第26話 部長と黒騎士ときどきサラダ
黒騎士が剣の切っ先を俺の喉元へと突きつける。刀身まで真っ黒な、太く長い大剣だ。それを軽々と片手で。
「私と戦え」
切っ先からは血が滴っている。文字通りまさに一刀両断にしたガルムの血が。
「……逃げて……ッ」
ルイゼルが苦しげに呻く。
その彼女に視線を向けた黒騎士は、黒の剣の切っ先をルイゼルへと向けた。
苛立ちか、あるいは殺気、というものなのだろう。チリと空間が焦げ付いた気がした。おそらくは人質にしたつもりなのだろう。
黒の右腕が動く。だが刃がエルフへと振り下ろされるより前に、俺は黒騎士の右手を己の右手でつかんでいた。
「おい。どこを見てるんだ。俺と話してただろ」
「……」
黒騎士の視線がルイゼルから俺へと戻される。同時に腕を振り払われた。割と強い力でつかんだつもりだったが、どうやら生物的格差があるようだ。
感覚。ゴリラと人間くらい根幹から違う。
それがわかった。これが魔人というやつなのだろう。
「彼女に手を出すな」
「最初からあの者に興味はない。貴様が私と戦えばそれで済む。逃げればあの者が死ぬことになる」
「……だめ……ッ、……耳を貸さないで……ッ」
となるとだ。腕力は論外。かといって武器もないから、魔法で攻めるしかない。
「あと、彼女をぶっ飛ばしたことを謝ってもらう」
「……あやま……る?」
しばしの沈黙があった。
だがすぐに、黒騎士は肩を揺らして笑う。
「ふ、ふふふ。好きにするといい。それでは始めよう。構えろ」
格闘技を習ったことはない。俺は頭でっかちな人生を歩んできた。構え方なんて知らない。だから、全方位に動けるようにつま先に体重をかけて、腰を落とした。
「ああ」
「――参る」
バカ正直に黒騎士がそう告げた直後。
その巨体に見合わぬ速度で剣の間合いまで踏み込んで来たやつに、俺はまるっきり反応できなかった。シルフが風を巻き起こし、黒騎士の一歩をわずかでも押していなければ、黒の刃はたったの一振りで俺を斬り裂いていただろう。
身を反らした俺の視界の中を、大地から振り上げられた黒の刃が空に遡上する。縦に真っ二つに裂けたネクタイとともに。
「~~ッ」
肝が冷えた。巨狼よりも速い。そらそうか。
シルフの鎧。風をスーツにまとい、俺は地を蹴る。
やつの踏み込みは速かった。だがあの真っ黒なヘルムは、視界を狭めているはず。
側方に回り込んだ俺へと、身をひねりながら黒騎士が刃を叩き下ろす。俺はさらに加速して地を蹴り、やつの背後に回り込んだ。
狙いは膝裏の継ぎ目。足甲の隙間だ。
人差し指と中指をそろえて振り、疾風の刃を放つ。
「行ッけぇ!」
だが黒騎士は慌てることなくわずかに身を屈めるだけで、疾風の刃が命中する位置を継ぎ目からプレートへとずらした。
疾風の刃が黒の鎧に阻まれ、風となって散る――と同時にやつは、あろうことか超重量の鎧を着たまま跳躍し、空から舞い降りながら俺の頭部へと刃を振るった。
「ずあッ!!」
「~~っ!?」
反射的に首をすくめたが、髪の毛が数本斬り飛ばされる。
両腕に疾風を巻き付けた俺は、やつの着地に合わせて鎧の上から腹部へと掌底を叩きつける。掌と鎧の間で、圧縮された風が爆発を巻き起こした。
「吹っ飛べ!」
「――ッ」
が、爆風で後方へと吹っ飛んだのは、攻撃を繰り出したはずの俺だけだった。
まるで大岩でも打ったかのような感覚に、両腕に痛みが走った。
黒騎士はわずかに地を掻いて背後に滑っただけで、すでに剣を斜め下に構えている。加えて俺は着地で体勢を崩してしまった。
まずい。
黒騎士が大地を滑るように迫る。その刃が逆袈裟に斬り上げられた。
体勢を戻すことを諦めた俺は、あえて両足を振り上げ、地面に片手をついて後方へとバック転で逃れた。
驚いた。イメージ通りに肉体が動く。足りない分はシルフが風で補佐してくれる。だが、それを加味しても。
「この野郎!」
距離を取った俺へとさらに迫り来る黒騎士に、両手を振って次々と疾風の刃を放った。
ところがやつは鎧の継ぎ目を狙って放たれたそれらを躱すどころか、わずかに身をずらすだけですべてプレート部分で受け切り、俺の両足を落とすべく滑り込みながら黒の刃を振るった。
俺は跳躍でそれを躱し、さらに大きな疾風の刃を放つ。
「これならどうだ!」
透明で見えないはずのそれを、黒騎士が大剣で叩き散らした。
「……素晴らしい」
「そらどう――も!?」
四方八方に散る暴風を突き破り、やつは平然と俺の頭部へと刃を叩き下ろす。俺は刃の腹を右手で叩いて、その反動で右方に転がり、かろうじてそれを躱した。
黒の刃が大地を割る。
飛礫が無数に散って、俺は目を覆った。予測していた追撃は来ない。
戦いが始まってから十秒あまりといったところか。永遠にさえ思える長さを終えて、ようやっと、やつが動きを止めた。
「……はあ……ふう……。……ちょっとタンマ……」
「たん……ま?」
「待てっつってんの!」
「なぜ?」
俺は肩で荒い息を整える。ああ、ネクタイが邪魔だ。裂かれて二股になったせいか、余計にうざったい。
結び目に指を入れて弛め、引き抜いて投げ捨てる。Yシャツのボタンも胸まで外した。気持ち、呼吸がしやすくなった。
ケガはない。まだ肉体は動く。
俺は再び構える。
「ッし! ――来い! でもなるべくなら来ずに帰れ! いややっぱルイゼルに謝ってから帰れ!」
「ふふ、ははは。おかしなことばかり抜かす」
黒騎士が身を屈め、大剣を背中まで引いた。
「これが異界より来たりし勇者か。現時点ですでに人間族の動きではないな。貴様、まだ隠しているだろう。見えるぞ。貴様の中に渦巻く魔力が。なるほど、捨て置けば現魔王をも凌駕するやもしれん存在だ」
そんなことまでわかんのかあ。
たぶん恒星魔法のことだろうな。
「そうだ。本気出したら俺はめっちゃ強いぞ。――だから、わかったら帰れ!」
隠してるわけじゃない。制御できないから使えないんだ、とは言えない。
しっかし、あの鎧よ。足先から頭の天辺まで真っ黒な金属で覆われている。中に疾風の刃を通そうにも見切られてるし、どうすりゃいいんだ。
恒星魔法で灼きゃいいんだが、森を灼けば人類が飢える。あちらを立てればこちらが立たず。こっちゃもう、足腰両方立たなくなりそうだってのに。
「私はそれが見たい」
「……変態なの?」
「貴様の力を見せてみろ。何を躊躇うことがある」
「何をもクソも、こっちにゃ躊躇う理由が色々あんだよ!」
人の気も知らずに好き勝手言いやがって。
「あのエルフを殺せば、貴様はそれを使うのか?」
「……ッ」
刃の切っ先が、ルイゼルへと向けられた。当のルイゼルは、いつの間にか目を閉じてしまっている。頭を打ったのかもしれない。
その彼女へと、黒騎士が歩いていく。
だから。
「やめろ! そんなに見たけりゃ見せてやる!」
俺は掌を空へと向けた。途端に陽炎で世界が歪む。
黒騎士が足を止め、俺を振り返って凝視した。そのときにはもう、真っ赤な火球ができあがっていた。凄まじい熱量を秘めた火球は、しかしそれに留まらず、俺の肉体から容赦なく魔力を吸い上げていく。
細い魔力の糸が渦を巻き、上昇気流にのって火球を肥大化させた。それでもまだ止まらない。
黒騎士が歓喜の声をあげた。
「なんという……! 伝説の勇者とは、ここまでの存在だったか……!」
火球はもはや球体状を保ってはいなかった。こいつを拳大まで押し込めれば、恒星魔法になる。だが俺は収縮させることなく、己の魔力を炎に喰わせていく。
周囲の木々が燃え始めた。
俺は黒騎士の横を歩いて堂々と通り過ぎ、眠るルイゼルの前に立つ。俺の側にいれば、火は彼女に危害を加えない。ただし、俺とルイゼル以外のすべてを侵蝕する。森も、拠点も、人も、魔族もだ。
急がなければ、森が焼失する。
魔法に指向性を持たせる方法を俺は知らない。だからシルフに命じて風のトンネルを作らせた。
「おまえみたいなイカれた野郎でも、なるべくなら殺したくない。だから防ぐか逃げるかしろ」
「逃げる? あり得んな。おもしろい」
黒騎士へと伸びた風のトンネルが、真横に俺の炎を吸い込んでいく。そいつは空中で一匹の大蛇のようにうねり、渦巻きながら黒騎士を呑み込むべく牙を剥いた。
それでも黒騎士は退かなかった。
いや、むしろ嬉々として、黒の刃を大蛇の頭部に振り下ろす。
「ぬ、グガアアアアアアアァァァッ!! ギ……ッガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!」
刃と炎がせめぎ合い、膠着する。直後、炎の塊が四方八方に散った。
きっとあの黒い刃を形成する金属には、魔法を斬るという特性があったのだろう。俺の送り出した炎の大蛇は頭部から尾まで綺麗に真っ二つに割られ、黒騎士には直撃せず、その左右に分かれて地面に着弾した。
俺の炎は消えない。どんなに小さくともだ。黒騎士を必ず侵蝕する。
それでも、やつは嗤った。
「ハッ、ハハハ、私の勝ちだ! 貴様を殺せばこの煩わしい炎も消え――」
黒騎士が俺に視線を向ける――が、漆黒のヘルムは彷徨う。なぜなら、俺はもうそこにはいなかったからだ。やつの視界に映るのは、風に守られ炎の中で眠るエルフのみ。
風の鎧を纏った俺は身を隠すため、あえて火勢の強い場を選んで突っ切って走り、やつの背後へと回り込んでいた。
真っ黒な鎧の背中に手を当てる。未だに炎を生み出し続ける手を。
「こっちだ」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ」
黒騎士が声にならない悲鳴を上げた。
黒の鎧の継ぎ目から侵入した炎は、容赦なく黒騎士の身を焦がしていく。鎧のあちこちから火を噴いて、やつは膝を突いた。
木々の燃える臭いに混じって、肉の焦げ付く臭気が漂う。
黒騎士の悲鳴が絶叫へと変わった。
勝負はついた。俺は炎を止めようと試みるが、やはりうまくいかない。圧縮させるにしても、すでに炎は広がり過ぎた。
黒騎士が剣を取り落とす。頭を両手で抱え、ヘルムのあちこちから火を噴きながら悲鳴を上げる。
「ぐううぅぅぅぅ! ……か……っ……」
そしてついに、前のめりに倒れた。
魔法はイメージだ。だから俺は何度も念じる。
だめだ、殺してしまう! 止まれ、止まれ、止まれ、止まれ止まれ止まれっ!
カチリ。頭の中の歯車が噛み合う。だが、一部のみ。
掌から溢れ出す炎が、ようやく消失した。
だがもう遅い。まき散らされた炎は消えない。森を灼き、黒騎士を灼き、やがて地を伝う炎は、伏したままのルイゼルをも呑み込むだろう。
俺にはもう、自らの手を離れて無限に広がる炎を消すイメージがわかなかった。
「だめか……」
少し迷ったすえに、黒騎士の両足を持ってやつを引きずり、ルイゼルの隣に並べた。俺が側にいる限り、炎がこれ以上ふたりを灼くことはない。現に黒騎士の炎だけが消えた。
だが、この惨状では。
ガドルヘイムの人類を滅ぼしたのは魔王ではなく、俺だ。
「自分の無能っぷりが、つくづく嫌になるな……」
俺のような人間は、過労死するまで激務に従事してりゃよかったんだ。
何が勇者だ。何が友達だ。身の丈に合わねえもんに選ばれて浮かれて。
ただのアホじゃねえか。
精霊の力を借りた魔法でなければ、俺には操れない。
そんなことを考えた瞬間だった。
眼前の燃える炎の中から、見覚えのある丸っこいトカゲがニュっと生えたのは。先日別れたときには青くなっていたが、いまは赤に戻っている。だが間違いない。この愛くるしい二頭身。尻尾を入れても三頭身。
こいつはサラなんとかダーっていう火を食う精霊だ。
サラダがそこら中を走り回る。炎の踊る場所を目がけ、大きな口をパカっと開けながら。
「お……」
やつが通ったあとの炎が消えている。どうやらまた喰ってくれているらしい。体色が赤から橙に変化し、徐々に白っぽくなって、最後には青くなっていく。
ものすごい速さで走りながら消火している。というか、狂ったように火を喰っている。まるで室内用の自動掃除機だ。少々速度超過ではあるが。
「俺の火って、そんなにうまいの?」
――……っ。
サラダが振り返って何かを言ったようだが、やっぱり言語がわからない。あるいは動物のように鳴いただけなのかもしれない。言語化するなら「プルルルル」と聞こえた。
この期に及んでようやく俺は気がついた。
シルフは契約を俺の頬に唇をあてることで実行した。となれば、サラダが俺の足に齧り付いたのも、契約だったのかもしれない。
おそらくだが、精霊との契約方法は体液の交換だ。シルフは汗を舐めて唾液を付加、サラダは俺の血を舐めて唾液を付加といったところか。
俺は――ようやく全身の力を抜いて、その場にへたり込んだ。
「助かったぁ……」
でも、やりきったという満足感はある。
二徹の仕事明けに比べても、実に爽快な気分だ。




