表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】婚約破棄された公爵令嬢が「どこにも行かず、ただ走らせて」と言ったので、辻馬車は夜の王都を走り続ける  作者: Vou@書籍化進行中
幕間 【乗客】辺境へ向かう公爵令嬢と聖女候補

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/49

第十七話 失われた村

 ラウネ村——通称、失われた村(ロスト・ヴィレッジ)


 王国の中でも、最貧の村として一部に知られる村だった。


「この村に、また来ることになるとはね……」


 ミリアが呟いた。


「この村をご存じなのですか?」


 クラリスが尋ねる。


「ええ」


 ミリアは、感情の薄い声で答えた。


「私の生まれ故郷ですから」


「ここが……」


 クラリスは思わず呟いた。


 荒れた畑。

 痩せた土。

 傾いた柵。

 柱の腐りかけた小さな家々。


 道を歩く人々は、誰もが痩せていた。

 子どもたちはこちらを見ても駆け寄ってこない。

 大人たちは馬車を見ると、警戒の色を浮かべた。


 王都の救護院で見た貧しさとは違う。


 人助けを求めるわけでもなく、盗もうとするのでもなく、ただ諦めている。


失われた村(ロスト・ヴィレッジ)……ラウネ村……」


 クラリスは膝の上の書類を開いた。


「記録の上では、辺境の中でも最も多くの支援物資が配給されています。家屋と井戸の修繕費も出ている。保存食、肥料、薬草、冬用の毛布も、かなりの量が届いているはずです」


「届いていないわ」


 ミリアが短く言った。


 クラリスが顔を上げる。


「一度も?」


「少なくとも、私がこの村にいた頃には」


 ミリアは荒れた畑を見た。


「保存食が届いたことも、薬草が届いたことも、肥料が配られたこともない。井戸はずっと壊れかけていたし、冬の毛布は足りなかった。家が傾いても、修繕の職人なんて来ませんでした」


「でも、記録では……」


「記録の中では、この村は何度も救われていたのでしょうね」


 ミリアの声は静かだった。


 怒っているわけでも、嘆いているわけでもない。


 けれど、その静けさがかえって重かった。


「ラウネ村は何も取り戻せない。だから、失われた村(ロスト・ヴィレッジ)と呼ばれているのです」


「失われた……」


「ええ」


 ミリアは、白い法衣の袖を握った。


「この村で失われるのは、物だけではありません。食べ物も、薬も、冬の薪も、子どもの未来も、何もかもが少しずつ失われていくのです」


 クラリスは何も言えなかった。


「私は、たまたま聖属性の魔力があったから、教会に連れて行かれました」


 ミリアは自嘲するように笑う。


「救われたのだと、王都の方々は言いました。女神様に見出された幸運な娘だと」


「……」


「でも、違うのです」


 ミリアは、村の奥にある朽ちた小屋を見つめた。


「私は救われたのではありません。この村から、まだ使えるものとして持ち出されただけ。私自身も、この村から失われた一つなのです」


「ミリア様……」


「私が王都に行けば何かが変えられるかもしれないと思っていたわ。

 けれど、王都で白い法衣を着ても、この村には何も届かなかった。私が民の前で涙を流しても、この村の井戸は直らなかった。私が聖女候補と呼ばれても、この村は失われたままだった」


 その時だった。


 村の入口にいた老人が、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。


 背は曲がり、顔には深い皺が刻まれている。


「王都の方々ですかな」


 老人は、クラリスのドレスとミリアの法衣を見た。


「王都救済事業の視察で参りました。クラリス・レーヴェンハイトと申します」


 クラリスが丁寧に頭を下げる。


 老人は、しばらく彼女を見つめたあと、乾いた声で笑った。


「視察」


 その一言だけで、歓迎されていないことが分かった。


「また、見に来ただけですか」


 クラリスは息を呑んだ。


「また、というのは……」


「王都の方々は、いつも見に来ます。帳面に何かを書いて、困っていることはありませんかと尋ねて、そして帰っていく」


 老人は、村の中央にある古い井戸を指差した。


「あの井戸も、三年前から書類の上では直っております」


 クラリスの手元の書類が、かすかに震えた。


「……井戸は、修繕済みのはずです」


「ええ」


 老人は頷いた。


「王都では、そうなのでしょう」


 その言葉には何の感情も込められていなかった。


 ミリアが、老人を見つめていた。


「長老……」


 老人の目が、ミリアに向く。


「おや」


 彼は少しだけ目を細めた。


「誰かと思えば、ミリアか」


「……お久しぶりです」


「立派になったな」


 老人は白い法衣を見た。


「王都の人間らしくなった」


 その言葉に、ミリアの肩がわずかに揺れた。


「私は……」


「責めているわけではない」


 老人は静かに言った。


「出ていける者は、出ていけばいい。この村に残るよりは、その方がよほどいい」


 ミリアは何も言えなかった。


「だが、王都へ行った者がきれいな服を着て戻ってきても、井戸は壊れたままで、薬草も届かん。腹を空かせた子どもが満たされるわけでもない」


 クラリスは、胸の奥を刺されたように感じた。


 ミリアだけではない。

 それは、クラリスにも向けられた言葉だった。


「……届いていないものを、届いたことにはしません」


 クラリスは、静かに言った。


 老人が彼女を見る。


「王都の書類ではなく、この村で起きていることを記録させてください」


「記録して、どうなりますかな」


「王都へ持ち帰ります」


「王都から来た者たちは皆、そう言います」


「私は、必ず戻ります」


 クラリスは老人の目を正面から見た。


「この村に、支援を届けます」


 老人は、しばらく黙っていた。


 やがて、視線をミリアへ移す。


「ミリア」


「はい」


「おまえは、わしらを同情しに来たのか」


 ミリアは息を呑む。


 以前の自分なら、村人の手を取り、涙を流し、つらかったですねと慰めただろう。


 だが、今は違う。


 涙だけでは、誰も救えないことを知った。


「いいえ」


 ミリアは白い法衣の裾を持ち上げた。


「水を汲みに来たのです」


 老人が、わずかに眉を動かした。


「井戸は壊れているぞ」


「では、どこまで行けば水がありますか?」


 ミリアは長老に尋ねる。


「私に、桶を貸してください」


 クラリスが、驚いてミリアを見た。彼女もまた、ミリアが以前のミリアではないことに気づいた。


 聖女候補ミリア・フローレンスは、民のために涙を流すためにこの村へ戻ってきたのではない。


 失われた村に、もう一度何かを届けるために戻ってきたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ