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第5話:留守番と、水に潜む悪霊

あやを長屋に引き取ってから季節が巡り、二、三ヶ月が経過していた。

毎日の栄養満点な玄米おにぎりと、お湯を使った丁寧な清拭。そして、米を研ぐ際に出る「米ぬか」での地道な保湿ケア。これらが完全に功を奏し、あやの足は日常の歩行にまったく支障がないまでに回復していた。

それ以上に劇的な変化を遂げていたのは、彼女の容姿だった。引き取られた当初、あばら骨が浮き出ていたガリガリの体には、年頃の娘らしい健康的な柔らかい肉付きが戻っている。ひどく乾燥してカサカサだった肌も、米ぬかのおかげで吸い付くような潤いと透き通るような白さを取り戻していた。

まだ着ているものはボロボロのままだが、泥と埃にまみれていた頃には想像もつかなかった、本来の整った顔立ちが確かな健康とともに表れ始めていた。

すっかり体力が戻ったあやは、ある日の朝、昇太の前に正座して深く頭を下げた。

「旦那様。このままお世話になっているだけでは、申し訳が立ちません。どうか、私もお店を手伝わせてください」

「うーん……気持ちはすごくありがたいんだけどね。長時間の立ち仕事は、まだあやの足に負担がかかると思うんだ。無理をしてまた倒れたら大変だろ?」

「ですが、もう足は痛くありませんし、何よりこれ以上、タダ飯を食らうわけには……」

必死に食い下がるあやに、昇太は優しく微笑みかけた。

「じゃあ、店に出るのはもう少し先にしよう。その代わり……俺がいない間の『家の事』を頼めるかな?」

「家の事、ですか?」

「そう。掃除とか洗濯とか。それなら自分の配分で休めるし、俺もすごく助かるんだけど……どうかな?」

初めて自分に明確な役割が与えられたことに、あやの瞳がパッと明るく輝いた。

「はいっ! 喜んでお引き受けいたします!」

昇太は仕入れとあやへの引き継ぎを兼ねて、その日は珍しくおにぎり屋を休みにした。

まずは長屋の共有スペースにある井戸へ行き、水の汲み方を教える。共同井戸の釣瓶を使い、重い水桶を引き上げようとするあやに、昇太は慌てて声をかけた。

「あや、ちょっと待って。水汲みはかなりの重労働だから、絶対に無理はしないこと。一気にたくさん運ぼうとせず、少しずつ、休み休みやるんだよ」

「ですが、それでは日が暮れてしまいます。働くからには身を粉にして、一息もつかずに働くのが当然のことと存じますが……」

「ダメだ。体を壊したら元も子もないだろ? 疲れたら座って休むのも仕事のうちだからね。俺の家では、そういう決まりなんだ」

倒れるまで働くのが当たり前だった江戸の底辺の価値観とは違う、現代人的な気遣い。あやは目を丸くした後、「……はい、旦那様」と、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

その直後、あやが手桶の生水をそのまま飲もうとしたため、昇太は咄嗟に叫んだ。

「ストップ!」

「……すと、っぷ……?」

聞き慣れない言葉に、あやは桶を持ったままきょとんとする。

「あ、いや、止まってって意味だ。とにかく、生水をそのまま飲んじゃダメだ!」

「えっ? ですが、喉が渇きましたし、井戸の水は皆が飲んでおりますが……」

「おにぎりの事を教えてくれた仙人様が言ってたんだ。水の中には『目に見えない、体を蝕む悪霊』が潜んでいることがあるらしいんだよ」

「あ、悪霊、ですか……!?」

あやは血相を変え、慌てて桶から手を離した。

「ああ。でも悪霊は火に弱いんだ。朝、俺がおにぎりの仕込みで使った竈の残り火があるだろ? あれに鍋をかけて、水をぐつぐつにしてから冷まして飲めば、病になりにくいそうだ」

細菌やウイルスの概念などない時代だが、自分の命を救ってくれた仙人様の教えとなれば話は別だ。

(ばあちゃん…仙人様本当にありがとう!助かってます!)

朝の残り火を使えば薪の無駄遣いにもならないということもあり、あやは疑いを持たず

「そのような恐ろしいものが……!必ず一度、火にかけます!」

と固く誓った。

その後昇太はたらいとムクロジの実を使った洗濯の仕方を教え、二人は街の古着屋へと向かった。

江戸の庶民にとって、衣服は古着屋で買うのが当たり前だ。所狭しと品物が並ぶ店先で、昇太はあやに似合いそうな、清潔で淡い桜色の木綿の着物を選び取った。

「これなんか、どうかな」

「こんな綺麗な色の着物、私が着てもよろしいのでしょうか……。もっと地味で、汚れても構わないもので十分です」

「家の事をしてくれるんだから、これくらいは俺からの前払いのお給金だよ。ほら、ちょっと合わせてみて」

昇太に促され、あやはおっかなびっくり着物を身に当てた。

そして自分の姿を確かめるように俯き、ふわりと嬉しそうに微笑んだ。出会ってからずっと張り詰めていた彼女が見せた、心からの自然な笑顔だった。

(なんだ。笑えば年相応の、普通の女の子じゃないか)

その無邪気な様子を見て、昇太は保護者のような、穏やかで温かい目を向ける。二人の新しい生活の基盤が、こうして少しずつ整っていく。

5話まで読んでいただきありがとうございます。

不定期更新となっておりますが、時間の許す限り続けたいと思っています。

また作品にリアクションや評価をいただけましたこと、嬉しく思っております。

今後も温かい目で読んで頂ければ幸いです。

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