第二章第2節 揺らぐ風
アグニスとの会談を終えたヴィクトリアは、エリザと共に、翼竜で帝国西部――セイフォルト方面へと向かっていた。
涼やかな風を受けながら、ふたりは雲の中を滑るように進んでいく。
眼下には、幾筋もの街道が交差し、旅人や行商人の列が途切れることなく続いていた。場所によっては、軍とおぼしき一団が一定間隔を保って行軍している姿も見える。
陸路でセイフォルトへ向かうには、帝都ルミナスを経由する街道を通るのが一般的だ。
ヴェルディアと国境を接してはいるものの、国境付近は深い森林や急な渓谷が複雑に入り組んでおり、街道や補給路などの整備はほとんどなされていない。
そのため、大規模な部隊の通行には適していない。
空路もまた、同様に厳しい制約があった。上空一帯は気流が不安定で、突発的な乱気流が発生しやすく、さらに大型の飛行生物が飛来する危険もあった。
名に“竜”を冠してはいるものの、翼竜の戦闘能力は陸を行く馬と大差なく、空の脅威に対してはほとんど無防備だった。ゆえに、危険域を直線的に横断する航路は、戦術的にも現実的な選択肢とはなり得ない。
空路の危険性については、帝国軍内でも広く共有されている。乱気流、飛行生物、補給困難──どれを取っても、部隊単位の移動には致命的だ。
だが、それはあくまで“通常の騎竜兵”の話だ。
ヴィクトリアのような、飛行術と竜との相性において際立った素養を持つ者にとっては、空の危険は避けるものではなく、乗り越え、制御すべき対象だった。
事実、彼女はしばしばより危険で困難な航路をあえて選ぶ。
それは命知らずの無謀ではなく、誰よりも“空を知っている”者の矜持に他ならない。
もちろん、軍を率いるときには使わない。
飛行部隊を統率する以上、彼女もまた現実主義者だった
ノルスティアの民は、翼竜と特に相性が良いことで知られている。
なかでも皇家の血を引く者は、翼竜との絆がひときわ強く現れるという。
ヴィクトリアは、その血を受け継ぎ、そしてノルスティア史上でも類い稀なる翼竜乗りと謳われた存在だった。
左を望めば左へ、上昇を願えば空の高みへ──まるで自らの四肢のごとく翼竜を操るその姿は、「風を駆ける者」の異名すら誇張ではなかった。
ノルスティアに暮らす人々にとって、翼竜は単なる乗騎ではない。
古来よりこの地には翼竜の巣が点在し、人と竜は共に生き、共に歩んできた。
もちろん、翼竜は他の地域にも生息する。しかし、そこにいる竜たちは人の背を拒み、あくまで“野の主”としての気位を保ち続けている。
一方でノルスティアでは、成人の儀や祭礼に翼竜が登場することも多く、人々にとっては馬以上に親しい存在だ。
旅や戦に馬を連れる他国の風習に対し、ノルスティアの民は翼竜を伴い、これを“相棒”と呼ぶ。
翼竜は彼らにとって、血を分けたような絆の象徴なのである。
──そんな歴史と文化を体現する地の生まれでありながら、当のヴィクトリアといえば。
風を切って飛びながら、満面の笑顔を浮かべていた。
上昇気流を見つければ一気に空へ駆け上がり、雲の上に飛び出しては舞い踊る。鳥の群れを見かければ急降下して並び、次の瞬間にはくるりと弧を描いて滑空していく。
翼竜と完全に同調した飛行は、もはや“走る”のと変わらない。ノルスティアの翼竜使いにとっては、これが日常であるが、、
後部に座るエリザにとっては、決して“日常”とは言いがたかった。
まぶたを半ば閉じ、やや眉をひそめたまま、黙ってその急旋回や突風の揺れに耐えていた。
(……またか)
そんな様子もいつものことと割り切っているのか、抗議の言葉一つ漏らすこともなく、黙ってしがみつく。ヴィクトリアの飛行に付き合うには、覚悟と忍耐が必要なのだ。そんな調子で飛び続けやがて
日が暮れ始めた頃、ふたりは国境沿いの上空に差し掛かっていた。
眼下一面には、果てしない深い森が広がっている。街道からは大きく外れ、人の気配はほとんど感じられない。
辺りは次第に闇に沈み、星の明かりだけが、木々の合間をわずかに照らしていた。
そんな中、森の奥にぽつりと灯りがいくつか見えた。
ヴィクトリアはその上空で、鋭く短い笛をひと吹きすると、翼竜をゆっくりと森の中へと降下させた。
木々の間にぽっかりと開けたその場所には、枝の上や幹の間に作られた簡素な小屋が点在している。
暗がりの中から、灯火を手にした人影がひとつ、静かに現れた。
ヴィクトリアもエリザも、警戒する様子すら見せず、その人影に歩み寄っていく。
「ご無沙汰してます、長老」
ヴィクトリアは軽く頭を下げ、穏やかに声をかけた。
姿を現したのは、年輪を刻んだ顔立ちのエルフの男と、その背後に控える数人の軽装の護衛たち。
その男の目が、ふとエリザに向けられる。
エリザのまわりでは、いつのまにか緑色の光の粒がふわふわと漂い、柔らかく舞っていた。
男はその様子に目を細め、微笑みを浮かべて言った。
「これは珍しい客人じゃな。十年ぶりくらいか──ヴィクトリア、そしてエリザ。
相変わらず、エリザはシルフに好かれておるようじゃ」
長老と思われる人物がそう語りかけたその時──
「わーっ、エリザだあ!」
暗がりの奥から、幼い声がいくつも重なって響いた。
ゆらゆらと灯火の揺れる森の向こうから、数人の小さなエルフの子どもたちが駆け寄ってくる。
「ねえねえ、サラマンダー見せて!」
「また炎で輪っか作って!」
小柄なエルフたちは、興奮した様子でエリザのまわりを取り囲み、矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる。
幼いとはいえ、エルフの年齢に換算すれば、彼らはすでに三十年は生きている。
だが、千年単位で生きるとされる長命種族にとって、それはまだ“ほんの子ども”に過ぎなかった。
さっきまで項垂れて疲れきっていたエリザだったが、子どもたちに囲まれるうちに、すっかり気分が上向き、元気を取り戻したようだった。
得意げな表情で小さな手を掲げ、指先をすっと動かしながら円を描くと、空中に炎の輪と風の舞いが現れた。
子どもたちの笑い声が落ち着いた頃、長老はふとエリザから視線を外し、穏やかに口を開いた。
「……時が経つのは早いものじゃな。
ついこの間まで、幼かったお主らが──いつの間にか、立派な大人になっておる。
ここに来たとき、毎日森を駆け回っていたことが、まるで昨日のことのように感じられるわ」
「ええ。私たちも、何だかんだで……随分と遠くまで来た気がします」
ヴィクトリアがそう答えると、長老は少しだけ声を落とした。
「アグニスとレオンは元気か?
あの二人は、昔から何でも背負いこもうとするからのう……
ときどき、それが心配になるのじゃ」
しばらく空を見上げていたヴィクトリアは、ため息まじりにぽつりと呟いた。
「……ええ、そうね。
あの出来事──リュカさんのことは、私たちみんなに深い悲しみを残したわ」
言葉を選びながら、彼女はそっと続ける。
「あれから──アグニスも、レオンも、そして私も、エリザも……
どこか、少しずつ変わっていった気がするの」
過去の記憶をたぐるように、ヴィクトリアはゆっくりと思い出を口にした。
「……でも、あの人が私たちに残してくれたものは、今でも心のどこかに息づいている。
それが“何”なのかは、はっきりとは言えないけど──」
「リュカさんが、昔──私たちをこの場所へ連れてきてくれたからこそ、生まれた縁もある。
こうしてまた立ち寄ることができたのも、そのおかげよね。
……本当に、不思議なものね。世の中って」
そう呟くヴィクトリアを、長老は穏やかな眼差しで見つめたまま、静かに語り始めた。
「リュカは……帝国内をあちこち旅するのが好きな男だった。
わしらと初めて出会った時も、その旅の途中であった。
こんな深い森にまで入り込んで、しかもわしらの集落を見つけ当てるとは──最初は驚いたものだが……
あやつの血筋を聞いて、納得したわ」
「かの一族ヴェルディアは、古くより“炎”の力に由来を持つ家系だが……稀に、その火の内に“揺らぎ”──
つまり、大気の微細な変化を感知する力を宿す者が現れることがある。
リュカはまさに、その“揺らぎ”を受け継いだ者。
ゆえに、流れと気配を感じ取り、この地に辿り着いたのじゃろう」
長老はひと呼吸おくと、村に灯る灯火をぼんやりと見つめ、思い出すように続けた。
「……驚くべきは、アグニスもまた、“揺らぎ”の力を持っておるということじゃ。
それも、ただの共鳴ではない。
わしが感じた限り、あの子の中にある“揺らぎ”は、ヴェルディアの祖すら凌ぐほどに大きく──
そして、おそらくは大気中の元素を“集積”する力をも備えておるのかもしれん」
長老の声には、穏やかながらも重々しい響きがあった。
「……わしら人種が使う“魔術”、そして獣族や魔族が使う“魔法”。
そう呼び分けておるのは、人族だけじゃ。
本来、“魔法”とは、元素を直接操る力──“元素術じゃ。
魔族や獣族は、元素をその身に直接取り込み、変質させることができる。
だが人種は──元素を“体内に取り込む”ことができん。
だからこそ、古来、エルフは媒介を通して元素を扱う術を編み出し、それを“魔術”と呼んだ。
元素を取り込めぬ者が、無理にそれを成そうとすれば、どうなるのか……」
長老はゆっくりと首を振った。
「──そのような事を成した者など、聞いたことがない。
取り込みし苦労で済めば良いが、何か“異変”や“兆し”が、アグニスに現れておるということは……なかったか?」
視線を伏せ、何かを思い出すようなヴィクトリアに向かって、長老は静かに問いかけた。
……確かに、あの事故以来、アグニスはときどき、思いつめたような顔をすることが増えたわ。
私たちに心配をかけまいとして、いつも平静を装っているけれど──」
思い出すように言葉を紡ぎながら、ヴィクトリアは静かに過去を思い返していた。
(確かに、あれから私たちの間で何かが変わった。
でも、それはきっと内面的なものだけで、特に目に見える変化があったわけではない……はずだった。
でも──もしかして、“身体的な”何かが……?)
はっとしたように顔を上げ、ヴィクトリアは言葉を継いだ。
「そういえば……戦闘や軍務で窮地に陥ったとき、アグニスが異様に疲弊していることが増えた気がするの。
あの子は女とは思えないほどの身体能力と反射神経を持っていて、並の男よりもずっと強い。
“ヴェルディアの秘術で特異な魔術を行使してる”って、自分では言っていたけれど──」
少し言葉を切り、ヴィクトリアは小さく息を呑んだ。
「……でも、そうね。昔と比べて、明らかに消耗が激しくなってるし……それに──そうだわ。
あの子、“詠唱”をまったくしていないのよ。いつの間にか、詠唱なしで魔術を使っているの」
驚きを隠せぬ様子でそう語るヴィクトリアに対し、長老は黙って耳を傾けていた。
やがて、静かに目を閉じると、ゆっくりと頷いた。
「……わしらエルフもまた、人種に属する存在ゆえ、人族よりは元素の扱いに長けてはおるが……
“流れ”そのものを見ることはできん。
それを識るには──その道の求道者に聞くのが、いちばんであろうな」
「求道者……? 西大陸の魔法学校のことかしら?」
ヴィクトリアは、知る限りの知識を思い返してみた。
だが、“求道者”という名は、人族の歴史や伝承の中には、ついぞ現れたことがなかった。
「奴らはあくまで、“人”としての魔法しか知らぬ。
──わしが言うのは、南方の“氷の国”に住まう大魔導士……
“氷の魔女”エララ様のことじゃ」
長老の声には、敬意とも畏怖ともつかぬ響きがあった。
「……あの方は、人族のようでありながら、人族ではない。
おそらく、“元素”と深く交わりを持つ、特異なお方じゃ。
わしが生まれたばかりの頃によく語られた、お伽話の主でもある。
実際にお会いしたことはないが──
わしらの祖先が、まだ“ノルンダール”にいた頃、魔術を教授してくださっていたと聞いた。
真っ白な銀の肌に、黒の外套を纏っておられたそうじゃ」
「エララ……!?」
さっきまで子どもたちと遊んでいたエリザが、思わず声を上げた。
その肩元では、シルフがふわふわと漂いながら、長老の話に聞き入っていたようだった。
「なんじゃ、お主ら……まさか、エララ様をご存じか?」
長老は驚いたように問いかける。
「ええ、エララは──あの事故のあった年に、レヴァンテの“水神祭”で出会って仲良くなった子よ。
その後もちょくちょくヴェルディアに来ていたし、アグニスとも親しかったわ。
確かにちょっと不思議な雰囲気を持っていたけど……そんなにすごい存在だったなんて、びっくりだわ」
ヴィクトリアがそう言うと、エリザはその隣で「ふんふん」と得意げに頷いた。
いかにも「私は知ってました」風の顔をしていたが、すべてを把握しているとは思えない。
おそらく、ある程度は本当で──何かを“感じ取っていた”のだろう。
彼女もまた、“二属性魔術”を自在に行使できる、特殊な存在なのだから。
「──であるなら、きっとエララ様も、アグニスの中に“何か”を感じ取っていたのかもしれんな。
次にお会いした時、それとなく訊ねてみると良い」
長老がゆっくりと語り終えると、ふっと、少し冷たい風が森を抜けた。
灯し火が揺れ、静かな夜の空気にひとしずくの気配が溶けていく。
「森の夜は寒くなる。風邪を引く前に、ゆっくり休むといい」
間をおいて、長老はもうひとこと添えた。
「……あの子も、な」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
ヴィクトリアは微笑みを浮かべ、そっと翼竜に声をかける。
「リン、こっちにおいで」
その声に応えるように、翼竜リンはゆっくりとした足取りで彼女のもとへ歩み寄った。
そのままヴィクトリアとエリザ、そしてリンは、森の集落に点在する小屋のひとつへと向かっていく。
* * *
この森のエルフたちは、どこか穏やかで、外から来た者にも驚くほど寛容だった。
エルフの集落と言えば、ノルスティアやヴェルディアなどにも点在しているが──
ノルンダールに近いそれらの地では、戒律やしきたりが強く、どこか閉ざされた雰囲気を持っていた。
外からの訪問者には、淡く、よそよそしい空気がつきまとうことも少なくなかった。
だが、この集落にはそうしたものがない。
森にひっそりと根を張りながらも、他種族との距離感に壁をつくらない、静かな懐の深さがあった。
かつて長老が言っていた言葉が、ヴィクトリアの胸をよぎる。
──北から離れれば離れるほど、エルフの掟もまた変わっていく。
彼らの文化や気質もまた、土地と共に緩やかに変わり続けているのだろう。
歩を進めていくと、集落の中心部に一際大きな大樹がそびえていた。
その広がる枝や太い幹の根元には、小さな小屋がいくつも点在しており、まるで森そのものが住処となっているかのようだった。
エルフたちは、古来より森と深く繋がりを持ち、その象徴たる巨木を「新樹」と呼んできたという。
彼らにとって、森はただの自然環境ではなく、共に生き、共に呼吸する存在なのだ。
興味深いのは──エルフたちの本拠地であるノルンダールも、深い森に囲まれた地とされているが、そこには「王朝」とも呼ばれるほどの独自文化が築かれていることだ。
伝え聞くところによれば、森に調和した独自の都市様式を有しながらも、生活の利便性においては人族とほとんど変わらない──いや、それ以上に洗練された暮らしを営んでいるという。
ただし、その一方で戒律やしきたりが非常に厳しく、外部者にとっては馴染みにくい面も多いらしい。
それに比べ、ここの森のエルフたちは、住まいこそ古き様式を守っているが、その心根には開放的なものがある。
形式ばらず、理に縛られすぎることもない。
──同じエルフであっても、環境が違えばこうも異なるのか。
ヴィクトリアはそんなことを思いながら、緩やかな夜風にそよぐ大樹の枝葉を見上げていた。
きゃっきゃっと、子どもたちの笑い声が続いている。
どうやら、エリザと遊びながらそのままずっと後をついてきたらしい。
やがて、小さな木造の小屋の前にたどり着いた。
リンを外の木の袂に繋ぎ、そっと大樹に一礼してから、中へと入る準備をする。
隣では、エリザがポケットから小さな焼き菓子の袋を取り出し、子どもたちに手渡していた。
名残惜しそうに何かを言いながら、手を振って別れを告げている。
中に入ると、木のテーブルの上には、すでに食事の用意がされていた。
ほのかに湯気を立てる香草の匂いのするスープ。
エルフの主食である素朴なパンに、森で採れた果実。
豆を砕いて練り込んだ、独特の食感の料理も並んでいる。
ふっと鼻をくすぐるその香りに、思わず顔を近づけた。
どこか懐かしい匂いがした。
ふと目をやると、エリザも同じことを感じたのか、視線が自然と合った。
言葉はなかったが、互いに少し笑みを浮かべ、ゆっくりと食事を味わう。
そして、これからのことをぽつぽつと語らいながら、静かに夜を終えた。
──やがて、空がうっすらと白み始めるころ。
一足早く目を覚まし、窓辺に立つ。
深い森の向こうに、夜の名残が静かにほどけていく。
昨夜、子どもたちに囲まれてはしゃいでいたエリザは、隣の寝床でまだ静かに眠っていた。
ヴィクトリアは、森の気配にそっと耳を澄ませながら、ふと、この集落を初めて訪れた日のことを思い出す。
──あのとき、長老に尋ねたことがあった。
「ハーフエルフは、なぜ同族から距離を置かれるのか」と。
それは単なる生態的な特性によるものではなく、どうやらこの“森”そのものが持つ性質──
土地の記憶や、元素の気の偏りが、人々の価値観にも影響を与えているらしかった。
北方ノルスティアのように、霊気の濃い森では、伝統や結界、血統への拘りが根強く残る。
それに対して、ここ南方の森や西部地域では、そうした因習は次第に薄れ、
外から来た者への風当たりも、どこか柔らかくなっていた。
──ノルヴィックの任務のあと、ネリアと軍務を共にすることはなかった。
けれど、幼い頃に交わしたささやかな記憶と想いは、
こうして森の匂いや朝の空気に触れるたび、静かに胸の奥に浮かび上がってくる。
その記憶を辿りながら、ヴィクトリアはまどろみの中に身を委ね、
やがて静かに、再びまぶたを閉じた。
朝。
森に淡い光が差しはじめ、木々の葉をすり抜ける風が、集落の隅々に命の気配を運んでくる。
どこからともなく聞こえる柔らかな音楽が、目覚めを告げるように響いていた。
それはエルフたちが朝に歌う癒しの旋律。
身体に残っていたわずかな疲労も、その音色とともに静かに溶けていく
隣で眠るエリザをそっと起こし、ヴィクトリアはすでに収穫の準備を始めていた長老たちのもとへと足を向けた。
「今度は──アグニスとレオンも連れてきます。それまで、どうかお元気で。長老、そして皆さんも」
深々と頭を下げ、昨晩のもてなしに礼を述べる。
隣では、エリザも「ありがとう」と小さく頭を下げていた。
「帝国の理念を継ぐ者たちに、大地の神フィオラ様の加護があらんことを」
長老がそう祈ると、一筋の優しい風が木々を揺らし、森全体をそっと包み込んだ。
名残惜しさを胸に、ヴィクトリアとエリザはリンにまたがり、静かに空へと舞い上がっていく。
ふたりの姿が見えなくなるまで──
集落のエルフたちはずっと、手を振りながら見送ってくれていた。
新たな風をまといながら、彼女たちと翼竜は朝の空をゆっくりと駆けていった。




