⑫
私達はファーストフード店に急いで入った。2階に上がると他の客が皆、一点を見ていた。その視線を辿ると、ケンイチとE子が屋外にあるキッズスペースで向かい合っていた。
「蛍君…」
帆乃花の助けを求めるような声が私を一歩前へと突き動かす。
「帆乃花…ここで待っていて…」
帆乃花が顔を横に振る。
「私も一緒に行く…」
帆乃花の言葉に不思議と心強さを感じる。私は帆乃花と一緒にケンイチ達のもとへ向かった。屋外に出るドアを開けると、ケンイチの怒声が聞こえてきた。親友としてそんな言葉は聞いてはいられない。
「ケンイチ!」
私はケンイチに声をかける。ケンイチは振り返ると私を見て目を丸くする。
「蛍…なんでいるんだ?」
「ケンイチの声が聞こえてね!」
私は意識して口角を上げて場を和ませようとするが、E子がそれを許さなかった。
「帆乃花…?何してるの?」
E子は帆乃花を突き刺すような視線で睨み付ける。
「蛍君について来たの…」
帆乃花が弱々しく答えた。目の前にいるケンイチの表情が険しくなってくる。
「だから、帆乃花ちゃんになんでそんなに強く当たるんだよ!?関係ないだろ?」
ケンイチが私の制止を振り切ってE子に強い言葉を投げつける。
「関係ないことないじゃない!私は友達だと思っていたのよ?それなのに…それなのに!」
知らず知らずの内にE子の瞳からは涙が溢れていた。正直、E子が不憫でたまらない。信じていた恋人に裏切られ、友人からも背信行為を受けたのだ。しかし、私は帆乃花の恋人であり、ケンイチの友人である。どちら側に立つかは明白だ。
「E子ちゃん…この前の学食でのことはね。僕が悪いんだ。僕達が座っている席にケンイチを座らせたのは…僕なんだよ。帆乃花は躊躇っていたんだけど、僕が強引に…だから、僕が悪かったよ。本当にごめん!」
私はE子に向かって頭を下げた。
「おい、蛍!こんな奴に頭なんか下げなくていいだろ!」
ケンイチが私の背中に手を当てながら言う。
「蛍君…それでも…私は帆乃花がその場にいたことが許せないの…」
E子が目を押さえながら必死に声を出した。私は帆乃花の顔を見つめる。今にも泣き出しそうであった。私はE子がここまで感情が高ぶる理由を探した。すると、何かが頭の中に入ってきた。
「E子ちゃん…君はまだ…」
「だから、それが気に入らねぇんだよ!」
私の言葉を遮り、ケンイチが割って入る。E子はくしゃくしゃになった顔で黙ってケンイチを見つめている。私が悟ったことが正しいのであれば、E子にとってあまりに残酷な仕打ちである。私は静かにケンイチの肩に手を置いた。
「ケンイチ…」
ケンイチが振り返った。
「蛍…ごめんな…」
ケンイチの悲しそうな表情から、ケンイチもまたやり場のないところで戦っていることを悟った。私はE子に近づいていく。E子が一歩後ろに下がった。
「もとはと言えば、ケンイチが全部悪いの!あいつはバイセクシャルだったの!私を弄んだの!」
「うん…」
私はE子に向かって少し口角を上げながら答えた。E子は私の表情を見て、目を見開いてたじろいだ。
「ほ、蛍君だって…何されるかわからないんだよ?」
E子の必死な訴えに、ケンイチが息を詰まらせるのを背後で感じた。私は親友の気高い誇りを守りたい。
「それでもケンイチは僕に友情を持って接してくれている…」
E子が私を見つめる。
「ケンイチがバイでも構わない!僕はケンイチの親友だ!」
E子は私から視線を逸らした。
「E子ちゃんの気持ちは…わからなくもない…僕も同じ立場なら悲しくなると思う」
E子は大粒の涙を床に落とす。すると、R香とY実がキッズスペースに入ってきた。そして、Y実が私に視線を送る。私はそれに軽く頷いた。E子は2人の友人に支えられてその場を後にした。私は振り返るとケンイチと帆乃花を交互に見た。一方は俯き、もう一方は私に駆け寄ってくる。
「蛍君…」
帆乃花がゆっくりと私の腕にしがみ付いてくる。瞳には薄っすらと涙を浮かべていた。私は改めて帆乃花への罪の意識を覚えた。
「ごめんね…帆乃花…」
帆乃花は頭を左右に振ると、額を私の胸元に擦り付ける。
「ケンイチ?」
私の声にケンイチは顔を上げる。その表情はどこか怯えているようであった。
「ありがとうな!」
ケンイチは私の言葉に対し、眉間に薄くしわを寄せた表情を私に向けてくる。
「ケンイチは帆乃花の為に動いてくれたんだろ?」
ケンイチは再び床を見つめる。
「どうした?ケンイチ」
「いや、俺は…」
ケンイチは床を見つめながら言葉を詰まらせてしまう。そんなケンイチを帆乃花は黙って眺めていた。
「帆乃花、行こうか」
「うん」
「ケンイチもバイトあるんだろ?」
「あぁ…」
私と帆乃花はファーストフード店の前でケンイチと別れた。バイトに向かうケンイチの背中は真っすぐ力強く伸びていた。私がケンイチを見送っていると、帆乃花が私に携帯電話を見せてきた。
「E子ちゃんが…」
私は注意深く帆乃花の携帯電話を見た。
『ごめんね』
帆乃花の静かに嬉しそうな表情を見て、私は安堵した。
「蛍君?」
帆乃花が私の顔を覗き込む。とても愛おしい顔である。
「ん?」
「ずっと一緒にいようね!」
帆乃花はいつも私に優しい気持ちを届けてくれる。
「ああ…でも、E子ちゃん達も…」
「蛍君といる!」
私は帆乃花の誠実な視線を優しく受け止める。
「そっか…」
私は一人呟いた。帆乃花が胸の中で私を見上げる。なぜだろう。脇腹に突き刺さる程の痛みが走った。私はその痛みの意味を悟る。
「どうしたの?」
心配そうな帆乃花に私は静かに微笑み返す。そして、帆乃花の手を取ると、ケンイチとは逆の方角に歩いていった。
母が父を刺したあの夜、父が母の刃物を怖れなかった理由はなんだったのか。たぶん私の予想は間違っていない。もう私は動じない。私は帆乃花の隣にいる。この先、父と同じ傷をこの胸に抱くことになろうとも。
-完-
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