第23話 部長の失態
空のようい青い炎は、未だに俺の指先から放出され続けている。俺は往年のロックスターのように、人差し指を立てて空に持ち上げたポーズのままだ。なぜなら下に向けたら枯れ葉に燃え移りそうだから。
もうダメだ。また球体にしてぶん投げよう。
そんなことを考えた瞬間だった。俺が地面に作ってしまった溶岩溜まりから、小さな何かが生えてきた。二足歩行の真っ赤なトカゲだ。体長は俺の膝上くらいだから、トカゲにしては巨大だが。
「うわっ、なんだ!?」
そいつは溶岩溜まりから這い出てくると、俺の足に張り付き、両腕化している二本の前脚を懸命に伸ばしてきた。抱っこをせがむ幼児のように。
「いや、危ないから!」
――……。
「こら、登ってくるなっ。あっち行けっ、シッシ。灼けたら喰っちまうぞっ」
俺は足を振って二足歩行の赤トカゲを地面に落とす。
仰向けに倒れて手足をジタバタさせていたトカゲだったが、どうにか立ち上がると、今度は口を開いた。
何か喋っている。だがガドルヘイム語とも別の言語のようで、さっぱりわからない。
――食べる。それ、食べる。
幼い少女のような声がした。
これはウンディーネだ。俺はトカゲの張り付いてきた足を振りながら、ウンディーネの方を振り返った。
――火、食べる。精霊。
「え? こいつ? 食べるの?」
ウンディーネはコクコクと何度もうなずいている。
トカゲが再び地面にポテリと落ちた。また手足をジタバタさせている。なんて不器用なトカゲだ。やたら丸っこいし。かわええ。
――食べる、火。精霊。サラマンダ。
よくわからんが、ウンディーネはおそらく、この恒星シリウスを遙かに凌駕する恒星リゲル並みの火を、トカゲに押しつけろと言っている――ように聞こえる。
かなり不安だが――……。
このままではどのみち全員灼け死ぬのは時間の問題だ。サラ――サ、サラダ? も飛んで火に入る夏の虫のように俺の指先の炎を目指してきているし、試してみるのもありかもしれない。
やってみるか!
俺はサラダトカゲの首根っこを左手でガシっとつかんだ。
顔かわいいな。丸っこくて。は虫類愛好家の気持ちが少しわかりそうだ。
だが。
「すまん、サラダとやら。死んだらちゃんと食べて供養してやるからな。許せ」
――……。
何かを喋っているトカゲの口の中へと、火を生み出し続けている右手の人差し指をズボっと突っ込む。
サラダの口はもちろん、眼球や鼻孔から青い炎が閃光となってあふれ出す。サラダが短い手足を苦しげにバタつかせた。
――~~~~ッ!!
「うわああああああっ!? ……懐中電灯みたいになっちまった!」
全身の穴という穴どころか、鱗と鱗の隙間という隙間から青い火を噴出させたサラダトカゲが、ぷうううっと膨れ上がっていく。ただでさえ丸っこいトカゲだったというのに、もはや球体といって差し支えない形状だ。
いまにも破裂しそうだ。
「ちょ、怖い怖い怖い!」
だが。思わずサラダトカゲの口から指を引っこ抜いた俺は、指先から出ていた炎が消えていることに気がついた。
消え……く、喰った……? マジで……?
だが依然としてサラダの肉体は膨らみ続けている。もはや両腕で抱えることも不可能な大きさになったサラダトカゲは、地面に転がされてなお、さらに体積を増していく。
俺はそれを指さしながら、ウンディーネの方を向いた。
「これはこれでヤバくない……?」
水の乙女はすでにいなかった。
「あいつ……。仕事を途中で放り出すなんて……」
あ、やっぱいたわ。自分だけ木の陰に隠れてこっち見てやがる。
やがて限界まで膨らんだサラダから、とてつもない爆発音がした。俺は両腕をクロスして身を竦め――たのだが、何も起こっていない。
「あ、あれ? 爆発は?」
炎どころか爆風さえ起こらなかった。ただ轟音が響いただけだ。
恐る恐る目を開く。
「……!」
俺の足下には、青く変色したサラダがキリっとした顔で立っていた。
色こそ変わってしまったが、大きさはすっかり登場時のものに戻っている。丸っこくてかわいいオオトカゲだ。
いや、腹だけがポッコリ出ているな。全身の穴という穴から不穏な煙が漂い出ているが、短い前脚でポッコリお腹を満足げに撫でていた。
ふぅ、喰った喰ったってところか。
――ンドゲプゥ……。
その口元から青い炎がボフっと溢れた。
炎のゲップをしやがった。
サラダがポテポテと二足で歩いてきて、再び俺を見上げてきた。
――……。
「な、なんだ? なんて?」
俺はウンディーネを振り返る。
――ケエヤク。
「ケエヤク……。ああ、契約。契約な。ビジネス用語はやめて欲しいんだが」
こいつがシルフのように付き従ってくれれば、今後は炎系列の魔法も多少使えるようになるかもしれない。そうなればこの危険なガドルヘイムでの生存率はぐっと上がるだろう。むしろこちらから手土産を持参してお願いしたいくらいだ。
「どうやるんだっけ……?」
ルイゼルは眠ったままだ。尋ねたいが、それ以上にいまはゆっくり眠らせてやりたい。
確かシルフのときはキスで――そんなことを考えた瞬間、青サラダが大口を開けて、早くしろとばかりに俺の脛にガジっと囓りついてきた。
「イテッ!?」
反射的に足を振ると、青サラダが背中から地面に落ちて後ろに転がる。
また仰向けになって手足をジタバタさせていたが、しばらくすると地面に残っていた溶岩溜まりに吸い込まれるように消えてしまった。
「ああ、待ってくれ! 契約……を――」
しまった。なんて失態だ。
あんな有望株を逃すなど、会社の人事なら大損失だ。営業でも強力な取引先を逃してしまったようなもの。俺としたことが。
いや仕事じゃねーし!
まあ、落ち込んでいても仕方がない。
「とりあえず焚き火を作るか」
いまなら溶岩溜まりがまだ少しだけ残っている。
俺は枯れ草を集めて溶岩溜まりに落とし、その上に薪を重ねていく。もちろん山火事にはならないように、周囲の掃除もした。
火は簡単についた。あとはこれを絶やさないように、ルイゼルが目を覚ますのを待つだけだ。
「さすがに疲れたな……」
ルイゼルの隣に腰を下ろした俺は、寝返りでずれていたジャケットを彼女の肩まで引き上げる。あれだけの騒ぎがあったというのに、目を覚ます気配はない。
先日俺が限界を迎えたように、彼女もいまが限界なのかもしれない。
「膝枕しようか?」
「……ん……ハラスゥ……」
寝言で返された。言い方が色っぽい。寝てる方が色気あるんじゃないだろうか。
俺は少し笑った。
人類拠点まではあと少しだ。俺とルイゼルの旅はそこで終わる。なぜなら彼女は日本へ帰るつもりで、俺はガドルヘイムに残るつもりだから。
少し、寂しいと感じるのは気のせいではないのだろうな。




