14 入水帰還
夕間暮れの空を、閃光が煌めいた。
一瞬の光の筋を残して、彼方に消え去る。
そして遠くで、瞬く星になった。言い換えると、爆散した。
直下。
テトスたちは生身で急降下していた。
「しんっじられない、信じられない!」
文句をナーナが甲高く叫ぶ。小さく歓声を上げて空中ダイブを楽しむジエマとは大違いだ。
「っの馬鹿。馬鹿ティトテゥス! 着地準備する前に落ちるなんて」
「はいはい、俺が悪い俺が悪い! ヨラン、耳は平気になったか」
適当に聞き流して、テトスは宙を舞うナーナたちを捉まえて手繰り寄せる。
ヨランは顔をしかめたまま頭を振った。
「まだ痛いんですけど……でも、多分、位置は大丈夫なはずです」
「このまま下にある湖でしたら、コウサミュステの湖でしょう。でしたら、問題なく着水できます。ヨラン、飛び込みをすれば良いのです」
「この距離で? 正気?」
「きっと大丈夫。テトス様もナーナティカさんもいらっしゃるもの」
信じて疑わない物言いだ。ジエマのその言葉に、ヨランは伺うようにナーナへと問いかけた。
「できますか?」
「……やるわよ」
そのままナーナは、顔色悪く魔法を使った。
「≪保護せよ。身を守れ。衝撃を緩和せよ≫、ええとあとは≪抵抗低減≫にそれから」
それを四人ともに掛け終わるのを見届けて、ジエマが言った。
「では、テトス様は私に。ナーナティカさんはヨランについてくださいませ。腰元から頭をお寄せになって、指示に従っていただければ安全かと存じます」
「ナーナティカ、緩和でなく強めの衝撃吸収がいいです。それと温度調整の強化もお願いします。テトスの分も」
言われた通り、ナーナが追加の魔法を掛ける。それぞれの腰元に掴まると、二組に別れ離れて落下に身を任せだした。
小さな種ほどの大きさに見えていたものが、徐々にはっきりと視界に現れてくる。
学園の敷地が目下に広がっている。
ぐんぐんと近づく構内のうち、大きな水場があるコウサミュステ寮の上空に現在テトス達はいた。
水蒸気の塊の白雲を抜け、風が身を切るように逆さまに落ちていく。
少し離れた位置にヨランとナーナがいる。ぎゅうぎゅうと腰にナーナがしがみついているが、あれで大丈夫なのだろうか。
「テトス様、頭より着水しますからゆっくり足の方へと下がっていただいて、真後ろに着くことはできますか?」
「掴んで大丈夫ですか」
「ええ。後はお任せくださいませ」
頼もしく言い切って、ジエマはきりりと前を見据えた。それならテトスは言うことがない。大人しく従って、慎重に足を伝って足首を掴んだ。
(ズボンで良かった……!)
ジエマは辺境に来てから常に動きやすい格好をしているので、見えるとか見えないとかそんな心配をしないで済む。
(……しかし、細すぎる。大丈夫か、ジエマさん)
足首の細さと頼りなさが心配になってきた。華奢さはひ弱なナーナと同等だ。
しかしそう思ったのも束の間。掴んでいた足先は見る見るうちに形を変えた。
ズボンごと、脛のあたりからすべすべとした質感の肌に変わる。色の白い肌色から朱色にグラデーションをかけ、色が濃く染まっている。
足先は薄絹を纏ったかと思わせるほど、美しいヒレだ。
ジエマは空の海を下へ下へと潜るよう、体をくゆらせて真っ直ぐに姿勢を保った。魔法が歌う様に紡がれる。
「≪身体は姿勢を制御せよ。衝撃を受け流せ≫」
気づけば、水面が近づいている。夕暮れの日を反射してぎらぎらと輝く湖面が眩しく目を焼く。
「息を吸って」
ジエマの指示に、テトスは大きく息を吸った。
「止めて。入ります!」
さらに下に加速したかと思った。ぐん、と空中を掻いてさらに下へと勢いづく。
口を止めて、真っ直ぐジエマの後ろに連なる。
湖面が近づく。
ジエマは赤く色づいたヒレを持つ両手を伸ばし、細い一点の穴を潜り抜けるほどの正確性で水の境目へと沈んだ。
しぶきはほとんど上がらない。人が二人続けて落ちたにしても、音は大人しい。
重たい水圧は、ナーナたちの魔法のおかげで然程の苦ではなかった。ぬるりと体を通ってまとわりつく感覚が奇妙に感じる。
水中を優雅に旋回して、ジエマが水上へと水を掻いて進む。
水底は暗く、その分水面はきらきらと輝いている。そこへ向かって登るジエマの姿は、景色のせいだけでなく煌めいて見えた。
「……ごぼっ」
思わず、綺麗だ、と言おうとして口が半開きになった。水が入って咽かけて慌てて口を閉じる。
ずっとこのまま見ていられたらいい。そんな美しさを名残惜しく思いながら、テトスはジエマを見上げた。
水上近くになって、体を曲げて手を伸ばされた。華奢な手を握りしめて、一緒に水面へと浮かび上がった。
「げほ、げほっ、は、ありがとうございます」
随分長く息を止めていた気さえする。入る空気を存分に堪能してジエマに礼を言う。
「素晴らしい、飛び込みでした」
「礼には及びません。飛び込みには自信がございますのよ」
そう言って、ジエマはきょろりと見回した。
「ヨラン達は大丈夫かしら」
「……ぷはっ、だ、大丈夫ですか?」
「え゛っ、げぇ、えほ!」
心配の言葉と同時に、ヨランがナーナを抱えて浮かんできた。ナーナは水を飲み込んだのか盛大に咽ている。背中に手を当てて甲斐甲斐しく世話をされながら、ナーナは恨みがましく言った。
「今度、空なんて、絶対飛ばな……げえほ! げほっ、おえぇえ」
「あああ、無茶して喋るから」
駄目そうだ。
「憐れな貧弱さだな。もっと鍛えたらどうだ」
テトスなりのナーナへの思いやりは咳で返された。手先で、いいから、と仕草もしてきた。
それなら遠慮はしないでいいだろう。そう思って、次の催促をした。
「ナーナ、落ち着いたら、これから辿れ。ここにもう来ているなら、さらに急がねえといけないだろ」
身に着けていたサイドポーチは問題なく無事のようだ。それに安心しながら、中を探って目的のものを取り出した。
琥珀の欠片。
あの木の異形から取れた琥珀の、その一欠片だ。
ナーナはそれに手を伸ばして受け取ると、目を険しくして呟いた。
「もういる。あっち……いえ、誰か地図を持っている?」
水しぶきを上げて、ナーナが指をさす。
「あります」
ヨランがごそごそと地図を取り出した。撥水加工の施された地図とは随分と用意がいい。ナーナの前に差し出すと、琥珀の欠片をその上に置いた。
「≪我が物の場所を辿れ。歩みを示せ≫」
ころり。
魔法が掛けられた琥珀の欠片が地図の上を転がる。
何度か右往左往と動き回って、やがて学園の西へと向かい、止まった。
「橋の街」
「ひとまず、陸に上がりませんか。それから急いで向かうしか」
ヨランが提案する。もっともな意見だが、それすら惜しい。テトスはナーナに向かって言った。
「ナーナ、足場」
「ちゃんと私たちも運びなさいよ」
「わかってる。早く」
「≪水は凍れ。より分厚く面を作れ≫」
水面に分厚い氷塊が出現した。それにテトスはすかさず上がり、他の三人を引っ張り上げる。
「ジエマさんとヨランは、足を戻せるか。ナーナは、お前、魔法は器用なのにあのざまなのかよ」
「うるさいわね」
ナーナの足も、ジエマたちと同じようにヒレ足に変化していた。薄い青と緑のヒレは見た目だけなら一丁前の人魚の足だった。
(大方、ジエマさんたちの変化を魔法で真似たんだろうが……)
それでも入水と泳ぎはどうにもならなかったのかと思うと、憐憫を覚えた。やはり、この双子の片割れは運動能力が低すぎる。
それからそれぞれが魔法を使って体を乾燥させてから、足を戻してテトスに掴まった。位置は前と同じように、背中にナーナ、右側に丁寧に抱き上げたジエマ、左側小脇に抱えられたヨランである。
「よし、急ぐぞ」
助走をつけて、テトスは数歩踏み込んだ後に高く跳躍した。
*
「まずは、迎え入れてくれたことに感謝を。君の立場では難しいことだったろう」
「今更のことです。休業中の私的な都合と処理をいたします」
「君の兄弟については」
「……そのお言葉は、覚悟を思ってくださるならば胸に留めていただきますよう。私は何も申しません。ただ成すべきことを、成すまで。私も同じように」
「そうか」
気さくに話しかける辺境領主ムリナイを前に、フスクスは小さく息を吐いた。
普段なら、そのような行動をしなかった。ただ、つい、口から漏れてしまったのは、動揺が出てしまったからに他ならない。
我がことながら、残念だった。
心まで凍らせてしまえたら、どんなに苦しくても耐えられるのだろうか。
橋の街で落ち合ったムリナイを伴って、フスクスは裏路地に用意されていた家屋へと入る。
それが、カイデンと詐称した兄弟の最期の頼みごとだった。
急な依頼だった。
テトスたち双子についてや辺境の近況を知らせる手紙の後に、ひっそりと届けられた短い内容。
『お前があの時を後悔と思うのなら、この一度だけでいい。応えてくれ。
空を飛び、領主様が避難するときが来たなら、橋の街へ』
砂時計と一緒に届けられた手紙を握り、何を馬鹿なと思った。それでも、その時から、なんの気はなしに空を眺めるようになった。
しかし、手紙の通りになってしまった。
ある時、フスクスは奇妙な飛行物体を見つけた。着地地点を見に行ってムリナイを発見してしまった。
一人歩いているムリナイと会い、フスクスはかつての無力さを思い返してしまった。
だから、無かったことにした縁に目をつむり、フスクスは手を差し出したのだ。
「ご不便はございませんか」
「文句を言う立場ではあるまいよ。だが、気遣いに感謝しよう。君たちモングスマの者は、いつだって優しい」
「私は、もうモングスマでは……」
ここに連れてきた時点で、ないとは言い切れなかった。
静かだ。
街の喧騒すら遮った結界の魔法構築式。兄が死に物狂いであの事件から習得したものだ。
手元の砂時計を机に置いた。ちょうど、はめ込むような窪みへと配置すると、小さな音を立てて嵌まった。
砂時計の砂が止まる。
(結界魔法の時間制限を止めるための道具でもあったのか)
どれほどの時間を詰め込み、研鑽をつんだのか。この道だけ進めば、穏やかに過ごせただろうに。
そう思って、もう過ぎたことだと虚しさが心のうちに吹いた。
余程のことがなければ、秘匿されたこの場所に誰かが訪れることはない。守りも見た目の襤褸具合に反して厚い。
領主相手に粗末な椅子を勧めることは心苦しいが、これまでこの家屋の存在を知らされていなかったフスクスにはどうしようもないことだ。
ムリナイは黙って椅子に腰かけて、フスクスにも勧めた。言葉に甘えて、机を挟んだ対面の椅子に腰掛けた。
「お迎えは」
「さあて。それより早く、何かは来るかもしれない」
ムリナイは困ったように眉を動かすと、部屋の入り口から窓へと視線を移した。
同様にフスクスも視線を動かす。ムリナイが視線を留めた窓を見て、おかしい、と感じた。
「窓が暗い? まだ夜には早いはず」
「危機が来たらしい」
当代領主の異能は、己に降りかかる危機の察知だ。先読みの精度なら、下手な予知や予言よりも優れている。
椅子から立ち上がり、フスクスはムリナイを庇うように身構えた。
窓の隙間から細い根が侵食している。
根が、窓枠全体に蔓延り、さらにその姿を見せようとしている。
「≪境目より、入るべからず。これを固く禁ず≫」
咄嗟にフスクスが根へ向かって魔法を使う。
窓からさらに根の塊が身を乗り出そうとしている動きがぎこちなく留まる。前には進まない、だが、根の束は徐々に増えていた。
前進できない代わりに、その場で根は形を作り始める。半身を乗り出した人の形を作り、こちらを恨めしそうに腕を伸ばし空を掻く。
「あれは」
「恨まれたものだ」
「いいえ、そんな。きっとあれは」
フスクスの後悔の形だ。
そう思った。木の根が乾き、その肌から新しい草の葉と茎が延びる。ぽつりぽつりと芽吹いた花の色。それを見て、過去の記憶が色を灯した。
(アニエス)
あの女性が好きだった、似合いの花だった。
感傷じみた吐息がこぼれた。
その瞬間だ。
反対側の窓をぶち抜いて、盛大に、これ以上なく喧しく静寂を破壊して闖入者が現れた。
窓の周りごと吹き飛ばして、見覚えのある者が四名視界に入る。
そして次の間には、フスクスの前に背を向けて立つテトスがいた。
ナーナは横でよろめきながらもどうにか立ち上がり、同じように壁を作った。
ヨランはムリナイのほうに庇うように向かい、その姉であるジエマは何かを振りかぶっていた。
「ナーナ軽減!」
「≪空気よ纏まれ。固まり強固な盾となれ≫」
「先生、あれの解除を!」
テトスに呼びかけられてフスクスは面食らった。
何をする気だ。だが、ジエマが投げるものを見て即座に解除した。
「これはテトス様への……お返し!」
素晴らしく整ったフォームで、鋭い投擲が放たれた。
ガチャン。
文字で表せばあっけない音。しかし、威力は間違いなく凶悪だった。
枯れ木の肌がみるみるうちに炭に変わる。強力な除草剤でもこうはいかない。フスクスが思っていた以上の威力に戸惑う。あれはなんだ。
呆気にとられたのも、また一瞬だった。
テトスがジエマを素早く抱き寄せると、フスクスも連れてナーナの後ろに回った。
一つの間をおいて、爆発と炎上が起こった。




