番外編 ノクスと馬車の冒険(後編)
ノクスが足を止めたのは、パン屋の前だった。
そのパン屋の軒先には、一人の青年がいた。
「あれ、ノクス?」
声をかけてきたその青年のことを、ノクスも知っていた。
パン屋見習いの青年、ルカだ。
少し前まで子どもだと思っていたのに、すっかり大人びたものだ。
「御者もなしに、こんなところまで来たのか?」
ノクスは鼻を鳴らした。
ルカは、馬車から顔をのぞかせる小さな女の子に気づいた。
「なんだ、お嬢ちゃん。パンを探していたのか?」
そう言って、ルカは店の奥へ一度引っ込んだ。
そして再び出てきたとき、その手には三つのパンがあった。
「俺が焼いたパンだ。ちょっと見た目は悪いかもしれないけど、食べたら元気になるぞ」
ルカが女の子にパンを差し出す。
「ありがとう、ルカおにいちゃん」
女の子は笑顔を見せて、パンを受け取った。
※
再び、馬車は王都の夜を駆けていく。
夜空には、美しい月と星々が見えた。
女の子は、探しものを無事に見つけたようだった。 もう、馬車が導く力は感じない。
ノクスは自分がよく知っている道を、ただ進むだけだった。
帰った先は、ヴェルナー公爵家。ノクスにとっても、自分の家だった。
屋敷の外には、アルトやクラリス、侍女たちが出てきており、騒がしい様子だった。
クラリスが、ノクスと馬車に気づく。
女の子は、自分で馬車を降りた。
「リディアナ!」
クラリスが女の子——娘のリディアナに気づき、走り寄って抱きしめた。
アルトも、ほっとしたように笑みを浮かべる。
「よかった……。無事で」
クラリスは腕を離し、リディアナの顔を見た。
「何をしていたの? 夜に屋敷を飛び出すなんて……。ノクスまでいなくなって、どうしたらいいか分からなかったわ」
「ごめんなさい……」
リディアナは、本当に申し訳なく思っているように見えた。
そして、手に持っていたパンを差し出す。
「お父様もお母様も、いつもおしごとでおつかれのようだったから……げんきになるものをさがしたかったの」
クラリスが手で口を押さえた。
「ああ……」
クラリスはパンを受け取り、もう一度、リディアナを抱きしめた。
「ありがとう……リディアナ。心配をかけてごめんね」
アルトも二人に寄り添い、リディアナの頭を撫でた。
それから、ノクスのそばへ歩み寄る。
アルトは、そっとノクスの頬に触れた。
「ありがとう、ノクス」
ノクスは小さく鼻を鳴らした。
※
三人がパンをおいしそうに食べるのを見届けてから、ノクスは馬車小屋に戻った。
そして、いつもの場所に体を横たえる。
アルトやクラリスとの冒険は、とても楽しかった。
王都中を巡り、ときには辺境までの長旅もした。
泣いている人を乗せ、迷っている人を運び、探しものを見つけるために、何度も走った。
これからも、そんな冒険が続けばいいと思っていた。
けれど、もう十分長く走ったとも思う。
気づけばヴェルナー侯爵は公爵となり、アルトが家督を継いだ。
そのヴェルナー公爵家の小さな令嬢を助け、家族の絆を少しだけ深めることができたのなら、最後の仕事としては悪くない。
あの心優しい小さな令嬢は、きっとこのヴェルナー公爵家をしっかりと引き継いでいくだろう。
この家はもう必要なものをすべて見つけたのだ。
そろそろ、奥様やアルフレッド様に会いに行く頃合いかもしれない。
ノクスは、遠い冒険の記憶を振り返りながら、静かに目を閉じた。
——これだけの思い出があれば、もう探したいものなんてないな。
その寝顔は、まるで静かで平和な王都をもう一度走っているように、穏やかだった。
ノクス視点が書きたくて、番外編(後日談)を書いてみました。
本編からは時間がいくらか進んで、いろいろ環境も変わりました。
これまで長い間、ヴェルナー侯爵家のため、王都の人々のために働いてきたノクスには、ゆっくりと休んでもらえればと思います。(文字通り馬車馬のように働いてきてくれたので……)
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改めて、ありがとうございました。




