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1.鳥なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)

令和元年9月、編集。書き方を忘れてました。

 ──鳥無き島の蝙蝠コウモリと長宗我部家を評価したのは、誰だったか……。うーん、そうでした!


 織田信長 で し た !


  四国統一まであと一歩だっただとか、実は羽柴秀吉がやってくる前に四国統一は叶っていたとか言われる長宗我部元親。その人を天下布武を掲げた織田信長が評価した言葉こそが、鳥無き島の蝙蝠と言う元親を現す言葉だったわけですよ。


  鳥無きとはろくな天敵となる者が居ないという解釈が出来、島の蝙蝠とは四国から出れない長宗我部家のことですと解釈出来ます。元親を信長と比べちゃダメですよ、信長とじゃ勝てる気がしません。

 信長ならたとえ琉球に居ようが蝦夷に産まれようが、四国からだってそれこそイージーモードと言いながら鼻歌混じりに史実よりらくらく天下統一出来てたかも知れませんしね!

  現実の長宗我部家はしょっちゅうピンチの連続を喰らっていて、そのピンチを幸運を拾って切り抜ける場面が多かったのですから。ですので、天敵は常に居たのです。信長の言う鳥無き島の蝙蝠なんかでは語れるはずもありませんでした。


  四国なんて、そう広くない所でおまけに山だらけでその上四方をぐるり海に囲まれてて、外からの敵なんてこともそうないから織田信長の言う『鳥』とは外敵という解釈も出来ますよね。その場合はその通りとしか…。過去の討伐にやってきたけだった幾万の大軍だからイージーモードだという軽い気持ちで土佐に乗り込んだ朝廷が差し向ける討伐軍が何の成果も挙げられず兵糧だけでなく帰れる約束された兵たちも四国の山々に散った事例も有るには有りますしね。四国ってそれだけで要塞ですもん。


 負けた側の部族が子孫孫楚生き残りを掛けてやってくるのも思わず頷いちゃますよね、平家に小田原の三浦、甲斐の内藤に武田とかはその中で有名なとこと言っても良いでしょう。藤原純友も土佐で身を隠してたんでしたよ、そうでした!言っても──どれも隠れ過ぎてて伝説に他ならないンですが。子孫も残っていたりするんですが……言うなれば眉唾ものも混じってたり、なのです。ものの見事に脱線したのでこの辺でやめときますね。


  とは言っても──経済圏とも離れていて、住むのに適した平地も少ない四国、中でも土佐はそれだけ最初から他の有名どこの戦国武将とは違っていてマイナススタートだったと思うのです。


  拠点を攻囲されることもありましたし、経済圏から離れていることで貿易にも日数が経ちますので遅れはどうしても出ますよね?


  そんな、土佐の無数にある国人勢力の一つでしか無かった長宗我部家に転生しましたよ。

 いわゆる、現代からの戦国の世に逆行転生というもののようです。


  土佐の国のいわゆるNo.2権力、守護代だった一条家の力と影響を借り、家が滅亡するところを再興させたのが、長宗我部国親。父上です。

  その国親の娘として生まれたようで、幼い頃はどこどこの城を襲って取れるものは盗ってきたとか、だれだれを討ち取ったからこれが首だとか、およそ精神形成に異常をきたしても仕方ない、下手をするとトラウマものの体験ができました。感謝してますよ。父上……国親という存在が男子であろうと女子であろうと手加減のない子育てをしてくれた事に。


  父上、国親にとってはその時その時で人生で一番の誇らしい事柄で、娘や息子に自慢がしたかったのでしょうが、にいさまにはすっかり恐怖を植え付けているようですよ?

 すっかり引き込もって部屋から出てこないで本ばかり読むだけの、およそ武士の子らしくない生活の日々ではありませんか?

 などと言っても生首が目の前に差し出されるわけですから……以前の経験とか、その記憶が無ければ同じように恐怖を植え付けるに十分すぎてまさしくにいさまと変わらず発狂ものだったんじゃないかな……。


 そんな型にはまらない父上が変わり者なのは、家族の中では周知の事実でした。


 ええと、母上は美濃守護代も務めた斎藤利なんたらさんの娘で祥鳳玄陽と言います。ここ、諸説ありなのでなんたらさんでいいかと思うのです。中村御所でお会いしたと言ってました、戦国には珍しく恋愛結婚だったのかも知れません。


 斎藤なんたらさん、美濃のマムシさんの横暴などで国を追われる者に身をやつし、各地を流浪し京都での縁を頼りに土佐まで落ちのびてきて一条の食客として一条房家を頼っていたらしくて、その娘も家族もやっぱり一条御所に住んでいました。なんたらさん一人なら京都で美濃の情勢を見守りながら復帰できる日を祈りつつ暮らすこともできたでしょう。でも、幼い娘が手元に残っていた。この娘を嫁に出すまでは何としてもどこに落ちても構うまいとの一年で土佐の半京都とは呼ばれていても片田舎でしかなかった中村まで一条を訪ねてきた、そんな処だったんでしょう。

 同じように国親…つまり父上も一条御所で養い子よろしく育っていたので幼い頃からの幼馴染みとの恋愛が実のっての結婚なんて、おめでとう父上!って拍手を送ってあげたい。

 そう考えると……育ててもらって、恋も後押ししてもらって、もの凄い恩じゃないですか!そんな、大恩をバッサリ斬って捨てる父上って恩知らずのド畜生ですよね!


 母上の実家……斎藤なんたらさん、ってね……。

 この時代ではわりと、……エリートだったようですよ?


 わたしの中に流れる血は斎藤家の血の方が強そうな気がします。ぷんぷんします、そうだといいな……。

 ちょっと父上の持つ常識は、他の人の常識とは違うので……でもその方が他人とは違う斬新な目線で物事が見れるのかも知れません。


 たとえば、ホラ。

 娘のわたしが、証拠です。

 戦国の女子、国人の姫なんて行き着く運命なんてのは生まれてすぐ決まっている場合が多い、……そう政略結婚で味方を増やす道具という使命。

 それが戦国の世ならではの、常識なわけなのです。

 家の命脈を保つためにも敵は敵で無くなる方が良いので、親族にしてしまえば滅多なことでは敵に回らないケースが多かったのです。

 それを最も強みとして、まさに道具として日本の歴史で成功したのはあの、徳川家康だったりするので、道具としての姫は侮れません。娘を女を道具としてしか見ていなかったのは女子から見れば非常にイラッとしてしまう案件ですがトップに立つためにはなり振り構ってられないといったところでしょうか?


 ですが、その一方。父上はちょっと違っていて、かなり変わっていて、重要視している箇所がズレていると言いきっていいと思います。女であろうと男であろうと敵を倒せる力があればいいだなんて、一般的な戦国時代の感性とは全くかけ離れて居たのです。


 その方が都合がよかったのですけど、……経験と記憶というともうそのままチート級の戦力呼んでいい持って生まれた神の恩恵が有るのに……あるのにっ!

 それをドブに捨てるようなものですよっ、政略結婚のすえに相手の事を好きになったと錯覚させ、思い込ませるのは!


 父上が重要視するのは使えるかどうか……ええ、首を取ってこれる腕をもってるかどうか。

 そういうことなのです。何となくそれを肌で感じ取ってからはというと幼い頃からじっと座っているような女子では無かったのは当然として、家臣を振り回して成長してやりました。父上の思惑に頭の中でハマるには兵を率いて、戦で負けない働きの出来る一門だと思わせるほか無かったです。


 父上の頭の中にあったのは再興とそれ叶えば拡張とそして復讐。


 幾度と無く、愚痴る父上を見て、傍に居て、国親という武将の考えが判るようになってくるのに気づきました。

 うじうじ考えすぎず野生のカンとも言える独特な才覚でスパッと割り切って物事を受け止めこれぞチャンス到来と思えば即行動。つまり、良く言えば拙速は巧遅に勝る。悪く言えば猪突猛進、戦のことしか頭に無かったのです。

 敵の城を落として、如何様にむごたらしい死を与えられるかという復讐心。


 父上の奥底でぐつぐつと煮立つ復讐心が存在せず、父上を変わり者に駆り立てる気位の高さが無かったら、この転生の運命は変わっていたかも知れません。


 女子が武士になるなど、表だっては皆無に等しい行為だったりするので、そうなるとこの物語の内容が、姫は政略結婚をして、強敵を味方に率いれたから表舞台に現れる前に身を引いて生まれた息子に英才教育を施し、実家が滅びないように陰ながら手助けする物語になっていた所ですよ。


 父上が戦国の世にゴロゴロいた『姫は道具として嫁いで子を産んで両家の溝を埋めて味方を増やす為に存在するだから嫁ぐ先は父が選ぶのであって娘に拒否するような真似はさせん!』テンプレ武士の棟梁のような、建設的なだけで娘の意思を否定して来るような猪武者だったとしたなら…… 


 父上の心変わりを『はい、そうですか。なら…敵が減らなくて貴方も益々お忙しい身になりそうですね。むしろこうなって破談になることをお慶びになられているのでなくて?ふふ、いつもにまして貴方のますらおぶりに磨きがかかっておありですよ』そう言って受け止め受け入れることのできる母上も母上なんですけど……



『姫は政略結婚をして、強敵を味方に率いれたから表舞台に現れる前に身を引いて生まれた息子に英才教育を施し、実家が滅びないように陰ながら手助けする物語』ーーそれはそれで、楽しそうではありますけど……満足な戦国の世に人生が送れるような気は全くしませんね!むしろ、後悔の連続になっていたことでしょうっ!


 政略結婚なんて承ることは出来ません、エリートの血を家臣にくれてやるようなそんな勿体無い事など……縁談を断った相手の家・池は細川系統なので前期戦国において超エリートな名門ではありますが、それとこれとは関係ありません。

 エリートなのは残りカスの血統だけで、今ではこの頃は全体的に細川といえばその細川を下剋上で討ち取ったあげく支配してから家臣と扱っている『三好』の天下の時代ですもの。ええ、天文の時代と言えば三好の時代。


 戦国の世を彩った有名戦国武将なら、政略結婚で文句を言うことも無きにしも非ず。同じ細川でも忠興とか、細川とはなんのただ一点さえも関係ないけど名を上げてみてくれと言われたら?こう答える。真田幸村とか伊達政宗とか、ボンバーマンな人とか。


 そんなことは土佐に居ては有り得ませんので、そうなると政略結婚なんて真顔で蹴っ飛ばすだけなのです。

 結婚を断って、破談となってしまえば面倒で胃の痛くなりそうな髪結いの式なんてやってられません。武士になるです。やってやります!


 この際、旦那は戦場に出て探すことにしますよ。斎藤の血は安売りしません!なんて、言ってると父上の血が安いかと言うとそれも違うのですよ?


 嘘か真か。我が長宗我部は秦氏──秦の血を継いでいるのです、ええあの秦です。秦の王家の子孫というのが秦氏なのです、ものすごーく遠い遠い過去の世の気の遠くなるような大昔のご先祖さまの名ですけどね。──秦の始皇帝。


 つまりは長宗我部家も安売りはしてやれないのです。限りなく薄ーい血だと思うのですが、ロマンティックな有名どこの王家の末裔ってだけで中二心をくすぐられませんか?


 某キングダムな歴史の風を少し、感じれたような気もするわけです。


 長くなりましたが、秦の王家の末裔と名門の斎藤の血を混ぜ込んだチート戦国武将・長宗我部元親から妹がふんだくった戦国サクセスストーリーがこうした下地を踏まえて今、始まるのです。




 《1552年》天文21年─土佐・岡豊



 天文9年生まれのわたしは、因みにこの年で数えで13歳。

 余談になりますが、同じ天文9年生まれと言えばあの、羽柴秀長が生まれています。

 四国征伐をした、天正の陣で我が家が為す術なく大軍に大敗したあの四国征伐ですよ。同じ数同じ装備なら一領具足は負けてない!

 他に、小出秀政、北条氏照、島左近。えっとーホントに余談になっちゃいましたね、えへ。


 ──げんぷく。そう……元服できた。


 下克上をかましてやった。

 せう言ってもいいすぎじゃない。


 しゃあーっ。これで勝つる!


 いや、誰かには勝ったけど誰にも勝ててない。

 後ろで恨みがましくブツブツと呟いている男……の娘に勝ったのは確かだけども。

 何か、何か違うんだよなぁ。


 時は戦国。群雄割拠が過ぎて簡単に人の命がぽんぽんと飛んでぶっぱして大バーゲンセールの大安売りな時代。

 歴女にとってはどうしても生きたくて行きたくて胸焦がすように憧れる時代。


 そんなわたしも歴女。……でした。


 ……はぁ、どうしてこうなるかなぁ。


 よりによって……鳥無き島の蝙蝠こと長宗我部家に生まれるなんてね。


 人生ってつくづく思い通りにいかない物なんです。


 女神に会いました。ここに来る前に。


 生まれつき体の弱かったわたしもゲームや漫画の中の躍動感溢れる武将たちに憧れました。

 でも、だからて違うんだよ、女神さま。

 いや、合ってるって言えば合ってるのか?


 ううん、全然違う。



 武将の妹に憧れる子も居るとは思うんだけど、そうじゃないんだ。

 わたしは妻になりたいとか、女で武将を支えたいとかじゃないんだよ。



 武将になって殿を支えたい。


 武将になってあちこちをぶっぱして盛大にひゃっはーしたいんだ。


 あの武将もあっちのもこっちのもお気に入りのあの人も、コレクションして侍らせたいんだよ。右に狸、左に梟雄、その後ろにボンバーマン、更に後ろに長距離射撃ヒットマンとアサシン。あー大規模炎上坊主と、砲台ブッパキリシタンもいい。

 東北覊将も副王さまとホンダムにセムシ男に親方様も忘れずに、風林火山と軍神ともお話したいし、不遇の英雄ともあれもこれも握手会したい。

 わかってない、わかってないよ女神さまは。この境遇は、そんな訳で受け入れられない。


 ──って僻んだり拗ねたりぐじぐじしても、どーにもなんないんだってさ。


 だってねー、……何か色々終ってる。


 詰んでる。


 元親、あなたはホントにチートキャラだったかも知んない………………。


 だけど、今チートでは無いってどうゆうこと?


 わたしもまさか……出し抜けるとは思って無かったよ。


 長宗我部家は土佐のちっさなちっさな、一国一城のほんとにほんとに一弱小勢力。お家復興したばっかなのもあるけども……


 そう、大名ではないのだ。


 ここに、チート能力が必要になってくる。

 そうでもないと生き残れないのだ。

 まず、回りが敵だらけ。

 まず、敵がメチャメチャ強い……長宗我部が弱すぎるってゆーか規模が小さいとゆーかって事でもあるんだけど。


 それでも弱すぎる、今日明日にでもお家滅亡が近いとまで言い切れるレベルで圧迫されている弱々勢力時代にある。北に山田、北西に本山、東に香宗我部、もっと東に安芸、更にずっと西には大平。この辺りは長宗我部家より大きな勢力。まさに群雄割拠、どこの武家が土佐に統一を打ち立ててもおかしくない時代。


 史実よりずっと詰みな勢力図って思ってしまう。


 この長宗我部家は父上の先代の兼序って殿様つまり……おじいちゃんの時代に周りに疎まれやっかまれキレられて袋叩きにあって、その結果お家滅亡しちゃったわけで。

 いま現在、鋭意建て直しの最中であります。


 懇意にしてくれた一条さまの領地とは離れているというのもあるし、やはり戦国だもの。明確な領地が線で結べないものだったんだよね、室町時代に足利幕府から土佐を受け持ってた細川の杜撰な運営の弊害でもあるんだけど。

 『あの土地あげるから働いてくんない?あ、領地は離れてるけど気にしないで税は持っていけるようにしとくから』当時の細川を簡単に説明すると前述のようなやり取りを繰り返していたので例としては山奥で海の無い森という武家に潮江天満宮近くの海のある領地が存在したり、同じように長宗我部家にも物部川河口に領地があったりとホントにほんとに他ではあり得ない杜撰な運営ぶりでした。被官にあちこちに土地を後先考えず与えてはいけません!


 ──そんな細川とは違って。己の敵も許して助けるくらいに優しく、成長する迄敵からも匿ってくれてその上成長してからはお家再興に尽力してくれた一条さまの領地をすこーしだけ長宗我部のいまの殿様が奪ってたりする。


 で、まさに四面楚歌、周りに味方してくれるは誰もいないって現状が生まれているのだったり。


 いまの殿様、つまりこのわたしの父上ってことになる国親のことなんだけど。


 長宗我部国親のプロフィールに関してはズバリ、元親の父。


 ぅえ、…………他に……?

 うーん……じゃあ、味方をわざわざ潰したぼっちを引き摺った症候群とか?


 ま、家臣は残ってはいたんだけどね。

 なに、これも違うの?

 じゃあね……虎の威を借る狐ってよく聞くけど、実際言われちゃった人って事は知らなかったでしょう?

 こんなのマジに言われてる人物ってなかなか居ないんだよ。スネ夫じゃあるまいし。


 しかも、歴史にでかでかと残っちゃってるとかさぁ。

 それだけで恥ずかしいとゆーかさ。


 武将としては長宗我部の虎、土佐の虎とか言われてたらしいのだけどどーだか。

 え?なぜに曲がりなりにも父を貶すような事を言うのかって?


 それくらい、長宗我部家を詰ませるようにがんじがらめにしちゃった人だから。なんだけど?


 せめて一条さまくらいは手出ししないで、味方して貰えてたらもっとマシに戦国を渡っていけるかもだったけど。

 弱味をみせたとこから踏み潰される時代だとしてもだよ、ここまで見事に味方以外全部敵な状況つくるかってぐらいに詰んでます。


 味方は味方で一族、親族、永代の家臣しかいない。嫌われたもんだね。


 史実では安芸に圧迫されて負けた弱っちくなってた香宗我部に養子を出して乗っ取った頃に、オラオラ系で周辺じゃ強敵の本山茂宗が死んで後を継いだ本山茂辰を叩いて息を吹き返す、そんなラッキースター漁夫の利・長宗我部の下克上がスタートするわけだけど……笑っちゃうくらい元親こと弥三郎が妹としての目から見ても弱そうにしか映らなくて。




 しちゃいました、下克上。

 わたし、元親こと弥三郎の妹の下克上がスタートしちゃったわ。うふふふ。

長宗我部元親……信長が死ぬまではラッキースターのように順調に勝ち進み、四国最強になった処で時間切れ。

秀吉がやってきて討伐され、下ります。


秀吉は四国部隊を先発隊のセンゴクの下に九州征伐。

いざ、島津。しかし、センゴクは島津にあれよあれよと釣り出され……センゴクの元で戦った四国部隊は壊滅。


十河も長宗我部も。

長宗我部勢は特に若い連中に経験値を、と寄生レベル上げする気満々で大将に元親の嫡男・信親以下十代から二十代の若い家臣が出陣してたから、これを失って長宗我部はそれはもう、無惨に未来が無くなったようなものです。


特に信親を溺愛していた元親ですから、戸次川に未来を絶たれてから狂気に支配されます。


……おかしくなるのです。それまで大事に扱っていた家族、一族も次々とその手にかけ、家中を混乱に叩き込むのでした。

特に、三男・親忠を無下に殺人してしまったのが不味かった。


親忠は時の支配者になりつつあった家康の覚えめでたき人物。

長宗我部家中でもそれは知れ渡っていた上で親忠を殺してしまった。

これが長宗我部滅亡の引き金になった、というのが最新の解釈らしいです。

まー家康だけでなく、藤堂高虎とかホンダムとも友人だったらしいね。


名前は出てなくても徳川勢に顔は売れていたようで、元親と盛親が親忠を殺しちゃったりしなければ、領地変えとかで存命出来たなんて言われてます。

晩年、人が変わったように狂うことがなければ長年徳川と手結んで秀吉に対抗してた仲なんだからマイナーで終わってないかも、知れない。


後、家臣を徹底的に見捨てたとして、浦戸抗戦も上げられますね、桑名吉成が自己判断で士分皆殺しでしたっけね?


盛親の代の家臣はろくなのが居なくなったのは、全て戸次川に繋がってしまうんですよねー、あそこで死にすぎなんですよ。と、当たり前のことを言いつつ。





ここまで読んでくれてありがとう!時間が余裕あればご意見ご感想書いていってね!

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令和元年9月。まだ読んでくれている人がいるので思い出しつつ書けるようになればいいなと思いつつ。3年前とは現実のあれそれが変わってしまって気分がそんなことにも進まず、何もかもが指の隙間をすり抜けていくような気持ちで過ごしてきましたが、小説のネタだけは、平成の間もつみつみしていたのですが、

メモアプリに落書きのように書き散らしていただけだったりするので


コピー出来ないとこちらに持ってくるのが一苦労。そんなわけで

この話の大前提を忘れて書いてたりするので編集しながら思い出していこうかなと。この辺で、。

そもそもスマホにまだまだ慣れていない。ガラケー卒業しました。パスも忘れてましたが、ようやくに思い出しつつ。今日この頃は大崎現場さんも描いてくれる人が現れ『妙にやる気出てきた』そんなことも影響しつつ、復帰できるといいなと。やる気はあるんです、スマホが行けないんです違えた。これ難しい。徐々にやってこうと思います、今日はこれまで。

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