第27話 エルフは妬かない
黒騎士は焦げ付いた木を背に、うなだれていた。未だ立ち上がることはない。そりゃそうだ。中は焦げ焦げなのだから。
だが、生きてはいる。そして、先ほどから同じ問答を繰り返している。
「私は敗北したのだ。殺すがいい」
「嫌だっつってんの。んなことより、おまえ、ひとりで魔族領域まで歩いて帰れるか?」
黒騎士の頭部が上がる。
「貴様は何を言っている。脆弱な人類が、たった八体しか現存しない魔王種を討ち取る、またとない機会なのだぞ」
どうやらこいつは魔人の中でも上位の“魔王種”とかいうやつらしい。放っておけば魔王になる可能性のある魔人ということなのだとか。
あんだけ灼いても死なないわけだ。
俺は頭を掻いた。
「つってもなあ。もう借りは倍にして返したしなあ」
正直なところ、若干やり過ぎたくらいだ。鎧の下を見るのが怖い。
ルイゼルはふらついてはいるが、自らの治療魔法ですでに立ち上がっている。対してこの黒騎士は大樹を背に未だ力なく膝を折り、うなだれたままだ。
治療魔法が使えるのかどうか心配になってくるくらいだ。
「なぜ見逃そうとする。ガドルヘイムで敵に情けをかけるほど愚かなことはない」
「さっき助けてくれたろ。ガルムとフェンリルから」
「魔物など、貴様との戦いに邪魔だったゆえ払っただけだ」
俺は黒騎士を見下ろす。
「だよな。ってことは、殺そうと思えば、おまえは払いのける瞬間にルイゼルを殺すことだってできたはずなんだ」
「……」
「魔王種だかなんだか知らんが、思うにあんたは、そんなに悪いやつじゃない気がするんだよな。ガルムを斬ったあとだって、声をかける前にそのまま俺を斬れただろうし」
「戦士を侮辱するな。不意打ちなど外道のすること」
声に微かな苛立ちが見える。
そこで怒る時点で、悪党になりきれてないだろ。とか言ったらさらに怒るんだろうな。面倒くせえなあ。
俺は足下に落ちていた黒の剣を拾い上げた。
「そうだ。その剣で私を殺せ」
「いや、違うって。じゃあ命の代わりにこの剣を貰ってもいいか? これがあったらフェンリルがお腹減って戻ってきても、なんとかなる気がするんだ」
「ふざけるな。戦士を愚弄するか」
「ちゃんと代金は払うよ。剣ってガドルヘイムじゃいくらくらい――て、ああ。どのみち日本円じゃだめか。なんか交換できるもんないかな」
あたふたとポケットを弄っても、長財布とおっさんの汗を拭いた加齢臭ハンカチくらいしか入っていない。異世界召喚の際に荷物が失われたのが痛い。
おそらく取引先への手土産だった、餡子たっぷりフェニックスお饅頭の詰め合わせセットも、高級万年筆の入ったビジネスバッグも、事故った際にタクシーのトランクの中で燃え尽きたのだろう。
俺はパンと両手を合わせた。
「悪い、料金はまた今度。ツケといてくれ」
びゅうと風が吹いた。
焦げた臭気が散っていく。
やがて。黒騎士は深いため息をつくと、くぐもった声で笑い始めた。
「……く、くっく……勇者とは――いや、貴様はどういう人間なのだ……」
「そんなに変人扱いするな。常識と良識があるから対価を渡すと言ってんだ」
だが、いまこの瞬間、殺気が散ったのが何となくわかった。こいつから敵意が感じられなくなったんだ。呆れたようにため息はつかれたけどな。
武術の達人でなければ殺気など感じるも難しいと思っていたが、案外わかるもんだ。自分の適応力が恐ろしい。どんどん人間離れしていくようで。
「ふん、勝者の特権だ。剣など好きにしろ」
「やったぜラッキー!」
実のところ、わざと命のやりとりから金銭や物品のやりとりへと話題を逸らした。謝罪のときによく使う話題のすり替えだ。他のもので代替するために。
あれほど嫌っていた仕事なのに、営業の話術が役に立ったよ、チクショウめ。
「殺す気がなくば、覚えておくがいい」
黒騎士の両手が上がり、自らのヘルム側面をつかむ。
そうしてゆっくりと持ち上げられた下には、信じられないことに女の顔があった。顔の右半分が爛れているのが痛々しい……が。
「私の名はメイヴィス。いずれ魔族を統べることとなる魔人メイヴィスだ」
黒く長い直毛に、真っ黒な瞳。見た目は日本人に近いが、重鎧から推測される体型はまるで違う。スーパーモデルでもこれほどの身長はない。俺より頭一つは高い。
それにしても。
儚い氷の花のような美しさを持ったルイゼルとは違い、健康的な生命力に溢れた輝きを放っている。例えるなら、先日の雷光竜のように。
魅入ってしまう。
だが、俺とは別の理由で彼女を凝視していたルイゼルが、息を呑んだ。
「メイヴィス……。それって、魔王の娘の名前じゃ……」
「ああ。現魔王が末子にあたるのが私だ。隠す気はない。気が変わったら殺してくれて構わんぞ。戦士として生を奪ってきた以上、その逆の覚悟も当然できている」
ルイゼルの喉が大きく嚥下した。
なるほど。八体しかいない魔王種の魔人と言っていたが、魔族にとってそれほど大きな存在だったか。
……よく勝てたな、俺ぇ……。
ルイゼルの戸惑うような視線が、俺へと向けられた。
「千載一遇のチャンスですが、わたしは天ヶ瀬さんの判断に従います」
「そう? そんじゃあ、逃がそう。――メイヴィスつったっけ。繰り返しになるが、身体は大丈夫か? ひとりで帰れる?」
俺が彼女にそう尋ねると、ルイゼルが割り込んできた。
「いや軽い! 軽い軽い軽いですって! 稚鮎の放流じゃないんだから! いいんですかっ!? 殺さなくたって人質にすることだってできるんですよ!? なんたってこの魔族は魔王の末子なんですからね!?」
俺は目を丸くする。
「ええ、そんなんしたらかわいそう。人間に何されるかわかんないだろ。すんごい色っぽいし、とんでもないハラスとかされちゃうかもしれん」
「や、この期に及んでハラスレベルの話では……鼻の穴膨らませて言うのやめてください」
はは~ん。さてはルイゼルのやつ、俺が仲良くなろうとしてる彼女に嫉妬してるな。ここ数日、ちょっといい感じっぽかったからな。
俺は声を低くして渋く囁く。
「フ、ルイゼル。嫉妬はよしたまえよ。心配しなくても俺は浮気とかしないぜ」
ルイゼルが冷静に首を左右に振る。
「嫉妬は微塵もしてません」
「そっか……。そう……だよな……。……俺のことなんて、どうでもいいもんな……」
寂しい。あと恥ずかしい。勘違いおじさんで泣きそう。妬いて欲しかった。
かくなる上は涙がこぼれないように上を向こう。
――お空、きれい。
「そういう拗ね方はやめてください! 根本からそういう話じゃないですから!」
「どういう話?」
「どういう……? 何話してましたっけ……。あああああ、混乱してもう何が言いたいのかわかんなくなってきた! 天ヶ瀬さんのせいですからね!?」
「そうだよ、全部俺が悪いんだよ……。こんな社畜人間でごめんね……」
「ほんとやめて!? 天ヶ瀬さんに言われると胸が痛い!」
ルイゼルがあたふたしている一方で、当のメイヴィスがたまらなくなったかのように噴き出していた。
「あはっ、あっはっはっは! んん、んんぅ。……いや、すまん。……ぷっ、く、くく、くっく、はぁーっはっはっは!」
「笑うなクソ魔族! モメた原因はあんたでしょうが!」
ルイゼルがメイヴィスを指さしながら喚いた。
そのせいかな。
一気に緊張感が失せてしまった。




