【それぞれの戦いの向こうに】
<登場人物等>
〇ニグライン・レイテッド……太陽系近衛艦隊および太陽系近郊宙域統括軍総司令官
〇ファル・ラリマール・凰……太陽系近衛艦隊総隊長
[近衛艦隊8大将官]
〇クルス・ベリル中将……諜報治安部隊隊長
〇ユーレック・カルセドニー少将……特殊能力部隊隊長
〇デン・ドリテック少将……陸上戦闘部隊隊長
〇リーシア・テラローザ少将……後方支援部隊隊長
〇ラン・マーシュローズ准将……第一宙空艇部隊『バリュウス』隊長
〇アウィン・バーント准将……第二宙空艇部隊『クサントゥス』隊長
〇螢・クラーレット准将……IT支援部隊隊長
〇オーランド・スマルト准将……メカニカル・サポート部隊隊長
〇虹・グリーゼ中尉……凰の副官
〇クラック(オウムフィッシュ)……近衛艦隊司令官室長
〇ジュレイス・リトゥプス……太陽系近郊宙域統括軍長官
〇ネリネ・エルーシャ……カフェ・セラフィーナのウェイトレス
〇アサギ……第一宙空艇部隊のパイロット
〇ディル・エルブ中佐……後方支援部隊副隊長
〇ランディ・リューデス少佐……陸上戦闘部隊・第一中隊隊長
〇ツカイ……薬や洗脳によって思考を支配された者
〇モグリ……本人が知らぬ内にツカイにされた者
〇オーナー……ツカイを使役する者
〇アキレウス……宙空艇部隊の戦闘艇
〇キーロン……陸上戦闘部隊の重装甲機
〇ファルコンズ・アイ……凰専用の戦闘艇
※DL:ディビジョン・リーダー
◇
「ドリテック隊長ぉ! やっぱりセラフィーナには誰もいませんよ~」
太陽系近衛艦隊・地球本部内の後始末をしているドリテックにランディから連絡が入った。ランディは陸上戦闘部隊・重装甲機部隊とリーシアに任された後方支援部隊の2個中隊を連れて、反乱分子の拠点となっていたと思われる『カフェ・セラフィーナ』を捜索しているのだ。
セラフィーナが内乱の元凶だと導き出したのはリーシアであったが、それもニグラインがいくつものヒントを残してくれていたおかげだった。決定的証拠があればこうなる前に潰す事も可能であったろうが、敵も巧妙に機を待っていたのだろう。何しろ駒にしたものが系外惑星から侵略しようとして来た小惑星型要塞だったのだから。
「そうか。他に変わったことはあるか?」
「でっかい穴が店の下に開いてますねぇ。時空間トンネルの跡じゃないっすか~?」
ランディの間延びした口調が、その場からは何も得るものがない事を告げている。作戦の失敗によりこの場から去ったのか、今回の作戦自体がただの前哨戦なのかはわからない。太陽系近衛艦隊中枢を潰しマイスター・コンピュータを乗っ取り、ETSを手に入れる事が狙いだったとしたら、何一つ成功していないのだ。
「あ」
「どうした? 何か残っていたか」
ランディの何か見付けたらしき声に、ドリテックは内容を求める。
「セラフィーナのユニフォームが残ってますねぇ。テラローザ少将、いりますか~?」
ニグラインが用意した、かわいいと絶賛されたユニフォーム。ドリテックにではなく、その隣にいるであろうリーシアに聞いたのはある意味正しい。このユニフォームにも精神感知機能が搭載されていたが、誰一人として引っかかる者はいなかった。徹底した精神コントロールが出来るからこそ、虹を洗脳して今回の内乱を引き起こす事が出来たのだ。
「私がそんな服着たら仕事にならないでしょ。取り敢えず、全ての物を押収して。コーヒー豆も含めてね」
ランディの下心をものともせず、リーシアは冷静に返答する。ランディの言葉で多くの者がリーシアがセラフィーナのユニフォームをその麗しい身にまとう姿を想像し希望したが、残念ながら叶いそうもなかった。
「螢に着せたら、ユーレック喜ぶかしら」
自分で着る気はないが、リーシアはふとそんな事を思った。だが、どんな些細な楽しみも全てが落ち着くまでお預けである。ユーレックの事だから、おそらく月に戻ると言うだろう。そして螢も自分の気持ちを押し殺して全面的にバックアップするに違いなかった。外敵の要塞は制圧されたと聞いている。だが本当に終わったのかと、リーシアの胸のざわつきは治まらずにいた。それはユーレックも感じているに違いないのだ。
「艦内の後始末、早く終わらせましょう。ケガ人や遺体にもツカイやモグリが混ざっているかもしれないから、ベリル中将に連絡して諜報治安部隊に洗わせないと」
そう言ってリーシアはドリテックに次のエリアへ進もうと促す。螢がエネルギー電導を切ったおかげで思ったよりも犠牲者は少なそうだが、それでも重傷者が相当数いる。死体を避けながら足早に進んで行くと、ようやく探していた人物の姿が目に入った。後方支援部隊副隊長のエルブ中佐と、その周囲には多くの隊員たちの──無残な遺体が。
このエリアに生存者はいなかった。敵兵の殆どはレーザー銃で撃ち抜かれている。エルブたちが仕留めたのであろう。だが、相打ちになったわけではない。後方部の隊員たちにエネルギー系の武器で傷付けられた痕跡は少なかった。後方部の隊員たちは、実弾によって命を奪われていた──おそらく、エネルギー電導が切られてから唯一完全武装をしていた虹による、マシンガンや手榴弾などでの虐殺。
「テラローザ──」
隊の中で最も信頼が厚かった部下を失ったリーシアを気遣いドリテックは声をかけたが、それ以上の言葉は出て来なかった。エルブほどの男が至近距離から額を撃ち抜かれている事から、状況が推測出来た。
「気にしないで。彼はモグリじゃないから、弔ってあげられる」
リーシアはエルブの開いたままだった瞼を優しく手のひらで閉じると、彼の胸ポケットから託していたマスターキーを取り出した。エルブには二枚のマスターキーを渡していたのだ。『リーシアを探しており、マスターキーが必要だと言ってきた者』に偽物の方を渡すように指示を出していた。その者が敵でなければ絶対に自分でマイスター・コンピュータに使ったりはしない。どうしても必要だとすれば、権限を持つ螢に何かあった時だけだ。それでも実際に螢に何かあったならば、螢の持つマイスター・コンピュータの非常用端末機が感知してマイスターはシャットダウンされるようになっていた。
つまり、もし螢を通さずに使ったならばそれが裏切り者であるという証拠になったのだ。エルブは指令通り、リーシアを探してマスターキーを求めた虹に偽物のカードキーを渡した。そして信じがたい虹の変貌を目に焼き付けて射殺されたのだろう。その後周囲にいた後方部の兵士たちも──。モグリやツカイだった場合は犯罪人として扱わなければならないためリーシアの立場的に公に弔う事は出来ないが、額を撃ち抜いた銃弾が裏切り者ではないと証明してくれている。
「ごめんなさい……どっちも、偽物だったのに」
エルブが命をかけて守ったカードキーは非常ドアやロッカー程度のものなら本物のマスターキーの様に開けられるが、マイスター・コンピュータ・ルームにすら入れない物であった。有事の時には、リーシアは誰であっても信じてはいけない。ニグラインの様に明らかに本人以外が持ち得ない絶対光度を放っていれば別だが、見た目や人情で判断は出来ないのだ。エルブを含めた後方支援部隊の全ての隊員は、皆それを理解している。信頼はされても、信用してもらえる事はない──と。
それでも……だからこそ、リーシアを慕い付いて行く覚悟があった。心を休める場所のない美しい隊長が少しでも楽に任務を遂行出来るように、自身の持てる力を惜しみなく発揮して。
「エルブも偽物だってことくらい、わかっていたんじゃないか?」
ドリテックの言葉は励ましではない。リーシアの立場も自分の役目もわからないほど、エルブは愚かな男ではなかった。
「……そうね。彼は、優秀だったわ」
エルブにとってこれ以上の弔いの言葉はないだろう。語らないエルブの口に触れるだけの口づけを与えると、リーシアの唇がエルブの流した血で紅く艶やかに染まった。死してからしか受けられない、リーシアからの最上の報奨。羨ましいと思う者はいなかった。生きている間に触れたいとは思っても。
◇
「……月に、戻らねぇと」
地球本部艦橋の静寂をユーレックの言葉が破る。ユーレックは能力を限界以上に使い動けない状態であったが、ヒーリングサプリと螢の暖かい膝枕によって歩けるレベルには回復しつつあった。
地球本部を舞台にした戦闘は特殊能力部隊と陸上戦闘部隊によって程なく鎮圧されるだろう。月も落ち着いているように見えるが、ユーレックの勘が何も終わっていないと告げている。理由など後からわかればいい。ただ一刻も早くニグラインと凰の元へ行かねばならない衝動に駆り立てられていた。
「まだ無理よ! せめて、ヒーリングカプセルで数時間休まないと……」
つい先ほどリーシアから本部ビル内のエネルギー電導を復旧したと連絡が入ったため、ユーレックをヒーリングルームに連れて行こうと思っていた矢先だった。そこまで言ってから、螢は自分が任務を忘れてただユーレックの心配と自分の気持ちを優先している事に気付き、このままヒーリングルームでユーレックのそばに居られると思っていた自分に驚いた。ユーレックへの感情を認識した事でこんなに思考が変わってしまうのかと。戦争中に任務よりも自分個人の感情を優先させるなどありえなかった。何よりもユーレックが危険を感知している。彼の勘を疑えと言う方が無理だ。
「……そうね。あんたが乗って来たアキレウスにヒーリングカプセルを積んで月まで送ればいい?」
震える声を押さえつけ、螢は成すべき事を口にする。『自分は誰だ』と己に問いかけ、太陽系近衛艦隊の8大将官の一人であると答えた。任務も責任も忘れてなどいない。それでも感情が消え去るわけではなかった。特殊能力も回復して来たユーレックにコンピュータ言語ではない螢の心の声が流れ込む。
『行かないで』
いつだって危険な任務をこなして来た。もう会えないかも知れないとしても、それは当たり前の事──受け入れていたはずの状況を受け入れられなくなってしまうとは。螢の押さえ込んでいる想いに、ユーレックは彼女を抱きしめる事で応えた。
「待っててくれ」
ユーレックは螢に軽く口づけ、もう一度強く抱きしめる。最後になどしない。届く事はないと諦めていたぬくもりが今この腕の中にあるのだ。手放してたまるかと、ユーレックは自分に誓う。
「信じるわ。あんたの能力と、悪運を」
螢は大きく息を吸い将官として心を改める。そして、ユーレックに最高の言葉と笑顔を贈った。
「特能部、聞いた通りよ! 至急ユーレックごとアキレウスを格納庫にテレポートさせて! あんたたちの隊長を月に送り返すわよ!!」
二人に気を遣って背を向けていた特能部の隊員たちは隊長同様ににやけていた顔を引き締め、螢の指示に従う。月の近くまでは火星に繋がる時空間トンネルを通して送ればいい。後はあちらのテレポートチームが迎え入れてくれるだろう。それからの事は、ユーレックが月に戻ってからしか知る術はなかった。
◇
凰とニグラインがファルコンズ・アイで乗り込んだ敵の小惑星型要塞・赤針のゲートでは、ニグラインが見た目からは全く防御力も攻撃力も想定出来ない装備の説明を行っていた。
「このジャケットは着用した者を薄い空間シールドで包み込む。頭部を含め、露出している箇所も取り巻く様にカバーされる。腰のベルトに挿してあるペンは粒子化した物質が圧縮されている自由変型モジュールだ。使用者の意思に呼応して変形する。剣や盾としてならほぼ無限に使えるけど、エネルギー弾などで飛ばしてしまうとその分粒子がなくなり有限となる」
ニグラインは自由変形モジュールを様々な形に変えながら説明し、最後に手に乗るほどのファルコンズ・アイを型取らせた。邪気のない子どもが手にしたのなら、思いのままに現れるおもちゃに心踊るだろう。しかし、思ったものに変形するとなると必ずや危険を呼び寄せる。例えひとつひとつの容量が小さくても、複数合わせれば大型の武器すら形成可能なのだ。凰はそれを危惧したのだが、その程度の連想がニグラインに出来ないわけはないと敢えて口にはしなかった。
「悪用されては困るから、ぼくが認めた人間にしか使わせないよ」
その思いに気付いたのか、ニグラインは付け加えて言う。安心させるために加えた言葉だったが、ニグラインに『認めた』と言われた事に違和感を覚えた凰が表情を曇らせると、それを見たニグラインは対照的に弾けるように笑う。端麗な顔が笑みに溢れ、それだけを見ているのであれば一緒に楽しい気分になれたかもしれない。
「本当にキミはおもしろい。地位も実力もあるクセに、卑屈だ」
笑うのを口の端だけに留め、ニグラインは凰に詰め寄った。40cm以上も低い位置から見おろされているように感じる。真っ直ぐに見つめて来る藍碧い瞳が嘘ではないと告げていた。凰は〝ニグライン・レイテッド〟を前に卑屈になるなと言う方が無理があるだろう……と思ったが、比べる対象にした事自体、間違っているに違いない。彼を天才と呼称するには、あまりにも天才という言葉は稚拙なのだ。
「この任務が完了したらもっと自信を持って欲しいな」
凰の胸中にしまおうとした僅かな抵抗すらもニグラインの自由に輝く恒星そのままの笑顔にかき消され、アーマード・ジャケットに身を包んだ二人はファルコンズ・アイに暫しの別れを告げて最深部で待つ〝肺から生成されたニグライン・レイテッド〟のもとへと向かう。
ゲートを出て内部へ足を踏み入れると、予想通りに数々の捕獲用トラップが出迎えてくれた。全てニグラインに深手を負わせないように作られているため、凰一人ならば壊すも避けるも造作もないものばかりである。しかし小柄な上に兵士としての訓練を受けていないニグラインがいちいち引っ掛かってしまうため、凰はかなりの労力を使わなくてはならなかった。凰がそろそろニグラインを助ける事に無駄を感じ、以前と同じように抱きかかえて連れて行こうかと思い始めた時、ニグラインが足を止めた。
「そろそろ、来るよ」
ニグラインは先を指さして至極真面目に凰に訴える。そして次の角を曲がると前方に多数の影が現れた。影を人だと認識したとたん、凰の心臓が痛みを伴って大きく脈を打つ。敵兵は屈強な兵士などではなく、戦闘にはまるで不向きとしか思えない相手であった。
その者たちは皆、ニグラインの顔をしていたのだ。
「〝肺〟のぼくのクローンだね。少し大人っぽいかな? 肺は、成長しすぎだよ」
青年に近いニグライン・レイテッドの顔を持つ者たち……決定的に違うのは笑顔もなく瞳の輝きもない事である。武器はそれぞれ小さなナイフを持っている程度だが、通路を埋め尽くすように立ちはだかっている。ニグラインを守りながら戦うのであるから、1人1人の力が弱くとも手を抜く余裕などないだろう。
「肺がどんな精神状態になっているか心配していたけど、思ったよりまともでよかった」
〝自分のクローン〟を大量に生産し、生きる兵器とするような精神構造の持ち主をまともだと言い、ニグラインは嬉しそうに微笑んだ。
「他の誰かを傷付けるより、いい。それにクローンたちは〝クグツ〟にされているみたいだから……痛みも、苦しみも──感じない」
クグツとは感覚も心も全て取り払われた哀れな人形。ツカイと違い〝人〟に戻る事はない。しかし作られた時には感情もあったはずだと思うと、生かしておく意味も必要もないと言うのは残酷である。戦闘艇に乗っていたのも、肺のニグラインのクローンだったのだろうか。ニグラインの切ない微笑みが、凰に覚悟を決めさせた。
「殲滅、します」
凰はペン状の自由変型モジュールを腰のベルトから二本引き抜き、双方とも刃長80cm程の刀に変型させると、優美な反りに美しい刃文を浮かばせた刀の切先が最初の獲物に照準を合わせて光る。
「──うん」
背後にいるニグラインの絞り出すような声からは、どんな表情を浮かべているのか凰には検討が付かなかった。だが、凰にとって〝守るべき〟ニグライン・レイテッドは、今自分の後ろにいるニグラインだけだ。同じDNAを持っている相手だとしても弑虐にはならない。刀に換えられた凰の鋭い牙が青虎目石さながらの瞳に反射する。音もなくクグツの軍勢に詰め寄ったかと思うと、鮮血を吹きながら二つの頭部が床に転がった。凰は無数のニグライン・レイテッドたちに頭部と胴体の別離を与え続ける。切り刻まれてもなお生き続けて来たニグラインの前でその有様を見せるのは酷であると承知の上で。表情もなく事切れてゆくニグライン・レイテッドたち──凰の心臓が、ニグラインに代わって痛みを訴えている。凰の痛みが頂点に達した時、痛みが狂気に近い本能を呼び起こした。
「……予想以上だな」
碧藍の瞳を見開き、ニグラインは称賛を込めて呟く。凰の覇気を目の当たりにし、ニグラインは穏やかな藍碧い瞳ではいられなかった。ニグラインの背を、冷たさが突き抜ける。クグツどもを殲滅し終えた凰が更に獲物を求めて振り返ったとしたら……死も痛みも恐れないニグラインが初めて感情で恐怖を知った。もし凰のクローンを大量に生産して兵器としたら、それだけで人類を滅ぼせるのではないかと思える。一番危険な人物に一番危険な武器を与えてしまったと、ニグラインは苦笑する。初めて認めた人類である凰の手によって太陽系人の歴史が終わる可能性──ニグラインは〝人〟である自分自身の終焉を想像して何故か心安らぐ気がした。
「それも、悪くない……だが」
ニグラインが声にはせずに呟くと同時に、凰の刀が最後のクグツの心臓を貫いた。床には崩れ墜ちず、貫かれたまま凰にもたれ込み虚ろな瞳に同じ遺伝子を持つ少年を映す。
「ボクは……まだ消える気は、ない」
凰が刀を引き抜くと、ニグラインの言葉が届いたのか最後のクグツであるニグラインが物言いた気に微かに唇を震わせながら床に伏した。無数のニグラインたちが流した血液が無機質だった通路を鮮やかに染めている。赤い絨毯が敷かれたような通路を、ニグラインは振り向かない凰に向かって進む。一歩進む度に、ぬるりとした感触が足の裏に伝わる。恨む事も羨む事も出来ない瞳たちが、その歩みを見つめていた。刀が届く位置までニグラインが近付くと、凰は刀を持ち直してゆっくりと振り向く。青虎目石さながらの瞳は妖しく耀き、まだ狩りを終えていない事を告げている。
「ボクを狩る気かい? そんな物では、ボクは滅ぼせないよ──ラリマール」
ニグラインは凰の至近距離まで近づき刀に挟まれるように立つと、ETSから凰のジャケットへのエネルギー供給を強め、空間バリアを圧縮する。
「ぐ……っ!」
空間ごと身体を圧迫された凰は苦しさのあまり片膝を着き刀を落として呻いた。苦しさと殺気が入り交じり、徐々に苦しさが殺気を散らしていく。平常に戻りつつある様子を見て、ニグラインは空間バリアを解いた。
「正気に、戻った?」
ニグラインが屈んで凰に声をかけると、凰はどうにか詰まった息を大きく吐き出せた。
「……レイテッド……司令……」
圧迫から解放されて通常の意識を取り戻した凰は、膝に染み込んで来た赤黒く生ぬるい液体の感触を味わい、遮られた悪夢を思い出す。通路に横たわる無数のニグライン・レイテッド──輝かない瞳が物悲しい。クローンとはいえニグラインの前で〝ニグライン・レイテッド〟を惨殺した事に罪悪感を覚え、嫌悪感で胸を押さえた。
「〝ぼく〟は、生きている」
目を合わせようとしない凰の顔を覗き込み、ニグラインは華やかに笑う。〝人の手に堕ちた恒星〟という屈辱と〝人類の人柱〟にされた怒りと悲しみを背負いながらも、どんなものも全て受け入れその上で明るい未来への道を切り開いて行こうとしているニグラインの笑みは、血の沼に沈んでいる凰には眩し過ぎた。
「一緒に、来てくれるかい?」
ニグラインは凰に立ち上がる事を促して手を差し伸べる。命令はせず常に相手の意思を尊重するニグラインだが、ニグラインの〝お願い〟が命令よりも効力がある事を凰は身を持って知っていた。ニグラインの経歴を知らなければまた違うのだろうが、人類としての責任も重い。人類の代表になど成りようもないと思っても、守られるだけというのは何より性に合わないのだ。
「当然です」
そう言って凰はニグラインの手は取らずに立ち上がると、胸に拳を当てて静かに横たわるニグラインたちに敬礼をする。
「行きましょう」
そして迷いのない動きできびすを返し、凰は最深部で待つ〝肺から生成されたニグライン・レイテッド〟のもとへと、ニグラインを誘う。ニグラインを先導するなどおこがましいと思う。しかしニグラインの大きな藍碧い瞳が水面に映る光を思わせる揺らめきを浮かべているのを、見過ごす事は出来ない。
「うん、行こう」
自分の意思で進む事を決めてくれた凰に、ニグラインは混じり気のない笑顔で応えた。
Illustration:ギルバート様
◇
月はただ静かに宙にあった。早く地球の衛星に戻りたいとも言わず。また太陽系近衛艦隊の月艦橋も、戦闘を終えて緩やかに時を刻んでいた。
「ラン、少し休んだらどうだ?」
前線から戻りそのまま指揮を任されたランは、指揮官代理の任務を続けていた。敵兵や敵艦の収監も済み、もう大きな動きはない。ニグラインと凰が戻るまでは警戒を解く事は出来ないが休憩するくらいの余裕はあると、アウィンが声をかける。
「ありがとう。だが、こうしている方が落ち着くんだ──」
自隊員であったアサギがモグリであった事。ユーレックを止められなかった事……ランは自分の無力さを許せず、自責の念に押し潰されそうだった。ユーレックの事は結果としてよかったが、どのみち地球に送り込むのであれば余力を残させるために手伝う事も出来た。アサギについては、誰もランを責めはしない。モグリを見抜くのは、今現在まだ不可能とされている。しかし感情で納得するのは難しい。虹とアサギの所業は月にも伝わっている。多くの仲間を葬り傷を負わせた彼らは、自らの意思に関係なくモグリにされたのだとしても無罪で済むはずもなかった。あんなに凰を慕い、忠義に厚かった虹。人懐こい幼さの残る笑顔が、ランの脳裏に過る。
「私は……弱いな……」
凰も自分と同じように辛いのだろうかと、ランは思った。そうであったとしても仲間であった者に惨殺された同胞の無念を思えばこんな辛さなど取るに足りないと、凰ならば毅然と任務を遂行しているに違いない。
「マーシュローズ准将! 地球から入電です!!」
俯いたランの顔を上げさせたのは通信オペレーターの声だった。緊急を示す赤いランプが光り、空間モニターに地球本部艦橋が映し出される。崩れ去った壁が地球本部での戦闘がいかに大きかったかを表していた。
「こちら地球本部、クラーレット准将です! 至急レイテッド司令に繋いでください!!」
螢からの通信にランは一瞬戸惑う。螢の部隊にも大きな損害を与えたのだから、個人的には合わせる顔もない。しかしこれ以上の失態を犯すわけにもいかず、責任を問われる事がないだけに胸に靄がかかる。だが、だからこそ今の任を全うせねばならなかった。
「司令と総隊長はお二人で赤針に行っている。要件は私が代わりに聞く」
「え? まさか二人だけで?!」
ランの応答に螢が驚くのは尤もだ。しかし螢は驚いた後に何か納得したかのように頷いた。
「ユーレックが司令たちのところに行くって言ってる。ヒーリングスリープさせた状態でアキレウスに乗せて月近くまで送り込むから、後はお願い」
螢はそれだけ言うと慌ただしく通信を切った。ランは螢の言葉で『ユーレックの勘がニグラインと凰の危機を感知した』のだと把握する。だが部隊を動かそうとはしていない。ユーレックの性格と能力を誰よりも理解している凰が「増援の必要はなし」とは言ったが、「ユーレックを寄越すな」とは言わなかった。もし司令官が自ら出向くほどの隠密行動を行っているのならば、一塊の兵士を向かわせる事は出来ない。
「今回はユーレックに頼ってばかりだな」
ランは女性にしては短すぎる髪を掻き上げ、普段ふざけてばかりの僚友の頼もしさを再認識する。
「アウィン、特能部を使ってユーレックが乗ってくるアキレウスを迎え入れる準備をしてくれ!」
「了解!」
アキレウスのゲートに向かって月艦橋を出るアウィンを見送り、ランは赤針へと視線を戻した。そこで起こっている『何か』は想像し難いが、『太陽系のため』である事──それだけは何故か確信出来た。




