54 メルゲンシュタット侯爵
今回はタクミたちが足を踏み入れた国の領主の話です。
ここはアルシュバイン王国のメルゲンシュタットの街を治めるメルゲンシュタット侯爵エンハウゼンの屋敷で、現在侯爵は部下の報告を執務室で聞いている。
彼は元々野心家で隣国との交易で栄えているこの街を拠点にさらに自らの権力の拡大を図った。その結果として領地は広がったが、戦乱に巻き込まれることを嫌った商人たちが隣国から訪れなくなり,かえってその分経済が滞ってしまった。
このような場合打開策として二つの道がある。ひとつは周辺の貴族と講和して平和を取り戻して商人たちを呼び戻すこと。もうひとつは周辺を武力で征圧して強権を持って支配すること。
そして侯爵は後者の道を選択した。その結果周辺貴族との戦乱は長引いて、引くに引けない状況となっている。
目端の利く人物であったら例えば隣国とひそかに結びついてその後押しを受けるなど、様々な手立てを考えるのだが、5代前の王家の血筋を引くプライドの塊のようなこの侯爵は自らの力で周辺諸侯を併呑できると信じていた。
その結果として領内は荒れ果て、領民の中には隣国への逃亡する者が相次いでいる。
彼は自らの誤算に苛立っていた。あまつさえ周辺の貴族は連合を組んで侯爵の勢力を押し戻そうとしている。
そんな時に街の出入りを受け持つ兵からAランクの冒険者が街に入ったという報告を受けた。Aランクの冒険者といえば、ひょっとしたら千人の軍に匹敵するかもしれない戦力だ。
侯爵はなんとしても味方に引き入れたいと考えた。それとは反対にもしその冒険者が周辺の貴族たちに味方をした場合のことを考えると、それは恐ろしい結果を招く。
彼は決意してその内容を部下に伝えた。
「その冒険者を我々の陣営に招け。もし無理ならば敵の手に渡る前に殺してしまえ」
相手の力がわからないうちにこのような命令を出すのだから、この侯爵の力量というものがよくわかる。何の下準備もないままに陣営いに招けると思っている時点で、大きな間違いを犯している事に気が付いていなかった。
「承知いたしました」
彼の部下はその無茶な問題に頭を抱えたまま退出した。
侯爵から『Aランクの冒険者を自軍に招け』と命じられたのは侯爵騎士団副団長のメッサーというそれなりに有能な男だった。
彼はまずその冒険者たちが宿泊している宿を訪ねる。訪れる者がほとんどいないので宿屋を見つけることは簡単だった。
「この宿に冒険者が宿泊しているはずだが、話がしたいので呼んできてもらえるか」
彼は宿の受付にいた者に身分を明かして用件を使える。受付係りは騎士団のお偉方の意向に逆らう事など出来ないので慌てて部屋にいるタクミたちを呼びに行った。
「一体どんな用件だ?」
階段を降りてきたタクミは立派な鎧を着込んだ男に近づきながら話しかける。
「休んでいるところをすまない。私はこの街を治める侯爵閣下の下で騎士団の副団長を務めているメッサーというものだ」
相手は何しろAランクの冒険者だ。失礼な事が無いように気を使いながら挨拶をする。
「そうか、俺はタクミ。ただの冒険者だ」
タクミは敢えて自分のランクを名乗らないようにしている。だがメッサーの眼にはこの目の前に立っている者が並外れた恐ろしい力を持っている事が一目で理解できた。
「早速ですまないが、侯爵にどうか力を貸してほしい。報酬は思いのままに出そう。君たちの力を是非とも借りたい」
メッサーは熱心に勧誘した。これだけの人材は確かに得がたい、それは彼の武人としての勘がそう言っている。
「残念だが、この国の争いには興味が無い。俺たちは俺たちにしか出来ない事をしにこの国にやって来た。それ以外の事に干渉する気は無い」
タクミの返事は清々しいほどに取り付く島が無い。そしてその表情にはどんなによい条件を提示してもまったく揺るがない覚悟が見て取れた。
「そうか、この国の戦いに興味が無いというのは本当なのか?」
メッサーはすでにタクミたちを陣営に招く事を諦めている。ならばせめて他の陣営に味方をしない確信だけでも得たかった。
「繰り返しになるが、まったく興味が無い。誰が勝とうがそれはこの国の問題だ」
タクミの表情には全く変化が無い。メッサーは彼が嘘をついているとは思えなかった。
「よくわかった。忙しいところをすまなかった」
彼が頭を下げて出ようとするのをタクミは呼び止める。
「ひとつだけ忠告しておく。俺たちがこの国に干渉する気が無いように、俺たちにも干渉をしないでほしい。何もされない限りは俺たちは何もしない」
タクミの言葉の端には『手を出したらキッチリと責任を取らせる』という意味が込められている。それを理解したメッサーは一言『わかった』と言って去っていった。
侯爵の館に戻ったメッサーは早速タクミとの話の詳細を侯爵に報告した。
「以上の点から考えまして、彼らはこの国の紛争には興味が無く、冒険者としての何らかの目的のためにこの国にやって来たものと思われます。彼らに手を出すのは甚だ危険と考えますれば、このまま放置するべきかと」
彼の報告に侯爵は激怒する。
「貴様はワシの話を聞いていなかったのか! こちらの陣営に加えるか、さもなければ消せと命じたはずだ! そのような者たちは必ずどこかの貴族に雇われて来たに決まっておるわ!」
侯爵はもはや敵に囲まれすぎて『味方以外は敵』という思考に陥ってしまっていた。歴史上の人物で例えるならば晩年の豊臣秀吉のように、疑いを抱いたら信頼すべき身内すら手にかける有様だった。
その上自らの考えにいちいち意見を述べるメッサーが彼にとってはうっとおしくて仕方ない。
「貴様ももしやどこかの貴族とつながっておるのではないか! もうよい、そのような不忠者は解任する。荷物をまとめて出て行くがよい!」
もはや議論も説得も無駄な様子に、メッサーは反論もせずに頭を下げて部屋を出て行った。
彼は自分に与えられた部屋に戻ると荷物を片付け始める。たまたま彼に用事があって部屋に入って来た彼の部下がその様子に慌てて何事かと問いただした。
「俺は侯爵から解任されたから、ここから出て行くだけさ」
もはや何の未練も見せずに部下にそう告げるメッサー、その上で荷物をまとめる手を全く休めない。
「副団長、考え直せとは言いません。どうか我々もご一緒させてください」
部下はそれ以上何も言わずに頭を下げる。メッサーが返事をするまで彼はてこでも動かない決意を固めていた。
「お前はここに残っても構わないんだぞ。それでも俺について来てくれるのなら一緒に来い」
長年自分の下でよく働いてくれた彼の気持ちは言葉にしなくてもメッサーはわかっていた。
「ありがとうございます」
一言だけ残して部屋を出て行った部下を少し困った表情で見送ってから、メッサーは荷造りを続けた。
一通り部屋を片付け終えてメッサーが外に出ると、彼の部下が100人ほど整列をしている。
「副団長、全員あなたに付いていく者たちです。どうかよろしくお願いします」
騎士の一団が一斉に頭を下げる。いくら彼でも100人を養うほどの甲斐性は無い。
彼らをどうするべきか悩んでいるメッサーに先ほどの部下がひとつの提案をする。
「副団長、隣国のラフィーヌ伯爵は面白い人物と聞いております。全員で押しかけて話だけでも聞いてもらいましょう」
この人数で押しかけるなどあまりに荒唐無稽な話だが、いざとなったらそれこそ冒険者でもやればなんとかなる。
そう思い返したメッサーは生まれ育ったこの国を捨て、その足で隣国を目指した。
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