第四話 伯爵令嬢の失踪した婚約者
アルトは、アーヴェント伯爵家の門前に辻馬車を止めた。
約束の時刻より早く到着したのだが、セシリア・アーヴェント伯爵令嬢は、すでに門の前で待っていた。
伯爵令嬢が供もつけずに門前で辻馬車を待つなど、普通ならありえない。
けれど、セシリアは体面を気にしていられない様子だった。
「アルトさんですか?」
セシリアのほうから声をかけてきた。
アルトは御者台から降りる。
「はい、そうです。セシリア様ですね。お待たせいたしました」
「いえ、私が勝手に早くから待っていただけですから」
アルトは馬車の扉を開け、セシリアに乗るよう促した。
セシリアの手に封書のようなものがあるのが目に入った。
「どちらへ?」
アルトが尋ねる。
「わかりません」
「……わからないのですか?」
「……クラリス様にこの馬車のことを伺っているのですが……」
「……探しものの馬車のことですか?」
セシリアが頷く。
「探しているものがあるのですね?」
「はい……」
「では、行き先は馬に任せましょう」
アルトは手綱を軽く鳴らした。
馬車が王都の夜を進む。
「何を探しているかはお聞きにならないのですか?」
セシリアが口を開いた。
「この馬車が走るのに、僕がお客様の探しものを知る必要はないのです」
「そう……」
「もしお話しになりたいのであれば、もちろん構いません。ですが、無理にお話しいただく必要もございません」
セシリアは少し考えて、再び口を開く。
「……聞いていただいてもよろしいでしょうか。私ひとりでは、もうどうすればいいのか分からなくて」
「はい」
セシリアが話を始める。
「私にはジュリアン・ノルドという婚約者がいます。……いました、と言うべきかもしれません」
「……というと?」
「行方不明になっているんです。彼が失踪してからもう一年が経ちます」
「失踪……ですか。姿を消される前に、何か変わったことは?」
「はい……。ジュリアン様は、貴族としては裕福な方ではありませんでした。けれど、とてもお優しい、誠実な方でした。困っている人を放っておけない方で、孤児院への寄付を募る夜会でも、ご無理をなさって、真っ先に名乗り出てくださるような方なのです」
セシリアは、そこで一つ呼吸を置いた。
「王都の救済事業にも熱心な方だったのですね?」
アルトの脳裏にはクラリスのことが浮かんでいた。
「そうなんです。ところが、あるとき、ジュリアン様は、王都の救済金の流れに、おかしなところを見つけたと言っていました。そして、それが不正を行っている方に見つかってしまった、と。それで身を隠さないといけないと仰ったのです」
「その後、どうされたのですか?」
「私にできることは多くありませんでした。けれど、少しでもお力になりたくて……伯爵家の別宅をお貸しして、生活費などもお渡しいたしました」
「それから何があったのですか?」
「ある日、別宅を訪ねたら、もぬけの空になっていたのです。書き置きに、これ以上、伯爵家には迷惑をかけられない、と」
セシリアは小さくため息をついた。
「それで、ジュリアン様が調べていたという救済金の流れについて、クラリス様に相談していたのです。それで、あなたのことを最近伺って……」
アルトの手綱を握る指が、わずかに止まった。
「……どうかされました?」
「……いえ。僕にも行方のわからない婚約者がおりまして」
セシリアはその偶然に驚く。
「その方は今どうされているのですか?」
「行方不明です。もう十年も」
「え……?」
「探しものの馬車は、御者の僕の探しものは見つけてくれないのです」
「そう……何か申し訳ないですね」
「いいえ」
アルトは前を向いたまま、静かに言った。
「探し続けることは、慣れておりますから」
二人の会話が途切れる。
馬車は王都の夜を走り続ける。
やがて貧民街の共同住宅の前で馬車が止まった。
「ここは……?」
セシリアの声がかすれた。
古びて薄汚れた建物。
各々の部屋はとても小さい。
路地を行き交う人は着古された服を着て、痩せ細っている。
セシリアのような伯爵令嬢が来るような場所ではなかった。
そして、ジュリアン・ノルドもいるはずのない場所だった。




