16 灯りの先
暗がりだ。
自分の周りどころか、自分さえもよく見えない。
ひたすら暗くて、何もわからない。
果たして自分はちゃんと足がついているのか。動けているのか。それすらも定かではない。
このまま留まったほうがいいのか。
それとも無策とわかりつつも、歩き続けてみたらいいのか。
ぽつねんと放りだされたような感覚は、ひどく寂しい。
立ち止まるのは簡単だ。
それでも、ジエマは恐る恐る足を進めることを選んだ。
暗がりだ。何も見えない。
だけど、どこか暖かかった。まるで近くで誰かが寄り添ってくれるような温もりがあった。
見えなくてもある何かが、寂しさをゆるく解きほぐしていく。
(暖かな水の中みたい)
ためしに身をゆだねて、泳ぐように体を動かしてみた。
すいすいと、容易く動いた。
そしてジエマは、ああ、と気づいた。
(夢。夢なのだわ。これは夢)
その途端。
思い出の小箱をひっくり返したような、そんな光景が蘇った。大きな泡の中に、たくさんの光景が浮かんでいる。
ジエマが幼いころの記憶。学んできたこと。家族の情景。
それを泳いで通り過ぎるたびに、時間が進む。
(あの魔法道具の影響なのかしら)
過去を振り返るような効果もあったのかもしれない。今となってはわからないが、ジエマはヒレに変わった足先を動かして流れるように泳いで渡った。
幼子は少女に変わり、成長していく。
想定通りの形を目指し、望まれるまま成長して、今のジエマができていく。
箱入りのお嬢様だった自分を見つめて、ジエマは先へと泳いだ。
学園に入って、友達ができて、事件も起こって。
ジエマにとって大変なこともいくつも巡り合ったが、それだけではないものも得た。
景色が変わって、つい最近の情景が泡に浮かんでは後ろへ流れていく。
最後は新しい居場所ができて、ジエマが自分の力で働いている姿だった。傍には知り合った人がこちらを見て笑ってくれていた。
それ以降は、また真っ暗だ。
(……いいえ)
進む。
立ち止まらず、進んで、ゆっくりでも前に。手を伸ばす。
暖かな水の膜を潜り抜けて、何かに触れた。
視界が白む。
黒い世界がほどけて色づく。
ぱちん。
泡が弾けた。
目が開く。
重たい瞼を開けて、ぼやける視界に何かがいる。ジエマは数度瞬きを繰り返して目を凝らした。
しっかりとした鍛えられた体に、黙っていれば怜悧な青年がいる。
何か誰かに向かって言い合っているが、ジエマが目を開けた瞬間に顔を向けて視線を合わせた。
「おはようございます」
何気ない、単純な挨拶なのに、ジエマはひどくほっとした。
表情に色が乗って、柔らかく自分のために変わる瞬間を見つけてしまった。青い瞳に自分がぼんやりしている姿が見える気がした。
「テトス様」
「はい」
にっこりと快活に返事をした、その姿。
晴れた青空のようにひどく眩しい。くらくらしてしまいそうな明るさに、ジエマは目の前の相手にぎゅうと抱き着いた。
びくっとテトスの体が震えた。どうしたのだろう。
見れば、両手が上がっている。
「テトス様?」
「はい、なんでもありません。どうぞお好きに」
顔だけは爽やかに笑っているが、両手は上がったままだ。
じっと見上げていれば、困ったように眉が下がった。
「えーと、お気が済むまでしていただいて俺は一向にかまいませんが。ええ、本当に。かまわないんですが」
「何か……あっ」
抱き着く腕を緩めて、そっとテトスの後ろを見る。
ナーナがジエマのお守りを手に、軽く振ってにらみを利かせていた。
慌ててジエマは自分の体に触れた。お守りがない。
「あら、あら。まあ、あら、私」
体を離して、ナーナのほうへとジエマは顔を出した。途端、ナーナはにっこりと微笑んだ。
「ナーナティカさん!」
「お守り、役に立ったかしら」
「はい。はい! とっても」
ジエマが答える。その後ろから白衣を着こんだヨランがやってきた。
「何してんですか二人とも……あ、姉さん。起きたんだ。意識は大丈夫?」
「ヨランまで。二人ともどうしてここに」
「まあ、いろいろあって。ナーナティカ、次は貴女ですからね。行きますよ」
「うっ、ぐうう、ジエマが起きたからジエマを優先しても」
「すでに先生は診てますから、先はナーナティカです」
ジエマが目を丸くして驚いていると、ヨランはナーナの背中を押しながら振り返った。
「無事でよかった。ゆっくり休んで。後でね」
「ねえヨラン」
向かう背を呼び止める。
「あの、私、まだあなたの姉でいいのかしら」
「何言ってんの。ずっと姉でしょ」
呆れたように言って、ヨランは今度こそナーナを押して歩いて行った。
風が吹きぬけた。
ぱたぱたと、壁だと思っていた布の裾が捲れる。
どうやら吹きっさらしのなか、簡易テントがあちこちに立っているようだ。ここもよく見れば、救護室だった。街中がぼろぼろなので無事な屋敷を借りるより、屋外ですることを選んだのだろう。
ジエマはようやく、自分が簡易テントのベッドにいたと気づいた。テトスはその横の椅子に腰かけていた。ずっと看てくれていたのかもしれない。
「ジエマさん、ご気分は」
「あ、いいえ。ちっとも」
「ちっとも?」
聞き返したテトスに、ジエマは口元を緩ませて笑いまじりに答えた。
「ちっとも悪くないの。とっても元気」
そうして、ジエマは起き上がった。安堵する姿が嬉しくてたまらない。心置きなくテトスに再び抱き着いた。
ここまでの一章含めて出てきた、登場人物の一部紹介。
◆マルギット・フスクス → モングスマ家元長女。過去に色々あって、出奔し籍を抜いた。現在は紋章美術学教師としてビシバシやっている。
◆カイデン・モングスマ →モングスマ家現当主。フスクスとは兄弟。辺境領主の信頼が厚い。大層真面目で冗談も言わない性質だが、なんだかんだで双子に甘い。
◆ヴァーダル・デ・カロッタ →超大貴族の出でありながら、家でなくわざわざ学園に学びに来た変わり者。ヒーロー譚、冒険譚、大活劇が大好き。
◆チャジア家 →父トルマン、母カティナの年の差夫婦。どちらもモングスマ直下の傭兵稼業を営んでいる。
◆ブラベリ家 →父ファガス、母マーゼラの熟年夫婦。辺境領主家お抱えの魔法道具屋を構えている。




