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碧藍のプロミネンス  作者: 切由 まう
15/45

【終結】

<登場人物等>


〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官

〇ファル・ラリマール・(オオトリ)……太陽系近衛艦隊総隊長


[近衛艦隊8大将官]

〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長

〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長

〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長

〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長

〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長

〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長

(ホタル)・クラーレット准将……IT支援部隊隊長

〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長


(コウ)・グリーゼ中尉……凰の副官

〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長(チーフ・オフィサー)

〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官

〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス

〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット

〇ディル・エルブ中佐……後方支援部隊副隊長

〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長


〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者

〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者

〇オーナー……ツカイを使役する者


〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇

〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機

〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇


※DL:ディビジョン・リーダー

         ◇


 『赤針(レッドルチル)』の最下層は思った以上に明るく、まるで来訪者を歓迎しているかのように長い通路を抜けた突き当たりの扉までを灯していた。それまでの罠や襲撃はなかったものとすら思わせる。事実、歓迎しているのだろう。ただし、ニグラインの──オリジナルの中で唯一〝ETS〟を有する事が出来る肉体を。

 五臓から生成されたニグラインたちは、自分たちが散り散りに他の星に流された後に眼球からもニグラインが生成された事を知らない。五臓のうちの誰かが〝最初のニグライン〟になったと思っているに違いなかった。その臓器を取り込み生成し直せば、新たな〝太陽系を統べる者〟になれると信じているのかもしれない。

 眼球から生成されたニグラインが〝太陽の意思〟を持っている事も知らずに。


「司令……ひとつ、お訊きしてもよろしいですか?」

 目的の部屋まで数メートルのところで凰は立ち止まり、後ろにぴたりと付いて来ているニグラインに振り返った。

「うん?」

「あと、幾つの──」

 凰は最後まで言い切れずに口を結んだ。言うべきではなかったと後悔の表情を浮かべる。


『あと、幾つの臓器が残っているのか』


 自分から聞くべきではなかった。五臓と眼球が揃ったところで〝脳〟はETSの中にあり、残りの肉体を形成していたものは遥か昔に処分されている。もとよりニグラインが完全なオリジナルの肉体に戻る術はないのだ。

「脾臓と肝臓は、融合済みだよ」

 凰の途切れた問いに、ニグラインは戸惑う事なく答えた。聞かれなくともいつかは伝えようと思っていたのだろう。「全てを話す」と言ったのだから。

「脾臓は卑屈だった。『自分はいなくてもいいから融合してくれ』と言って来た。肝臓は強かった。ぼくに負けはしたけれど、最期に『自分を取り込み、もっと強くなれ』と言った」

 ニグラインは愛しい者の名を呟く様に言うと、脾臓と肝臓の位置する場所に手を当てる。それまで自分を形成してきた脾臓と肝臓は、彼らと共に消滅した──そういう哀悼の思いもあった。

「ごめんね……肝臓との争いに地球を巻き込んだ。あの時はまだ太陽系近衛艦隊もなくて大気圏外で防ぎ切れなかったから、地球人類にもずいぶんと犠牲を出してしまった──キミの、お母さんも……」


 よかったわ。ここで死んでくれれば、心配したり後悔したりしないで済むものね──


 凰の脳裏に、母から最後にかけられた言葉が鮮明に甦った。

 15年前。突如太陽系外からの襲撃により勃発した戦争は太陽系内の人類を相当数減らすに至った。それまでの系内戦争と違い、地球本土軍の中核を攻めるのではなく、存在している地球人類を民間人だろうが子どもだろうが関係なく消し去ろうとしていた。非情を卑怯と呼ぶのは簡単だが〝人類の入れ替え〟が目的ならばそうする以外ない。

 それが今ニグラインが言った〝肝臓のニグラインとの戦い〟ならば合点がいく。肝臓のニグラインにとっては自分を系外追放した地球人類など不要だったのだ。


「4年前の戦争は今回地球で暴れた連中の仕業だよ。凰くんたちのおかげで中枢は守られたけど──だからこそ、虹くんたちをモグリにして地球本部に送り込んで来たんだろうね」

 凰が最前線から指示を出し敵の侵略を食い止めたものの、太陽系近郊宙域統括軍が半壊に追い込まれたあの戦争。極限の状況において、まだ21歳であった凰は判断力・実行力・統率力をいかんなく発揮した。その状況を見極め、時の上官を押し退けてまで凰に従った者たちにより、ニグラインは太陽系近衛艦隊を設立したのだ。

 太陽系史上最強の艦隊を生み出してしまったのであるから、統括軍を半壊させたとは言っても敵側からすれば絶大なる失策だったであろう。

「今回も、ぼくは多くの犠牲を出してしまった。今ぼくらが着ているジャケットには、着用者がモグリであってもツカイに変貌した際の脳波を読み取り、さっきキミが受けた様に締め付けて拘束する機能も付いているが……生産が……間に合わなかった」

 語尾を強く切り、ニグラインは唇を噛んだ。うっすらと血の滲んだ唇が微かに震えて口惜しさを現している。ニグラインは一人でも犠牲者が出ると、こうして悔やむのだろう。自分が発明した物や自身の指揮によって何万、何十万の命が助かったとしても。彼がいなければ、太陽系そのものが存在出来ないというのに。 

「ETSを守ってもらうために近衛艦隊を作ったけど、そのために犠牲になったのなら……ぼくが殺したようなものだよね」

 流される事のないニグラインの涙が空気中に満たされたのか、凰は息苦しさを感じ口で大きく息を吸い込む。

「……後悔するくらいなら、今すぐ太陽系内を焼き尽くしてしまえばいい。高温の青色星として強く輝き、生物を寄せ付けなければ戦争も起こりはしない」

 凰はニグラインの藍碧(あお)い瞳を見ないように顔を背けて言った。ニグラインの瞳に魅入られると何も言えなくなるのだ。自らの死をも過程に入れた凰の言葉に、ニグラインは涙が出ずに揺れている瞳を伏せた。

「──意地が悪いな。ボクには出来ないとわかっていて、それを言うのか……ラリマール」

 〝太陽系におけるすべてのものを守りたい〟と偽善ではなく思うニグラインに出来ようはずもない選択。太陽系で生まれた者であれば〝敵〟と呼ばなければならない者たちでさえ、ニグラインは救いたいのだ。

「そう思うのなら、今ここでボクを殺してくれ。キミが殺してくれるのなら、ボクは滅びを望もう」

 ニグラインは目を合わせて来ない凰に詰め寄り、凰の青虎目石さながらの瞳を絶対光度を放つ碧藍(へきらん)の瞳で捕らえる。ニグラインが〝太陽の死〟を望めば、ETSは光を失う。誰であっても二度と〝太陽の意思〟を持つ事は出来ない。まだ滅ぶつもりはないと言っていたニグラインだが、〝守りたい〟ものの筆頭としてここにいる凰が本心から望むのであれば、それを運命として受け入れるのもいい──と思ったのだ。

「……意地が悪いですね。私には出来ないとわかっていて、それを言うのですか」

 浅はかで身勝手な事を口にした己を恥じながら、凰はニグラインの言葉を借りてそっくりと返す。自分には出来もしないというのにニグラインにはやれと言ったのだ。いくらニグラインの自責の念を払拭しようとした結果だとしても。

「それに、もうニグライン・レイテッドを殺すのには飽きました」

 だが、付け加えられた言葉にニグラインは思わず吹き出す。肺のニグラインのクローンたちの殲滅は決して笑えるような所業ではなかったが〝ニグラインを殺さない〟理由としては上等であった。

「あはは! キミにはかなわないな。正直殺された方が楽なんだが、諦めて輝き続けるとしよう」

 軽やかな笑いを響かせたニグラインからは、後悔や死といった負の感情は感じ取れなくなっていた。これでいい。ニグライン・レイテッドはこうでなければ──。凰はニグラインの陽光の笑みを絶やさせはしないと、ここまで伴に来た意味を再確認する。

「ラリマール。本当は、ここでキミにはファルコンズ・アイに戻ってもらうつもりだった。機体に内蔵させた生成カプセルにボクの粒子が転送されたらすぐに翔び立てるようにね──だが」

 ニグラインは「戻れ」と言ったところで、凰は素直には聞かなかっただろうと思い、言葉を切って失笑した。

「見てもらいたい。ボクに……ボクらに科せられた〝人〟としての罪と、その罰を。ただ、ボクらの〝儀式〟には介入しないでくれ。どんなものを見たとしても」

 そう言ったニグラインを待ち兼ねたとばかりに、固く閉ざされていた突き当たりの扉が重々しく開く。

「〝肺〟が、キミも歓迎すると言っている」

 ニグラインへ向ける戦力を自らのクローンだけにしていたくらいだ。本来ニグライン・レイテッド以外の者は拒絶するつもりだったに違いない。その肺のニグラインが凰の入室を許した。観念しての事なのか、ただの興味なのか。

「光栄です」

 如何なる理由であれ歓迎を受けた凰はジャケットの襟元を正し、ニグラインたちに促されるままに扉の向こうへと進んだ。


         ◇


 月に地球本部から『火星との時空間トンネルを利用してアキレウスを一艇送り込む』と緊急連絡が入ったあと、アウィンはアキレウス専用のゲートを開放し、トンネルからユーレックの乗ったアキレウスを移動させるために特殊能力部隊と共に待機していた。地球から火星に繋がる時空間トンネルには途中に出口がない。それでも瞬間移動(テレポート)すれば出る事は可能だが、生憎ユーレックはスリープ状態のため外部から引き抜くしかないのである。


「アキレウス、まもなく直上。60秒前」

 感知していた兵士の声で特能部の緊張が高まる。捕らえ損ねて火星まで行かれてしまっては、火星の統括軍駐留艦隊のいい笑いものにされてしまう。ユーレックだけが笑われるのなら構わないが、近衛艦隊の威厳に関わるため絶対にあってはならなかった。

「3、2、1──……OK! トンネルからの奪取成功、ゲートに着陸させよ」

 特能部の働きで、ユーレックの乗ったアキレウスを時空間トンネルからゲートに移動させる事は出来た。しかしトンネルから出た時の衝撃によりコントロールが若干狂い、着陸したアキレウスは逆さまになってしまっている。とは言えゲートには傷ひとつ付けずに任務を遂行したのだから、後でユーレックに苦言を吐かれようとも問題はない。

「いつまで寝ているんだ? カルセドニー」

 コックピットに設置されたヒーリングカプセルで涎を垂らして幸せそうに眠っているユーレックを発見したアウィンは、半ば呆れながらキャノピーを開いてユーレックの頬を叩く。

「……ん~? ……キスしてくれなきゃ、起きられない……」

「俺のキスでいいのか?希望であれば、アキレウスの主砲をそのだらしなく開いた口へぶち込んでやるが?」

 アウィンの気前のいい言葉で、ユーレックはヒーリングスリープから目覚めて飛び〝落ちた〟。

「痛ってぇ!」

 目覚めると自動で解除される固定ベルトが外れ、固い床へと顔面から落ちて床に起床の挨拶をしたユーレックは、自称・自慢の鼻を押さえて転がった。逆さまに着陸していたのだから、当然の結果だろう。

「ほぅ。床とキスしても起きられるのか? 便利な奴だな」

「野郎やアキレウスのキスよりはマシだ!」

 ユーレックは鼻の痛みやアウィンの嫌味よりも、螢のやわらかい膝枕の夢から引き剥がされた事を何よりも恨めしく思ったが、流石に口にはしなかった。

「そんなことより、凰と司令はどこにいる? 月の状況を聞きたい」

「それなんだが──」

 アウィンはニグラインたちが赤針へ向かった事と、ひとまず月自体は落ち着いている事を簡略かつ的確に話す。ランが全ての任務をこなしてもなお、艦橋に留まっている事も。

「わかった。凰たちのことはオレが引き受ける。おまえはランに付いていてやってくれ」

 有事に際して支えてくれる相手は必要だ。恋愛感情はなくとも、心を許せる相手がそばにいる事が大事なのだ。

「ユーレック。司令と総隊長に何かあったらランは生涯後悔するだろう……だから、頼むぞ」

「おぉ!」

 アウィンの言葉に、ユーレックは気を入れ直す。ランだけが自分を責めているわけではない。螢を助けるために持ち場を離れたユーレックも同様の気持ちなのだ。あの藍碧い瞳の若き司令官が『何』を今回の敵として見ているのか、未だにわからない。だが凰にだけはそれを告げ、秘密裏に片を付けようとしているのだと容易に想像がつく。本来なら自分もそこへ同行するはずだったのかもしれない。だとすれば──と、ユーレックはグランディス・コンピュータ・ルームに向かって急ぎ翔んだ。


 ユーレックがグランディス・コンピュータ・ルームの前に立つと、部屋の主が不在であるにもかかわらずドアが開いた。ニグラインが予めユーレックの入室許可を設定していたのだろう。室内に入ったユーレックが漆黒のグランディス・コンピュータに触れると、中に引き込まれ広い空間が現れた。そこには空間移動(リアルワープ)用のシャトルが用意されており、凰専用機のファルコンズ・アイがある空間への時空間トンネルを繋いである──とのメッセージが残されていた。

「あいつ、いい機体もらったな」

 ファルコンズ・アイの情報を得たユーレックは、機体に逢ったときの凰の様を想像してほくそ笑む。そして、情報と共に流れて来たニグラインの言葉が緊急性を伝えていた。


『なるべく早く来てね』


 ニグラインからのメッセージでユーレックが感じたのは、最悪の事態が起きているという感覚。自分が行かなければ──自分がいなければ(・・・・・)乗り越えられない危機的状況であると直感したユーレックは直ぐさまシャトルに乗り込む。


「間に合ってくれよ!」


 ユーレックの言葉を、グランディス・コンピュータだけが聞いていた。


         ◇


「お待たせ」

 ニグラインと凰が〝肺〟の待つ部屋に入ると、ニグラインの爽やかな声に応えるように薄暗い部屋の一角がにわかに明るくなる。

「……まったく……だ……間に合わないかと……思ったよ……」

 途切れ途切れに、呼吸をする事さえ苦しそうな皺がれた声が部屋の明るくなった方から辛うじて届く。声の主を確認しようと目を凝らした凰は目を見開いて驚いた。彼は確かに〝ニグライン・レイテッド〟であった。しかしその声同様に枯れた風体は、凰の知るニグラインとはかけ離れている。華やかさも絶対光度もない、見た目は青年だというのに朽ちる寸前の老いた肢体。色褪せた髪と瞳。王座の様な椅子に腰掛けている……と言うよりはもたれかかっている状態が、なお哀れを誘う。

「散々足止めしたのはキミの方でしょ。言いがかりは困るなぁ」

 ニグラインのもっともな台詞は〝肺〟の苛立ちを増長させるに至った。

「……こんな……僕に、無傷で相対したおまえを……取り込めると思うか……?おまえが、拘束されずここに来た時点で……僕の負けだ……」

 肺から生成されたニグラインが、最後の望みを断たれた事を恨みがましく言い棄てる。

「──この要塞にいた者たちは……僕の存在を……知らない……僕のいた星系は……とっくに……恒星を失っているんだ……民間の者たちは……移住先を探して出て行った……この、要塞は……星系復興のために……太陽系に来たのだ……」

 恒星を失った後、独り老い果てる事を決めていた肺のニグラインだが、自星の兵士たちが太陽系に向かおうとしているのを知り、この要塞を作って身を潜めたのだと言う。太陽系のニグライン・レイテッドを取り込み、ETSを手に入れ永遠の自星系を得るために。それが叶わなかった今、生き残った自星の者たちが平穏に暮らしてくれる事だけが願いとなった。

「太陽系にいると捕虜扱いになっちゃうから、どこかいい友好星系に送り届けるよ」

 ニグラインがそう約束すると、肺のニグラインは安心したように笑み、弱々しい眼光を凰に向けた。

「……ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長……か……強い、な……」

 そして嫌味や負け惜しみではない言葉を恍惚と放つ。これ程までにニグライン・レイテッドを守護するに相応しい人間がいるのかと。

「わかってるじゃない」

 まるで自分の事のように自慢気に言って笑顔を見せるニグラインを、肺のニグラインは訝しげに見上げた。

「……何故、おまえは……そう穏やかに笑むことが、出来る……? こんな、切り刻まれた身で……おまえは、どの……臓器だ……?」

 〝苦しい〟事だけが生きている証であった肺のニグラインの充血した瞳は、血の涙を溜めているように見える。細くなっていく呼吸が、肺の終わりを告げている。

「ぼくは、五臓じゃないんだ」

 そう言ったニグラインは藍碧い瞳を凰に向け、華やかで切ない笑顔を咲かせた。そして肺のニグラインに視線を戻すと瞼を静かに閉じ、ゆっくりと開く。

「──〝種〟はこの瞳だ。それに、ボクが持ち合わせているのは〝ニグライン・レイテッド〟だけの意思ではない。ボクの〝脳〟は、ETSの中にあり、超時空次元でつながっている」

 碧藍の瞳が最高の輝度を見せ絶対光度が瞬くと、肺のニグラインは顔を両手で覆い空しい笑い声をあげた。

「──太……陽……そう……か。はは……愚かだな……僕は……」

 肺のニグラインは掠れた声を最大限に発し、くすんだ瞳に残り少ない光を散らす。勝てるわけがないではないか。そして戦う必要もなかった。ETSを手にしている〝(しゅ)〟であるニグラインに取って代われば、苦しさから解放されると思っていたのだ。〝予備〟でしかない事が、苦しさの原因だと思っていたが故に。

 一瞬、呼吸を忘れたように咳込んだ肺を気づかいニグラインが歩み寄ると、肺のニグラインの乾いた瞳が僅かな水分を帯びる。

「……寂しかったよね?」

 ニグラインの瞳が穏やかな藍碧い色に戻り、肺のニグラインを包み込むように抱きしめた。

「もう苦しむのは終わりにしよう。脾臓も肝臓も、一緒だから」

 その言葉を聞いた肺のニグラインの瞳が幾分か彩度を取り戻したかと思うと、枯れ果てていたはずの涙が絞り出される様にこぼれ〝苦しさ〟の原因は〝寂しさ〟だったのだと知った。他の臓器は何を思って生き、どう思いながら融合されるのか──苦しさを紛らわせるために常に考えていたのも、寂しさが原因であれば当然だ。

「ちょっと痛いけど〝ぼく〟を人工物にした〝人類〟の罰だと思って我慢してね」

「──違う」

 凰はニグラインの言葉に思わず口を挟む。ニグラインたちの儀式に介入しないという約束だったが、黙っていられなかった。

「罰を受けるべきは、ニグライン・レイテッド以外の人類だ……ならば──」

 ならば、どうすると言うのだ?自分が代わりなれるわけもない。凰は空回りした言葉と気持ちを消化する事が出来ず、その場に立ち尽くす。

「ありがとう、凰くん。キミたちに出逢い、ぼくは変われた。太陽系を守りたいと思うのは所詮〝太陽〟の自己防衛だったけど、今は……」

 太陽のニグラインは藍碧い瞳に陽光の暖かい光を灯す。


「我がままで、自分勝手で、愚かな──優しいぬくもりを持つ人間たちが……愛おしい」


 太陽の言葉は人である凰と肺のニグラインに重く響く。しかし、それを誰よりも深く心に刻んでいるのは肉体と精神を共有するニグライン自身なのだ。

 ニグラインの瞳が、凰を見つめたまま碧藍へと移り変わる。誰をも圧倒する絶対光度は太陽の影響だと思っていた凰だが、ニグライン・レイテッドが持って生まれた『人の上に立つ者』としての才覚なのだと、今わかった。これこそ、かつて独裁者と呼ばれた者たちが欲していたものに違いない。

「ラリマール……ボクは、不完全な人間だ。それでも、キミたちの仲間に、なれるだろうか──」

 肺を抱きしめながら、ニグラインが震える声で問う。肺がそれに応えるように主であるニグラインの背中に腕を回すと触れ合った箇所の皮膚が融けながら剥がれ落ち、肉と肉が喰らい合う様に融合を始めた。『粒子と化す』と聞き、光にでもなるのだろうかと漠然とした考えを持っていた凰は、あまりにも凄惨な光景に驚愕する。ニグラインたちの肉体が、溶解しながら崩れていく。痛みによって気を失う事すら許されず、激しい苦痛にニグラインの表情が歪む。ニグラインが『殺された方が楽』だと言っていた〝人類の罪〟を洗い流す儀式。

「──レイテッド司令……っ!」

 最前線においても、決して声を荒げる事のない凰が、融けゆくニグライン・レイテッドに向かって叫んだ。

「……すぐに、ファルコンズ・アイに戻れ。この要塞のコアは肺のボクだったようだ……融合と共に崩壊が始まった。少しの時間なら、融合を抑えることが出来るから、早……く──」

 ニグラインは肺から伝わって来た情報を凰に伝えた。苦痛の延長を余儀なくされたニグラインのために凰が出来る事は、一刻でも早くファルコンズ・アイに戻る事だけであった。

「──了解しました」

 凰は最大限に敬意を込めた敬礼をすると、出口に向かって身を翻す。すでに崩壊を始めている要塞は、悲鳴をあげながら天井や壁を瓦礫へと変えてゆく。柱のひしゃげていく音が肺のニグラインの泣き声の様に聞こえる。

 全速力で走り角を曲がると、凰が殲滅したクローンたちの亡骸が視界に入った。その瞬間、ニグラインの苦痛に呼応したのか凰の背中の横一文字の傷と胸の縦一文字の傷が心臓で交差し、えぐられるような激痛が走る。動悸はひどくなり視界はぼやけ、確実に走る速度は落ちていく。足下の亡骸を避けるのもおぼつかない。早く、ファルコンズ・アイに戻らねばならないというのに。

 

「凰!」

 血濡れた通路をなんとか抜けた凰の前に、今最も頼もしいと言える僚友が現れた。ニグラインの用意したシャトルで赤針に到着したユーレックは二人の思念軌跡を追い、凰のもとにたどり着いたのだ。

「ユー……レック」

 安堵も手伝い、凰は倒れ込むようにユーレックの肩を掴んだ。その凰の手からユーレックへ今までの経緯が伝わる。想像を遥かに超えたニグライン・レイテッドの正体と、今まさに行われている儀式。そして、ニグライン・レイテッドの再生と、太陽系の存続を握っているのは──。

「ファルコンズ・アイに翔ぶぞ!」

 ユーレックはニグラインの粒子が納められるべき、僚友の愛機となったファルコンズ・アイへと凰を抱えて瞬間移動した。


「凰、大丈夫か?」

 直接コックピットに移動したユーレックは、意識の薄い凰を操縦席に座らせて声をかける。

「ああ」

 操縦席に包まれた事により、凰の心臓は僅かに落ち着きを取り戻していたが、痛みは消えず苦痛で顔をしかめる。もう直ぐニグラインの粒子がファルコンズ・アイに内蔵された生成カプセルに届く。無事にニグライン・レイテッドを連れて帰る──その思いだけが凰の意識を保たせていた。

 ユーレックはニグライン用の簡易司令席に腰掛け脳波をシステムに繋げた。ユーレックの脳波が時空間で繋がるグランディス・コンピュータにリンクする。主であるニグラインの想いと、人知を超えた太陽の波動が押し寄せて来た。絶大な力を持ちながら、決して系外への侵略などの野望は抱かずに、ただ太陽の申し子であるものたちを慈しむ〝太陽〟と〝人〟の心を併せ持つ、ニグライン・レイテッド。至極人間的でありながら、太陽系全土を包み込む包容力に驚かされ感銘を受ける。

「凰……オレ、絶対レイテッド司令に付いて行くわ」

 ユーレックは、いたずらな猫のような瞳を輝かせ、ニグラインへの忠誠を誓う。ニグラインと違って永遠ではない自分がどこまで未来を伴に出来るかわからないが、少なくとも生きている間は退屈しなそうだ。「もっと生きていたかった」と思いながら死ねるのは、幸せではないか。未練を持てるほどの場所に存在していた証拠なのだから。

「そうだな」

 凰の青虎目石さながらの瞳が、痛みを忘れたように澄んだ輝きを見せた時、目に見えない粒子と化したニグラインが膨大なエネルギーを伴ってファルコンズ・アイに飛び込んで来た。生成カプセルが音もなく満たされると、ファルコンズ・アイの三日月型の垂直尾翼が青いプロミネンスを彷彿させる光に包まれる。即座に凰がファルコンズ・アイを発進させようとした矢先、目の前に厚いバリアが展開した。

「何故、バリアが──」

 赤針が消滅する際に周囲の星に被害が及ばない様にとの配慮だったのか、先ほどまではなかったバリアが赤針を包み込んだ。

 凰はファルコンズ・アイに搭載された、戦闘艇とは思えないほど威力のある対バリア砲を放つ。戦艦レベルのバリアでも一撃で粉砕出来る対バリア砲を数発撃ち込んでも抜けられない強固なバリアに、凰は歯噛みする。

「任せろ!」

 そこへ、ユーレックが特殊能力を最大出力で対バリア砲が撃ち込まれている箇所へぶつけた。ユーレックとて、もう限界であったが『三人で帰る』ために限界を超えて能力を発揮したのだ。バリアの一部が徐々に歪んでゆく。もう少し──もう少しで帰れるのだ。

「今だ! 行けぇ!!」

 ユーレックの叫びと共にバリアの一角が開くと、凰はファルコンズ・アイをブースト発進させ赤針からの脱出を成功させた。そして二人が振り向くと、赤針が再び閉じたバリアの中で音も立てずに消滅していく姿が目に映った。肺のニグラインと共に消滅した、小惑星型要塞『赤針』。その全貌を知る者は、今ここにいる者だけである──。


「終わったな……凰。帰ろう……ぜ──」

 赤針の最期を見届けたユーレックは、そう言うと仰け反るようにして意識を失った。だがその顔は満足げな笑顔を浮かべており、今回の戦いが本当に終わった事を表しているように見える。凰は太陽系のため、僚友の功績を無駄にしないためにと、心臓の痛みを堪えて操縦桿を握り直した。

 そしてひとつ大きく呼吸をすると、月艦橋へと通信を繋いだ。


「──こちら凰。これよりレイテッド司令とカルセドニー少将と共に月へ戻る」

 その通信に、月艦橋で己の無能さに苛まれていたランは俯いていた顔を上げた。消滅する赤針の姿がモニタリングされていたため、赤針へと赴いたニグラインと凰、ユーレックの安否が気遣われていたのだ。いくら司令官と総隊長の命令だったとは言え、何も出来なかったランは自分を責めるしかなかった。

「総隊長! ……ご無事で……」

「ああ。心配をかけたな、ラン」

 モニターにニグラインとユーレックの姿は見えず、凰の顔色もいいとは言えない。それでも凰のやわらかい笑みが三人の無事と戦争の終結を告げていた。

「皆も疲れているだろう。地球に帰還するまでゆっくり休んでくれ」

 凰の言葉で月艦橋に歓声が沸き起こり、ETSの陽光が射し込んできたかのように明るさが戻った。月で出陣した兵士にも、地球の兵士にも戦死者が多数いる。全てを手放しで喜べるわけではないが、ニグラインたちの無事は隊員たちが歓喜するのに充分な朗報であった。


「ファルコンズ・アイ、帰投する」


 初陣を終えたファルコンズ・アイも、暫くの間はゆっくりと羽根を休められるだろう。宙空で最も美しく輝く機体が、真っ直ぐ月へと飛翔した──。

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