

 単独で誘われた凰は螢に振られたユーレックに哀れみを称えた視線を向けると、堪えきれない笑いを口元に乗せた。

「あ! 笑ったな! おまえこそ──」

 ユーレックは、保護者の様にニグラインのもとへ向かう凰に「女連れてるわけじゃないだろう」と言おうとしたが、やめた。凰が誘えばいくらでもいい女が集まる。実行した事がないからこそ、女性たちが想いを募らせているのは周知の事実だ。何より、誰もが必要とし焦がれるETSの意思と、太陽系随一の才を併せ持つニグライン・レイテッドに伴にある事を望まれた凰が、それ以上の誰を求めるというのか。

「園長~! オレも混ぜてくださいよ~!!」

 ユーレックは凰だけが太陽の祝福を受けるのはずるいとニグラインに呼びかける。ユーレックとて、凰と同様にニグライン個人に必要とされた人類のひとりなのだから。


「生まれて来て、よかった」


 ニグラインは走ってくるユーレックに手を振りながら、嬉しそうに呟いた。

 全てが人のため、太陽系のためと〝人として〟生きた事のないニグラインだったが、そういったしがらみを忘れ、今だけは普通の人間として楽しんでいいような、そんな気がしたのだ。

「そうですね──」

 明るく空を照らす〝Eternal The Sun〟を仰ぎ、凰は心からの相づちを打つ。青虎目石さながらの瞳が穏やかな光に満たされ、漆黒の宇宙に一筋の光が走った様に見えた。



 【晶暦1129年】

 〝Eternal The Sun〟を観測する者の中には「人の心のような揺らめきを感じた」と言う者もいたという──。

『碧藍のプロミネンス』第1章がようやく完結致しました。

10年以上前に、誰に読んで貰うでもなく通勤中に箇条書きのように書いていた物語です。バラバラに保存されていたテキストをまとめて清書したものが、この第1章。続きはテキストでは存在していません。

頭の中ではずっと物語は進んでいるので、またゆっくり書いていかれたらいいなと思っています。

拙い文章をここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!

それでは、第2章でお会い出来る事を願って……。


X(@mau_kiriyu)/Bluesky(@maukiriyu.bsky.social)

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