第19話 エルフの限界
結局オークロードとの戦いは、幸いにもただの致命傷で済んだ。いや、頭を打ってバカになったわけじゃない。幸いとつけたのは、生きているから治る、と言いたかっただけだ。それだけガドルヘイムが死者の国に近い世界ということだ。
ついさっきまで折れていた腕を、俺はぶん回す。
鈍い痛みは残ったままだが、元の腕に戻っている。皮膚を突き破っていた骨や血管も、ちゃんと肉ん中に埋め込まれた。
「へえ、大したもんだな。魔法でこんなに綺麗に治るもんなのか。医者いらずだなあ」
「……オエ」
「思い出して嘔吐くなっ。ほら、もう完全に元通りだ」
回復魔法で俺の腕を戻してくれたルイゼルは、青白い顔色をしている。どうやら人体のグロには弱いようだ。
「……そ、れは、ようござんした」
「言葉遣いが変になってるぞ。しかしこんな簡単にケガが治るなら、多少死にかけても大丈夫そうだ」
「ん、んんぅ」
咳払いをして、ルイゼルが半眼をこちらに向けた。
「厳密には元に戻っているわけではありません」
「どゆこと?」
「回復魔法の副作用です。長寿のエルフ族にはあてはまりませんが、人間の場合、本来数ヶ月かけて行われる自然の治癒力を先取りして使用しているだけなので、細胞の代謝という意味では老化が早まるんです」
「えっ!?」
聞いたことがある。
細胞の寿命はおよそ6~7年だと言われている。そのたびに古い細胞は破棄され新しい細胞に生まれ変わるのだが、その回数には限界が設定されている。
つまり回復魔法とは、細胞寿命の先取りのようだ。
「魔法は全然万能じゃないんですよ。可燃物質がないと火も出ませんし、水分がないと水を出すこともできません。同じように生命力を補うには生命を使用するしかないんです」
「お、おお」
「まあ腕一本くらいなら寿命に差はそれほど出ないとは思いますが、気をつけてくださいね。この世界の人間の戦士や騎士の寿命は、平均しておよそ五十歳前後ですから」
もう十年もありませんが?
「ちなみにエルフには寿命がなく、死んだ人は全員、事故か事件か病死か戦死です」
「それはそれで壮絶……」
「まあ日本に帰りゃいいんですよ、帰りゃ。ケガも滅多にしない世界でしたからね」
「……」
悪いんだけど、それでも俺は帰りたくなぁ~い……。
「さて、と」
ルイゼルが立ち上がった。
「早くここを離れましょう。オークたちが戻ってくるかもしれません。とりあえずそこに散らばってるオークロードの肉を拾ってください」
「お、おう」
俺がぶん殴った箇所、すなわちすね肉だ。拳で肉を掻き分けて骨まで到達させ、シルフの追撃で抉り取った。切断面は割と綺麗だ。たぶんシルフの風には、鎌鼬現象のような効果があるのだろう。
しかし……。
「あの、ほんとに食べるの?」
「……? おいしいですよ? といっても日本で食べる食肉ほどではなくて、ん~……ボタンやサクラやクマのように微かに野性味が残っていますが。苦手です?」
「いや、そこらへんは大丈夫なんだけど」
オークロード、二足歩行だったしなあ。知能もそれなりに高そうだったし、コミュニケーションとか取れたかもと思うと。
ルイゼルがにっこり微笑む。
「どうせ放っといてもオークたちに食べられちゃうだけですし、もったいないですよ」
「え、食べるんだ!? 同族なのに!?」
「そういう生き物です。人型女性以外のものは大体なんでも食べます」
「人型女性は?」
「言わせようとしない! ハラスですよ!」
なんて生物だ。
ならまあいっか。
俺はルイゼルに倣って、ロードの肉片を拾い集めた。血まみれの砂まみれだ。どこかで洗い落としてから調理したいな。
「ガドルヘイム山脈を越えると割と近くに人類の拠点がありますが、山脈越えは大量のエネルギーを消耗します。ロード肉はそのときに食べましょう」
「そっか。楽しみだ」
ルイゼルが枯れ草で編んだ目の粗い篭へと、適当にロード肉を詰め込む。これなら歩いているうちに血抜きができそうだ。
俺は篭を持つと、ルイゼルが先に立って歩き出した。
ふたりとも疲れているためか、会話はしていても中身はほとんどない。それでも足は止めず、ひたすら山を登り続ける。
時折ウンディーネで水分を補給し、蔓をたどって芋を掘った。見かけた木の実は不思議な形状だったけれど、食べてみればそれなりに甘酸っぱい。
やがて日が暮れる頃、ようやっと山脈の中腹あたりまで登り切った。
「今日はここが限界ですね」
「そうだなあ。これ以上無理して登ると、寒くて眠れなくなりそうだ」
俺たちは互いに荷物を下ろす。
といっても彼女は杖にしていただけの木枝で、俺は肉の入った重い篭なんだが。
そんなことよりも、気になることがある。
「ここらへんは安全なのか?」
「ええ。おそらく」
「おそらく?」
ルイゼルが両手を広げる。
「わからないんです。以前は――というか、わたしがガドルヘイムにいた頃は、かなり危険な魔物多発地帯でしたから」
「ええ。だってそれじゃ――」
森の闇が不気味に動いているような気がして、寒気がした。
だがルイゼルは首を左右に振る。綺麗な金髪が左右に揺れた。
「理由があります。オークロードがいたでしょ。あんなのがいたんじゃ、たぶんオーク族以外の魔物はほとんど逃げ出してると思うんです。ロードの縄張り近くで生きられる魔物なんて、ほとんどいませんから」
「なるほど」
納得だ。
例えば百獣の王と呼ばれるライオンの群れのようなものがあったとしても、あれを噛み殺せるとは到底思えない。怒り狂った象の群れの突撃ならば、あるいは。
ウンディーネの掌から出る水で顔を洗い、口をゆすいでから、ルイゼルは長い息を吐いた。
「あれ、相当上位の魔物だったんですよ。へたな魔族よりよっぽど強かったんじゃないでしょうか」
「俺、すごくない?」
「素直に賞賛です。まさか選ばれし者のポテンシャルがこれほどまでだったなんて、天啓機構の賢者たちでさえ思っていないはず」
人類連合所属。天啓機構の賢者たち、というのが、ルイゼルのこちら側の上司らしい。魔族の侵攻から人類を守るため、人類にブラック労働を強いる善人だか悪人だかわからない微妙なラインにいるやつらだ。
俺もウンディーネの水芸で顔を洗い、口を濯ぐ。
冷たい水だ。気温の低下に比例しているのだろう。
腰を下ろして一息つくと、すぐに体温が上がってきた。眠いんだ。疲れすぎていて。
ああ、でも、焚き火にする薪を集めなければ。
膝に手を置いて立ち上がり、ふとルイゼルを見ると、樹木にもたれて座っていた彼女はすでにウトウトとし始めていた。
目が子供のように蕩けてしまっている。
「ああ、そうだ」
俺はスーツのジャケットを脱いで、ルイゼルに差し出した。
彼女はそれを受け取り、肩に羽織った。
「ありがと。天ヶ瀬部――さん」
「言いかけたなあ。言いかけてしまったなあ」
「言ってません。セーフでした」
「まあいいや。ジャケットはそういう約束だったからな」
「約束がなければ貸してくれないの?」
よほど眠いのだろう。彼女も頬が上気している。
彼女のことをよく知らなければ、好意を持っているのではと勘違いしてしまいそうだ。残念ながらよく知ってしまったから、そうじゃないことはわかるんだが。
「そんなことはないけど」
「ふふ……。そういうところ、嫌いじゃないですよ~……」
わざと挑発してるのか。微妙な言い方だな。
「そらどうも」
「はぁ~……暖かい……。……落ちちゃいそう……」
これはわざとだな。楽しんでいる――んだと思う。
しばらくすると、長いまつげの瞼がゆっくりと下がった。
だが、少しだけ待って欲しい。火付けは俺にはできない。頑張りすぎたら山ごと吹っ飛ばしてしまいそうだ。
俺は慌てて手近なところの木枝を拾い集め、敷いた枯れ草の上に組んだ。
「ルイ――」
「……」
言葉にするまでもなく、彼女はそれに手を翳し、魔法で着火させる。
瞼が落ちかけている。
「すみません……。最初の見張りは、お願いします……」
「わかった。起きるまで寝てていいよ」
「ごめんなさい……。……たぶん、危険はないと思うので……」
樹木を背にしていた彼女だったが、ずるりと側方に傾いた。俺は彼女の肩を持って、ゆっくりと地面に寝かせる。
口を閉じて眠っていると、本当にただの美人だ。作り物に思えるくらい整っている。もちろん胸以外はだが。
ずれたスーツのジャケットをあらためて掛けてやり、俺は薪を集める作業に戻った。
「む……。目がぼやけるな……」
大丈夫。俺はまだ大丈夫だ。
この程度の疲労、初出勤から一ヶ月間、休日返上の連勤で駆り出されていた新人の頃に比べれば。




