番外編:侍女さん、交流を深める
気まぐれ番外編そのいち。
連載のまとめ、みたいな感じでお読みください。
時系列は29話の後。
秋も深まる、とある日の午後。
革命の日からしばらく経って、ようやく国政も落ち着いてきた北の小国ローウェルから、今度は正式な使者としてサクラ・ヒイラギという名の【落ち人】がここレグザフォードを訪れた。
大陸の西方に位置するレグザフォード。
その国の王太子レオナルドと王太子妃レティシアの間に生まれた第一王子は、両親や世話役達、国民に愛されすくすくと成長中である。
王太子とその妃との仲は新婚かと周囲が突っ込むほどに良好であり、側妃を、後宮を、という声も挙がってはいない。少なくとも、表立っては。
王太子が妃を娶ってから暫くの間目まぐるしく改変が行われたこともあり、一時期は国を揺るがすかと思われたほど貴族間がギスギスとした空気を纏っていたものだが、今はそんなことありましたか?とにこやかに談笑できるほどに落ち着いている。
交流のある東の島国【倭国】との関係も良好、その間に挟まれたヴィラージュ王国とも特に問題はなく、のんびりした国民性の南国ウィスタリアとも付かず離れずという関係を保っている、のだが。
残念なことに、北の小国とはさほど交流を持てていないのが現状だ。
狂王と呼ばれた最後の国王が倒れたローウェルとは国交がある、しかし他の小国はローウェルの二の舞いになるものかと己の国を守ること、そして他の同レベルの小国に取り込まれまいと必死で、とても他国との国交などに踏み切れないということらしい。
そんな中、どうしてサクラがレグザフォードを訪れたか。
それは、現国王夫妻の成婚二十周年記念記念式典が行われるからである。
緊張が高まる小国達からすれば何を呑気なと嘲られかねないが、だからこそ大国としての余裕を示すという意味合いもあるこの式典に、ローウェルからは国家元首となった元宰相とその妻、そして外交担当として地道に顔を売ってきたサクラが招かれたのだ。
といっても式典に顔をだすのは国家元首夫妻のみ、サクラは王宮での挨拶を済ませれば後は好きに街を回っていいと許可をもらっている。
「というわけで、来ちゃいました」
「はぁ…………私も休みですので構いませんが……」
この日は国王陛下のご成婚記念日として、城下では大々的な市が開かれたり旅芸人達が路上でパフォーマンスをしていたりと、いつも以上に賑わっている。
普段は王太子妃レティシアの侍女として側を離れないメルヴェルも、一日休みという命令を貰ったことでそれならと城下町の賑わいを見て歩こうかと考えていた矢先、サクラが彼女を誘いにやってきた。
サクラとは、彼女と初めて出会ったあの時以来なんだかかんだと手紙をやりとりし続けている。
彼女に対して苦手意識はもうないし、むしろ少々親しい間柄かなと思えるほどではあるのだが……。
「レイン様をお誘いになられては?」
「……それなんですけど……ちょっとご実家の方で忙しいらしくて。声、掛けにくかったんですよね」
「それは」
それは恐らく、侯爵家次男であり本来なら長男のスペアであるはずの彼が、本格的にフェリシア侯爵家を継ぐための準備で慌ただしい、ということだろう。
そして、それに伴って他国……否、それより遠い異世界からやってきた【落ち人】サクラを娶るための根回しに忙しいということでもある。
(ですがレイン様ならきっと、声をかければすっ飛んで……いえ、駆けつけてくださるでしょうに)
愛想が良く、未だ少年のような無邪気さも見え隠れする侯爵家次男レイン。
非公式なファンクラブも多数あり、未だに年頃の女性達から熱い視線を向けられ続けているという彼は、王太子妃付き専属侍女であるメルヴェルとは兄妹のような、友人のような間柄である。
もうじき義理とはいえ姉弟という関係性になるのだが、それでもきっと距離感は今とさほど変わることはないだろう。
友人と言ってもいい二人が、せっかく会える機会に自分が邪魔をするわけにはいかない。
さてどうしたものかと視線をめぐらせた先、ひらひらと手を振って近づいてくる長身の人影とその隣で嬉しそうにキラキラと瞳を輝かせている少年を見つけ、メルは小さく微笑んだ。
「あれ?あの人達……メルの知り合いですか?」
「えぇ。背の高い方が近衛騎士のポール様、隣の小柄な子が」
「姉様!!」
「…………弟のユリウスです。ユーリ、まずはお客様にご挨拶を」
会えて嬉しい!と抱きついてきた弟は、また身長が伸びただろうか。
そんなことを考えながら身を離すと、最近我儘なところもなくなったと評価を上げている弟は、サクラに向かってようやく形になり始めた騎士の礼をとった。
「はじめまして。ユリウス・クレスタと申します。もしかしてその黒髪……サクラ様でいらっしゃいますか?」
「はい。はじめまして、サクラ・ヒイラギです」
「うわぁ、お会い出来て嬉しいです!お噂はいつも姉様……姉からうかがってます!」
「ほら、嬉しいのはわかったからあんま詰め寄るな。お相手の決まったご令嬢には一定の距離を持って接する、イオルから教わったばっかだろうが。……あぁ、すみません。俺はポール・ユージェニー。妃殿下付きの近衛騎士なんかやらせてもらってますが、生まれは平民ですのでどうぞ砕けてくださって結構ですよ。俺もそうさせてもらいますんで」
にこにこと笑いながら、片手でいとも容易くユリウスの襟首を掴んで己の隣に引き戻す。
なるほど彼はお目付け役か、とメルヴェルはすみませんと視線だけでポールに詫びておいた。
彼らの父であるクレスタ子爵がとある暴力事件をきっかけに領地へ引き戻され、処分が決まるまでは謹慎をと半ば強制的に軟禁状態にあるというのは、メルヴェルもユリウスも知っている。
お陰でユリウスは今微妙な立場に立たされており……といっても本人はあまり気にしていないが、それでももし軟禁状態の子爵が何かしら仕掛けては来ないか、彼の立場をよく思わない者が害をなそうとしないか、騎士団内部でも一応気にかけている……ということで、今回はポールが貧乏くじを引いてしまったらしい。
挨拶が終わったということで改めてくっついてきた弟をそのままに、メルヴェルはポールへと視線を向けた。
「弟がご面倒をおかけしてすみません。ポール様も奥様とお出かけになりたいでしょうに」
「あぁ、気にしなくていい。うちの奥さんなら、近所の奥様方と一緒に観劇に行くんだとはしゃいで出かけてったから。なんでもウィスタリアから来た劇団に、すげぇイイ声の美男子がいるんだと」
「……はぁ」
「ったく、ダンナの前で他の野郎の話なんかすんなっつーの。……あんたは気持ちいいほど興味なさそうだな。そっちの……あぁっと、サクラだったか?あんたもか?」
「えっ?そうですね、どちらかと言うと演劇より大道芸とかの方が興味ありますね」
「ふぅん」
そっか、と呟いてから「大道芸ねぇ」とポールは視線を通りの向こうへと向け、そしてあぁなるほどという視線をメルヴェルへとよこした。
彼女の意図するところをようやく掴んだ、ということだろう。
「お嬢さんのお気に召すかどうかわからないが、あっちの方でもう少ししたら【倭国】の術士がパフォーマンスをしてくれるそうだぞ」
「えっ、倭国の術士ですか!?」
自分の故郷と良く似た文化を持つ倭国、そして興味深い術を使う術士。
それらに興味津々だったサクラが目を輝かせたのを、ポールもメルヴェルも見逃さなかった。
「興味があるなら行ってみるか?」
「行きたいです!」
いいですか?と遅ればせながら問われたメルは、勿論と頷く。
そうして足を向けた先、そこには恐らくサクラが会いたくて仕方がなかった相手の姿があるのだろうと、半ばそう確信して。
結論から言えば、彼女の予感は正しかった。
ポールが連れて行ってくれた先には準備中だろう倭国の民族衣装を着た数人の男女、そしてそんな彼らのパフォーマンスを今か今かと待っている観客に紛れて……と言ってもあまりに目立つ容姿であるため紛れられてはいないが、とにかく観客としてそこにいた私服姿の男性二人。
やんちゃな子供を思わせる笑顔を浮かべたレイン・F・フェリシア、そして相変わらずの仏頂面のクロード・L・フェリシア……巷で有名な美形独身騎士兄弟である。
驚きのあまり歩みの止まったサクラにレインが歩み寄り、「誘ってやれよ」と小声で囁いた悪友のアドバイス通り「一緒に見よう」と己の方に引き寄せたのをきっかけに、ポールは再びユリウスの襟首を掴んで「じゃあな」と屋台が並ぶ方へと去って行った。
「え、ちょっと、あの、姉様ー!」
「うるさい。ちょっとは気を利かせろ」
「やだ、離してっ、離せってばぁ!」
「なんだなんだ、見習い君はやんちゃだなー。将来が楽しみだぜ、はっはっはー」
ずるずると引きずられていくユリウスをぽかんと見送るメルヴェルの隣から、「あいつは人攫いか」と呆れたような声が聞こえる。しかも、かなり至近距離から。
低過ぎもせず、高すぎもしない、柔らかく響くその声にドキリと鼓動が脈打った。
『メル、私と添い遂げて欲しい』
そんな、プロポーズとしてはかなり重い言葉を貰ったのは、つい先日のこと。
騎士として剣は主に捧げてしまっている、だから心を捧げよう。
騎士である以上、主は最優先。それはこれからも変わらないが、それ以外の部分では何よりも大事にするから。
侍女として主を最優先にするのは彼女も同じ、職務上では王太子の護衛と王太子妃の侍女として同志のような関係を築き、仕事を離れたところでは己の大事な唯一として側にいて欲しい。
そんな彼の想いを受けて、彼女もしっかりと頷いた。
略式にではあったが互いの家に挨拶にも出向いたし、フェリシア侯爵家とアウディ侯爵家の間でクロードの婿入りの話が着々と進められているのも知っている。
の、だが。
(まだ、こういった距離は慣れない……どうしていいか、わからなくなる)
こうして隣に立つだけで鼓動は跳ね上がり、体は熱を持つ。
むず痒くて、居たたまれなくて、照れくさくて、だけど嬉しくて。
恋をするというのがこんなにも精神力を使うものだったのか、同僚の侍女達がきゃあきゃあと嬉しそうに口にするものがこんなにもハードルが高いものだったのか。
恋人、婚約者、そう呼んで良い間柄でこうなのだから、これが夫婦になったら一体自分の精神力はどこまで保ってくれるのだろうか。
そんなことを生真面目に考えているメルヴェルの手に、少々汗ばんだ体温が重なった。
反射的に見上げると、こちらもどこか照れくさそうなアメジストとぶつかる。
「せっかくのポールの気遣いだ。大道芸にこだわりがないなら、他を見に行かないか?」
手を引かれて、人混みをゆっくりと歩く。
レグザフォード以外の国からも見物客が集まっているらしく、普段はさほどでもない城下の大通りが人で溢れかえっている。
クロードはどこに向かうでもなくあちこちを見回しながらすいすいと人混みを除けて歩き、その半歩後ろをメルヴェルが半ばクロードを盾にしながらついていく、というおおよそデートとは思えない二人組は、しばらくして開けた広場で足を止めた。
「この辺りは女性が多いな」
「……あぁ、そういえば。先程ポール様が、ウィスタリアの劇団が演劇をされていると教えてくださいました」
「演劇か……」
たまにはいいか、とそちらへ向かおうとしたクロードはしかし、あまりに女性客ばかりで辟易とした表情になってしまう。
それを見て、メルヴェルはふと思い出したことを口にした。
「なんでも、イイ声の美男子がいると評判だとか伺いましたが」
「観劇はやめておこう。他に行くか」
即決である。
メルも異論はなかったため従ったが、その通りを抜けるまでクロードの表情はムスッとした仏頂面のままだった。
幾つかの通りを越えた先で、今度はメルヴェルが足を止める。
どうした?と怪訝そうに見下ろしてくるアメジストを見上げ、
「寄りたいところがあるのです。お付き合いいただけますか?」
と、首を傾げて問いかけた。
ようやく婚約にこぎつけた大事な人のお願いを彼が断れるはずなどなく、今度は彼女がわずか先に立って歩いて行く。
彼女の目的地はさほど遠くない…………いつも行きつけの『術具店キサラギ』
裏路地にあるだけあってこの店はいつも通りの店構えで、特に露店を出しているわけでもセール品を売り出しているわけでもなく。
二人が連れ立って入って行くと、最近渋々だがカウンターに出ることにしたらしい店主が無表情で出迎えてくれた。
「ごきげんよう。お邪魔しますね、キサラギさん」
「客としてなら歓迎するが」
「お客です、ご安心を。珍しいペン軸を仕入れたと伺ったので、見せていただきに参りました」
「少し待て」
金になる、と判断したことで店主はようやく商売人の顔になり、奥へ引っ込んだかと思うと平たい箱を手に戻ってきた。
パカリと開けられたそこには、きらびやかなものからシンプルなものまで、色とりどりのペン軸が並んでいった。
吟味するようなメルヴェルの視線を受け、キサラギは「これは翡翠」「これは琥珀」とひとつひとつ説明を加えていく。
どうやら天然石を加工して多少の術を施し、ペン軸へと仕立ててあるらしい。
一通り説明を聞いたところで、メルヴェルはクロードへと視線を向けた。
「どれがお好きですか?」
「待て、私が選ぶのか?」
「はい。……何か記念になるものを贈りたいと思いまして」
とはいえ男性が何を好むのか全くわからない彼女は、騎士ならば当然書類を書くだろうしペン軸ならいくつあっても困らないかなと考えたのだという。
かと言って自分の好みで選んでしまうのは気が引けたため、結局クロード本人に選んでもらおうということになったのだとか。
私の婚約者が愛しすぎる。
どうしよう、と悶えるのは心の中だけにしておいて、クロードはいつも以上に真面目な表情でケースの中を眺めた。
緑に茶色、紫に銀、細かい細工が施されたものからグラデーションが美しいものまで。
その中から彼は、澄み渡った空の色をしたシンプルだが品のいいペン軸を選んで、意味ありげに黒の瞳を細めるキサラギへと差し出した。
「ほう……ターコイズか。それには幸運を招くまじないがかかっている」
「では、これを。それと」
これは私から彼女に。
と、彼は端にあった紫のグラデーションが美しいペン軸を手に取る。
「それはアメジスト。魔除けのまじないがかかっている。……包装が必要か?」
「包装はいらないが、箱だけでも用意できないだろうか?」
「わかった。待て」
「すまない。結局どちらも私が選んでしまったが……」
「いいえ。私はこういったものにこだわりがないので、選んでいただけて良かったです」
クロードはメルヴェルの瞳の色を。
メルヴェルはクロードの瞳の色を。
それぞれの色を身につけることが何を意味するのか、さすがに二人共知らないとは言わない。
二人の仲は良好ですよ、お互いを所有しあってますよ、というアピールに恐らく周囲は散々冷やかし、からかい、ネタにしてくるだろう。
手を繋いで、貴族街へと戻っていく。
触れ合う腕が、肩が、その温度が、距離感が、恋愛初心者である二人には酷く心地いい。
子供かよ、とレインが見れば呆れるだろうが、焦らずとも時間はまだあるのだからゆっくり婚約者に、そして夫婦になっていけばいい。
アウディ侯爵家の門構えが見えてきたことで、クロードが足を止める。
「メル」
「はい」
「また、明日」
誰が見ているかわからない、恐らく門を守る警備の兵は気づいている。だから。
ちゅ、と小さく頬に落とされた口づけに目元を染めながら、メルヴェルはその空色の瞳を照れくさそうに細めた。
「また、明日。今日はありがとうございました、クロード」