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 あの日、王家騎士団長デキムスを追い返した録音の声は、見えない翼を得たかのように王国全土へと広がっていった。

 私が放った密偵――公爵家の情報網に加え、前世の「宣伝活動プロパガンダ」の知識を動員した結果だ。吟遊詩人たちは酒場で歌い、商人たちは国境を越えて噂を運ぶ。「アウルス王子は、自らの不祥事を隠すために忠義の公爵令嬢を売国奴に仕立て上げようとした」……。

 王家の権威という名の虚飾は、たった一つの真実の録音によって、砂の城のように崩れ去りつつあった。


 けれど、追い詰められた鼠ほど恐ろしいものはない。

 

「……クィンティリア様、王都からの至急報です」


 白銀館の作戦会議室。壁に掲げられた大きな地図を指し示したのは、新しく我が家の参謀役に据えた冷静沈着な退役将校、マニウスだった。


「国王セルウィウス陛下が、心労により倒れられました。……これを受け、アウルス殿下が『摂政』への就任を強行。さらに、バルバリス帝国との間に『安全保障条約』という名の軍事協定を結んだ模様です」


「軍事協定……? あのお馬鹿さん、ついに国を売ったのね」


 私は地図上の王都に置かれた駒を弾き飛ばした。

 前世の知識――原作のシナリオでは、アウルスは内乱を鎮めるために帝国の力を借り、結果として王国を帝国の属国へと貶める。それが、ウェスペリウスが死に物狂いで守ろうとした国の終焉だった。


「帝国軍の先遣隊がすでに国境を越え、こちらに向かっています。その数、およそ五千。指揮を執るのは、帝国の『剛腕』と称される将軍、アグリッパです」


「五千……。対するこちらの兵力は?」


 隣に立つウェスペリウスが、静かだが鋭い声で答えた。


「訓練を終えた公爵領の常備軍が五百。それに、新装備を支給した義勇兵が千。……数では三倍以上の開きがありますが、地形の利と、クィンティリア様が授けてくださった『新兵器』があれば、守り切ることは可能です」


 ウェスペリウスの瞳には、かつての孤独な騎士の影はない。

 彼は今、私のために、そしてこの領地を守るために、真の「将」へと覚醒していた。


「……いいえ、ウェスペリウス。守るだけではないわ」


 私は地図の国境線から、王都へと続く街道を指でなぞった。


「帝国軍をこのアルゲントゥムの谷で叩き潰し、その勢いのまま王都へ進軍する。……アウルスを玉座から引きずり下ろし、この国に本当の『夜明け』を連れてくるのよ」


 決戦を翌朝に控えた夜。

 アルゲントゥムの街は、嵐の前の静けさに包まれていた。

 私は一人、城壁の上に立ち、暗く広がる雪原を見つめていた。吐き出す息は白く、心臓の鼓動が耳の奥で速く響いている。


(怖い……。本当に、私なんかにこんな大役が務まるのかしら)


 前世ではただのOLだった私が、今や数千人の命を左右する戦場の中心にいる。

 

 その時、背後から温かな外套が私の肩にかけられた。

 振り返らなくてもわかる。この懐かしい鉄と雪の香りは、彼だけのものだ。


「……眠れないのですか、クィンティリア」


「ウェスペリウス。ええ……少しだけ、この雪を見ていたくて」


 彼は私の隣に立ち、同じように闇を見つめた。

 彼の大きな手が、外套の上から私の肩を優しく抱きしめる。


「……貴女が、あのアウルス王子の婚約を破棄したあの日。私は、貴女が別の世界の人のように見えました。あまりに強く、あまりに美しく、私の手の届かない高みへ行ってしまうのではないかと。……ですが、今、こうして震えている貴女の肩を感じて、安心しています」


「……私、そんなに震えてる?」


「ええ。とても可愛らしく、守りたくなるほどに」


 彼は私を自分の方へ向き直らせ、その深い夜色の瞳で私を射抜いた。


「クィンティリア。明日、私が先陣を切ります。貴女が作ってくれたこの魔法銀の剣で、帝国の牙を全て叩き折ってみせる。……ですから、貴女は後ろで見ていてください。貴女が信じた勝利が、形になる瞬間を」


「……約束して。絶対に、無茶をしないって。あなたが傷つくくらいなら、私、国なんてどうなってもいいわ」


 私の本音に、ウェスペリウスは低く笑った。

 彼は私の両手を取り、その手の甲に、誓いを刻むように深く長い口づけを落とした。


「……私の命は、あの日から貴女のものです。貴女を一人にすることなど、死神が許しても私が許さない」


 彼はそのまま、私の額に自分の額を寄せた。

 

「……愛しています。この戦いが終わったら、改めて、騎士としてではなく一人の男として、貴女に求婚させてください。……公爵令嬢としてではなく、私の『妻』になってほしい」


 高鳴る鼓動が、雪の静寂をかき消していく。

 私は彼の胸に顔を埋め、溢れ出しそうな涙を堪えた。


「……待っているわ。最高に綺麗なドレスを着て、あなたの帰りを」


 冷たい風が吹き抜ける城壁の上で、私たちは短い、けれど永遠のような抱擁を交わした。


 翌朝、夜明けとともに、地平線が黒く染まった。

 バルバリス帝国の精鋭「鉄機兵団」。

 全身を重厚な黒鉄の鎧で固めた騎兵たちが、大地を揺らしながら進軍してくる。その中央には、巨大な戦斧を担いだ巨漢、アグリッパ将軍の姿があった。


「――アルゲントゥムの反逆者どもよ! 帝国の慈悲を受け入れず、泥沼の抵抗を選ぶとは愚かな! その首、ことごとく跳ね飛ばしてくれよう!」


 アグリッパの咆哮とともに、帝国軍が一斉に突撃を開始した。

 対する領地軍は、谷の入り口を塞ぐように、奇妙な布陣を敷いていた。

 盾を並べた重装歩兵の背後には、長い筒のような魔導具を担いだ兵たちが並んでいる。


「……クィンティリア様、敵が射程に入りました」

 マニウスが報告する。


 私は城壁の上で、右手を高く掲げた。


「……科学の力と、魔法の結晶を見せてあげなさい! 第一戦列、放てっ!」


 その瞬間、轟音がアルゲントゥムの谷に響き渡った。

 私が開発した「魔導流体砲マジック・キャノン

 硝石の爆発力に火系統の魔力を上乗せしたその一撃は、帝国の誇る鉄機兵の鎧を、紙細工のように容易く引き裂いた。


「な……何だ!? この音は! 何が起きている!」


 アグリッパが動揺する。

 けれど、衝撃はそれだけでは終わらなかった。


 混乱する帝国軍の脇腹を突くように、白銀の閃光が雪原を駆けた。

 魔法銀の武具に身を固めた、ウェスペリウス率いる独立遊撃騎兵隊。


「……我が主の道を阻む者、一人として生かしては返さぬ!」


 ウェスペリウスの剣が青白く輝き、一振りごとに氷の嵐を巻き起こす。

 彼の剣速は、もはや人の目では追えない。帝国軍の精鋭たちが、恐怖に目を見開きながら、次々と氷の像へと変えられていく。


「おのれ、氷の騎士めぇ!!」


 アグリッパが戦斧を振り回し、ウェスペリウスに躍りかかった。

 巨体に見合わぬ速さ。激突する斧と剣。

 火花が雪を溶かし、衝撃波が周囲の兵を吹き飛ばす。


「貴様さえいなければ、この国はとうに帝国のものだったのだ!」


「……貴様らが奪おうとしたのは、ただの土地ではない。私の『全て』だ。……その罪、万死に値する!」


 ウェスペリウスの魔力が爆発した。

 彼の背後に、巨大な氷の翼が形成される。

 ――奥義『白夜の審判ノクス・アルジェントゥム


 銀色の閃光がアグリッパを貫いた。

 帝国の剛腕将軍は、その自慢の戦斧とともに、一瞬にして砕け散り、冬の風の中に消えた。


 帝国先遣隊の壊滅。

 その報は、雷のような速さで王国中に知れ渡った。

 もはや、アウルスの味方をする者は一人もいなかった。


 一週間後。

 私たち領地軍は、王都の城門の前に立っていた。

 門を守るはずの兵たちは、私たちが近づくと同時に自ら武器を捨て、膝を突いて道を譲った。民衆は、かつての「踏み台令嬢」ではなく、自分たちを救う「救国の聖女」を歓迎するように、花びらを撒き散らした。


 王宮の謁見の間。

 そこには、震えながら玉座にしがみつくアウルス王子と、隣で顔面蒼白になっているフルウィアの姿があった。


「……よくも、よくもやってくれたな! クィンティリア! 貴様、王位を簒奪するつもりか!」


 アウルスが叫ぶ。その声は、かつての傲慢さを失い、ただの臆病者の悲鳴に成り下がっていた。


 私はウェスペリウスを従え、真っ直ぐに玉座へと歩み寄った。

 

「王位? そんなものに興味はありませんわ。私が欲しいのは、あの日、あなたが踏みにじった『正義』と、この国の『未来』だけ」


 私は足元に、帝国との密約書――本物の、アウルスの署名入りの書類を叩きつけた。


「アウルス・ウィテリウス。並びにフルウィア・ウェンティディウス。……他国との内通、国庫の私的流用、そして私と公爵家に対する数々の冤罪。……その罪、万死に値します」


「う……うるさい! 私は王子だ! 誰もおれを裁くことはできん!」


「いいえ。法が裁けないのなら、この国を愛する『民』が裁きます。……そして、私はその代表として、あなたたちを永久に追放いたします。……バルバリス帝国の、最果ての監獄へとね」


 アウルスとフルウィアは、絶望の絶叫を上げながら、近衛兵たちによって引きずり出されていった。

 皮肉なことに、彼らが最後に縋ろうとした帝国が、今度は彼らの終の住処となるのだ。


 騒動が落ち着き、静まり返った謁見の間。

 窓から差し込む夕陽が、赤く室内を染めている。


 私は、長い戦いを終えて静かに控えるウェスペリウスを振り返った。

 彼の頬には、まだ戦場の煤が少しだけ残っていた。


「……ウェスペリウス。これで、終わったわ」


「いいえ、クィンティリア様。……ここからが、始まりです」


 彼はゆっくりと、私の前で片膝を突いた。

 そして、懐から一つの指輪を取り出した。

 アルゲントゥムの銀で作られ、私の瞳と同じ色の宝石が埋め込まれた、慎ましくも美しい指輪。


「……王都の繁栄も、王冠も、私には必要ありません。……ただ、私の命が尽きるその日まで、貴女を愛し、守る権利を私にください。……クィンティリア。私の妻になっていただけますか?」


 前世の私が、画面の向こう側で涙を流して願っていた光景。

 それが今、私の現実としてここにある。


「……ええ。喜んで、私の騎士様」


 私は彼の手を取り、自分から彼を抱きしめた。

 

 浮気者の王子なんて、最初からいらなかった。

 私は私の知識で、運命を切り拓き、最高に不器用で、最高に誠実な、私の初恋を勝ち取ったのだ。


 窓の外では、王都の民たちが新しい時代の幕開けを祝って歓声を上げている。

 

 私たちの物語は、ここから一生ハッピーエンドへと続いていく。

 愛する人と共に、この美しい銀の世界で。

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