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第16話 提案

「なっ……そんな……!!」


 神聖魔術を放った手をそのまま掲げながら唖然とした表情をしているリリア。

 それとは正反対に超然とした様子で微笑みつつ、なぜか申し訳なさそうな雰囲気でその場に佇んでいる悪魔。

 リリアの魔術を完全に防いだ悪魔の手腕は見事で、中々の力を持っていることは明らかだ。


 けれど、悪魔は攻撃を加えられたというのにその攻撃の主に対して、いたって穏やかな様子で、


「……驚かれるのも無理はない、と思いますが、私はこれで結構、位の高い悪魔でして……。決して今の神聖魔術が未熟だと申し上げるつもりはないのです。ただ、純粋に威力が不足しております」


 と、淡々と事実だけ告げる彼の顔に、怒りや不満は宿ってはいなかった。


「攻撃を加えられたのに、また随分と物柔らかね? 怒らないの?」


 私が尋ねると、悪魔は笑って答える。


「今のは私にとって攻撃というほどのものでは……。なんと申しあげましょうか。年端もいかぬ子供に、少し体を叩かれたからと言って、あるじは怒り狂ったりされますか?」


 この言葉に、リリアは驚きに瞠った目をさらに大きく開け、一歩後ずさる。

 意味は分かるが、そのたとえだと、リリアは彼から見て子供に過ぎない力しかないと言われたも同然だからだ。


「怒らないでしょうね。でも、私はたとえ蟻だとしても噛まれたら踏み潰したくなるわよ。――あなたはそうではないの?」


 子供に怒らないのは、それがあくまで同族であるという前提があるからだ。

 それに、まだ未熟な年齢であり、いずれ成長すればそういうことも減っていくという経験的事実もわかっている。

 けれど、この悪魔にとって、リリアは同族ではないし、神聖魔術を使う者にとって悪魔はいつまで経っても天敵であるのが普通だ。

 それを考えれば、彼の行動はむしろ奇妙だ。

 私が同じ立場なら反撃に出てもおかしくない。


 けれど彼は、


「私はこれで博愛主義者なのです。その蟻に毒があり、放置しておけば危険だというのであれば話は別ですが、私は出来る限りその蟻を殺したいとは思いません。面倒ですし、踏み潰してもいい気分にはなれませんので」


 と言った。

 人を呪う悪名高い魔剣に宿り、幾人もの人を死に導いてきたくせに何を言うのかという気がしたが、彼も私がそう考えたのは理解したのだろう。


「おっしゃりたいことはわかりますよ。しかし、それは私にとって純然たる仕事です。必要ならやりますが、そうでないのならやる必要はない、そういうものです。今の私はあなたに仕える身。あなたのご友人や同族をことさらに死に導く必要は私にはありません。もちろん、ご命令とあればそれもやぶさかではありませんが……」


「いえ、その必要は今はないわ。わかった……リリアもわかった?」


 と、驚いた表情のまま放心気味だったリリアが私の方にぎぎぎと首を動かして、


「……こ、この悪魔を……本気で従えたいとおっしゃるのですか……!?」


 と尋ねた。


「聞いての通りしっかり私に従うつもりがあるみたいじゃない。それなら問題ないと思うけど。悪魔は契約を重視するというし」


「正式な契約を結ばれたのですか?」


 言われてみて、そう言えば……。


「してないわね。それだとまずい?」


「当たり前です!」


 とリリアに怒鳴られた。

 どうしてか、と視線で尋ねれば、


「それでは……この悪魔は全くの自由にこの世界で活動できるということになります。さきほどの神聖魔術を軽く防ぎ切ったことを考えれば、少なくとも爵位持ちの悪魔であるのは間違いありません。こちらの世界に、何の拘束もない悪魔がが現れた例は……今までかつてないのです。危険です。今すぐに排除を……」


 剣に縛られていると思しき悪魔だ。

 何の拘束もないというわけではないだろうが、しかしかなり自由度が高いのは間違いないだろう。

 こうやって、問題なく剣の外側に出てこれているのだから。


「と言っても、リリアにはどうしようもないのでしょう?」


 実際、さっきやって無駄だったのだ。

 そう思っての言葉だったが、リリアは、


「いえ、まだ私には切り札があります。命と引き換えに、神聖力すべてを常時の数倍、数十倍に増加する技術が……それを使えば、おそらくは……!!」


 と何かに燃えるように言った。

 今更ながらに、神殿の巫女と悪魔は心底、相性が悪いらしい。

 呆れて悪魔の方を見ると、彼は肩をすくめて、


(私にはどうにもならないので、あるじがどうにかしてください)


 と目で訴えてきた。

 そんなこと要求されてもここまでヒートアップしたものをどうにかする方法など私には浮かばない。

 あえて言うなら、気絶でもさせるくらいだが、起き上がったらまた同じことになってしまうだろう。

 それでは意味がない。

 何か、リリアにこの悪魔の存在を納得させる方法がなければならないのだ。

 どうしたものか、と考えていると、様子をしばらく観察していたモーゼスが妙案を口にした。


「……先ほど、リリア殿は契約をしていない悪魔は危険だとおっしゃったが……」


「その通りです! 何にも縛られていない悪魔は、どんなことでも好きにやるでしょう。殺人から、国家転覆まで……人の心の闇を知り尽くした彼らが自由に動くとは、そういうことです……」


「それなら、契約すればいいのではないか? そこの悪魔どのは、ユーリと契約することに何か問題があってしていないのか?」


 と尋ねる。

 悪魔は、


「いえ……そんなことはありません。ただ、求められなかったというだけの話です。必要だというのであれば、私としては問題はありません。それと、私に敬称などつけていただく必要はありませんよ。モーゼス殿。あなたは、我があるじと同格の方なのですから、私のことなど……」


 と従順に答える。


「私とユーリが同格かどうかは非常に怪しい話だが……むしろ命を救われた恩人でもあるしな。私と悪魔どのがちょうど同格、というくらいではないか」


 モーゼスは全く物おじせずに悪魔と会話している。

 かなり腹が据わっているらしい。

 対して、彼の主であるはずのタタールは驚きすぎて何も言えないようだ。


「そう言っていただけると楽になります。ただ、私のことは執事のように扱っていただければ十分です。いうなれば、私とモーゼス殿との関係は、執事と主の客人のようなもの。であれば、私の方が下であるのは道理ですので……」


 この言い方に、モーゼスは苦笑した。


「悪魔というのは意外なほどに堅苦しいというか……上下関係に拘るのだな。まぁ、それでいいというなら、私としてもかまわん。それでだ、ユーリ。先ほどの話だが……今、契約したらどうだ? そうすればリリア殿も納得するだろう?」


 私とリリアを見て、モーゼスが言う。

 リリアは何とも言えない顔をしているが、私は頷いた。


「それでリリアがいいなら、特に反対することはないわ。リリア、いいかしら?」


 尋ねると、リリアは硬い表情ながらも、


「……しっかりと契約されるのであれば、構いません。しかし、悪魔がまともに契約をするとは思えません。ですから、条件があります」


「条件?」


「神殿で、正確で強固な契約を結ぶことです」


 言いたいことはわかるが、それは可能なのだろうか、と私は思った。

 なにせ、悪魔の彼は悪魔なのだ。

 神殿に入ることができるのだろうか。

 そう思って尋ねると、


「入るだけなら、特に問題はないかと。若干の弱体化もするでしょうが……消滅することはないと思います。必要ならば、是非に」


 と頷いた。


「いいらしいわよ。でも……神殿って悪魔なんて受け入れてくれるわけ?」


 現実的に神殿に悪魔を入れたいのですがよろしでしょうか、と言われてうんと頷く神殿などあるはずがない。

 しかしリリアには自信があるらしかった。


「私が、おばあちゃんに直接お願いします。それで、何とかなるはずです」


 つまりは、初源神殿の首座巫女シモーヌ=シェローに直接頼むと言うことらしい。

 本気か、と思ったが、まぎれもない本気であるのは彼女の表情から明らかだった。


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