3.ただ、守りたかった
ただ、守りたかった。
それだけの話だ。
もっと力があったなら。
権力すら捩じ伏せるだけの力があったなら、別だったのかもしれない。
だけど、俺にはそれがなかった。ただ、俺という体と魂しかない。
彼女に群がる亡者を一歩ずつ距離を詰める中で蹴落とし切り伏せ、二度と這い上がってこれないようにしていくうちに俺の両手は汚れ切って行った。
そのことに対して思うことなど、何一つない。
マールヴァール将軍が遺してくれた『アルバ』の名のおかげで幾分か煩わしい連中が俺の顔を見るだけで目を逸らし、姿を消していくようになってくれた。
それでも俺を狗と呼び蔑む連中がいなくなるわけじゃない。
別に気にするわけじゃないが、やはりそういった連中が俺のことを理由にクリスティナを下げることは苛立ちを覚えた。
遠ざかって見守ろう、彼女を傷つけるものをすべて片付けていこう。
そう思う俺の気持ちなど知る由もないクリスティナは困ったような顔で、時折泣きそうな顔で、それでも俺に声をかけてくれる。
その目が、その声が、その指先が。
俺への気持ちを物語っていて、どうしようもない気持ちになるのだ。
(だが、だめだ)
王女を攫うだけの理由は、まだ俺には与えられていない。
それにこれは恋じゃない。
もしも彼女に触れてしまったら、もう俺は手放してやれない。
恋に恋するだけのような、無垢なクリスティナを傷つけるのが俺のような獣であってはいけない。
ディアティナにもシグルドにも、会うたびに文句を言われたが俺も折れることはなかった。理由を知る彼らはそれを泣きそうな顔で心配してきたが、それでも俺には折れることはできなかった。
そうこうしている間に、ディアティナが婚約した。
相手は隣国の王太子で、まあ妥当なところだろう。黙っていれば見目好いディアティナは大変美しい淑女だし、中身は……相手がお転婆でも良いと言ってくれるなら、悪い性格ではないし、幸せになってくれたらいい。
そのくらいは幼馴染として、祈っている。
(俺みたいな人間の祈りを、カミサマとやらが聞き届けてくれるとは思えないが)
そんな俺を、ディアティナは泣きそうな顔で睨みつける。
なぜそんな顔をしているのか、俺も知っている。知っているから、そんな顔をしないでくれと思うが……それこそ、俺の身勝手なんだろう。
「レイジェス、覚えておきなさい」
「……」
「あの子は私の妹なの」
「ああ」
「一筋縄なんかじゃ、いかないんだから」
「……ああ」
「アンタみたいな難物だろうと、あの子にかかったら幸せになるしかないんですからね!」
「……」
「どうして、素直にならないのよ! ただ好きだって、誰が何を言おうとあの子を真正面から抱きしめて守ればいいじゃないの!」
「……」
「どうして、あの子も……言わないのかしら。言えば、レイジェスは、逃げることをしらないバカなんだから」
「酷い言われようだ」
「でも本当のことでしょう!」
「……これでいい。俺には、これしかない」
「本当に、バカよ。貴方たちは……」
ディアティナが、俺の胸を叩く。
人払いをして、シグルドとディアティナしかいない部屋だからこそ耳にすることができる『幼馴染の』言葉に、俺はただそれを受け入れるしかできない。
(ばか、か)
その通りだと思う。
だが、守るためになら何でもすると決めたのだ。俺には俺しかない。使えるモノが俺しかないのであれば、それを惜しんでなんになる。
ディアティナは、俺を案じ、そしてクリスティナを案じているのだろう。
その真っ直ぐな想いは、とても嬉しいと……そう、感じている。
「ディアティナ」
「……なによ」
「幸せになってくれ。お前が笑うと、あの子は喜んだものだ」
「……本当に、あなたはどこまでもバカだわ。あの子の手を取って、誰も知らないところにいっそ逃げてしまえば可愛げもあるってものなのに!」
「さすがにそういうわけにはいかないでしょ、ディアティナ」
言っていることがかなり突飛だったからだろうか。
無言で俺たちのやり取りを聞いていたシグルドが呆れたように言った。
まあ、確かにディアティナの言い分はわからなくもないがかなり問題発言だ。本当に俺たちしかいない所で良かった。
「そうかしら。この男なら、きっとできるわ。そしてあの子はちゃんと想いさえ通じれば、どんな場所でも頑張れるはずよ」
「それはそうだろうけれどね。わざわざ苦労をする必要はないだろう? それにレイジェスだって苦労をさせたくないから、クリスティナが王女としていられるよう努力してくれている」
「……それは、わかっている……つもりだけど。このバカが何をしていたのかまでは私にはわからないけれど、それでもこのバカのおかげであの子を利用しようとする連中が減ったのは、確かだもの……」
「そう。それらはぼくらにはできなかったことだ」
「……」
シグルドの言葉にきゅっと唇を噛みしめるディアティナは、きっと見る人間によっては悲しみを耐える聖女のように見えるんだろう。確かに黙っていれば、そう見えなくもない。
見えなくはない、が、……中身が苛烈だということを知る俺からしたら今だって不満を爆発させないようにしているだけの、短気な女なのだけれども。
(それにしてもちょっとバカバカ言いすぎじゃないのか。いいのか、大国の王女がそんなに口が悪くて)
いや、それも今更か。
元々こいつの口の悪さと言ったら、よくぞクリスティナが影響されずに育ってくれたものだと思うほどだったからな……外面と要領が良いから大抵の人間は騙される。
どうか隣国の王太子とやらが、ディアティナの何重にも被った『儚げな美少女』の姿に惚れ込んだ結果この本性に気が付いて婚約を反故にするような人物ではありませんように。
そんなことになったら、クリスティナがどれほど嘆くかと思うとしんどいからな。
「……頼むわよレイジェス。そうまで貫くっていうなら、私にはもう何も言えないんでしょう。でもあの子が泣く理由が、あなた以外、無くなるように努力して」
「変な言い方をするな。俺のことであってもアイツに泣いてほしくないと思って――」
「無理よ」
ディアティナが、俺を睨むのではなくただ静かに見据えて言葉を紡ぐ。
その言葉は聞きたくない、けれどそれを拒む術を、俺は知らない。
耳をふさいだとしても、それはただの事実で……俺が渇望してしまう、そんな罪だ。
「あの子はあなたを慕っている。他でもない、レイジェスという男を慕っている。どんなに冷たくされようが、すげなくされようが、それでも恋する女の気持ちなんてものはそう簡単に切り替わらないの」
「……」
「だから、お願い。約束して」
ディアティナはただ俺を見て、まっすぐに見て、言い切った。
その横にいるシグルドも、俺を見ていることはわかっている。だけれど俺は、ディアティナから目が離せなかった。
この約束は、きっとなによりも、なによりも。
そう、何よりも大切なものだと俺自身が知っていた。
「クリスティナが泣く理由を、レイジェスだけになるように。あの子を、守って」
「……承知した」
本当は俺のことでも泣いてほしくない。
だが、あの子が泣かなくて良い環境を作り出せるのは、ずっとずっと先だろう。
そうした後に、いくらでも恨み言を聞くから。
泣かないでくれと、懇願することが、そこまでやってようやく許されるのだろう。
(わかっている)
俺のこの『守りたい』という気持ちはただのエゴで、押しつけで、クリスティナにとってこれっぽっちも嬉しくなんてないことだってことを知っている。
それでもただ、守りたかったんだ。
俺にできる方法で、あの子を守りたい。
そのはずだった。
それなのに、どうして。
俺はただ、守りたかっただけの話なのに。
「私が囮として残ります。どうかファール隊長は、国王陛下と王太子殿下、そして増幅の魔石を守り城外へお逃げください」
おれは、おまえを、まもりたいのに。