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ep:Boni improbis, improbi bonis amici esse non possunt.

「つまらぬ!つまらぬ!つまらぬぞ!!那由多は何処じゃ!何処に隠した!!」


 翌朝、刹那姫は大層機嫌を崩していた。誰が宥めてもその辺りの物を投げては追い払う。結果、その役目を押しつけられたのはそこそこ気に入られていた自分だった。

 白羽の矢が立ったことに溜息を吐きながら、グライドは眠い目を擦り……姫の部屋の扉を叩く。

 朝からこの姫は何を騒いでいるのだろう。此方は一睡も出来なかった。昼間で寝ていた女が何を叫いているのだろう。


「混血狩りの人間に殺されただと!?妾は信じぬ!殺したというのならその犯人を連れてこい!妾がその首苅ってやろうぞ!」

「刹那姫。あれは那由多王子ではありませんでした」


 主から伝えられていた言葉。万が一、朝までに自分が戻らなかった場合伝えろと言われていた言葉。


「……?どういうことじゃ?」

「あれはこのセネトレアを騒がせている混血の殺人鬼suit。富豪や身分のある者ばかりを狙う犯罪者です。おそらく姫を殺すために弟君だと騙り、近づいたものかと」

「ほぅ……この妾を殺すために?」


 愉快そうに姫が笑う。何が楽しいのかまったくもってわからない。


「……してその者は何処に?捕らえたらすぐに妾の元へ連れて来るのだ!良いな!」

「はい。昨夜から海辺周辺を捜索させております」

「うむ。良い働きじゃ。それにしても目の隈が酷いぞ美少年。それは良くないぞ。美少年は国の宝、世界の宝じゃ。その価値が損なわれることは妾も心苦しい。捜索は部下共に任せるとして妾が膝枕でもしてやろう」

「私も捜索を続けますので、失礼します」


 一礼し、姫の部屋から立ち去った。後ろからは不満そうな声が聞こえていたが相手になどしていられない。


「…………ヴァレスタ様」


 自分は選んだのだ。フォースを見捨てた。助けなかった。自分は選んだのだ。大事な友人よりも主の命令を選んだのだ。選んだ以上、振り返らない。それはフォースへの冒涜でもある。


「まだ見つからないのかっ!もっと人を増やせっ!」


 命令をする部下への口調が荒くなる。余裕がない。気が焦る。


(ヴァレスタ様……)


 僕は貴方を選んだんだ。それなのに、貴方がいなくなってしまうなんて、そんなことは在りませんよね?僕は、僕の選択は……間違っていなかったと言ってください。いつものように、僕の名前を。僕にどうか、命令を。貴方がいなければ僕は何も出来ない。


(どうか、ご無事で……)


 *


 刹那は暇つぶしに集めさせた資料で弟擬きの影を見る。

 なかなか面白い人間だ。その殺害方法が毒殺というのも好感が持てる。そして興味も湧いた。毒の王家のこの私を、毒殺するつもりだったのか。どんな毒を用いるつもりだったのか。あの反応全てが演技なら、彼は余程の役者だ。面白い。


「変装の名人、混血の殺人鬼suitか……」


 もう一度あれに会いたい。隅から隅まで調べてそれが何者なのかをはっきりさせたい。

 それが弟ではないのなら、やはり自分はこの国の王の嫁にならなければならない。ここに来る前よりは乗り気だ。外の世界は存外面白い。このセネトレアを中心に世界が動いている。凍てついた風が吹くあのタロックなどという国は、何から何まで面白味に欠けるのだ。


(この国は、いい暇つぶしになる)


 無能共の集まりである商人や教会は、あの殺人鬼が死んだなどと世迷い事を口にしているが、刹那はそれを信じない。


(この妾を謀っておきながら、勝手に死ぬなど妾が許さん)


 それを探すためにはこの国を牛耳る必要がある。それもまた、いい息抜きかつ暇つぶしになるはず。世界貿易の中心。栄華を誇るこの国に君臨するのも悪くない。その傲った国を食いつぶしてしまうのもまた悪くない。


「王に通達しろ。さっさと挙式を上げるぞと。妾の機嫌が変わらぬうちにさっさとしろとな」


 部下を呼び、伝令を走らせる。そうだ。退屈は嫌いだ。

 この世はあまりにつまらない。100年足らずのその時は永遠に等しい拷問だ。だから面白くしなければならない。この単調すぎる日々を変えるのだ。

 あんな腐れ男の妻の肩書きを押しつけられるのは屈辱でしかないが、思う存分その特権を活用してやろう。


「ふふふ……今に見ていろ」


 全ては私の手の内だ。従えてやる、この国を。


 *


「…………」


 ここは何処だろう。どこかの洞窟か。穴の外は明るい。入り江になっているようだ。

 自分のすぐ傍には眠りこけている少年がいる。その横をふよふよ浮いている精霊が怒りながら此方に指をつけつけ怒鳴る。


 《私のエルムに感謝しろ!つきっきりで看病してやったんだから!》


 その補助はこの精霊がしたのかもしれないが、実際お前がやったわけではないだろう。感謝してやる謂われはないと、ヴァレスタは顔を背ける。

 あの場では混血狩りの人間達の目もある。姿を隠しているように言っておいたが、いざというときのために傍には控えさせていた。海は水。この精霊憑きの少年の力があれば毒の王家の姫も王子も簡単に葬り去ることができると踏んだ。

 しかし責任を王子を攫った人間になすりつけるには、人間の手で殺す必要があった。あの姫の手前、王子を殺すのは混血狩りの連中に手を下す必要があった。

 王子がセネトレアの人間に殺されれば、あの姫はセネトレアを憎む。少なくともこの国に嫁ごうなどという気はなくなる。そのための配置だったが、出し惜しみをした結果がこれか。聞きたいことは山ほどあったが、少年はまだ目覚めない。仕方ない。精霊の方へと話を振ることにしてやった。


「……俺はどのくらい寝ていたんだ?半日か?」

 《いや、三日》

「何だと!?」

 《そのぐらい危険な毒だった。こいつが水の人間で、お前が土の人間だから上手くいっただけ。最悪死んでいた》


 手当をされた跡は首筋。あの時那由多に触られた場所。触れただけで倒れるとは……皮膚毒?それもかなり強力なものだ。触れた場所の毛穴から毒を注ぎ込む。


 《お前も解毒数術を使っていた。無意識だろうけど》

「………なるほど。俺に入り込んだ毒を凍らせて取り除いたか」


 この少年自身は水使い。水に懐かれても氷など操れない。

 自分はこのセネトレアで生まれた。土の元素に愛された人間だ。だから自分の操る数術には少なからず土の元素が影響する。

 水路で出会った数術使いも言っていた。土と水の元素は相性が良い。二つの元素の複合作用で起こる数値反応。

 あの水路で気付かず起こった反応だ。降り注ぐ流水を防御数式で防ぐ。その際生じた冷気。飛び散る水が刃に変わる。運悪くロイルの馬鹿はそれを思いきり食らったわけだが、馬鹿は馬鹿らしく丈夫で問題はなかった。


「………起きろ」

 《お前っ!エルムに何をっ!!》


 熟睡している少年を踏みつけ、蹴り付けると精霊が五月蠅い。少年はと言えば、ぼんやりとした夢見心地の目のまま此方を見上げている。


「さっさと帰るぞ……リゼカ」

「………え?」

「名前だ。飼い犬には名前が要るだろう」


 道具には名など不要。付けるとしたら変態か変人だ。それでも犬には名前が要る。

 名前は認識記号。何時までも古い名前を使っていたら前の飼い主を忘れられずにずるずる引き摺るに違いない。第一この少年の名前を気にしたことなどなかったから、いまいち頭に残らない。忘れていた。確か三文字だった。その位しか覚えていないが、この子供にとっては一つの呪縛だ。完全に従えるにはまずはそこから。過去を捨て去るにはまずはその認識記号から塗り替える。


「……は、はい」


 それ以上でも以下でもないが、思いの外この褒美に犬は喜んでいるよう。虚ろだった少年の瞳に光が差し込む。うっすらと笑ったようにも見えた。


「さっさと帰るぞ。案内しろ」


 *


 白い天井。ぼんやり見つめる。瞼が重い。また閉じる。


「……フォース君!!良かったぁ……」


 目を開ける。声がする。泣いているのはトーラの姿だ。思いきり抱き付かれる。重い。

 傍には他にも人がいる。鶸紅葉と蒼薔薇……それから洛叉。


「姫様、ご無理は……」

「もう鶸ちゃんたら、僕はもうちゃんと三日もあれから睡眠したでしょ?代償は支払ったし元気だよ」

「姫様が健康なのは喜ばしいことですが、彼の方は……」

「洛叉さん、どうですかフォース君」

「…………見たところ後遺症は見られない。君が与えた分が適量だったんだろう」


(俺……生きて、る?)


 次第に気を失うより前のことを思い出す。毒に倒れて、それで……自分は毒を飲んだんだった。普通に口にすれば、触れれば……絶対に死ぬ毒。それでも自分は生きている。体内の毒をより強い毒が殺してくれたのだ。


「………鶸紅葉達がいるってことは、ここは……迷い鳥?」

「そうだよ。僕が数術代償払いまくってみんなをここまでなんとか連れてきたわけ。本当くたびれた」


 大げさにトーラが肩をすくめて溜息を吐く。

 それを見ながらフォースは考える。戻ってきた。どこから?レフトバウアーから。


「っ……!!そうだトーラ!船はっ!?」

「……………僕はあそこから全員を運ぶことは無理だった……船は、沈んだよ」

「ど、どうして!?」


 毒を食らってから一体何があったのか。話が分からない。沈むような要素が何処にあったというのか。

 洛叉はトーラを弁護するよう、まとめた言葉をフォースへ告げる。


「船は混血狩りの人間達によって燃やされた。それに耐えきれず船に飛び降りた人間が大勢いた。そういう者は射られ、溺れ死んだ。君たちの周囲にいた何人かを連れ出すのが彼女に出来る精一杯だったんだろう」


 そんなフォースに、洛叉に。蒼薔薇が不機嫌そうに抗議する。


「文句言うなよな!お前らが助かっただけでもマスターに感謝しろ!……マスターだって人間なんだ。何でも出来る訳じゃない」


 数術代償は睡眠時間。襲い来る睡魔と戦いながら、彼女は傷ついた仲間達を拾い集めここまで逃したのだ。それは凄いことだ。自分だったら絶対に出来ない。才能がない。

 それでも気分は沈む。あの時自分がもっと周りを見ていてば。毒なんか食らわなければ、こんな事にはならなかったんじゃないか。

 溜息を吐くフォースの肩を洛叉が叩き、静かに首を振る。君のせいではないと言われているようだ。そして思い出したように……


「しかし……悪い話だけではない。彼女の迅速な行動のお陰で殺人鬼suitの懸賞金が消えたんだ」

「え……?」

「聖十字の子が見てたんだよ。リーちゃんが崖から落ちるの。それで死体は上がらなかった。だから死んだ者として白紙に戻ったのさ。フォース君、君が毒を食らったのも向こうには知られていたから、君のも白紙に戻ってたよ」

「そんな……」


 素直に喜べない。確かに自分は人を殺したのに、それを逃れるだなんて。そんなの……おかしい。


(……エリザ)


 置いてきてしまった。それだけではなく、懸賞金まで無くなった。約束したのに。それが一つ心残りだった。騙したことに、なるんだろうか。彼女は何処にいるんだろう。また、ヴァレスタの下に戻ったのだろうか。


「そ、そうだ……他の奴らは?……リフルさんは?アスカは?」

「あの馬鹿はハリネズミのような惨状だったのだが、今は残念ながら……」


 あの馬鹿。洛叉が言う。それはアスカのこと。無駄に暗い表情静かに首を振り……重いため息。それにフォースは息を呑む。彼に何があったのかと不安な気持ちに襲われる。


「健在だ」

「ややこしい言い方止めろよ洛叉さん!!」


 舌打ちながらにそんなことをいう洛叉。病み上がりの人間になんてことを言うんだこの医者は。心臓に悪い。殺す気か。


「アスカ君は本当しぶといよね。僕と洛叉さんの治療もあってすっかり無事でリーちゃんよりも早く目を覚ましたよ。出血と火傷は酷かったけど、急所外してたんだろうね」

「あれは本当に……前世がゴキブリか厠蟋蟀か何かなのではないか?」


 酷い言われようだ。それでも二人は嬉しそう。この軽口も彼へのある種の好意なのだろう。そんな気がした。呆れながらフォースも苦笑する。

 その冗談めいた軽口は、続く言葉の不安を和らげるためだったのかもしれない。


「リーちゃんはまだ……命には別状はないと思うんだけど、目を覚まさないんだよね」

「心臓のすぐ傍を貫かれたんだ。身体は癒えても、脳への衝撃は大きい。もう暫くは安静にしていなければならないな」

「アスカ君たら、そろそろフォース君が起きそうだって教えてあげたのに、こっちに来ないんだから薄情者だよね」

「ははは……まぁ、アスカだし。どうせリフルさんところに付いてるんだろ?」

「付いてるっていうか憑いてるっていうか……ですよねマスター?」

「あはは、蒼ちゃん言い得て妙だよ」


 アスカの話題の時はまだ明るかった室内の人間の様子が、彼の話題になると無理をしているような、空元気に襲われる。そんな気がするのは自分が彼を心配しているからだろうか。


「……そうだ。ディジットとか、アルム……とか、は……?」

「アルムちゃんは……今ちょっと鬱ぎ込んでて。ディジットさんは今日辺り君が起きるって僕らが予知したら張り切って料理を作ってたよ。呼んでくるね、ちょっと待ってて……」


(……エルム)


 アルム、とか。そこに彼を滲ませたが答えはない。ディジットは……彼を連れ戻せなかったのだ。


(何を、どこで……間違えたんだろうな)


 彼らも、自分も。

 グライドのあの目。それがまだ鮮明に思い起こせる。ずきずきと胸が痛む。

 あいつも自分も大切な者を見つけた。守りたい場所が、人がいる。そういうことなんだろう。だけど、彼が大切じゃなくなったわけではない。過去の記憶は今だって健在だ。でもそれは……グライドにとってはもう……必要のない物なのだ。たぶんそうだ。そうなのだ。


「……フォース」

「ディジット……」


 考え込んでいた自分の部屋の戸口にディジットがやって来ていた。他の皆はどこかへ行って、二人きり。何を話そう。言いたいこととか聞きたいことはいろいろあったのに、上手い言葉が出てこない。


「ディジットも怪我したって聞いたけど……大丈夫?」

「心配してくれてありがとう。トーラと先生がいるもの、大丈夫よ」


 やっと絞り出した言葉に彼女が応える。言葉の割りには顔色が優れない。それで気がついた。怪我をしているのは心の方だ。トーラの数術でも、洛叉の医術でもそれは治せないものだ。フォースの心が血を流し続けるのと同じ痛みを彼女も感じている。彼女を傷付けたのは、エルムだ。それに気がついた。

 それを裏切りなどとは呼べない。仕方のないことだとそう自分に言い聞かせる。大切な人だ。その人の行いを、裏切りなどとは呼べない。呼べないくらい大事な人だった。だからそれを笑って見送る振りをする。違う方向にでも、先を進んでいる彼へ微笑む。それでも胸は痛む。痛み続ける。


「…………あの時は、ごめんなさい」


 彼女があの時戻ったのは……やはりエルムのためだったのだろう。

 そう思うと、責める気持ちはどこかへ消える。それに、考えようによっては自分は二度も助けられていた。自分が人質に戻ることで、フォース一人を逃がすことをヴァレスタに認めさせたのだ。逃がした人質だ。戻ってこられたら困る。それはリフルが。だからあんな事をしたんだろう。

 ディジットは、リフルを騙したことを悔いていた。まだ、謝れていないのだ。彼が目覚めていないから。


「ディジットの言うこと……俺も考えてみた」


 三人の中から一人を選べと言われたら。


「俺の幼なじみの内二人とリフルさんから一人選べって言われたら……たぶん俺もディジットと同じ事を考えるんだと思う」


 その三人が幼なじみ全員だったら……その誰も選べない。繋がりのある人間。その内一人だけを選んだ後の事を考えたら……その二人と関係の薄い一人を消去法で選ぶだろうと、自分も思った。

 三択よりもっと辛いのは二択だ。もしアルムとエルムのどちらかを選べ、だったらディジットの心は今より深く引き裂かれていただろう。

 友人と恩人。グライドとリフル。そのどちらかを選べと言われた。選んだつもりだったのに……瀬戸際で自分は迷ってしまった。その結果、毒に倒れた。グライドはそれを迷わなかった。彼の主と自分。自分は選ばれなかった。それを知った時の、痛み。これはきっとアルタニアで別れたグライドも。ディジットと別れた後のエルムも感じていた痛み。

 それでも責められないのは、決めた方も決められた方も痛いのだと知っている。フォースも生きている。選択して選択されて、切り捨て切り捨てられて生きている。

 だから自分にはディジットのことも責めることは出来ない。

 だからディジットのせいじゃない。そう伝えようとして顔を上げた。


「ディジット……」

「ごめんなさい……」


 彼女が、泣いている。止めてくれ。止めてくれよ。動けなくなる。それをじっと見ていることしかできない。この前と同じように。

 拭うことも出来ない。振り払うことも出来ない。気の利いた言葉も言えない。それでもいいのだと、彼女が触れる。


「少しだけ……こうしていても、……いい?」


 大切だった弟の代わりに……抱きしめさせて欲しいと彼女が触れる。それに答えられないまま受け入れる。

 出会った頃の彼女は、いつも明るくて……人前で泣くような人じゃないと思っていた。彼女がそうあれたのは、彼らが傍にいたから。人は誰かのために幾らでも強がっていられるけれど、その人のために……幾らでも弱くもなってしまう生き物なんだなと……そう思った。

 釣られて泣いてしまいそうになるのは、今……自分もきっと悲しいからなんだろう。


 *


「こうしてると……寝てるのか死んでるのかわかんねぇな」


 アスカは呟き、……返事が返ってこないことに嘆息をする。人間独り言が増えたらお終いだ。それでもこれも癖かもしれない。

 寝ている彼を見ると、子供時代を思い出す。棺の彼によく本を読んで聞かせていたっけ。そんなことを思い出す。

 まだ目覚める気配はない。トーラの先読みにも出ていない。

 何日こうして詰めかけていただろう。随分と長いこと彼の寝顔を見ていた。今彼が眠っている場所が棺ではなく寝台だと言うことを喜ぶべきだ。


(昔みたいにまたなんか読んでやっかな……)


 部屋を見回す。本棚を見つけ、めぼしい物はないかと物色してみる。あまり良い本がない。セネトレアの地図やら商人名簿やら暗殺の仕事に使うものだろうかと思われる、口に出すのはどうかと思う本ばかりだ。そんな中に誰の趣味か差し入れか嫌がらせかは知らないが、数冊官能小説が紛れている。表紙は幼女だ。流石に読む勇気がなかった。確かにそういうのをネタとして差し入れに持ってこようとも考えたが、本人が起きなければ意味がない。しかも先を越されていた。


「ったく。こんなん持ってくるのはあの変態闇医者か?それともトーラか?……人がちょっと目を離した隙に……」


 油断がならない。より一層の気合いを入れて見張りをしなければと意気込んだ。


「持ってくるなら、せめて人妻物か不倫物にしろっての。気が利かねぇな。騎士道文学の王道だろうに」


 突っ込み所満載の発言をぼやいてみたが、寝ているリフルから、ややずれたボケじみたツッコミが返ってくることもない。

 自分が黙れば部屋は一気に静まりかえる。実につまらないものだ。昔は棺の彼に語りかけることが楽しく思えたのに。

 死んでいる人間はそれ以上になることはない。此方の勝手な想像を覆すことはない。勝手に作った理想像を壊すことがない。

 しかし生きている人間は思い通りにはならない。自分の意思で考え動き、此方の想像も理想もぶっ壊しながら生きている。それに失望する人間もいるのだろう。

 それでも生きている人間はマイナスにもなるが、プラスにもなる。生きている彼を見ていることは、彼の棺を見ていた頃より多くを自分に与えてくれている。

 見ているだけではなく、一方的に語りかけるだけでもなく。此方を見てくれる。言葉を返してくれる。それだけで得られる何か、満たされる物が人にはあるのだろう。そんなことを思っていると……


「…………?」


 扉の向こうから気配がする。息を殺して、そっとそっと歩いてくるような怪しい気配。


(……様子見てみるか)


 自分がここにいることを知っているかもしれない。隠れるのは止そう。

 代わりにアスカは両腕を寝台へ起き、そこに頭を預けて居眠りを始める。入ってきた人間には、看病(もとい見てるだけ)が疲れて付き添いが眠ってしまったように映るはず。


 誰かの悪戯かとも思ったが、ここにそんな悪趣味な輩はいない。トーラだって流石にそこまで空気が読めない奴じゃない。

 門番然り、救出時からリフルに魅了されている人間が押しかけようとして大変だったくらいで、ここら一帯を封鎖して人払いをしている程だ。アスカはその護衛の意味でもここにいた。

 ギィと扉が開く。コツコツと入ってくる足音は軽い。薄めを開けて見れば、相手は少女だ。混血の。救出され、ここで世話をしている人間の一人か。


(見舞いにでも来たのか?)


 リフルは子供に弱い。邪眼の効かない子供には邪気が抜かれ、優しくしてしまうから下手をすると懐かれる。

 しかし少女の表情からはそんな風には思えない。起きない彼を心配して来てしまったという顔ではない。寝ている彼を憎々しげに見つめている刃のような銀色の瞳。寝台へ近寄る彼女の片手には、同じ色の刃が握られている。


「随分物騒な見舞いもいたもんだ」

「……っ!?」


 相手が物騒毎を企む輩なら、子供だろうと見過ごせない。狸寝入りを止め、少女を睨む。

 それでも少女がひるんだのは一瞬。大した物だ。此方をキッと睨み返す気の強さ。


「ウィルはどこ!?どこにやったの!?」

「……は?」

「この男を追って消えてから帰ってきてないのっ!どこにやったの!?」


 誰の名前だろう。どこかで聞いたことがある。ああそうだ。いかれ気味の博士とリフルの因縁。トーラから粗方の事情は聞いていた。それならああ、この子がリリーか。なんて説明するべきか。本当のことを話したところでこの手のタイプが納得するとも思えない。逆恨みで何かするようなタイプだ。


(よく言えば一途とでもいうのかね……)


 悪く言うなら盲目。それ以外が見えないから、手段を誤り他人を傷付ける。

 完成された閉ざされた世界を生きている。それに触れることは彼女の逆鱗に触れる。何人たりとも触れてはならない箱庭の生。


(それでも、知らないって言うことは……辛いことだよな)


 そんな生き方を知っているから。ある意味彼女が自分の鏡のように見えていた。


「……死んだよ」

「……誰が、殺したの?」

「グリーク=エルフェンバイン。そいつの実験で彼はもう死んでいたんだ。お前が見ていたその子は博士の亡霊さ」

「嘘よ……死んだ人間が生きた人間を殺せるはずがないわ」


 ああ、やっぱり駄目か。言葉が通じない。何が何でもこの女はそれをリフルのせいにしたくて堪らないらしい。

 邪眼で誰かを魅了することは、その誰かに想いを寄せる人間から憎まれるということ。こんな風に呪縛のように誰かを思う人間には邪眼が効かないらしいから。


「どうして彼がいないのに……この男は生きているの?許せない」

「止めろって言っても止めない感じだな」

「退いて。そいつを庇うなら……貴方も殺すわ」

「そうか。それでも一応一回言っておくぞ。止めとけ」


 *


 まだ長かった頃の髪を風が撫でる。街に吹く風は涼しいとは言えない。季節は夏だ。じりじりという日差しの中を風が吹く。

 夜の風は昼間の風とはまた違う。冷ややかで、それでいて何者かの息づかいを感じさせる生暖かさを孕んでいる。夜の風ばかりを感じていた自分にとって、昼間の風は不思議な感覚。その慣れない感覚に戸惑いながら街を歩く自分を見ている。隣を歩くのは、まだ顔立ちに幼さが残っている青年。面倒臭そうに怠そうに街を歩くのに……気遣わしげな視線でこちらを見ている。

 いつも彼はそんな風にこちらを見ている。怒ったり怒鳴ったり拗ねたりふて腐れたり沈んだり。嘘ばかりを吐いている彼ではあるが、心配そうにこちらを見る、その目は本物だ。

 心配するのは自分の権利で専売特許だと言わんばかりに。そうじゃないのにと言っても聞いてはくれない。それでもその視線は温かい。だから上手く言い返せなくなるのだ。

 長い夢を見ている。これが夢だと解っている。目を開ければ終わる夢。それが解っているから目を開けるのが怖かった。だからそれを見ていた。

 自分は不安なのだ。目を開ければそこには何もないかもしれない。目を閉じる恐怖より、目を開けることの方が恐ろしい。恐ろしくて堪らないのだ。そうすれば、何か恐ろしいことを思い出してしまうような気がして。

 それでもどんな夢にも終わりは来る。光の圧力に負け、目を開ける。どのくらい眠っていたのだろう。大怪我を負ったはずだが、身体に痛みは無い。唯、怠い。右手で胸へと触れてみるが、傷口はない。あるはずのない痛みを僅かに感じた気がするだけだ。


「彼女の先読みに出る前にお目覚めになるとは……他の者も驚くだろうな」


 声が掛かる。顔を上げれば、黒髪のタロック人。洛叉が診察に来ていたようだ。


「先生……あ、あの……」

「あの鳥頭のことか?あれなら健在ですよ」

「そうですか……」

「しぶとくも急所は外していましたから。貴方の方が余程危なかった」


 なんと無茶なことをと呆れられた。その声には夢のアスカと同じく、此方を気遣う様子が感じられて、それには何も言い返せない。その代わりにリフルは気がかりだったことを聞いた。


「……彼は」

「死体は上がっていない。それは貴方も同じ。情報屋の彼女が貴方を見つけられたのは目印の数術のためでしょう。流されたのか、沈んだのか……同じ場所にはいなかったそうです」


 洛叉が言うには、殺人鬼suitは死んだとされた。聖教会にそうもたらした人間がいるのだという。その言葉にあの現場を見ていた第三者の顔を思い起こす。


(ラハイアか……)


 まぁ、普通は死んだと思うか。胸を刺されて海へと落ちて、こうしてまだ死ねないことの方が不思議な話。しかし今更でもある。崖から飛び降りたのはこれが始めてではないし、時計塔の上から飛び降りても死ねない人間だ。勿論ラハイアが知るよしもないことではある。


「しかし反対派のまとめ頭が消息不明。これを好機と肯定派が刹那姫とセネトレア王の婚礼を急がせたようで、王都は今お祭り騒ぎです。さっそく魅了された兵士や官僚達が守りに就いてとてもではないですが暗殺どころの話ではなくなりました」

「弟の俺がいなくなったから、元の鞘に戻ったということか。……これでタロックとセネトレアの繋がりは強固な物となった。……そう考えるべきだろうか?」

「どうでしょう……?あの姫は一筋縄では行きません。何を考えてのことか……」

「……………頭が痛いな」


 溜息を吐くと洛叉が気まずそうな顔になる。


「病み上がりに、聞かせる話ではありませんでしたか。申し訳ありません」

「いや……それはいい。だが、問題は山積みだな」

「しばらくは東の連中もあの姫に振り回されて此方に構う暇など無いでしょう。その間しっかり養生してください」

「……そうだな。考えておく」


 身を休めることを納得していない自分に、洛叉が諭す。それならばそれを違う者にさせればよいと。


「…………リフル様。貴方は王です。王が前線に出ることはない。私もあの馬鹿も……あの少年も貴方の手足のつもりです。お休みの間も命令さえしてくだされば仕事は……」

「洛叉、私は王ではない。なれないさ……そんなもの。………この場所に来て、わかったんじゃないか?私を認めているのはごく一部の人間だ。それも私の邪眼に触れてしまった者だ。そうでない者から見れば、私は恐怖の対象でしかない」


 恐怖で人をまとめ、治めることは出来ないのだと洛叉に教える。


「リリー…………あの子もきっと、俺を認めはしないだろう」


 エルフェンバインに巻き込まれたあの少年。ウィルの死を、リリーにどう伝えよう。自分が殺したと、そう言うしかないのだろう。

 また憎まれるなと苦笑い。一回くらい刺されるだろう。また寝込むことになりそうだが、それは受け入れるしかない。どうせまだ悪運に愛され、死ねない身体だ。


「リフル様……その少女のことですが」

「何かあったのか?」


 洛叉が語る。言いにくそうに。それでも声は淡々と。


「先日亡くなりました」

「………!?……どういう、ことだ!?」

「脳死です。数術の概念をよく理解しないまま、無謀な術を使ったのが原因です」


 混血は純血より才能に恵まれてはいるが、それでも限界はある。その限界を超えるようなことをしたのだと彼は言う。ウィルが心配で、探しに行こうとして無茶でもしたのだろうか。彼がいなくなれば彼女が不安定になるのは予想が付いていたはずだ。どうして止められなかったのか。止めてくれなかったのか。自分や周りを少し恨めしく思う気持ちが生まれる。そこでリフルは、吸い込む空気の違和感を知る。


(…………この匂い)


 微かに香る。嗅ぎ慣れた匂い。

 これは、血の匂いだ。何処から?自分から?……違う。でも微かに……この部屋には血の匂いがする。大量の血が流れた匂い。

 何度もその匂いを感じてきた自分だから解る。拭き取っても拭えない微かな違和感。それが鼻孔を擽った。

 少女の死が数術計算が原因なのだとしても、彼女はそれをなんのために使ったのか。それは……この自分を殺すためではなかったのか?それに気付くとぞくと、背筋が震えた。


「……洛叉」

「はい」

「私にはずっとお前が付き添いをしていてくれたのか?」

「…………診察はこれで終わりです。ゆっくりお休み下さい。お疲れでしょう?他の者には明日あたり、面会をさせましょう」

「洛叉っ!」

「…………知らない方が、貴方のためです」


 その言葉で解った。考えてみれば他にはいない。数術使いをそんな風に止めるのは、数術を使えない人間。数術使い相手にそれを仕留めることが出来るような、自滅させることが出来るような駆け引きの出来る人間は。


「…………今回ばかりはあれを私も庇います。責めないでやって下さい。ここにいたのが私でも、同じ事をしたはずです」


 洛叉が低く呟く言葉が、全てを物語っていた。


「私は……っ、私のせいだ!私は……どんな顔で彼に会えというんだ!?」

「貴方のせいじゃない。あの少女が愚かだっただけです」

「違うっ!」

「違わないっ!」


 リフルの言葉を洛叉の声が否定する。珍しく声を荒げた彼に諭される。何時でも子供の方の味方を選ぶ、この闇医者が……少女のことを否定した。その意見に少なからず衝撃を受ける。


「いつか自分も恨まれ殺されるというリスクも知らず、人を殺めようとした愚かな人間の末路です。貴方は知っていたはずだ。貴方は何時か自分が殺されるかも知れないということを。知った上で貴方は人を殺した。あの子供にはそれがなかった」


 思い通りにならないからと他人を怨み、駄々をこねるだけの子供。そんな愚か者のことまで抱え込むことはないと彼が言う。


「助けられておきながら貴方を逆恨みするなど……厚顔無恥で恩知らずな人間だ」


 そう吐き捨てた後……頭を下げて洛叉が退出をする。

 それを見送った後、起こした身体を再び寝台へと倒す。なんだか、とても疲れた。眠りが誘う。また眠ってしまえばいいとこの手を引いて、現実から浮遊させようとする。

 それを拒み、夢と現を行き来している内に、訪問者が現れた。此方が眠っているものと重い、微笑むその人。優しく頭を撫でるこの手で、彼は人を殺したのか。

 東での話は聞いた。それが見知った少女の身を襲い、身近な話になっただけ。それだけのこと。それだけなのに……それが重たくのし掛かる。

 どうして彼をこんな所まで連れてきてしまったのだろう。そう思うと気持ちは沈む。涙が流れる。

 あの日にそれを拭ってくれた手は、もっと温かかったような気がする。実際それは今だって温かいけれど。それを毒と知りつつ拭ってくれる優しさを彼は持ち合わせているけれど。

 それでも何かが根本的に違ってしまっているように感じるのだ。

 何度も毒を食らった彼は耐性が増したのか。涙の毒だけでは一撃で倒れることはなかった。

 慣れた手つきで解毒を行う彼の姿に、やはり何かが変わったように思う。

 誰かに守られると言うことは、自分が思っていたより……ずっと暗く、重いものなのだ。

 眠ることは許されない。彼を見ている。止めなければならない。二度とこんな事がないように、すぐ傍で、彼を見ている。

 目を逸らしてはならない。それが彼女を殺めた自分が抱える償いだ。

……というわけで9章完結です。次章は13章死神。ようやく本編(0章)開始軸に並んでカードバトル展開です。裏本編にもしばしおつきあいしていただけると嬉しいです。ようやく次章でヒロイン投入できる。これでヒロイン兼任主人公も主人公に戻れるか?

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