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 カーテンの隙間から差し込む朝陽が、私の瞼を容赦なく叩いた。

 意識が覚醒すると同時に、昨夜の出来事が鮮明な色彩を持って脳裏に蘇る。婚約破棄、前世の記憶の奔流、そして最推しの騎士ウェスペリウスへの宣戦布告にも似た招待。


(……やった。本当にやったんだわ、私)


 ふかふかのベッドの中で、私は小さく拳を握りしめた。

 これまでのクィンティリアなら、今頃は泣き腫らした目で絶望の淵に沈んでいたはずだ。けれど、今の私にはそんな暇はない。アウルスの隣という「処刑台への特等席」を壮大に蹴り飛ばした今、私の前には無限の選択肢と、それ以上に重い「愛する男を救う」という大事な使命が転がっている。


「失礼いたします、クィンティリア様。お目覚めでしょうか」


 扉を叩いたのは、幼い頃から私に仕える侍女のドゥルシッラだ。

 彼女は部屋に入るなり、私の顔を見て「ああっ!」と悲鳴に近い声を上げた。


「お嬢様、お顔色が……その、昨夜のことは聞き及んでおります。アウルス殿下があのような暴挙に出られるなんて! 旦那様はすでにお怒りで、応接間が氷点下になっておりますわ」


「おはよう、ドゥルシッラ。お父様がお怒りなのは当然ね。でも安心して、私はとても気分がいいの」


 私がベッドから飛び起き、両手を腰に当てて胸を張って朗らかに笑ってみせると、ドゥルシッラは神でも見たかのように絶句した。無理もない。昨夜まで、私はアウルスのために髪を一房整えるのにも一喜一憂するような、恋に盲目な一女性だったのだから。


「さあ、着替えを。最高に気高く、それでいて隙のあるドレスを選んで頂戴。今日は大切なお客様がいらっしゃるの」


「お、お客様……? まさか、殿下が謝罪に?」


「まさか〜。ンフフ♪ あんな泥船、こちらからお断りよ。今日来るのは、私の『運命』よ」


 困惑するドゥルシッラを急かし、私は準備を整えた。

 選んだのは、深い夜空のようなネイビーのシルクドレス。胸元には公爵家の家紋である銀の百合をあしらい、強気な令嬢としての威厳を演出しつつ、首筋を少しだけ強調するデザインだ。


 鏡に映る自分を見る。クィンティリア・オクタウィウス。

 切れ上がった涼やかな目元、透き通るような肌。自画自賛になるが、かなりの美人だ。前世の私がこのゲーム(あるいは小説)を空想していた時も、ビジュアルだけならヒロイン以上だと思ったのを思い出す。


(さあ、まずは家庭内の掌握ね)


────


 一階の応接間に降りると、そこには案の定、憤怒の業火を背負った父、コルネリウス・オクタウィウス公爵が立っていた。

 彼は文官のトップである宰相を務めており、その厳格さは王宮でも恐れられている。


「クィンティリア! 昨夜の件、詳しく聞かせてもらおうか。あの若造。アウルス王子、公衆の面前で我が娘を侮辱するとは……! 王家が謝罪して済む問題ではない。私は今すぐにでも布告を叩きつけ、軍を動かしてでもあやつの……」


「お父様、まずは落ち着いてくださいませ」


 私は父の前に進み、優雅に頭を下げた。

 父の怒りは、私への愛ゆえだ。それを知っているからこそ、私は微笑んだ。


「婚約破棄については、私も承諾いたしました。いえ、むしろ私の方からお願いしたいくらいでしたの。あのような女に現を抜かし、淑女を公の場で貶めるような方が、将来の王に相応しいとお思いですか? 諸侯たちはいずれ、愛想を尽かしますわ」


 父が目を見開く。


「……何を言う。お前はあれほど、アウルス殿下を慕っていたではないか」


「目が覚めたのです。恋の病というものは恐ろしいものですわね。今は、自分の愚かさに寒気がするほどです。お父様、オクタウィウス家は王家と距離を置くべきです。アウルス殿下は遠からず、この国に戦火を招くでしょう」


 私の言葉に、父の顔から怒りが消え、代わりに鋭い政治家の目が宿った。

 前世の記憶――小説の知識によれば、アウルスは一年後、フルウィアの浪費を支えるために重税を課し、不満を持った平民たちの暴動を誘発する。さらに、その混乱に乗じた隣国「バルバリス帝国」の侵攻を許すのだ。


「……なぜ、そう断言できる?」


「女の勘、と申し上げたら信じてくださいますか? それとも、昨夜見た『予知夢』の話をいたしましょうか」


 私はわざと神秘的な微笑みを浮かべた。

 この世界には、聖女や予言者といった力が目に見える形で存在し、蔓延している。公爵家の血筋にも、かつてはそのような力を持つ者がいたという記録もある。


「私は、我が家を守りたいのです。そして、この国を。……そのためには、アウルス殿下ではなく、真に国を支える『盾』を確保せねばなりません」


 その時、執事が静かに部屋に入ってきた。


「失礼いたします。ウェスペリウス・リウィウス様がお見えになりました。クィンティリア様のご招待とのことですが……」


 父の眉が跳ね上がる。

「リウィウスだと? あの没落貴族の息子か。なぜ奴が……?」


「私の『盾』になっていただく方ですわ。お父様、少し席を外していただけますか?」


 私は父の返事も待たず、玄関へと向かった。


────


 玄関ホールに立つウェスペリウスは、昨夜の礼装とは異なり、簡素ながらも手入れの行き届いた軍服姿だった。

 陽光の下で見る彼は、夜の宴席よりもいっそう逞しく、そして……少しだけ疲れているように見えた。


「……お呼びにより、参上いたしました。クィンティリア様」


 彼は深く一礼する。その動作の一つ一つが美しく、私は危うく見惚れて言葉を失うところだった。

 いけない、今の私は彼を「オトす」側なのだ。


「来てくださって嬉しいわ、ウェスペリウス。さあ、庭園でお茶をしましょう。ドゥルシッラ、最高級の茶葉を用意して」


 私は彼の腕を取った。

 鋼のような筋肉が、私の指先を通じて伝わってくる。彼は一瞬、弾かれたように身を強ばらせたが、拒むことはしなかった。


 庭園の東屋。薔薇が咲き乱れる中、私たちは向かい合って座った。

 ウェスペリウスは、出された紅茶に口をつけることもせず、ただ真っ直ぐに私を見つめている。その瞳には、深い懸念が宿っていた。


「……昨夜の件、各所で波紋を呼んでおります。アウルス殿下は陛下から厳重注意を受けられましたが、それでもフルウィア嬢を側に置くと言い張っておられるとか」


「あの方のことは、石ころほどどうでもいいのです。ウェスペリウス、私はあなた自身の話をしに来ていただいたの」


「私の、話……?」


「ええ。単刀直入に言うわ。ウェスペリウス、あなたは近衛騎士を辞めなさい。そして、我がオクタウィウス公爵家の『専属騎士』になりなさい」


 ウェスペリウスが持っていたティーカップが、ソーサーの上でカチャリと音を立てた。

 彼は信じられないものを見るような目で私を見た。


「閣下に続いてあなたまで……。一体なにを……なにを仰るのですか。私は王家に忠誠を誓う身。リウィウス家の再興のためにも、今の地位を捨てるわけには参りません」


「リウィウス家の借金、三万金貨。そして、妹君の病の治療。……それらすべて私が解決すると言ったら?」


 ウェスペリウスの顔が、一瞬で凍りついた。

 それは、彼が誰にも明かしていないはずの「弱点」だったからだ。


 小説の知識によれば、彼はこの莫大な借金を返済するために、アウルスの無理難題に従わざるを得ず、最終的には捨て駒として戦場に送られる。彼の忠誠心は、実は王家への愛ではなく、家族を守るための「呪縛」だった。


「なぜ、それを……。公爵家の情報網を使い、私を脅しに来られたのですか?」


 彼の声に冷たい拒絶が混じる。

 私は彼の手を、テーブル越しに力強く握りしめた。


「違うわ。私は、あなたに自由になってほしいの」


「自由……?」


「ええ。あんな王子に従っていては、あなたはいつか必ず死ぬわ(ガチ)。それも、犬死に同然の形で。……私には……それが見えるのよ。ウェスペリウス、私はあなたの命が惜しい。あなたが戦場で散る未来なんて、絶対に認めない」


 私は彼の瞳を覗き込み、一言ずつ丁寧に、熱を込めて告げた。


「借金はすべて私が肩代わりする。妹君の治療には、我が家に仕える最高の治癒魔術師を派遣するわ。その代わり、あなたの命と忠誠を、私に預けてほしいの」


 ウェスペリウスの呼吸が乱れる。

 彼は戸惑い、葛藤し、そして絞り出すような声で言った。


「……な、なぜ……なぜそこまでして私を!? 私はただの、落ちぶれた家の騎士に過ぎません。クィンティリア様のような高貴な方が、私のような者に固執する理由が……」


「理由?」


 私は立ち上がり、彼のすぐ隣まで移動した。

 そして彼の耳元で囁く。


「理由なんて一つしかないわ。……私が、あなたを愛しているからよ! 幼い頃、酔っ払い貴族から私を救ってくれたあの日から、ずっと」


 ウェスペリウスの顔が、耳まで真っ赤に染まるのが分かった。

 氷の騎士と呼ばれた男の、そのあまりにも純情な反応に、私は内心で(可愛い……!)と絶叫する。


「あ……あの時のことは、騎士としての職務で……」


「職務でも何でもいいわ。私は、あなたを誰にも渡さない。神にだって、渡さないんだから」


 私は確信した。

 この男は、もう逃げられない。

 アウルス王子の婚約者という「枷」が外れた私は、今やこの国で最も自由で、最も危険な公爵令嬢なのだ。


「さあ、返事を聞かせて。私の騎士になってくれる? それとも、私にこれ以上『無茶な真似』をさせたいのかしら?」


 ウェスペリウスは震える手で私の手を取り、跪いた。

 それは騎士が主君に捧げる誓いではなく、一人の男が運命に屈した瞬間のように見えた。


「……私の命、今この瞬間から、クィンティリア様のものといたします」


 よしよし勝った。

 私は心の中で快哉を叫んだ。

 第一歩は完遂だ。最推しを「死のルート」から引き剥がし、自分の手元に置くことに大成功した。


 けれど物語はまだ始まったばかり。

 遠く隣国では、あの「悲劇」の種がすでに芽吹き始めているはずだ。


(待ってなさい、バリバリ……いえバルバリス帝国。私のウェスペリウスに指一本触れさせないわよ)


 私はウェスペリウスの項を優しく撫でながら、不敵な笑みを浮かべた。

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