35 私たちの積み重ねてきた領地改革プロジェクトは、最高の決算を迎えたのね
――あれから、数年の月日が流れた。
ルサージュ公爵領の秋は、空高くどこまでも澄み渡り、地平線の彼方まで続く黄金色の麦畑が風に揺れて、まるで光の海のような輝きを放っている。
領都の中心部では、今年も盛大な豊作祭が開催されていた。
街道沿いには色とりどりの旗が翻り、広場には収穫されたばかりの新鮮な野菜や果物、そして今や王国の全土で愛される特産品となったルサージュ蒸し饅頭の甘い香りが立ち込めている。
祭りに参加する領民たちの顔には、かつての困窮や不安の影は微塵もない。
誰もが健康的な顔色で、心からの笑顔を浮かべてこの実りの季節を祝っている。
(素晴らしい光景だわ。定時退社が当たり前になり、十分な対価と安全な労働環境が保障されたこの領地は――今や世界で最も幸福指数の高い超優良ホワイト領地へと成長を遂げた。私たちの積み重ねてきた領地改革プロジェクトは、最高の決算を迎えたのね)
私は公爵邸のバルコニーから、活気に満ちた街の様子を見つめ、現場監督としての深い感慨に浸っていた。
この数年で、ルサージュ領のインフラは劇的な変貌を遂げた。
私が自らの筋力を重機として振るい、アドリー様がそのすべてに絶対的な安全基準を付与して構築した街道や橋、そしてあのホワイト・フォートレスを起点とした物流網は、今や周辺諸国の経済を支える大動脈となっている。
物理的な破壊と、絶対的な守護。
相反する二つの規格外な能力が、これほどまでに創造的な相乗効果を生み出すなど、転生した当初の私には想像もできないことだった。
背後で、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
振り返ると、そこにはラスデス王国からお祭りに駆けつけてくれた私のお父様とお母様が、アドリー様と親しげに談笑している姿があった。
「ラニ、アドリー殿。今年のルサージュ領の収穫高も素晴らしい数字だ。我がラスデス王国との通商ルートも、お前たちが整備してくれたおかげで昨年度比で百五十パーセントの増益を記録したよ。娘を嫁に出したというより、最高のビジネスパートナーを得たような気分だ」
お父様が誇らしげに胸を張り、私にウィンクをして見せた。
お父様が築いてくれた優先的な通商ルートと、ルサージュ領の高品質な生産体制。
この二つの強固な協力体制があったからこそ、私たちは短期間での領地再建という難事業を完遂させることができたのだ。
「お父様、お母様。今日はわざわざ遠くからありがとうございます。ルサージュ領がここまで発展できたのは、お二人の温かいご支援と、ラスデスの皆様との信頼関係があったからこそですわ」
私が感謝の言葉を述べると、お母様が優しく私の手を握り、慈しむような眼差しで私を見つめた。
「ラニ、貴女が幸せそうで、私たちはそれだけで十分ですよ。この領地の空気は、本当に清らかで、人々の心まで洗われるようですわね」
祭りの会場に目を向けると、広場の一角では魔物使いのフィリップが、すっかり領民たちのアイドルとなった四ツ目猪の群れに囲まれていた。
数年前まではたった一頭だった四ツ目猪も、今では番の相手を見つけ、可愛らしい子供たちを連れた大家族へと成長している。
フィリップは秋の味覚である巨大なカボチャを切り分け、親猪から子猪まで一頭一頭に丁寧に食べさせていた。
かつては人々に恐れられていた魔物たちが今では物流の要として、そして、家族の一員として大切に扱われている。
それは、この領地が弱者を使い捨てるのではなく、共生し、守るというホワイトな経営理念を貫き通した結果に他ならない。
(……ゼノヴァス帝国も、ようやく新しい一歩を踏み出したようね)
私は、先日届いた国際情勢の報告書を思い返していた。
あの決戦の日、私のフルパワー・パンチによって文字通り組織体制が崩壊し、強制破産に追い込まれたゼノヴァス帝国。
最高司令官であったグリード・カネスキーは、不当な略奪と人権侵害の罪により全財産を没収され、今は皮肉にも、かつて彼が軽んじていた労働の価値を学ぶため、安全基準の極めて厳しい鉱山で一労働者として社会奉仕活動に従事している。
彼のような経営層の刷新後、ゼノヴァス帝国はルサージュ領の労働基準をモデルにした大規模な組織再編を行った。
今では兵士を使い潰すことも、瘴気で環境を汚染することもなく、周辺諸国と健全な経済競争を行うホワイトな国家へと生まれ変わりつつある。
暴力による吸収合併ではなく、公正な取引による共栄。
それこそが、私たちが示したコンプライアンスの答えだった。
祭りの喧騒が一段と高まり、夜の帳が降り始める頃。
アドリー様がそっと私の腰を引き寄せ、私をバルコニーの静かな一角へとエスコートした。
「ラニ様。少し、二人きりになってもよろしいでしょうか?」
アドリー様のサファイアの瞳には、祭りの灯火が優しく反射している。
私たちは黄金色に染まる領地を見下ろしながら、どちらからともなく、前世の遠い記憶へと想いを馳せた。
「……如月課長。あんなに暗くて、出口の見えなかったオフィスで働いていた頃の私に、今のこの景色を見せてあげたいですわ」
私が小さく呟くと、アドリー様は私の手を壊れ物を扱うような優しさで握り締めた。
「僕も同じですよ、赤坂さん。あの時の僕は、君がどれほど限界まで頑張っているかを知りながら、君をその苦しみから完全に救い出すことができなかった。でも、この世界で君の隣に立ち、君と共にこの平和な景色を築き上げることができた。これこそが、僕が二度の人生を懸けて手に入れたかった、最高の成果です」
前世での悲しい別れ。
死という最悪の離職。
――けれど、巡り巡って辿り着いたこの異世界で、私たちは互いの欠落を補い合い、二度と壊れることのない絶対的な信頼関係を築き上げた。
かつての孤独な残業時間は完全に終わり、私たちの目の前には永遠に続く幸福な終身雇用契約が結ばれている。
「……あ」
その時、私はお腹の奥底で、小さく――けれど、確かな衝撃を感じ取った。
私は驚きに目を見開き、ふっくらとし始めた自分のお腹にそっと両手を当てた。
「どうしましたか、ラニ様?」
「アドリー様、今……動きました。この子が、内側から私の手を叩いたような気がします」
私の言葉に、アドリー様は一瞬呼吸を止め、震える手で私のお腹に触れた。
静寂の中で、二人の手のひらを通じて、新しい命の鼓動がこつんと伝わってくる。
――それは、私たちがこの世界で育んできた愛の結晶であり、ルサージュ領の未来を担う新たなる希望の産声だった。
「……ああ、本当に。本当に、生きている……!」
その瞬間、どんな困難な経営判断も冷静に下してきたアドリー様が――耐えきれなくなったように顔を覆った。
彼の手の隙間から、大粒の涙がポロポロと零れ落ち、私のお腹の上に、そして私の手に温かく降りかかる。
前世では何も守れず、誰にも何も残せなかったと絶望し、命を投げ出した如月蓮。
今世でようやく、彼は最愛の女性を守り抜き、そして自らの手で新しい命を育むという究極の奇跡を成し遂げたのだ。
その圧倒的な幸福感と安堵が、彼の目から涙となって溢れ出していた。
「……ありがとうございます、ラニ様……僕に、守るべき本当の家族を……未来を、与えてくれて……!」
子供のように声を詰まらせて泣き崩れる夫を、私は出力制限を一切かけない百パーセントの力で力強く抱きしめた。
「泣かないでください、アドリー様。私たちはもう、一人で深夜まで戦う必要はないのですから……これからもずっと、最高のパートナーとして、この子と一緒に歩んでいきましょう」
月が寄り添い合う最強の公爵夫妻を祝福するように、高く昇っていく。
すべての苦労が報われ、すべての愛が実を結んだこの場所で、私たちの物語は、新たなる命という最高の事業継続と共に――永遠のハッピーエンドへと続いていくのだった。
Fin
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