15 幕切れ
「……ジエマさん、あれ、普通の爆ぜ薬と除草剤の混ぜ合わせだったはずでは?」
「即座に改良し調合できてこそ、レラレの者です。褒めてくださいませ」
「それはすごい。ヨラン、まじか」
テトスが暴風をしのぎながら後ろのヨランに振り向く。ヨランは足の悪いムリナイを庇うように立ったまま、勢いよく顔を横に振って否定した。
違うらしい。若干の空恐ろしさを感じたが、しかし褒められるべきことだ。そう判断して、テトスは素直に称賛した。
「なるほど。素晴らしいですね。ジエマさんには大人しく従いたいと思います」
「はい!」
気合十分に答えたジエマの瞳は、爆風と炎上の明かりでキラキラとしていた。
「≪盾はより強く固くなれ≫」
フスクスは額をしばらく抑えていたが、やがて立ち直るとナーナの前方に魔法を重ね掛けた。
ナーナがどんな魔法を用いて、どれを足せば良いのか。それをこの短い間で理解するとは、流石教師の技量だった。
「先生、ありがとうございます!」
ぱあっとナーナが顔を輝かせる。
「これで熱と風はましになるでしょう。ですが、前をきちんと向かねば、まだ」
言いかけたフスクスが、窓から侵入してきていた異形を見つめた。
爆発と炎上が起きても、体は枯れて炭と化してもなおも入ろうと足掻いている。ぼろぼろと体を崩して床に倒れ込むと、這うようにゆっくりゆっくりと向かってくる。
もう脅威ではない。徐々に体の面積は減り、力も見るからに弱まっている。
だというのにその執念は衰えず、なおも前に進んでくる。
(なんだ。なんて言っている)
頭らしきところに穴が開いている。恐らく口となる位置が、ぱくぱくと蠢いている。
細長く開く。つむぐ。横に結ぶ。小さく開く。
口の形から想像して、言葉をなんとなく当てはめてみる。
(……どうして?)
さらに口は動いている。
同じ言葉ではないのだろう。次にまだ言葉が続いて訴えながら異形は這いずった。
読み取ろうとして、途中まで読んで、テトスは止めた。後ろから服を引っ張られたからだ。後ろのジエマが、異形を強い眼差しで見つめていた。
ざりざりと床を引っ掻いて、異形が這う。
進みはひどく遅い。それでも前に進んで、進んで、爪先ほどの進みになっても前に向かってきた。
体はすでに胸元あたりから下がない。腕も穴だらけのでこぼこで、指先らしき部分は欠けている。
この調子では頭だけでも進んできそうな様子に、ナーナが足を一歩下げようとして頭を振って踏みとどまった。
このまま近づいても踏みつぶせばどうとでもなる。
けれど、その行進を誰もが黙って見ていた。
テトスでさえも、ただ立ちはだかるだけの選択を取っていた。気圧された。気合の入った、入り過ぎたその有様と執念に吞まれかけていた。
だが、唐突にその行進は止まった。
力尽きたのか。前に進まず、炎で照らされたテトスとナーナを見上げる形で異形が止まる。
頭が崩れ始めた。
何を思ったのか、敵と見做した者を視界に焼き付けているのか。はたまたそれ以外か。
動かす口も崩れて、すでに無い。
ぱちぱちと火の爆ぜる音とともに、大きく崩れる。異形はその場に伏して炭の塊となった。
火の粉が音を立てて舞い、辺りを舐めていく。部屋に引火が始まり、黒い煙がくすぶりだす。
「避難、するか」
テトスが言った言葉に、ナーナは呼吸を整えて返した。
「その後はすぐ鎮火しなきゃ。騒ぎになっちゃう」
「そうだな。先生、これは」
手を一つ打つ音がした。聞きなれた音だ。
思わず学生の習性で、テトス達はフスクスに向かって姿勢を正しくして注目した。
「まずはこの場より、辺境領主殿をお連れしないとなりません。幸い、暗がりを歩けば御足は目につきづらいでしょう。補助は、ブラベリ。それからレラレ……ええ、弟のほうです。良いですか」
「はい、先生」
「わかりました」
素直にうなずいた二人に、フスクスもうなずいた。背筋を伸ばして、椅子に腰かけたままのムリナイのほうを向くと、軽く頭を下げた。
「御足労を願います」
「構わないとも。さて、どこに行こうね」
「ひとまずは口の堅い宿に向かいます。私と共にこの二人が付き添います」
「よろしく頼もう」
大らかにうなずくと、気さくにナーナとヨランにも好々爺然として「よろしくね」と告げる。
「残りの二人は、私たちが出た後でこの砂時計を取ってから外へ出なさい。砂の粒が落ちてから、これを壊し、学園の……スピヌム先生は辺境でしたか」
「おそらく復興状態の辺境で腕を振るってらっしゃるかと」
ジエマが答えると、フスクスは腕を組んだ。
「……では、チャジアがカロッタを呼びなさい。彼ならうまくやるでしょう。場所は合図を送ります。レラレは同じく学内にいるランフォードを訪ねるように。その後、自由にしてよろしい」
「わかりました。すぐにでも」
テトスの返事の横で、ジエマが小さく手を挙げた。
「はい、先生。私もチャジアとなりました。ですので、ランフォード様のところへ向かった後にテトス様と合流しても?」
「なりません。それは祝福を贈りますが、別の話。今は、レラレの姉としての貴女に申し付けています」
フスクスは一瞬ばかり目を見開いたが、すぐに咳払いをして続けた。
「あくまで、いつも通りに療養から戻ってきたと装うように。貴女のことを心配する生徒もいるのです。姿を見せておやりなさい」
「わかりました。そういたします」
ジエマの手が下りたところで、フスクスは一つ手を打った。それだけで、場が一つ切り替わった気にさせる。
「さあ、後始末です。皆、日常に戻るため一仕事せねばなりません。手筈通りに」
生徒全員で「はい」と答える。
場違いな火事場で特別授業を始めるように、フスクスはきびきびと動き始めた。
ムリナイを連れてナーナ達が去ったのを見送って、テトスはジエマと共に砂時計をもって家屋を出た。
不思議なことに、家屋から火は出ていない。
ただ、テトスが蹴破った窓から部屋の中は見える。煙と火の粉が充満してとぐろを巻いているようだ。
砂時計の砂が落ちきるのを待って、テトスは砂時計を叩き壊した。
すると、奇妙なほど真っ直ぐ家屋は崩落した。周囲を一切巻き込まず、ほのかに焼け焦げた臭いを伴った建材がばらばらと倒れる。
その物音に、路地の人間がひょこりと顔をのぞかせた。騒ぎがあったのかと、誰かを呼ぶ声も上がる。
このままでは他の住人も警備隊も駆けつけるかもしれない。
「テトス様」
「行きますか」
当然のように身を寄せてきたジエマに、目を瞠る。不思議そうに見上げた顔に、なんでもないと笑い返して、テトスはジエマを丁寧に抱き上げた。
腕の中に自然と収まるジエマは何も言わない。ただ、預けられて触れる箇所がいやに温かく感じた。
地面を蹴って、壁を蹴って、屋根を跳ねて走る。
陽はとっくに沈みきり、空は夜へと変わり始めていた。冴え冴えとした空気だからか、空に浮かぶ星がよく見える。地平線はまだ薄明るく、高い空を見上げれば黒い夜闇が広がっている。
ジエマの頭が動いて辺りを見回す。
美しい赤い瞳がぱちぱちと瞬いて星を追う。それに気づいて、テトスはそれとなく速度を落とした。
「……せっかくなので、ちょっと散歩してから帰りませんか」
「まあ」
ジエマは咎めなかった。
「せっかくならば、致し方ありません。お付き合いいたします」
テトスの申し出を受け入れて、穏やかに応えた。
星明かりのもとで、辺りは暗い中だというのに。それがいっとう輝いて、頭に焼きついた光景になった。
そのまま、時折他愛もない会話を挟みながら、二人は悠々と遠回りの帰還を果たしたのだった。




