星の降る降る(後編)
今日も白うさぎはベッドの上にいました。
外はとっても良い天気ですが、白うさぎのいる部屋の中はランプの灯りが揺れています。
白うさぎはベッドの上で編み物をしていました。
カーテンは閉めきられて、細い陽の光すら入りません。
けれど白うさぎのベッドの上は銀色に輝く細い糸と色とりどりに光る小石たちのせいで窓の外とかわらないくらいににぎやかです。
白うさぎは金色のかぎ針で銀色の糸をすくっては編み、時々光る小石をその中に編み込みます。
そうして編まれた銀糸と光る小石は美しいレース編みのようですが、どうにも大きすぎるようで、白うさぎのいるベッドの上といわず部屋中をおおいつくすほどでした。
それでもそんなことは気にも止めずに、白うさぎは一目一目ゆっくりとていねいに編んでいきます。
ずっと、ずっと、ずーっと昔。白うさぎの世界は、朝でも昼でも夜でした。
白うさぎはそんな毎日が大嫌いでした。
だんだん見えにくくなってきた目を細めながら細い銀糸を切ってしまわないように、大切に大切に一目一目を拾っていきます。
昔は毎日この部屋に面白い本やおいしいお菓子を持ってきてくれたお父さんは、もう来ません。
昔は毎日この部屋に花を飾って抱きしめてくれたお母さんはもう来ません。
昔は時々この部屋に苦いお薬を持って来た先生は、若先生になりました。
たまに部屋にやってくるのはおつかいを頼まれてくれる若先生の奥さんと、白うさぎが編むレースを買い取ってくれる雑貨屋さんだけでした。
あの頃とは少しかわってしまった生活に、白うさぎはうっすらと微笑みます。
あの頃は毎日明るい時間のあいだ中ずっ 耳をたたんで暗くなるのを待ったものです。
だけど約束したのです。
もうずっと、ずっと、ずーっと昔のことなのに、まるで昨日のことのようにも思えます。
それからは夜の原っぱにとび出して、銀色の雲を探しました。
銀色の雲の中にはいつも違う星のかけらが入っていたので、これをどうやって合図にしようか考えるだけでも大変です。
でも銀色の雲はまるで上等の絹を思わせる手触りだったので、白うさぎは糸車で紡いで糸巻きにしました。
お母さんにねだって毎日編み物を習い、少しでも編んだ合図が大きくなれば原っぱに広げに行きました。
けれどやっぱり約束どおり、白うさぎの名を呼ぶ人がいるかぎりは何の返事もないのでした。(まぁ、そのおかげで白うさぎのレース編みの腕前はこのあたり一番になりましたが。)
耳は昔よりも聞こえにくくなりましたが、それでも耳をすましていれば窓の外の音だって聞こえます。
白うさぎはこの前の夜に落ちてきたいっとう大きくて特別良い橙色の星を手にとりました。
すっかり角がとりのぞかれて優しい楕円形をした橙色の星は、白うさぎの手の中で夕日の名残りのような光をこぼします。
もちろん夕日を見たことのない白うさぎは小さな頃に読んでもらった絵本の中で見た色しか知りません。
だけどきっと、こんな色です。
こんな風に泣きたくなるような優しい色です。
だからこれは暗闇からの合図だと白うさぎは思いました。やっと約束の時がきたのだと。
白うさぎは窓の外の声に耳をすませます。
皆が皆、親しい誰かと呼び合う声がします。その中に白うさぎを呼ぶ声はもうありません。
白うさぎはもう一度、手の中の橙色をした星のかけらをなでました。
しばらくそうしていましたが、やがて金色のかぎ針を持ちなおすと、銀色の糸をくりながら最後の星を編み込みました。
部屋をうめつくす銀糸と色とりどりの星々はまるで夜空の河のようです。
その様子をうっとりとながめながら、白うさぎは窓の外の橙色をし 空が真っ暗になるまで待つのでした。
******
黒うさぎはいつもそうしているように雲の原っぱから下を見下ろしていました。
あの子に橙色のあの星が届いたのかを確かめるつもりでした。
だから最初それを見つけた時には何かの間違いかと思って、両目がチカチカするくらい強く閉じました。
逸る心を抑えてもう一度身を乗り出します。
そこはずっと、ずーっと昔に一度だけ降りたあの原っぱでした。
大切な大切な約束をした、あの原っぱでした。
見下ろす先に夜の暗さはありません。
「……合図だ……」
知らずにこぼした呟きがふるえます。
見下ろす先は、こことかわらない空でした。
色とりどりの星のかけらでできた、ここよりずっと素晴らしく美しい星の河でした。
「合図だ!! あの子からの合図だ!!」
黒うさぎは嬉しさのあまり雲の上から飛び降りました。
グングン飛び降りた雲が遠のきます。
グングンあの子の星の河が近づきます。
下からそれを見上げている影が見えました。
あの頃からずいぶん姿はかわってしまったけれど、それは間違いなくあの白うさぎでした。
「―――本当に来てくれたのね」
色とりどりの星の河に降り立った黒うさぎを見て、白うさぎはそう言いました。
もうずっと、ずーっと昔に言葉を交わしたきりなのに、その声はまるで昨日も遊びに来た友人に向けるように穏やかで親しげな声です。
だから黒うさぎもそれにならって言いました。
「それはそうさ。僕はあれからずっとずっと君のことを見ていたんだもの。言っただろう? 君の合図で飛んでくるよって」
淡い光の星の河。
その上で二人は初めて互いの姿を見ることができました。
「あなたは黒いうさぎだったのね」
白うさぎが言いました。
「君は夜の暗がりの中で真っ白に見えた」
黒うさぎはそう言うと、白うさぎをまっすぐに見つめます。
不思議なことに、黒うさぎの瞳に映る白うさぎの姿は約束の日そのままでした。
二人の足下で星の河が揺らぎます。
ユラユラと淡い光を放ちながら星の河は原っぱから浮き上がり、月へと向かって伸び上がります。
「そういえば私たちお互いの名前も知らないわ」
白うさぎが笑います。
「僕はすっかり自分のことを忘れてしまったんだ。誰にも呼んでもらえなかったから」
黒うさぎの声が哀しげに沈んだのを聞いて、白うさぎは陽気に言いました。
「私も忘れてしまったのよ。だってあなたと約束したでしょう? 誰も私を呼ばなくなったらと」
星の河はもう月への道のように伸びています。
「―――あの月まで、僕も行っても良いと思うかい?」
どこかおびえた子供のように、黒うさぎが言いました。
「あなた以外にいったい私は誰と行くの?」
黒うさぎの手を握った白うさぎは傷だらけのその手を優しくひきます。
「優しい、優しい、優しいあなた。あの日私を見つけてくれた。一人でないと教えてくれたわ」
今はもう、星のひとつも持たないその手。
「星の降る降る、あなたの涙が。私はいつか駆けて行って、あなたに言いたかったの」
傷だらけの手をいたわりながら、それでも白うさぎはひく力を少し強めて星の河を駆け出しました。
星の河が空に昇りはじめた今、下には暗い原っぱがあるだけです。引っ張られるままに駆け出した黒うさぎは原っぱが遠のいていくのを振り返りました。
「お父さんを泣かせなかった。お母さんも泣かせなかった。けど私は泣いたわ。あなたがあんまり優しくて」
星の河は昇ります。黒うさぎがいた雲の原っぱもあとにして。
星の河は昇ります。二人を乗せて月までも。
黒うさぎは息が上がってきました。ずっと駆けっぱなしの白うさぎだって一緒のはずですが、白うさぎに止まる様子はありません。
もうついに月は目の前です。
「怖がらないで、大丈夫。私はあなたを知ってるもの。強くて優しいあなたを知ってるもの」
―――星の降る降る。
泣かないで。憶えていてと。
―――雲を編む編む。
忘れないで。迎えに来てと。
「世界で一番、あなたが大好き」
誰からももらったこともない言葉に、黒うさぎは一瞬疲れも忘れてぼうっとなりました。
「だから呼ぶわ。あなたを。何度も、何度も」
もうずっと、ずーっと昔。最初に泣いたのは白うさぎ。
動かない黒うさぎの手をひいて、白うさぎは月の中央をくぐります。
瞬間、星の河は砕け散り、幾筋もの流れ星となって地上に降り注ぎました。
残った銀色の雲の名残は月のまわりをたゆたって、月の虹になりました。
だから今でも白く淡く浮かぶ月にうさぎの影が見える夜には。
―――星の降る降る、虹の出る―――。