幽霊だってお腹は空きます
克真はアズサを伴って天神六丁目ビルの階段を登り、二階のよろず食堂へと舞い戻ることになった。
(なんでこんなことになるんだか……)
ため息をついてよろず食堂の鍵を開け、それからアズサとトートバッグの中にいる猫を中に招き入れる。明かりをパチッとつけると、アズサは大げさに「うわぁ~!」と目を輝かせてよろず食堂を見渡した。
「意外にフツー!」
若干失礼なことを言われたような気がする。克真は苦笑しながら、リュックの中からエプロンを引っ張り出してつけると、カウンターの中に入って手を洗った。
「うちは普通の食堂だ」
「ふぅん……そうなんだぁ」
アズサは興味津々というのを隠さずに、相変わらず店内を見回している。
もしかして、あやかし専門ということで、おかしなものでも食べさせると思われていたのだろうか。だが料理を作るのは克真なので、当然人間の食べ物しかありえない。
「一応言っとくけど、あんまり豪華なモン期待すんなよ」
「うん。あたしペコペコなだけだからさ。なにか食べさせてくれるだけでオッケーだよ。あ、でもインスタントのラーメンとかだと、肌に悪いし、ちょっとごめんだけど」
「幽霊に肌とか関係なくないか」
「あるよ」
なに言ってんのと言わんばかりに、アズサが目を丸くする。
「本当か?」
「あるある。てか、たまになら悪くないけどせっかくここに来たんだもん。手作り料理が食べたーい」
アズサはふふふと笑って、それからカウンターの椅子を引き、短いスカートの裾を抑えながらサッと腰を下ろした。そして猫が入ったトートバッグを大事そうに腕に抱える。それを見て、克真はカウンターの中から声を掛けた。
「その猫、おとなしくしてるんなら出してもいいぞ」
「えっ、いいの?」
アズサは驚いた表情で、手際よく調味料を取り出している克真の顔と、膝に乗せたトートバッグを見比べる。中からは黒い耳がちらりと覗いた。まさかそんなはずはないが、遠慮しているようにも見える。
「ここ人間のための食堂じゃねぇし。そもそもキツネとかタヌキとかしょっちゅう来るから、気にしなくていい」
克真は冷蔵庫を開けて、使いかけの玉ねぎとレタス、さらに収納ボックスから明日使おうと思っていた、サンドイッチ用の薄切りパンと缶詰を取り出した。
ミロやサナ、トーヤは普段は人型をとっているが、ここでは気を抜いてすぐに尻尾や耳を出してしまう。なので毎日掃除をしているし、さらに竜胆が雇ったクリーンサービスが週に三回やってきては、あちこちをピカピカにしてくれるのだ。ちょうど明日の午前中に来る予定になっている。今、小さな猫一匹がいたところでどうということはないだろう。
「やったー、ありがとう。センベエさん、出ていいって」
アズサはホッとしたように笑い、バッグを口を開ける。すると中からひょっこりと黒い塊が姿を現し『にゃー』と鳴いた。
するりと、まるで夜が溶けだしたような黒い塊がバッグから行儀よくアズサの隣の椅子に降りる。
「せんべえ?」
その瞬間、アズサはグロスで艶々の唇を不満そうに尖らせた。
「いや、呼び捨てしないでよ。センベエさんだから。ちゃんと敬意をもって、さんづけにして。ちなみにそれ込みで名前なんだから」
まさか“敬意”を持てと言われるとは思わなかったが、他人から見てたかがペットでも飼い主にとっては家族も同然なのかもしれない。克真は素直にうなずいた。
「そうか……わかった。センベエさん……よろしく」
『ニャア』
(なんと賢い。猫が返事をしたぞ)
克真は感心しながらふっと表情を緩ませる。
結局センベイさんは、アズサの隣の椅子の上に丸くなって眠ってしまった。勝手気ままに店内をうろつくつもりはないらしい。実におとなしいものだ。
「ねぇねぇ、この店ってどのくらいやってるの? めちゃくちゃ手際いいよね」
アズサがカウンターに肘をつき、両手で顔を挟んで、てきぱきと動く克真の手元を見つめる。
包丁で玉ねぎをスライスしているだけだが、アズサの目には熟練のように見えるらしい。それから切った玉ねぎを水にさらして、パン二枚にバターを塗り始める。
「俺は半年前からここでアルバイトしてる」
「へーっ、短いんだね。じゃあ前の人と入れ替わりみたいな感じ?」
「いや、俺はいきなりここに連れてこられたから、前の人とかは知らないな」
ボウルに缶詰を開けて軽く味付けした後、それをパンに乗せ、もう一枚なにも乗っていないパンと一緒に、トースターに放り込みぐるりとタイマーをひねる。
「えっ、いきなり?」
「ああ」
それは嘘ではなかった。
詳しいことは知らないが、後日客としてやってきたあやかしたちに聞いたところによると、克真の前にいた料理人は数年前に辞めてしまい、その間このよろず食堂は閉鎖されていたらしい。
その人物がなぜ辞めたのか、そしていったいどんな人間(もしくはあやかし?)だったのか、誰も克真には教えてくれない。克真と親しいミロやサナ、トーヤですら、渋るくらいなので、前任者は、あまりいい辞め方をしなかったのかもしれない。
(オーナーが竜胆だってことを考えると、金がらみで夜逃げとかな……まぁ、それでも俺には関係ないし、全然いいんだけどさ)
だとすれば同情するが、前にいた料理人がどうであれ、克真は竜胆に借りを作り、その借りを返すために、食堂で働いているのだ。ちなみにいつ年季が開けるのかは謎だが、とりあえず克真は空腹の存在がいれば、幽霊であろうが何だろうが、その者のために食事を作るだけだ。
誰であっても、空腹はいけない。
克真はそういう性分の持ち主だった。
「ほい、出来た」
克真はトースターから出したそれを食べやすいように真ん中で半分に切り、皿に乗せてカウンター越しにアズサの前に置いた。
「おおーっ、てか、これなに?」
きょとんとした表情で皿を見つめ、首をかしげるアズサ。
「サバサンド簡易版」
「サバ……サンド?」
聞いたことのない単語に、傾いたままのアズサの眉が八の字になった。聞きなれない単語に不安を覚えたようだ。
「いや、でもうまいからさ。騙されたと思って食ってみろよ」
克真は笑って、肩をすくめた。
「ふむ……わかった。いただきます」
派手な見た目とは裏腹に、アズサは行儀よく手を合わせると、トーストを両手で持ち、大きな口を開ける。
「はむっ……」
トーストしたパンがサクッ。それからレタスや玉ねぎがシャクシャクといい音を立てる。もぐっ、もぐっと、咀嚼するとアズサの顔色がみるみるうちにパーッと明るくなっていく。
ごくんと嚥下した後、アズサはトーストを持ったまま克真に輝くような笑顔を見せた。
「びっくりした、これ、すっごく美味しい!」
その笑顔を見ると、克真は純粋に嬉しくなってしまう。
「だろー。簡単だしうまいし、俺もよく食べるんだよな」
本物のサバサンドは、トルコのイスタンブールの名物だ。船着き場の屋台では鉄板でジュージューとサバを焼き、フレッシュな野菜を挟み、その上からたっぷりレモンを絞って食べる。
とは言えサバを焼くのは面倒だし時間がかかる。なのでサバの水煮缶を使って、トースターで焼くのが克真流だ。バターを塗ったパンの上にマヨネーズと塩コショウ、醤油で味付けをしたサバの水煮缶をほぐして乗せ、トースターでサバの表面を少し温めたあと、取り出してレタスと水に晒してしぼった玉ねぎを乗せる。そしてもう一枚、トーストしたパンで挟めば完成だ。
五分で出来る、簡単サバサンドである。
むしゃむしゃとサバサンドを頬張るアズサを見ながら、克真はインスタントコーヒーをいれたあと、ひとつをアズサの前に、もうひとつを自分のマグカップに注いで、口元に運んだ。
少し冷えていた体がじんわりとコーヒーで温まっていく。
一方アズサも無心でサバサンドにかぶりついている。
(こいつ、自分が幽霊だってちゃんとわかってるんだな……)
北見アズサ。
克真はひと月ほど前、彼女が死んだことを学校で知った。
死因や彼女にまつわる話はクラスで耳にした程度だ。要するに噂話の域を出ない。
いろいろ尋ねたいことはあるが、とりあえず面倒ごとはお腹がいっぱいになってからでいいだろう。
空腹は悲劇しか生まないのだから――。
克真はそれを人生訓として知っていた。