第1話:そのおにぎり、飛ぶぞ?
江戸を舞台にしたスローライフ作品を思いつき、形にしてみました。 初投稿のため拙い部分もあるかと思いますが、温かい目で読んでいただけると嬉しいです。
気がつくと、山本昇太は頭がクラクラするほどの強烈な西日の中に突っ立っていた。
辺りを見回し、昇太はパチパチと瞬きをする。
視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの木造平屋の家並み。瓦屋根が波打ち、格子戸のついた店がずらりと街道沿いに並んでいる。
(……あれ? 京都の太秦映画村……? いや、つくばのロケ地か?)
大の時代劇好きだったおばあちゃんに付き合わされ、何度も見た光景だ。
昇太はフッと息を吐き、ポケットからスマートフォンを取り出した。画面をタップするが、アンテナマークは見事なまでに『圏外』を表示している。
「嘘だろ……」
街道を行き交う人々は、全員が着物姿。それもテレビで見るような小綺麗な衣装ではない。
首元がよれ、泥に汚れた麻の着物を無造作に着流し、頭には本物のマゲを結っている。
さらに、すれ違いざまの男が、昇太のダウンジャケットとジーンズ、派手なスニーカーを見て、ギョッとした目で二度見した。
(……ここは江戸なのか?)
居心地の悪さに身をすくめ、後退りしたその時。
ズブッ。
お気に入りのスニーカーの底が、妙に柔らかく湿った何かを踏み抜いた。
鼻腔を突き刺したのは、映画館の4Dシートでも再現不可能な、強烈な『生の馬糞の悪臭』。
「うわああああっ!? 本物じゃんこれ!?」
周囲の人間が一斉に肩をびくつかせる。彼らの動きはあまりにも自然で、あまりにも「カメラを意識していない」生活者のそれだった。
足取りは、現代人のように踵から歩くものではなく、地面を摺るように歩く『ナンバ歩き』。口から漏れるのは、生活の体臭が染みついた泥臭い江戸弁。
昇太は震える手で、液晶に映る自分の顔を見つめた。
ここが本物の江戸だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
「……このダウンとスニーカーは、俺が現代人である最後の砦だ。絶対に手放したくない……」
リュックをひっくり返し、出てきた一冊のリングノート。
紙が貴重な江戸時代、その真っ白で滑らかなノートのページは、大金に化けた。紙問屋の主人は驚愕し、昇太の手には当面の生活費が握らされた。
昇太はまず長屋を借りて、住まいという拠点を確保することができた。
一息ついた昇太は、茶屋で出された食事を見て、違和感を覚える。
山盛りの「白米」と、わずかな漬物。それだけを食べる人々の、足取りのおぼつかなさ。
(これ、『脚気(ビタミンB1不足)』の症状じゃないか?)
おばあちゃんの言葉を思い出す。白米ばかり食べていると、足がしびれて死んでしまうのだと。
(これを、玄米や大豆を混ぜた「仙人様直伝の特製おにぎり」として売れば……商売になる!)
昇太は迷わず、得た資金で米と大豆、梅干しを仕入れ、茶屋の軒先を借り受けた。
現代の服の上に半纏を羽織り、即席の屋台を開く。
「さあさあ、寄ってらっしゃい! 騙されたと思って食べてみな、『飛ぶぞ』!!」
理由は語らない。ただ結果だけをアピールする。「効かなきゃ次のお代はナシだ!」という強気の売り文句に、嘘か真かと興味を引かれた旅人たちが次々に手を伸ばす。
その戦略は大当たりし、店は瞬く間に名物となった。
開業から一ヶ月。店は軌道に乗り、昇太は忙しさに追われていた。
人手が欲しい、そう考えていたある日。
街道沿いの長屋の前で、異様な光景に出くわす。
一人の男が、薄汚れた着物の少女を「役立たず!」と罵り、長屋の軒下にゴミのように投げ捨てたのだ。
「いいか! 飯を食うだけの穀潰しはもういらねえ!」
男が立ち去ろうとする。その足元で、少女はただ震えていた。極度の栄養失調で、足のしびれからまともに立つこともできない。
昇太の理性が、怒りで沸騰した。
彼は駆け寄ると、貯めていた売り上げと人件費のためにと蓄えの入った小銭入れを男の顔面に投げつけた。
「この子が何をしたってんだよ! この子の身代金だ、受け取れ! これでこの子は、お前とは無関係だ!」
男が銭を拾い集めて去った後、昇太は地面に崩れ落ちる少女の前に膝をついた。
彼女はまだ、自分が何をされたのか理解できていない様子だった。
昇太は無言で屋台の奥から、今日一番の出来栄えのおにぎりを一つ掴み取り、少女の小さな手にそっと握らせた。
「……食え。まずは腹を膨らませろ、君…名前は?」
少女は震える手で、泥をすするような必死さで、かぶりついた。
数分後。少女の顔に、わずかに人としての温もりが戻った。
少女がゆっくりと顔を上げ、昇太をまっすぐに見つめる。
「……旦那様、ありがとうございます。……あや、と申します」
昇太もまた、少し照れくさそうに笑い返した。
「俺は昇太。……あや、今日から俺のところにおいで、あんな親の所に帰る必要なんてないさ」
第1話を読んでいただきありがとうございます。
この物語は、緻密な歴史考証や歴史改変を主題とした作品ではなく、江戸を舞台にラブコメや人情を中心に描いていきたいと思っています。
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