第十一話 パンが導く先
アルトはルカを馬車に乗せ、その住処に向かった。
辻馬車が夜の王都を走っていく。
そこは、誰からも忘れられたような王都の片隅にある、朽ちかけた馬小屋だった。
「ミナ、帰ったぞ。パンが腹いっぱい食べられるぞ」
ルカが声をかけるが、誰も答えない。
「おい、ミナ……?」
それほど大きくもない馬小屋の中を見て回る。
ルカの声に、緊張が滲んだ。
「おい、どこに行ったんだ!」
ルカはついに叫び出した。
「妹さんがいないのですか?」
まだそこに留まっていたアルトが、御者台を降りた。
「いない! ミナがいない! あいつ、熱を出してずっとここで横になっていたのに!」
「ルカさん、馬車に乗ってください」
「えっ? でも……」
「この馬車は探しものの馬車です」
「ロスト・キャリッジ……?」
「そうです。探しものがある人を、その場所へ連れていく馬車です」
「本当に、ミナを見つけられるのか?」
「ただ、強く思ってください。妹さんに会いたいと」
ルカは一瞬だけ迷い、それから慌てて馬車に乗った。
アルトはいつもより強めに手綱を鳴らした。
馬車が走り出す。
※
馬車は夜の王都を走る。
ルカの住処だった馬小屋からは、みるみる離れていった。
「おい、そっちじゃない!」
ルカが窓の外を見て叫んだ。
「ミナが一人でこんなに遠くに行けるわけがないだろ! 本当にミナのところに向かってるのかよ!」
「はい」
アルトは手綱を握り直す。
「この馬車が選んだ道です」
やがて馬車は、見覚えのある建物の前で止まった。
そこは、先ほどのグスタフのパン屋だった。
すでに店は閉まり、表の明かりも消えている。
「……なんで」
ルカの顔から血の気が引いた。
「ここじゃない。ミナが、こんなところにいるはずがない!」
「行ってみましょう」
アルトが御者台を降りた。
ルカも慌てて馬車から飛び降りる。
「ミナ! いるのか!?」
ルカが叫ぶ。
その声を聞きつけたのか、店の奥からグスタフが出てきた。
「おい、静かにしろ!」
グスタフは二人の顔を見て、眉をひそめる。
「またあんたらか。病人が寝てるんだ。騒ぐんじゃねえ」
「病人……?」
ルカが固まった。
「ミナを……どうしたんだよ」
「どうしたも何もねえ。店の前で倒れていたんだよ。熱が高かったから、奥で寝かせてる」
「店の前で……?」
「そうだ。店先で子どもに倒れられたら邪魔だからな。仕方なく上げたんだ」
グスタフは不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「おまえの知り合いなら、見ていけ。ただし、今は休んでるから静かにしろよ」
グスタフが中へ入るよう促した。
ルカとアルトは、パン屋の中へ入っていく。
※
奥の小さな部屋に、寝台があった。
そこに、小さな少女が横たわっていた。
薄い毛布をかけられ、額には濡れた布が置かれている。
「ミナ……」
ルカが寝台のそばへ駆け寄る。
ミナの頬は赤く、呼吸は浅かった。
けれど、朽ちかけた馬小屋の冷たい床で眠っているよりは、ずっとましに見えた。
「ずいぶんひどい熱だったぞ」
グスタフが腕を組んで言った。
「まさかこのお嬢ちゃんがおまえの妹だとはな。小さい子をひとりで置いておくな。……と言いたいところだが、そうするしかなかったんだろうな」
ルカは何も言い返せなかった。
「俺たちは親もいないんだ。俺が外に出て食べ物を持ってこないと、生きていけないんだよ」
グスタフは「ふん」と鼻を鳴らした。
「だからって盗んでいい理由にはならねえ」
「分かってるよ……」
「分かってるならいい」
その時、ミナがうっすらと目を開けた。
「お兄ちゃん……?」
「ミナ!」
ルカが身を乗り出す。
「ほら、起きちまったじゃねえか」
グスタフが顔をしかめる。
しかし次の瞬間、彼は声を少しだけ和らげた。
「お嬢ちゃん、大丈夫か。うるさくして悪かったな。ゆっくり寝てていいんだぞ」
先ほどまでのルカへのぶっきらぼうな口調とは、まるで違う声だった。
「ミナ、なんでこんなところにいるんだよ!」
ルカが問い詰めるように言う。
「おい。病人に怒鳴るな」
グスタフが低く言った。
ミナは、泣きそうな顔で小さく答えた。
「……一人で怖くて、お兄ちゃんを追いかけたの」
「なんでそんなこと……!」
「お兄ちゃん、帰ってこなかったから……」
ルカは言葉を失った。
グスタフが、ぼそりと言う。
「俺がおまえを追いかけて戻ってきたら、この子が店の前で倒れていた。その後に、おまえがパンを返しにきたんだ」
「……」
「この子は、おまえがパンを買いに行ったと言っていたぞ」
ルカは、抱えていた紙袋を見下ろした。
買ったパンではなかった。
盗んだパンで、返したパンで、そして、グスタフから渡されたパンだった。
「帰るぞ」
ルカは、絞り出すように言った。
「ミナ、こんなところにいたら迷惑だ」
「無茶を言うな」
グスタフが即座に言った。
「この熱で動かす気か。今日はおまえもここで寝ていけ」
「でも……」
「妹がよくなったら連れて帰ってもらわんと困る。だから、それまでここにいろ」
それは追い払う言葉ではなかった。
あまりに不器用な、泊まっていけという言葉だった。
ルカは俯いたまま、唇を噛んだ。
「あの……」
それまで黙って様子を見ていたアルトが口を開いた。
「今日は遅いので、グスタフさんのお言葉に甘えましょう。明日、僕が救護院へお連れします」
「救護院……?」
ルカが訝しげにアルトの顔を見た。
「あなたたちを守ってくれるところです」
「俺たちを守ってくれる大人なんていない……」
「そんなことはないですよ」
アルトは静かに言った。
「今夜だって、あなたは、妹さんを見つけて、守ってくれた大人に会ったじゃないですか」
ルカは、グスタフを見た。
グスタフは気まずそうにそっぽを向く。
「見つけたんじゃねえ。店の前で倒れてたんだ」
「それでもです」
アルトは穏やかに言った。
「ルカさんが探していたものは、妹さんだけではなかったのかもしれません」
「……何だよ、それ」
「妹さんを見つけてくれる人。助けを求めてもいい場所。そういうものです」
ルカは何も言えなかった。
ミナが、小さくルカの服の袖を握る。
「お兄ちゃん……ここ、あったかいね」
その一言に、ルカは顔を歪めた。
盗んだパンを抱えて逃げ回った夜。
その先で見つけたのは、妹だけではなかった。
ルカは、自分たちがまだ誰かに見つけてもらえるのだということを知った。




