坂本龍馬
「一生のお願いや」
「はぁ?一生のお願い、いうて明里姐さん、この前もきいてあげたやんか?」
「雅清、覚えときや。女子の一生のお願い、いうんは生きてる間なんぼでも有効なんや・・・」
「そんなあほな・・・」
甘味屋の店先に設えられた長いすに並んで座っている明里と雅清は、先程からいいあっていた。
島原の天神である明里は、まだ二十歳を過ぎたばかりの年頃だ。品のある清楚な雰囲気を漂わす芸妓である。
一方で、かような自由な時間には、あかるく気さくな振る舞いをみせる。こうして並んで座っていると、どこからどうみても美しい姉妹にしかみえぬ。
そして、その二人の長いすの後ろの長いすに、辰巳が座って串団子を頬張っていた。
「まぁいっつも団子やあんみつをおごってもろてるし、話きくだけきいたるわ」
二人の間には、空になった皿が数枚積み重ねられている。
明里は、湯呑みからお茶を一口呑んでから話しはじめた。
「今夜、太夫と一緒に「角屋」にあがるんやけど、太夫のところの禿が二人とも熱だしてしもてどないにもならんのや。うちにはいま禿はついてへんし。ほかの置屋から来てもらうわけにもいかへんし・・・」
「姐さん、話がみえへんねんけど」
「せやから、辰巳を貸してっ!」
嫌な予感が的中した。ふだんは他人の心中をよんでいるわけではない。いまも芸妓と陰間の会話をきくともなしにきいていたが、途中から雲行きが怪しくなっていくのがひしひしと感じられた。
心中をよまずとも、話のさきは容易に想像できた。
「はぁ?姐さん、正気かいな?太夫の禿やで?まだろくに芸事の一つも習てない辰巳につとまるわけないやん?」
少年は思った。そこじゃない、と。問題の一つめは、性別じゃないのか?、と。
「辰巳の顔立ちは女の子みたいやし、こんだけきれかったらわからへん。禿なんかだれもよくみやへんよ。大丈夫や、なっ?辰巳、お願いでけへんか?今宵の座敷は、ほんまにたいせつなお客はんやねん」
どんなものにでも化ける(・・・)自信はある。そのように訓練をうけているし、実際、どんなものにも化け、そしてうまく演じてきた。
それに、太夫のあがる一席ともなれば、そこそこのお大尽に違いない。
「負けたわ、姐さん。辰巳さえいいんやったら・・・」
「おおきに、雅清。辰巳、お願いや」
明里は、両の掌で少年のそれを握り締めた。その掌は白くて美しく、そしてあたたかかった。
人間のぬくもり・・・。自身のような妖には無縁のもの・・・。
少年は、ふと思いだした。試衛館の兄弟子である原田や永倉がいつもいっていることを。
「女性にはやさしくしろ。いついかなるときでも敬い、護れ」、と。
「承知しました。代役、おひきうけします」
この親切が運命の出会いをもたらすとは、さしもの少年にも予見できるわけもない。
その夜の島原での道中は、いつもとかわりなく盛大で華麗だった。
一人しかいない禿は、堂々と太夫に付き従ってあるいてゆく。
その様子を、人ごみにまぎれて雅清がみつめていた。
心配のあまり、その夜は休みをもらって島原にきてしっまた。
「角屋」の女将とは懇意にしているし、辰巳が代役を無事おえるまで、女中としてはたらかせてもらってもいいと考えていた。
それにしても、見事に化けている。ゆくゆくは、自身とおなじように女の姿になることとなる。
いまはまだみじかめに刈った髪も、このさき切らずにのばして髷を結い、きらびやかな簪で飾る。今宵は鬘に簪でごまかしていた。そして、きれいな着物。
しずしずとあるくその美しい姿は、雅清にとっては誇らしいかぎりだ。
太夫の道中は、無事「角屋」の店先でおわった。
いまからが本番である。
その一行は、三人連れであったがどうみてもつりあいのとれぬ組みあわせだ。
一人はひどく陰気で、血の臭いが濃く染みついている浪人だ。
人斬りを生業としている、ということが一見してわかる。
太夫と天神明里の後ろに座している少年は、この座敷のすべてを伏目がちに観察した。
(これが土佐の人斬りか・・・)
血臭のひどいその浪士は、部屋の下座で一人手酌でちびちびと酒を呑んでいる。
「人斬り以蔵」と呼ばれる暗殺者岡田以蔵だ。
岡田は、想像していたより小柄だ。ひ弱そうにさえみえる。実際、いまのこの漢から、覇気というものがまるで感じられなかった。
岡田の敬愛する武市半平太が率いる土佐勤王党は、本国土佐で藩主山内容堂から弾圧と粛清とをうけつつあった。その煽りを、京で活動している岡田ら勤王党の面々も喰らっていた。その為、活動を自粛せざるをえない。それどころか、本国に強制送還される可能性もあった。
不安や猜疑心が、警戒心を強めるのも当然のことだ。事実、現在の岡田は、他人を寄せつけさせぬ空気を、その全身にまとわりつかせている。
それをこの座敷にいる者すべてが感じ取っている。ゆえに、だれも寄ろうとしなかった。女中ですら・・・。
上座で太夫相手に上機嫌で呑んでいるのは、これもまた小柄な武士だ。その威勢のよさは相当なもので、言葉遣いから江戸の者であることがしれた。
少年は、この武士が幕臣であることをしっている。
(勝海舟・・・)
他の幕臣のだれよりも幕府を、否、将軍家のことを想い、考え、その智謀と巧みな弁舌で、様々なことをこころみてはいる。が、口と態度の悪さがあらゆるところで敵をつくってしまい、思うように事が運ばぬのがつねだ。
ときには退けられ、ときには遇され、と波乱万丈の幕臣生活を送っている。
(われらとは絶対に相容れぬ・・・)
少年は、噂にきく勝の威勢のよさを目の当たりにし、心中で苦笑を禁じえぬ。
すくなくとも、新撰組とは相性が悪いことは確信できた。
三人目は、大柄で気さくな武士だ。
総髪で、にこにこと笑う相貌が清清しい。あかるくてこの座の盛り上げ役をつとめている。
勝のことを先生と呼び、岡田にもときおり「以蔵どん」と呼びかけている。
この島原は、座敷にあがる際には腰のもの、つまり武器は預けるしきたりがある。だが、その武士は腰のものしか預けなかった。
少年は、その懐中に拳銃を忍ばせていることを見抜いていた。
その大きな体躯の武士は、それを預けなかったのだ。
さらにきいた話によると、以前、その武士は修行先の千葉道場の跡取り千葉重太郎とともに勝を斬りにいったらしい。しかし、勝の講釈に感銘を受けてしまい、その場で弟子入りしてしまったという。
じつに興味深く、面白い漢だ。
太夫や天神たちが、その武士のことを才谷はんと呼んでいることから、少年にはそれが何者かがわかった。
才谷梅太郎。その名は変名で、本名を坂本龍馬という。剣は北辰一刀流免許皆伝。千葉道場でも屈指の遣い手。
山南からもかなり遣う、ときいている。
そして、なにより少年を驚かせたのは、坂本の心中を容易によむことができないということだ。
その心は広く茫洋としていて、まるで大海のようでつかみどころがない。
自身の感覚をこれ以上研ぎ澄ませれば、かならずや坂本は気がつくだろう。
坂本は、道化のふりをする龍なのか・・・。
不思議な漢だ。だが、嫌な感じではない。むしろ、好ましくさえある。
「おんしゃぁ、きれいやき」
(・・・!!)
少年は素直に驚いた。こんなことは、生まれてはじめてだ。
たしかに、すべての感覚を抑えてはいた。だが、ここまで寄られるまで気がつかなかったとは・・・。少年は戦慄した。これが戦いの場であったなら、自身の命運は尽きていたに違いない。
まだまだ未熟である。そして、自身の慢心をも同時に思い知らされた。
坂本は、少年のすぐまえで両膝をつき、少年の顔を覗き込んでいた。
「名はなんなが?」
人懐こい笑みを浮かべ、少年に尋ねた。
太夫や天神をさしおいて、禿に声をかけるとは、格式高いこの花街においてご法度、とまではいかなくとも礼儀に反する。
たとえこういう遊びに慣れていない一介の浪人であっても、このくらいのことはしっていて当然だ。それをあえてするとは、厚顔無恥なのか奔放さゆえか、あるいはすべてを見抜き少年をためそうとでもしているのか・・・。
この坂本にかぎっては、すべてあてはまるのかやしれぬ。すくなくとも、少年が女子ではなく男児である、ということは見抜いたはずだ。
「辰巳、いいます・・・」
消え入りそうな声で応じた。おどおどとした風を装った。視線はわざとあわせないようにした。坂本の双眸は、自身のそれとおなじですべてを見通す力があるはずだ。
それは、坂本にただみつめられているだけでひしひしと感じられる。
「何か芸をしてくれやーせんか?」
やはり、坂本は試している。
どこまで見抜いているのか。男であること?ふつうの子どもではないこと?
この場にいる全員の視線が、自身に集まっている。
幕臣の勝も、二人のやり取りを油断なくみている。勝もまた、ただの口の悪い不平屋なだけではけっしてない。他者との駆け引きに長けている。概してそういう者は、他人の心を察し、ときにはそれをうまく操ることもできる。
なにより、少年には幕臣との関わりを避けたい事情がある。
坂本の視線が少年の手許に落ちていた。
これで確実にもう一つ気づかれてしまった。
少年は、長年の鍛錬によって掌が分厚い。つねに皮が向け、豆と血によって掌はぼろぼろだ。それを隠してはいるが、坂本は、瞬時にそれを見抜いたであろう。
この禿は禿を装っている男児で、しかも剣術をやっている、もしくはやっていた、ということを・・・。
そのとき、少年の視界の隅に鼓と横笛が置いてあるのが入った。それらは後程、太夫や天神が舞う為に使うものである。
「笛と舞を習いはじめたとこどす。せやけど、旦那様方にみせるほどのものやあらしまへん」
「気にしな。じゃあ、笛をきかせとおせ。いいぜよね、太夫?」
坂本がこの場を取り仕切る太夫に了承を得ると、自ら座敷の片隅に置いてある横笛を取ってきて少年に手渡した。
少年は、仕方なくそれを受け取った。
年相応の女子がするように、恥ずかしそうに振舞いつづける。
明里は気が気でなかった。まさかかような展開になるなどとは、どうして予見できたであろう。
少年は、横笛を自身の口唇に軽くあてると吹きはじめた。瞼を閉じ、いまは奏でることだけに精神をくだく。その音色はとても澄んでいて、調べはとても物悲しかった。
先程まで人懐こい笑みを浮かべていた坂本ですら、真面目な表情で聴き入っている。
この場にいる者すべてが、この不思議な笛の音に魅了されていた。そして、男女関係なく、涙が頬を伝っていることすら気づくことなく、その調べにのめりこんでいた。
口うるさい勝も。人斬りの岡田も。そして、坂本も・・・。
「どうしました、土方君?」
同じ「角屋」の違う座敷で、新撰組局長近藤勇、副長の土方、山南が、京都守護職たる会津藩の打ちあわせという名目で接待をうけていた。
すでに打ちあわせはおわっていた。いまは会津藩士と談笑しながら呑んでいた。
新撰組の最高幹部である三人は、さほど呑めるほうではない。とくに土方は、酒そのものが好きにはなれなかった。
いまも会津藩士の相手は局長といま一人の副長に任せ、土方は仕事のことを考えていた。
そのとき、どこかからか笛の音が流れてきた。
その夜は、女中の話では違う座敷にどこやらの上得意きていて、太夫や天神が呼ばれているらしい、ということだ。
そこでだれかが吹いているのか?
それにしても、これだけきれいな笛の音を聴いたのははじめてだ。否、そのはずなのになにゆえ懐かしい気がするのか?それに、なにゆえこれほど悲しい気がするのか?
「笛の音が・・・」
山南の問いに呟くように答えたが、その声は震えていた。
「ひ、土方君?いったい・・・」
山南がうろたえた様子で、自身の相貌を覗き込んでいた。
お猪口一杯で、かようにひどい顔色になっているのかと思ったが、それは違っていた。
右掌で自身の頬を撫でてみた。
濡れている・・・。
涙を流していることに自身でも気がついていなかったのだ。
「どうした、土方君?」
会津藩士と談笑していた近藤もまた、話を中断して土方の様子をうかがっている。
「誠ですね。きれいな笛の音だ。しかし、とても物悲しい・・・」
山南が耳朶を澄ますと、近藤や会津藩士たちもそれにならった。だれもが山南とおなじことを思ったに違いない。
だた、近藤だけは右掌で頑丈な顎をしきりとさすっている。
それがなにかを考えているときの癖であることを、土方はしっている。
ほどなくしてその夜の接待はお開きになった。
会津藩士たちがさきに引き揚げ、近藤たちはその後に座敷をでた。廊下を歩いていると、まえから天神と禿があるいてくる。
「明里?」
そう声を発したのは山南だった。
声をかけられた天神は、廊下を譲るために端に寄りながら、声の主を認めて柔らかい笑みを浮かべた。
「山南はん?いらっしゃっとったんどすか?」
「ええ。今宵は仕事で・・・」
近藤も土方も驚いた。
山南は、およそこういう遊興には興味がないと思い込んでいたのだ。それが、この天神との雰囲気は、あきらかにただの客と芸妓の様子には感じられない。
そして、それは一方的なものではなく、天神のほうでもまんざらではなさそうなのだ。
その空気は、天神に付き添っている禿もよんでいた。山南と明里の心の奥まではっきりと・・・。
(坊?)
土方は、その可愛らしい禿が自身の懐刀であることに、視覚ではなく特殊な感覚で気がついた。
まさか、陰間茶屋に潜入している少年がこんなところにいるとは、しかも禿になって眼前にあらわれるとは、予想だにしなかった。
もっとも、少年のほうではとっくの昔に主がおなじ屋根の下にいることに気がついていたのであろうが。
土方は、少年が笛を握っていることに気がついた。
「可愛い禿だ。さっきの笛はおまえだろう?」
「なんでっしゃろね?今宵はみなはん、こん禿に興味をもつんどすなぁ」
明里はコロコロと笑った。気のある山南と思いもよらず出会うことができ、上機嫌である。
「ああ。とてもいい音だった」
土方は、少年にちかよると片膝をついて少年と目線をあわせた。
「山南はん、ここんとこご無沙汰どすなぁ。また呼んでおくれやす・・・」
明里と山南が言葉を交わしているなか、土方は懐に掌を入れると財布を取りだした。
「誠にいいものを聴かせてもらった。餞別だ。飴でも買うといい」
そういいながら、財布から銭を取りだす。
「この先の座敷に土佐の坂本龍馬、岡田以蔵、幕臣の勝海舟がおります」
土方の耳朶に囁く少年。
「おおきに・・・」
土方は、恥ずかしそうに礼を述べる禿にぎこちない笑みを浮かべた。頷いてみせてから立ち上がる。
明里と禿と別れ、ふたたび廊下をあるきはじめると、近藤がニヤニヤと笑みを浮かべつついった。
「二人とも隅に置けんなぁ。山南君、いつの間に?」
「そんなんではありませんよ、局長」
山南の真っ赤な顔相貌、隅に置けることをあらわしている。
「歳は?かように幼きうちから手懐けるのか?」
近藤は、内輪だけになると土方のことを歳、と呼ぶ。
「はぁ?なにいってる近藤さん?わからなかったのか?ありゃぁ、坊だ」
「・・・?」
「!!」
二人とも絶句している。
「さきにもどっててくれ。ちょっと野暮用ができた」
呆けている二人をそのままに、土方は廊下を玄関とは違う方向へ曲がった。
かれの懐刀の報告は、かれにかなりの興味を与えた。
是が非でも、その面を拝んでやりたいと思った。




