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【連載版】婚約破棄された公爵令嬢が「どこにも行かず、ただ走らせて」と言ったので、辻馬車は夜の王都を走り続ける  作者: Vou@書籍化進行中
第六夜 【乗客】王国を支えてきた王弟

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第二十二話 王国を救えなかった王弟

「王国民すべてを幸せにする方法があると、そう言うのか?」


 エルンストは訝しげにクラリスを見た。


「はい」


 クラリスは即答した。


「ですが、それはとてつもなく難しいことだとも思います」


「その方法とは何だ」


 エルンストの声に苛立ちが滲む。


「この探しものの馬車(ロスト・キャリッジ)が殿下をここへ導いたのなら、ここに答えがあるのだと思います」


「だから、それは何だと聞いている」


 クラリスは、救護院の中を見回した。


 ルカが皿を並べている。

 エマがパン籠を支えている。

 ミリアがスープをよそい、熱のある子どもの器だけ少し冷ましている。

 グスタフの焼いたパンが、子どもたちの前に置かれていく。


「隣にいる人を、助けることです」


 エルンストは眉をひそめた。


「それだけで、王国民すべてを救えるわけがなかろう」


「一人では無理です」


 クラリスは静かに頷いた。


「ですが、一人が隣の一人を助ける。助けられた人が、また別の誰かを助ける。そうして少しずつ広がっていけば、いつか王国全体に届くかもしれません」


「理想論だ」


「はい」


 クラリスは否定しなかった。


「ですが、殿下が探しておられたものも、理想なのでしょう?」


 エルンストは答えなかった。


「多くの者は、自分を守るだけで精一杯だ。他人を助ける余裕などない」


「それでいいのです」


「何?」


「自分を守れない人が、他人を助け続けることはできません。自分を犠牲にしてまで助けよ、とは思いません」


 クラリスは、パンを配るルカを見た。


「けれど、人は一人では生きていけません。パンひとつ焼くにも、小麦を育てる人、粉を挽く人、火を起こす人、焼く人、運ぶ人が必要です」


 エルンストは黙って聞いていた。


「本当に一人で生きている人など、この王国にはいないのだと思います。誰もが、どこかで誰かに支えられているのです。どう足掻いても、私たちはこの世界の一部なのです。せっかくならこの世界を、少なくとも自分の周りは明るい色にしたいではないですか」


「だから、隣人を助けろと?」


「いいえ」


 クラリスは首を振った。


「自分も誰かに支えられている、この世界の一部なのだと知れば、ほんの少しだけ、隣の人に手を伸ばせるかもしれない。私は、そこから始めたいのです」


「それで王国が救えると?」


「すぐには救えません。

 何度も言いますが、これはとてつもなく難しいことだと思います。でも、不可能ではないとも思います」


 クラリスの声は揺れなかった。


「でも、一人を人として数えない王国を幸福とは呼べません。だから私は、まず隣にいる一人を数えます」


 エルンストは鼻で笑った。


「机上の理屈にすぎんな」


「そうかもしれません」


 クラリスは少しだけ微笑んだ。


「私も、殿下と同じでした。毎日、机上で書類と向き合って、支援先を決めて、必要なものを届ければ、多くの人を助けられると思っていました」


 そこで、クラリスはアルトを見た。


「ですが、アルトさんに出会って、私は見つけたのです」


「何をだ?」


「書類の先にいる、血の通った本物の人々を」


 アルトは何も言わなかった。


 クラリスは続ける。


「そして、人を幸せにしようとすることで、自分も幸せになれるのだと知りました」


 エルンストは、納得のいかない顔をしていた。


 その時、ルカがやってきた。


 皿の上に、焼きたてではないが、まだ温かさの残るパンが乗っている。


「おじさんも、どうぞ」


 突然差し出されたパンに、エルンストは困惑した。


「……私にか?」


「うん」


 ルカは当然のように頷いた。


「グスタフさんは怖いけど、グスタフさんのパンはすっごくうまいよ」


 クラリスとアルトが、思わず小さく笑った。


「ルカさん。こちらは王弟殿下ですよ」


「えっ? 偉い人?」


 ルカが目を丸くする。

 けれど、すぐに皿を引っ込めることはしなかった。


「でも、パンは食べるでしょ?」


 エルンストは、しばらくその皿を見つめていた。


 やがて、苦笑する。


「そうだな。パンは食べる」


 エルンストはパンを受け取り、一口齧った。


 固すぎず、柔らかすぎず、素朴な味がした。


 王城の食卓に並ぶ白いパンとは違う。

 飾り気もない。

 特別な味付けがされているわけでもない。


 けれど、確かに温かかった。


「……うまい」


「そうでしょう?」


 ルカが得意げに笑った。


「俺、今日それ運ぶの手伝ったんだ」


 エルンストは、パンを見下ろした。


 盗むしかなかった少年が、今は誰かにパンを配っている。


 それは、王国民すべてを救う方法ではない。


 だが、少なくとも一人の少年を、盗むしかなかった夜から、ここまで連れてきたものではあった。


 エルンストは、もう一口、パンを齧った。

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