【Step.22】9センチの魔法
「――それでは、最新コラボPVの原案も手掛けていただきました、原作者の『星の罪』先生です! 大きな拍手でお迎えください!」
MCの華やかなコールと共に、スタジオの重厚な扉が開く。
スモークと照明の中、ステージに現れた「大ヒット作家」の姿に、スタジオの観客と共演者たちは一瞬ざわついた。
サイズの合った仕立ての良いスーツ。
そこまではいい。だが、その頭には目深な黒いキャップが被られ、顔の半分以上は大きな黒いマスクで覆われているという、異様な「完全変装スタイル」だったからだ。
「ははっ、なんだあの格好。怪しさ満点じゃん」
ゲスト席の篠崎零が、マイクに乗らない声で鼻で笑う。
だが、アシスタントMCの位置に立っていた天宮菜緒だけは、持っていた進行台本を取り落としそうになるほど、その場に釘付けになっていた。
(……え?)
目深な帽子。大きなマスク。
それは普段、自分が街を歩く時にしている「お忍びの変装」と全く同じスタイルだった。
けれど、顔が隠れていても関係ない。
少しだけ猫背気味な肩のライン。歩く時に、無意識にスーツの袖口を軽く引っ張る小さな癖。そして何より、自分がピンヒールを履いて並んだ時に「ちょうど1センチだけ高くなる」あの見慣れた背丈。
(……そんな。嘘でしょ?)
『星野さん! もしかして走ってきてくれたんですか?』
『そりゃ、走りますよ』
いつかの金曜日の夜。川崎駅前の広場で、完璧に変装していたはずの自分を、息を切らして一瞬で見つけ出してくれた不器用な男の姿がフラッシュバックする。
彼が私を一瞬で見つけてくれたように。
私が、大好きなあの人を、見間違えるわけがなかった。
「……ほし、の、さん……?」
マイクを通さない菜緒の小さな呟き。
ステージの中央に立った「星の罪」先生は、軽く一礼をしてマイクを受け取った。
「初めまして。……いや、一部の方には、いつもお世話になっております。原作者の星の罪です」
少しだけくぐもった、けれど聞き間違えようのない、理屈っぽくて落ち着いたバリトンボイス。
「へぇ、先生。随分と厳重な装備っすね。せっかくの晴れ舞台なのに、顔出しNGなんて勿体ないんじゃないすか?」
篠崎零が、台本にはない挑発的な質問を投げかける。
周囲のスタッフがヒヤッとした空気になる中、原作者は静かにマイクを構え直した。
「……ええ。ただのしがない会社員ですので、顔を出せば色々と面倒なことになりますから。……ですが」
原作者はふと、アシスタントMCの立ち位置で目を丸くして震えている菜緒の方へ、真っ直ぐに視線を向けた。
「どうしても、もうこれ以上『嘘』をつきたくない相手が、この場所にいまして」
そう言うと、彼は被っていた黒いキャップを無造作に脱ぎ捨て、顔を覆っていたマスクに手をかけた。
「――っ」
菜緒が息を呑む。篠崎零が怪訝に眉をひそめる。
マスクが外され、スタジオの強い照明の下に晒されたのは――深夜の鎌倉で『俺はただの哀れな会社員ですよ』と苦笑いしていた、天宮菜緒のたった一人の「魔法使い」の顔だった。
「ほしの、さん……っ?」
「ええ。……ずっと騙していて、すみません、天宮さん」
俺はマイクを通さず、彼女にだけ聞こえる声で小さく謝った。
スタジオが「えっ? アシスタントMCの知り合い!?」「どういうこと?」とどよめきに包まれる中、隣にいた篠崎零が信じられないものを見るような顔で俺を指差した。
「は……? お前、あの時の……ただの会社員……! なんでお前が『星の罪』なんだよ!」
「言ったでしょう。俺はしがない会社員だと。……ただ、趣味で少しばかり文字を書いているだけの」
零の顔が、怒りと困惑で歪んでいるのが見える。
だが、俺にはもうどうでもよかった。
さっきまで感じていた、プロゲーマーという「眩しい光」に対する劣等感も、全てはただの思い込みだったと今は分かる。
俺は篠崎を見ようともせず、ただ、彼女だけを真っ直ぐに見つめ続けた。
「おい待てよ! お前が星の罪だろうが何だろうが、お前みたいな地味な男が、ナオちゃんと釣り合うわけないだろ!」
零がマイクを持ったまま身を乗り出した、その時だ。
「……篠崎さん」
凛とした、よく通る声がスタジオに響いた。
天宮さんが、マイクを両手でしっかりと握りしめ、真っ直ぐに篠崎を見据えて口を開く。
「私の隣には、私を理解してくれる人が良いんです。篠崎さんが勝手に決めないで下さい」
静かだが、有無を言わさぬ拒絶。
それは、彼女が「プロゲーマーの篠崎零」の隣ではなく、「激辛に付き合って一緒に泣いてくれる不器用な男」の隣を、公衆の面前でハッキリと選んだ瞬間だった。
「なっ……」
篠崎の口がだらしなく開き、マイクを持った手が力なく下がる。
生放送のカメラが回る中での、完全なる公開失恋。スタジオの観客たちも、あまりのドラマチックな展開に息を呑んで静まり返っていた。
そこから先は淡々とコラボPVの発表が行われた。
「……えー、原作者の星の罪先生が、顔出し公開されるよいう思いがけないサプライズが飛び出しましたが! 以上でコラボPVの発表を終わります!」
プロのMCである赤城さんが、絶妙なタイミングで強引に番組を締めくくる。
割れんばかりの拍手と歓声の中、俺は天宮さんと視線を交わし、ゆっくりとステージを後にした。
***
興奮冷めやらぬスタジオの喧騒から逃れるように、俺と天宮さんは人気のない地下駐車場へとやってきていた。
(……ここまで来て、ようやく二人きりだ)
コツ、コツ、と彼女のヒールの音がコンクリートに響く。
「……天宮さん」
俺が立ち止まって声をかけると、数歩前を歩いていた彼女がクルリと振り返った。
ステージ上での凛とした姿とは打って変わって、その大きな瞳は不安と戸惑い、そして少しの怒りで揺れている。
「星野さん……どういうことですか。ずっと、騙してたんですか」
「……ごめんなさい。最初は本当に、ただ言い出せなかっただけなんです。でも、あなたと一緒にいるうちに……『ただの会社員』の俺じゃ、住む世界が違うあなたの隣に堂々と立てないって、そう思ってしまって」
俺は誤魔化すことなく、等身大の不器用な本音を吐露した。
「俺は、スマートな男じゃないです。あなたの激辛趣味に付き合えばいつも胃腸炎ギリギリになるし、車だって印税で買ったのに、見栄を張って『120回ローンだ』なんてくだらない嘘をついてました」
俺が俯き加減でそう告げると、地下駐車場に静寂が落ちた。
「……薄々、気付いてました」
天宮さんはポロポロと涙をこぼしながら、ふにゃりと柔らかく笑っていた。
「だって、川崎で息を切らして私を見つけてくれた時も、一緒に汗をかいて激辛を食べてくれた時も……星野さんは、私の知ってる『不器用で優しい星野さん』のままだったから。
でも、なんで本当のことを言ってくれないのかなって、星野さんが自分から話してくれるのを、ずっと待ってたんです」
彼女は両手で顔を覆い、しゃくりあげるように肩を震わせた。
「……バカですね、星野さんは。本当に、大バカです。大物作家の先生だから惹かれたわけじゃないのに……ずっと、私の隣にいるために、一人でそんなに見栄を張って、無理して我慢してくれてたんですか……っ」
「それに……120回ローンでゲレンデを買うサラリーマンなんて、普通に考えてあり得ないじゃないですか。それに、銀座のシュミラン掲載店の個室を即座に予約できる会社員っておかしいですよね。やっぱり、おかしいな〜って思ってたんですよ?」
「あははっ……本当にバカだなあ、星野さんって」
彼女は涙を零しながら、泣き笑いの顔で俺を見つめた。
「……でも、そんなおかしなところまで必死に隠そうとしてる星野さんが、わたしは大好きなんです」
それは、騙されたことへの怒りではなかった。
俺の情けなくて泥臭い見栄や、必死の嘘さえも、すべて愛おしそうに受け止めてくれる――彼女なりの最大の優しさだった。
その真摯な言葉に背中を押されるように、俺は息を吸い込んだ。
胸が、ズキズキと痛んだ。彼女が泣いているのは、俺がずっと嘘をついていたからだ。俺の不器用な見栄が、彼女をこんなに傷つけていたなんて……俺は、本当に最低だ。
「……無理なんてしてません。俺はただ、あなたの隣を歩きたかっただけです。だから……」
俺は手に持っていたメッセンジャーバッグのチャックを開け、タオルに包んで厳重に保管していた「ある物」を取り出した。
「え……?」
天宮さんが、信じられないものを見るように目を丸くする。
俺が取り出したのは、純白のエナメルパンプス。
あの日、東京ビッグサイトの床に叩きつけられ、無残にへし折れていた「彼女の靴」だった。
「あの日の靴、やっと直せました」
「……あ、あの日……?」
「四月のビッグサイトで、俺の腕の中に降ってきた時のあなたの靴です。朦朧とした頭で俺がカバンの中に入れてしまっていました。……その後、ずっと俺のロッカーの中で眠っていましたが、ようやく持ち主に返す準備ができました」
俺は靴を取り出し、彼女に差し出した。
「ただし、少しだけ細工をしました。元の15センチのピンヒールじゃ、またバランスを崩して危ないですからね。歩きやすくて、もう絶対にあなたが転ばないように……9センチのヒールに直してあります」
「9、センチ……」
「ええ。だから……家にあるもう片方の靴とは、もう高さが合いません」
俺は真っ直ぐに、涙で視界を滲ませている絶世の美女を見つめた。
理屈っぽくて、素直じゃなくて、胃腸も弱い俺からの、一生に一度のわがままだ。
「この靴を履くと、あなたは俺より、ほんの少しだけ背が低くなります。今までみたいに、俺のことを見下ろすことはできません。これからは……少しだけ下から、俺のことを見上げてくれませんか」
「っ……」
息を呑む音が聞こえた。
天宮さんは、俺の手からそっとその白いパンプスを受け取る。そして、履いていたステージ用の高いヒールを片方だけ脱ぐと、その場で屈み込み、確かめるように俺の渡した靴に足を入れた。
いざ立ち上がろうとした彼女は、「あっ」と小さく声を漏らした。
無理もない。もう片方の足には、ステージ用の高いピンヒールを履いたままなのだ。左右で数センチも高さが違うせいでまともに立つこともできず、彼女はフラフラと片足立ちのような不格好な姿勢になる。
バランスを崩した天宮さんは、倒れまいと慌てて俺のスーツの袖をギュッと掴んだ。
あの日、ビッグサイトの床で俺の胸ぐらにしがみついてきた時と同じように。
俺がその華奢な肩をしっかりと支えると、至近距離で彼女と視線がぶつかった。
165センチの彼女に、9センチのヒール。俺に体重を預けてくる彼女の視線は、俺の計算通り、俺よりほんの数センチだけ低い位置にあった。
今まで俺を見下ろしていた大きな瞳が、今は少しだけ上目遣いになって、俺の顔を映している。
「……ほんとだ。少しだけ、低いですね」
彼女の目から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
だが、感動の涙を拭いながらも、天宮さんは俺の袖を掴んだまま、少しだけむくれるように抗議してきた。
「ちょっと星野さん……魔法をかけてくれるのは嬉しいですけど、これじゃ左右で高さが違って、一人じゃまともに歩けないじゃないですか」
涙声で文句を言う現代のシンデレラに、俺は彼女の肩を支えたまま、悪びれずに笑い返した。
「ええ。だから……あなたがもう二度と転ばないように、これからは俺が隣で支えます」
「っ……!」
「それか、明日、これに合う新しい靴を一緒に買いに行きませんか。俺の奢りで」
天宮さんは目を丸くした後、今日一番の――花が綻ぶような、とびきり可愛い笑顔を見せた。
「……ひどい魔法使いですね。そんなの、どっちも『はい』って答えるに決まってるじゃないですか」
天宮さんは泣き笑いの顔で俺を見つめると、その細い腕を、俺の首にきつく回してきた。
「喜んで……。家に帰ったら、すぐにもう片方の靴、渡します。だから……これからはヒールがなくても、ずっと星野さんの隣を歩かせてください……っ!」
天宮さんは泣き笑いの顔で俺の首に腕を回したまま、震える声でそう言った。
俺は彼女の背中をそっと抱き返しながら、ただ「うん」と小さく頷いた。
薄暗い地下駐車場で、俺たちはしばらくの間、言葉もなく身を寄せ合っていた。カプサイシンの熱とは違う、確かな熱が胸の奥にじんわりと広がっていく。
この瞬間、俺たちはもう「ただの会社員」と「現代のシンデレラ」ではなく隣同士で歩んでいく一組の恋人同士になっていた。
***
あの日から一週間後。
生放送での出来事は、当然ながら大きな波紋を呼んだ。
日本のインターネットは、ある一つの話題で完全に持ちきりになっていた。
『大型ゲーム特番、前代未聞の放送事故!? 原作者による公開告白!?』
『アシスタントMC天宮菜緒の心を射止めたのは誰?』
『篠崎零、公開失恋でまさかのトレンド1位』
……正直、予想以上の大騒ぎだった。
俺の既刊は書店から一瞬で姿を消し、神崎からは「特大重版、五刷りいきましたあああ! 放送事故万歳!!」と泣きながら電話がかかってきた。
だが、そんな世間の喧騒とは裏腹に——
「……はぁっ、はぁっ、辛っ……! なんですかこれ、舌がちぎれる……!」
「ふふっ。ブータン料理の『エマダツィ』ですよ。唐辛子をチーズで煮込んだ、世界一辛いって言われてる料理です! チーズのまろやかさの奥から来る暴力的な辛さが、もう最高ですよね!」
金曜日の夜。
都内のディープな路地裏にあるブータン料理店で、俺たちは相変わらず、真っ赤な地獄の入った小鉢と格闘していた。
世間がどれだけ騒ごうと、どれだけ印税が入ろうと、俺たちの根本的な関係は何も変わっていない。
「天宮さん……世間が知ったら泣きますよ。あのステージの数日後に、星の罪がシンデレラの食べさせた激辛チーズで胃袋を破壊されてるなんて」
「いいじゃないですか。私と星野さんの、秘密の趣味なんですから。……はい、あーん」
悪戯っぽく笑う彼女から差し出された致死量の唐辛子を、俺は観念してパクリと口に含んだ。
途端に火を噴くような痛みが口内を支配し、俺は盛大に咽せ返る。
でも、不思議と嫌じゃない。
いや、胃腸は確実に悲鳴を上げているが、目の前で楽しそうに笑う彼女を見ていると、この痛みすらも愛おしいスパイスに思えてくるのだから、俺もすっかり重症だ。
***
店を出ると、初夏の生温かい夜風が頬を撫でた。
俺たちは並んで、駅までの道をゆっくりと歩き出す。
ふと、隣を歩く彼女の足元に視線を落とす。
彼女が履いているのは、あの日ビッグサイトで真っ二つに折れ、俺が靴職人に頼み込んで生まれ変わらせた――純白のパンプスだ。
15センチから、9センチへ。
その低くなったヒールのおかげで、彼女の歩調はとても安定していて、もう転ぶ心配は微塵もなさそうだった。
そして何より。
「……星野さん?」
視線に気づいたのか、天宮さんがひょいとこちらを覗き込んできた。
俺の身長176センチプラス靴底3センチに対し、彼女は165センチプラス9センチ。俺の視線はもう、彼女を見上げることはない。
ほんの少しだけ下から俺を見上げてくる、大きな瞳と真っ直ぐに視線が交差する。
「なんでもないです。……ただ、よく似合ってるなと思って」
「ふふっ、ありがとうございます。……すっごく歩きやすいです。これなら、どこまででも一緒に歩いていけそうです」
そう言って、天宮さんは自然な動作で俺の右手に自分の左手を絡ませてきた。
指と指が交差して、しっかりと繋がれる。
テレビ画面の向こう側の存在だった「絶世の美女」の手は、俺の手のひらの中にすっぽりと収まるくらい、小さくて温かかった。
「次は、どこの激辛に行きますか?」
「……だから、俺は激辛好きじゃないって言ってるでしょう」
「あははっ! じゃあ、次は星野さんの好きなものでもいいですよ」
「本当ですか? 言質取りましたからね」
繋いだ手を少しだけ強く握り返しながら、俺は隣を歩く彼女に向かって笑いかけた。
「じゃあ、天宮さんが作ったカレーが食べたいです」
「えっ? 私の手作りですか? ……ふふっ、分かりました。とびっきり美味しい特製スパイスカレー、作ってあげますね!」
「いや、特製スパイスはいらないです。甘口でお願いします」
「えーっ! カレーのルウは飲み物ですよ!?」
夜の街灯の下、二つの影がぴたりと寄り添って伸びていく。
公開告白っぽい身バレをしたせいで本業の会社まで大炎上して残務に追われているし、次の原稿の締め切りも迫っている。おまけに明日には、間違いなく強烈な胃痛が俺を襲うだろう。
それでも。
9センチの魔法で俺の隣に降り立ってくれた、この少しばかり味覚のバグった現代のシンデレラと共に歩む毎日は――きっと、どんな物語よりも最高に甘くて、刺激的だ。
fin
本日もお読み頂き(ここまでお付き合い頂き)本当にありがとうございます!
生放送での変装からのネタバレ、そしてガラスの靴ならぬ片足だけのパンプス。
星野くん、男を見せました!
これにて『現代のシンデレラはビッグサイトに降ってくる』本編完結となります。
不器用で激辛な二人の恋を最後まで見届けてくださり、本当にありがとうございました!
少しでも「面白かった!」「激辛が食べたくなった!」と思っていただけましたら、
下部より【☆評価】と【ブックマーク】を押して応援していただけると、作者の胃腸が全回復します!
それでは、また次の作品でお会いしましょう!




