第24話 部長とエルフ
きっと気が抜けていたに違いない。
最後の記憶は焚き火だ。闇の中で橙色の炎を眺めていたはずだった。だから瞼の裏側で白い光を感じたとき、俺は掛けられていたスーツのジャケットを跳ね上げて身を起こした。
「――ッ!」
朝の森だ。鳥の声が響いている。
見回すと、ルイゼルが焚き火の前に座っていた。不思議そうな表情で、こちらを見ている。
「おはようございます」
「……あ、ああ。おはよう……」
俺は残った眠気を振り払うように、頭を振った。
「俺、寝てた?」
「ええ。ぐっすりと」
うなだれる。
「面目ない」
「……何がです?」
彼女が首を傾げる。
「いや、見張りを請け負っておきながら、どうやら知らない間に眠ってしまっていたみたいだ。睡眠中に襲われなくてよかった」
「寝ぼけてます? ちゃんとわたしが起きるまで、座って目を開けてましたよ?」
「……?」
「起きたから代わりますよーって言ったのに、血走った目ぇガン開きで様子がおかしかったんで、眠るようにわたしが適当に押し倒したんです」
「お、お、押し倒された!? ――ぐっ、くそ! 覚えてないッ!」
俺が悔しさで吐き捨てると、ルイゼルが顔の前でパタパタと手を振った。
「そういう意味での押し倒すではありません。両手で天ヶ瀬さんの肩をですね、えいっ、と押して地面にぶっ倒したという意味です。側頭部からゴンって」
「それは張り倒したの間違いでは!?」
「そうとも言います」
「そうとしか言わなぁ~い……」
優しくして欲しい。
「それでも血走った目だけはギンギンに見開いていらっしゃったので、上瞼を指先でこういう感じに摘まんで引っ張って、目を閉じさせました。そしたらやっと眠ってくださったみたいで。ふふ、ゆっくり休めましたか?」
ねえ、そんなことしといて、どういう気持ちでそういう質問ができるの?
「わかんない。でも左の側頭部がちょっと痛い」
「あら、それはいけませんね。どうしてでしょう」
「なー。不思議だよなー」
休めたかはわからんが、もうちょっと優しくしてくれとは思った。側頭部のインパクトが強すぎて目の閉じさせ方とかツッコミ忘れたわ。
まあでも、正直よく眠れたみたいだ。
俺は指先で頬を掻いて、ルイゼルを見上げる。
「たぶんだが、最初から目を開けたまま寝てたのかもな。実はたまに会社でも無意識にやってるんだ。時間稼ぎ程度だけど、それでいくらか眠気が回復できるから」
「へえ、無限に起きてられる機械みたいな人じゃなかったんですね」
「そうだよ。頑張りすぎたら俺みたいなもんでも死んじゃうんだよ。親近感わいた?」
「いえ、まったく。生きてますもん」
「実際に死ぬまでわかない感じかあ」
おそらく単純作業であれば、そのスリープモード的な状態でも可能だ。
ルイゼルは納得いかなさそうな顔で俺を見ている。
「でも本当に眠ってました? だって何か話したらちゃんとうなずいてましたし、血走った目線できっちりわたしのことを追ってましたよ。思い出したら、マジこっわ鳥肌もんの視線でしたもん」
それは確かにマジこっわ鳥肌もんだな。張り倒したくもなるわな。
だが、実のところ得心がいく。その状態でできる単純作業は、すなわち部下の安全を確保する、だ。もちろんルイゼルに何か起これば脳はすぐに覚醒するが、何も起こってない間は省エネモードになっていたのだろう。
言ったところで、わかってもらえそうにはないが。
やり方はさておき、俺を絶対に眠らせなければ、というのは、ルイゼルの優しさだったのだろう。そう思いたい。そうだといいなあ。
「そう言えば、よく火を熾せましたね。もしかしてわたしも無意識に!?」
「いや、これは俺が熾した。ルイゼルはぐっすりだったよ」
「さようでございますか……」
耳がしょんぼり垂れた。かわいい。
日本でこの耳を隠して暮らしていたのは、もったいないと感じる。
「でもどうやって? 天ヶ瀬さんの魔法では山火事に……」
そこまでつぶやいてから、ルイゼルは周囲を見回す。
溶岩溜まりこそもうないが、岩の質を見ればわかる。焦げてるし溶けた痕跡はあるし、雑草一本生えていない。
ルイゼルが寄ってきて、俺の胸ぐらをつかんだ。
「……やりましたね? やってくれましたねえ?」
「あ、ああ、うん。ごめん。だってルイゼルが起きてくれなかったから」
「危ないから使っちゃダメって言ったでしょう!?」
今度は両手を腰に当てて、ルイゼルは俺を睨む。
「や、でも、あれだ。トカゲ」
「誰がトカゲですかっ!」
「そうじゃなくて。サラダみたいな名前のトカゲが出てきて、俺の火を喰ってくれたんだ。おかげで安全に――や、安全とは言えないけど、焚き火は作れたわけで結果オーライってことで……すまん」
「もう! この森はもう拠点と地続きです。燃やすと食糧難になったり、最悪拠点まで燃えてしまう可能性だってあるんです。今回のことは仕方ないですが、次回は絶対にわたしを起こしてください」
「ど、どどどどんな手段を使っても?」
眠り姫はおっさんのンベェ~ゼで目覚めると相場が決まっている。
ルイゼルが訝しげに眉をひそめた。ちょっとだけ頬を赤らめ、早口でつぶやく。
「ハ、ハラス的なのはナシですよ」
「わかってるよ」
「残念そうにため息をつかない。あ! はは~ん、わかりましたよ? あなたわたしのことが好きになっちゃったんですね!?」
いつもの挑発的な質問だ。すでに何度かされているし、こちらからしたこともある。
だから俺はいつものように返す――つもりだったけれど、今日に限ってはなぜか言葉が出てこなかった。たぶん彼女には、俺に期待する返事などないのだろうが。
俺は小さくなった焚き火の前に座ったまま、腕を組んで目を閉じて考える。
「あ、あれ? 天ヶ瀬さぁ~ん? お~い、天ヶ瀬部長? あ、部長って呼んじゃダメなんだっけ。あははは……。――はぁぁぁ? おいっ、なんで黙ってるんですかっ!!」
いや、むしろなぜいきなり怒り出した。ほんとに変なやつだ。
俺は目を開けて、彼女を見つめる。ルイゼルがたじろいだ。
「ルイゼルといるのは楽しいな」
「え? へ?」
ガドルヘイムにきてから、そう思い始めた。
初めて見る景色に感動して、どうでもいい会話をして、まずいものもうまいものも共有して、わけのわからない魔物や魔族と背中合わせで戦って。
会社にいた頃よりもずっと、彼女のことを知った。というか知らないことばかりだった。このわずか数日の間に、俺は部下以上の感情をルイゼルに持ち始めている。それが友情なのか愛情なのかまではわからない。俺にはそのどちらも得た経験がないからだ。
惜しむらくは、もっと若い頃に出逢っていたかったなどと思ってしまう。まあ、世界の隔たりがあって不可能なわけだが。
「さてと、朝食の準備でも――ああ、雪山で全部食ってしまったんだったか」
「ねえねえ、わたしのこと好きなんですか? どうなんです?」
「顔洗って、ぼちぼち出発しようか。もう少しで到着するんだろ」
「あ、ええ。ガドルヘイム山脈を越えたら、もう目と鼻の先ですからね。丸一日もあれば到着すると思います」
俺はうなずく。
「なら朝食は道々で探しながらだな」
「そうですね。お腹減ったなあ」
ふたりしてウンディーネ汁で顔を洗って喉を潤す。
焚き火の後始末をして立ち上がり、俺たちは太陽の沈む方向へと歩き出した。
「あの、さっきの質問なんですが」
懲りずにルイゼルが聞いてきた。悪戯な笑みで、隣を歩く俺を見上げながらだ。
「天ヶ瀬さん、わたしのこと好きなんでしょう? だから素直に言えなくなったんだ。オッサンの分際で照れちゃってぇ!」
「いやオッサンの分際でとか言うなよ。哀しくなるだろ。でも、そうだな。結構、好きみたいだ」
そう返すと、一瞬空気が止まった。
俺は歩き続けているが、ルイゼルは止まってしまった。だが数秒も経たないうちに小走りで追いついてきて、笑みを噛み殺したような不満顔で口を開く。
「なぁ~んで結構とかつけちゃうかなあ! 素直に大好きって言えばいいのに!」
「ははは」
笑い合いながら、肩を寄せ合うように歩く。
旅の終わりは近い。




